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case5.利用された男
case5.プロローグ
しおりを挟む「なあ、人の命の価値は何で決まると思う?」
オルガルム帝国の首都に隣接する都市、ロゼクにある、一棟の倉庫内。
頼りない照明がいくつか灯されただけの薄暗い空間には、黒い革張りのソファに深く腰掛けた人物がいた。突如帝国の裏社会に現れた男、ジョン・ラッセルだ。
ジョンは暇つぶしとばかりに、取り巻く幹部たちに「人の命の価値」について問いかけた。
「金ですか?」
「地位?」
「いや、見た目でしょう」
幹部が口々に答えたが、その中に求める答えはなく、ジョンはゆるゆると首を横に振った。
「違うな。じゃあ、金も地位も見た目も同じ人間が二人いたとして、そいつらの価値は同じなのか?」
その問いかけに、幹部たちは頭を悩ませる。
「うーん……それは、価値を判断する人によって変わるかも……」
「難しいっすよ、ボス」
「ヒント! ヒントください!」
ジョンは二十六歳と若いが、幹部たちはさらに若かった。その大抵が十代後半から二十代前半で、彼らは皆、世間から爪弾きにされた半端者たちだ。
まだ祖国にいた頃、ジョンは行き場のない彼らを例外なく拾い上げた。それ故に、幹部たちはジョンに対して、決して揺らぐことのない強い忠誠心を抱いている。
「じゃあ、みんな大好きなこの紙切れに価値があるのはどうしてだ?」
ジョンは一枚の札を取り出し、ひらひらと掲げる。すると、一人の幹部が目を輝かせ、前のめりになって答えた。
「金があれば、何でも買えるからですかね! 美味い酒も、美人な女も、何でも!」
「馬鹿! ボスはどうしてただの紙切れで酒や女が買えるのかって聞いてんだよ!」
「ええ? それは……うーん……何でだろう」
別の幹部に窘められたそいつは必死に頭を捻っていたが、一向に答えが出てくる気配はなかった。
元々正解が返ってくると期待していなかったジョンは、ゆっくりと問いの答えを口にする。
「価値っていうのはな、人間が抱く妄想や幻想に過ぎない。集団幻覚と言ってもいい。大勢の人間が『価値がある』と思うからこそ、そこに価値が生まれるのさ」
タバコをくわえ、ゆっくりと息を吸う。そしてまたゆっくりと息を吐き、上っていく煙をぼんやりと目で追う。
「人間の命そのものに本質的な価値なんてないんだよ。貴族も平民も奴隷も、その命の価値はゼロに等しい。だから人間を高値で売るには、そいつに価値があるように思わせるストーリーが大切なんだ」
ジョンの言葉を聞いていた幹部たちは、わかったようなわからないような表情を浮かべていた。
すると唐突に、可愛らしい少女の声が倉庫内に響いた。むさ苦しい男だらけのこの空間に、その声はあまりに似つかわしくない。
「人の命に価値がないなんて、とても寂しい考え方だわ。人の命は皆平等で尊きものよ。あなた、きっと今まで誰からも愛されずに育ってきたのでしょう」
ジョンが声の方向に視線を向けると、その先には生意気にもこちらを鋭く睨みつけてくる少女がいた。両手を縛られた彼女は、ジョンが座るソファから少し離れた床に姿勢良く座っている。
目尻にかけてややつり上がったオレンジ色の大きな瞳は、幾分勝ち気な印象だ。燃えるような赤い髪をもち、整った容姿をしている。
まだ十三歳だというのに怯えた様子は一切なく、その瞳はまっすぐにジョンを捉えていた。彼女のことを「肝が座っている」と言うか「怖いもの知らず」と言うかは人によるだろう。
「ハハッ! 御高説をどうも。いいねえ! 皆平等か。それじゃあ、俺とお前の命の価値は平等か?」
「そうよ。あなたの命も私の命も、どちらも尊ばれるべきものだわ」
少女は即答し、一切のためらいなくそう言い切った。ジョンはそれに思わず吹き出し、彼女に盛大な拍手を送る。
「素晴らしい考え方だ! 流石はお貴族様。思わず涙が出そうだよ。じゃあお前は、何人も人を殺してきた悪人と、何人も人を救ってきた善人。その悪人と善人が死にかけてて、どちらか一人だけ救えると言われたら、どっちを救うんだ?」
「それは……」
少女は今度は即答せず、答えに詰まり口ごもった。ジョンはさらに問いかける。
「結局その二人はどっちも死んじまって、どっちか一人だけ墓に埋葬できると言われたら、お前はどっちを弔ってやるんだ?」
「…………」
先ほどまでの威勢が嘘のように、少女は勢いを失い黙り込む。答えられなかったのが気まずいのか、彼女は既にジョンから視線を外し、わずかに俯いていた。
そんな少女の様子に、ジョンはやれやれと溜息をついてから言葉を放つ。
「きっとお前は心のなかで善人を選んだはずだ。皆平等だと言っておきながら、選択を迫られればその命に優劣を決めて、価値が高いと感じた方を選んでいる」
そしてソファからゆっくりと立ち上がり、少女の方へ近づいていく。
「まあ、つまり俺が言いたいのは、人の命に本質的な価値はねえってことだ。人間が人の命には価値があると、勝手に思い込んでるだけなんだよ」
少女の目の前まで行くと、ジョンはその場でしゃがみ込んだ。
ジョンが少女の頬を片手で摘むと、彼女は再びキッと睨みつけてくる。しかしその瞳には、わずかに恐れが滲んでいた。それは縛られている今のこの状況に対するものではなく、ジョン・ラッセルという男そのものに対する恐れだ。
ジョンは思わず口角を上げ、ニタリと笑う。
「お前は一体いくらの金を生み出してくれるかなあ? 五大公爵家のご令嬢、ヴィオレッタ・レッドフィールド!」
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