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第一章 大迷宮クレバス
29話 報告
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「メリッサ。外の掃き掃除を頼む」
「うん。分かった」
父に言われて私は店前まで箒を持って出る。
時刻はちょうど10時を回ったところ。
本日の天気は快晴とは言えず、空には少し薄暗い灰色の雲が疎らに浮いている。
「降りそうな雲ね……」
見てるだけで気が沈みそうな灰色の雲にそんな感想を零しながら、店前で簡単な掃き掃除を始める。
今日も迷宮都市クレバスはたくさんの人で賑わっている。
その証拠に店先の大通りは探索者や行商人、観光客が忙しなく道を行き来している。
流石にランチタイムまでまだ一時間以上あるため、お店の前で並んでいるお客さんは居ないが直に列を作り始めるだろう。
「……」
無心で箒を掃く。
しかし、数秒と経たず頭の中では考えたくないことを考え始める。
ファイが大迷宮に籠ると言って、『箱庭亭』を飛び出してから今日で二ヶ月が経った。
元気にしているだろうか?
大きな怪我もなく、何の問題もなく元気にしているだろうか?
…………無事に帰ってきてくれるだろうか?
「ファイ……」
何の説明もせずに出ていった彼の顔を思い出す。あの時、隣には色々と噂の絶えない『静剣』アイリス・ブルームも一緒だった。あの『静剣』とクランを組んだとファイは言っていたが、今でも信じられない。
あのストーカーと一緒にクランを組むなんて私の幼馴染は何を考えているのだろうか。
まあ仮にもSランク探索者だ。彼女と一緒に大迷宮に潜っているのならば身の安全は大丈夫だろうけど……複雑な気分だ。
彼が誰かと……それこそ女の子と二人きりで大迷宮に行ったと考えるだけで、胸が張り裂けそうなほどの嫌悪感に襲われる。
「早く帰って来なさいよ、ファイのバカ……」
想像以上の長期間に渡る彼の不在に、二重の不安が私を苦しめる。
マネギル……『獰猛なる牙』で『荷物運び』をしていた時でも二ヶ月間の間ファイが『箱庭亭』に帰らないことは無かった。酷くても一週間が関の山。今回の遠征は随分と長い。
加えて、女の子と二人きりでの遠征だ。ファイに限って『間違いを起こす』ことは無いと思うが絶対ではない。もし二人がこの遠征を経て、そういう関係になってしまっていたらと思うと胸が締め付けられてしまう。
そんな不安が胸中を蝕み始めると、決まってお店の仕事なんて手につかなくなってうだうだと考え込んでしまう。
今も掃いていた箒が動きを止めて、微動だにしない。
「すまない。少しいいだろうか?」
頭の中が考えてもどうしようも無いことで埋め尽くされていると、目の前から一人の男に声をかけられる。
「え?」
そこでぼんやりとしていた意識がハッキリとして、声を掛けてきた男に焦点が合う。
「……アンタは──」
その男には見覚えがあった。
いや、忘れたくても忘れられるはずがない。その男は私にとっていい思い出なんてない、憎しみすら覚える相手だから。
「久しぶりだなメリッサ」
「──マネギル・バーデン……ッ!」
突如として目の前に現れた金髪のお男を睨みつける。
今日はいつも身に付けている深紅の鎧は装備しておらず普通の服装、オマケに態度の悪いクランメンバーもおらず一人みたいだ。
「一体ここに何の用?」
極めて冷たく、奴から目を逸らし適当に対応をする。
今更、ここに何しに来たんだこの男は?
「……まあそう邪険にするな……何て、今更俺が言えた義理ではないな。俺の顔なんて見たくないと思うが、どうしてもお前に伝えないといけないことがあって尋ねさせてもらった。手短に済ませる、突然の訪問は許してくれ」
マネギルは私の不躾な態度を気にした様子もなく、寧ろ申し訳なさそうに頭を下げる。
「……」
おかしい。
私の知っている目の前の男は傲慢で、自分に非があっても謝罪なんてすることが無い、どうしようもないクズみたいな人間だったはず。
だけど、どういう心境の変化だ?
目の前の男は私に頭を下げているではないか。
「どうした?」
「……いえ、なんでもないわ。……それで、伝えたいことって?」
思わぬ男の態度に呆気に取られるが、直ぐに正気を取り戻し本題に入る。
どんな変化でこの男が変わったのかは知らないが、私にとってこいつは長時間一緒にいたくないのは変わらない。さっさと要件を済ませなければ。
「ファイクが今日、探索者協会から正式に死んだと通達があった」
「………………え?」
マネギルの言葉に時が止まる。
死んだ……?
