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case4.聖女様
case4ー2.面倒な人(1)
しおりを挟む翌日、銀の鋏の応接室には、不思議なメンバーが集っていた。
まず、この国の皇太子フェリクス。彼はエレノアの対面に悠然と足を組みながら座っており、その端正な顔立ちには薄っすらと笑みが浮かんでいる。
その後ろに控えるのは、側近のトーマスだ。苦労人を絵に描いたようなこの男は、相変わらず疲れたような表情をしている。
そして、エレノアの隣には医者のアレン。彼はこの何とも言えない空気に苦笑していた。
ミカエルとマリアがいればこの空気も多少和みそうなものだが、あいにく二人は留守にしている。今日はウェストゲート卿の用心棒として、一日中仕事に出ているのだ。
エレノアはふぅと小さく息を吐いてから、フェリクスに向かって話しかけた。
「さっさと用件を済ませてしまいましょうか。まずはオリヴィア嬢の治療費の話から」
今日、この面々がこの場に集まっているのは、先の皇太子暗殺未遂事件に関する報酬や治療費などの諸々を清算するためだ。
フェリクスの元婚約者であるオリヴィアは、父親が捕まりアーレント公爵家が取り壊しとなった後、皇族の遠縁の家に引き取られ、南の保養地で療養しているそうだ。
彼女は実の父親に毒殺されそうになった被害者であり、かつアーレント公爵逮捕に尽力した功績が大きいとされ、特に罪には問われなかった。
もちろんその功績というのは、ほとんどがエレノアの暗躍によるものなのだが、その辺りはフェリクスがうまいこと誤魔化したらしい。
そして、アーレント公爵家の財産はすべて没収となったため、オリヴィアの治療費はフェリクスが代わりに支払うことにしたそうだ。自分の命を救おうとしてくれた女の治療費なら、喜んで払うだろう。
「オリヴィアの治療費と入院費、それと護衛を雇った経費など諸々全て合わせて、この金額でどうだろうか」
フェリクスが小切手をテーブルの上に置いて、アレンの前にスッと差し出した。そこに書かれた金額を見て、アレンがギョッと目を見開く。
「こ、これは流石に多すぎます! こんなに受け取れません。そもそも護衛を手配してくれたのはエレノアで、僕では……」
「礼も込みの金額だ。オリヴィアを救ってくれたこと、改めて感謝する」
「僕は医者としての仕事を果たしただけです。お礼なんていりません」
アレンは顔を青くして体の前で両手を振っていた。
小切手に書かれた金額は、三千万シリカ。オリヴィアの入院期間が一ヶ月ほどだったことを考慮しても、あまりにも多い金額だ。彼が躊躇するのも無理はない。
しかしこのままでは平行線だ。エレノアは頬杖をつきながらアレンに視線を送った。
「ありがたく受け取っておけ、アレン。いくら言い返しても引かんぞ、このお方は」
「うーん……」
「ちなみに、護衛はウェストゲート卿のご好意でタダだ。私に護衛代を渡す必要はない」
「ええ……」
アレンは小切手を見つめたまましばらく考え込んでいたが、程なくして諦めたように息を吐いた。
「わかりました。ありがたく頂戴いたします。余剰金は、より多くの患者を救うための資金として有意義に使わせていただきます」
「フッ。真面目だな。お前の仕事ぶりは実に好ましい。俺の専属医にしたいくらいだ」
毒を盛られ体調の優れなかったフェリクスだったが、アレンの治療により今は完全に復調している。今の言葉は、アレンの医者としての腕を身をもって体験したからこそ出たものなのだろう。
しばらく不調を引きずっていたフェリクスの体をたった数回の治療で治しきったアレンのことは、皇城でちょっとした話題になったそうだ。
ここ数年のフェリクスの専属医は、ルイス侯爵という国内最大の病院を経営する人物だった。
彼は侯爵という立場でありながら、自らも医師として活躍している。それだけでなく、知識人としても有名で、この国の最高学府であるオルガルム大学の理事であり特別教授でもあるのだ。
さらには領地経営の腕も極めて優れており、それ故に多才の天才と呼ばれていた。
そんなルイス侯爵は腕利きの名医なのだが、フェリクスに使われた毒が海を超えた遥か東方に伝わる非常に珍しいものだったらしく、侯爵でさえ治療法がわからなかったらしい。
それをたった二十歳やそこらの青年がすぐに治してしまったので、アレンが皇城で評判になるのはある意味必然だった。
ルイス侯爵は、この一件でフェリクスを治せなかった責任を取り、最近専属医の座を辞したらしい。高齢であるというのも理由のひとつのようだ。
そんな専属医への誘いに、アレンは苦笑した。
「せっかくのお話ですが、お断りさせていただきます。この街には診なければならない方々がたくさんいるので」
「欲がないな。では、お前の治療が受けたくなったら、オーウェンズ病院を訪れることにしよう」
そう言うフェリクスは機嫌が良さそうだった。
アレンが断るとわかっていたのだろう。そもそも誘いを断られて怒るような器の人間ではないのかもしれない。
「で、次はお前への礼の話だ、エレノア。金でも土地でも、欲しいものを何でも申せ」
フェリクスの視線がエレノアに移った。
彼の表情には、好奇心がありありと浮かんでいる。一体この女は何を要求してくるのか、とワクワクしている様子だ。
最初に会った時から興味を持たれているとは思っていたが、そんなに期待されても困る。
エレノアは小さく息を吐いてから口を開いた。
「金も土地もいりません。ですが」
フェリクスのアメジストの如き瞳を見据え、エレノアははっきりと自分の要求を述べた。
「私が望む時に、殿下に謁見できる権利をいただきたい」
「なっ!? 薄汚い裏社会の人間が殿下に堂々と謁見するなど、許されるわけがないだろう!!」
声を上げたのは側近のトーマスだ。この男は熱くなると声が大きくなるタチのようで、エレノアは思わず顔を顰めた。
するとフェリクスが手でトーマスを制し、「理由を」と言って先を促す。
「仕事柄、国が動いた方が良い事件に出くわすこともあります。その時に、殿下にお取り次ぎできれば、と」
「ふむ。良いだろう」
「で、殿下!?」
即答したフェリクスに、トーマスがまたもや大声を上げた。うるさすぎて自分の耳かトーマスの口を塞ぎたくなってくる。
フェリクスは慣れているのか、特に気にする様子もなく続けた。
「この国に眠る問題を掘り起こして、わざわざ目の前に持ってきてくれるんだ。こちらとしては、むしろありがたい話だろう」
「それは、そうかもしれませんが……」
主人に言い含められ、トーマスが勢いを失う。そしてフェリクスはエレノアに視線を向け、ニヤリと笑った。
「それに、気に入った女が会いに来てくれるなんて嬉しいじゃないか」
「……どういう意味でしょうか?」
嫌な予感がしつつ聞き返すと、フェリクスは笑みを浮かべたまま続けた。
「エレノア。俺の妻になる気はないか?」
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