誰が?
……ファイが?
「嘘……嘘よ……」
そうこれはきっと悪い夢だ。ファイが死ぬはずなんてない。私に黙って一人で死ぬわけが無い。
「信じられないと思うが───」
「──そうだ! 捜索隊! 捜索隊は!?」
マネギルの言葉を遮って私は問い詰める。
探索者が長期の間、大迷宮から戻らなかった場合、探索者協会に帰ってこない探索者の安否を確かめるために捜索隊を派遣することができる。
その捜索隊の派遣で助かった探索者は沢山いる。ファイも捜索隊にお願いをして助けてもらえれば……。
「捜索隊も要請した。俺を入れた特別な捜索隊が一週間掛けてファイクの生死を確認しに大迷宮の最終層50階層まで確認をしに行ったが、死体や遺品は何も見つからず。探協は、ファイクはモンスターに食い殺されて死んだと判断した」
「そんな……嘘よ……どうしてファイが最終層何かに……」
脳内が混乱する。
マネギルの言っている意味が分からない。理解したくない。
「それも含めて説明させてくれ。俺はファイクと最終層で───」
目の前の男は慌てたように説明を始めるがその全てがどうでもいい。
死んでしまった。
大切な人が、最愛の人が死んでしまった。
今私の中を駆け巡っている感情は悲しみと後悔。
どうしてもっと早く彼に思いを告げられなかったのだろう。
「ファイ……ファイク……嫌だ……イヤだよぉ……嘘だよね? 死んでなんかないよね?」
今まで我慢していた感情は抑えが聞かず、濁流のように吐きでる。
身体に力が入らない。
もう何も考えられない。
涙が止まらない。
・
・
・
「はあ……はあ……っ!!」
身体中の魔力が激しく脈打つように流れる。
心像するのは全方位から襲いかかってくる敵を屠る最適な魔法。
「「「キシャアアアァアアアッ!!」」」
「見た目の割には、攻撃のやり方がグロいな!!」
赤黒い歯茎と鋭い牙を剥き出しにして襲いかかってくるモンスターに言い放つ。
敵は頭上、しかも全方位から覆い被さるように無数に襲いかかってくる栗鼠型のモンスター『アーミーズスクワイア』は群れで行動するモンスターだ。
その数はざっと100匹以上。
一匹一匹は大した大きくもなく強さもないが、これだけ数が集まれば話は別だ。
「……悪いがここは俺の領域だ。死んでもらうぞ」
だが、数が多かろうと統率力があろうと関係ない。
影の支配領域は4割。
常時影を支配するならばこれぐらいの割合の方が諸々の消費は少ない。この階層のモンスターにはこれで十分だと言うのは分かっている。
俺を中心に足元に円形に拡がる影は今か今かと号令を待つ。
心像はとっくの前にできている。後は眼前の無防備に向かってくる敵を屠るのみ。
「うじゃうじゃと鬱陶しいんだ──消えろ」
言葉と同時に頭上の栗鼠をひと睨み。それを合図に足元に広がる影は蠢き、魔法として形を成す。
「「「ピギャッッッ!?」」」
可愛らしい甲高い絶叫が耳朶を打つ。
足元の影は無数の細針となって頭上の細々とした敵の小さな体躯を貫いていく。時間にして10秒も必要ない。足元に広がる影から高速連射される影針は頭上一面にいた『アーミーズスクワイア』を殲滅する。
頭上にいたモンスターを空中で殺せば、死体はそのまま無抵抗に落ちてくる。
「ほい、続けて収納っと……」
いちいち手掴みで死体を回収するのは面倒でしかないので、そのまま支配領域内に落ちてきた『アーミーズスクワイア』を影の中に収納させていく。
「この部屋の制圧は完了だな。どうする少し休憩するか?」
他のモンスターがいないことを確認していると、スカーが声を掛けてくる。
「うーん……さっき休んだばかりだし、疲れてもない。この階層もこの部屋で終わりだし、さっさと下に降ろう」
「そうか」
異論は無いのかスカーは頷くと、また静かになる。
現在、大迷宮クレバス深層74階層。最奥、下の階層へと続く階段がある部屋。
戦闘を終えて早々に下の階層へと続く階段を降り始める。
この深層に落ちてきてからどれだけの時間が経ったのか。正確な時間は55階層以降あやふやになり、考えるのを辞めていた。
時間が分からない以外は特に大した問題や怪我も無く、ここまで来ることができた。……と言うか順調すぎた。
60階層での『ステルスマーリン』の戦闘を経て6割までの『支配領域』の解放がされた。
この『支配領域』がとんでもないぶっ壊れ性能をしていた。
簡単に説明すると『支配領域』とは俺が現時点で支配、掌握することのできる影の範囲のこと。『影遊』を使用する際にこの『支配領域』の展開は必要不可欠で『支配領域』が展開されていなければ『影遊』を使用することはできない。
俺が『キングスパイキーウルフ』との戦闘で初めて『影遊』を使用した時に『支配領域』の展開はできるようになったのだが、まだ『魔力耐性』や『魔力操作』が未熟だった俺には負担が大きい力で、55階層まではスカーの独断でその『支配領域』は制限されていた。
『支配領域』が開放される以前の俺が支配できた影の割合は約1割弱。大まかな広さで言えば直径100mの部屋があったとして、その部屋の影を俺を中心として半径10mまでの範囲で支配できるということ。『支配領域』の能力は支配できる影の範囲の広さによって性能が変化する。
支配率が1割弱ならば簡易的な潜影剣の発現、基礎魔法の性能強化(小)と言ったところだ。
これだけでも今まで『魔力循環』などの基礎強化をすれば何とか深層を攻略することができていたのだが、6割まで『支配領域』が開放された事によって今まで以上に深層の攻略が円滑に進むようになった。
今俺が常時支配している影の割合は4割。スカーに安定していると言われた割合だ。6割までは『支配領域』を広げることができるものの、それでも今の俺では魔力効率が悪く、精神疲労も激しいということで常時『支配領域』を展開しているのならば4割が安全ということでこの割合で『支配領域』を展開している。
支配率4割の大まかな広さは、直径100mの部屋があったとして、その部屋の影を俺を中心とした半径約50mまでの範囲で支配できるぐらいの広さ。
支配率が4割の場合の『支配領域』内の効果内容はこうだ。
複数の潜影剣の発現、基礎魔法の性能強化(中)、俺の意思・簡易的な心像に応じた基礎魔法の即時発動、支配領域範囲内での影から影の高速移動、支配領域範囲内の自動索敵・探知(生命・魔力)だ。
上記の通りできることが大幅に増えた。
特に支配領域範囲内の自動索敵・探知(生命・魔力)が破格すぎる性能だった。いつも感覚的で不確かな索敵をしていたのだが、この能力のお陰で支配領域範囲内であれば即座に状況の把握ができるようになった。
こんな超強化に加えて、ここまでの道中で『影遊』を新たに二つスカーに教わり、俺は深層74階層を踏破していていた。
「以前より強くなったからと言って油断はするなよ。調子がいい時ほど警戒を怠るな」
自分の中で起きた目まぐるしい変化を思い返しながら階段を降っているとスカーから釘を刺される。
「分かってる。油断なんかしてねえよ。次の75階層はターニングポイントだ。ここまでの階層で戦ったモンスターの何十倍も強い奴が出てくるのは分かりきってるし、寧ろガチガチに警戒してるね」
「……力には溺れるなよ。驕り高ぶるな、常に底辺だった頃の自分は忘れるな。お前の原点を決して忘れることはあってはならない」
『支配領域』を解放してから度々、スカーのこのような言葉が増えた。それは人として大事なモノを失っていないか、スカーなりの確認作業のようなものだった。
「ああ……忘れねえよ」
忘れたくても忘れられるはずがない。
決して平坦な道のりなんかではなかった。
ここまで来るのに何回も弱さを嘆き、恨み、絶望し、努力を重ねてきた。
一日や二日で手に入れた薄っぺらい力なんかでは無い。ここはまだ途中経過だ。
スカーが求め、認める『最強』に俺はまだ程遠い。
驕り高ぶれるはずがない。
俺はまだ自分の影に住み着いている爺さんよりも全然弱い。
まだ目指せる高みがあるのだ。
こんなところで満足なんてしていられない。
「ふう──」
精神が研ぎ澄まされていく。
焦りはない。
俺は人として大切なモノを失っていない。
そう確認したところで降っていた階段は終わりを告げる。
目の前には無駄に大きな薄ぐろい灰色の扉。
「──よし。ターニングポイントだ」
迷いなく扉に手を当てて真っ直ぐに力を入れて押す開ける。
重たく響く音を立てながら扉はゆっくりと動く。
開いた扉の隙間から眩い光が射し込む。
大迷宮クレバス深層75階層の扉は今開かれた。
「うん。分かった」
父に言われて私は店前まで箒を持って出る。
時刻はちょうど10時を回ったところ。
本日の天気は快晴とは言えず、空には少し薄暗い灰色の雲が疎らに浮いている。
「降りそうな雲ね……」
見てるだけで気が沈みそうな灰色の雲にそんな感想を零しながら、店前で簡単な掃き掃除を始める。
今日も迷宮都市クレバスはたくさんの人で賑わっている。
その証拠に店先の大通りは探索者や行商人、観光客が忙しなく道を行き来している。
流石にランチタイムまでまだ一時間以上あるため、お店の前で並んでいるお客さんは居ないが直に列を作り始めるだろう。
「……」
無心で箒を掃く。
しかし、数秒と経たず頭の中では考えたくないことを考え始める。
ファイが大迷宮に籠ると言って、『箱庭亭』を飛び出してから今日で二ヶ月が経った。
元気にしているだろうか?
大きな怪我もなく、何の問題もなく元気にしているだろうか?
…………無事に帰ってきてくれるだろうか?
「ファイ……」
何の説明もせずに出ていった彼の顔を思い出す。あの時、隣には色々と噂の絶えない『静剣』アイリス・ブルームも一緒だった。あの『静剣』とクランを組んだとファイは言っていたが、今でも信じられない。
あのストーカーと一緒にクランを組むなんて私の幼馴染は何を考えているのだろうか。
まあ仮にもSランク探索者だ。彼女と一緒に大迷宮に潜っているのならば身の安全は大丈夫だろうけど……複雑な気分だ。
彼が誰かと……それこそ女の子と二人きりで大迷宮に行ったと考えるだけで、胸が張り裂けそうなほどの嫌悪感に襲われる。
「早く帰って来なさいよ、ファイのバカ……」
想像以上の長期間に渡る彼の不在に、二重の不安が私を苦しめる。
マネギル……『獰猛なる牙』で『荷物運び』をしていた時でも二ヶ月間の間ファイが『箱庭亭』に帰らないことは無かった。酷くても一週間が関の山。今回の遠征は随分と長い。
加えて、女の子と二人きりでの遠征だ。ファイに限って『間違いを起こす』ことは無いと思うが絶対ではない。もし二人がこの遠征を経て、そういう関係になってしまっていたらと思うと胸が締め付けられてしまう。
そんな不安が胸中を蝕み始めると、決まってお店の仕事なんて手につかなくなってうだうだと考え込んでしまう。
今も掃いていた箒が動きを止めて、微動だにしない。
「すまない。少しいいだろうか?」
頭の中が考えてもどうしようも無いことで埋め尽くされていると、目の前から一人の男に声をかけられる。
「え?」
そこでぼんやりとしていた意識がハッキリとして、声を掛けてきた男に焦点が合う。
「……アンタは──」
その男には見覚えがあった。
いや、忘れたくても忘れられるはずがない。その男は私にとっていい思い出なんてない、憎しみすら覚える相手だから。
「久しぶりだなメリッサ」
「──マネギル・バーデン……ッ!」
突如として目の前に現れた金髪のお男を睨みつける。
今日はいつも身に付けている深紅の鎧は装備しておらず普通の服装、オマケに態度の悪いクランメンバーもおらず一人みたいだ。
「一体ここに何の用?」
極めて冷たく、奴から目を逸らし適当に対応をする。
今更、ここに何しに来たんだこの男は?
「……まあそう邪険にするな……何て、今更俺が言えた義理ではないな。俺の顔なんて見たくないと思うが、どうしてもお前に伝えないといけないことがあって尋ねさせてもらった。手短に済ませる、突然の訪問は許してくれ」
マネギルは私の不躾な態度を気にした様子もなく、寧ろ申し訳なさそうに頭を下げる。
「……」
おかしい。
私の知っている目の前の男は傲慢で、自分に非があっても謝罪なんてすることが無い、どうしようもないクズみたいな人間だったはず。
だけど、どういう心境の変化だ?
目の前の男は私に頭を下げているではないか。
「どうした?」
「……いえ、なんでもないわ。……それで、伝えたいことって?」
思わぬ男の態度に呆気に取られるが、直ぐに正気を取り戻し本題に入る。
どんな変化でこの男が変わったのかは知らないが、私にとってこいつは長時間一緒にいたくないのは変わらない。さっさと要件を済ませなければ。
「ファイクが今日、探索者協会から正式に死んだと通達があった」
「………………え?」
マネギルの言葉に時が止まる。
死んだ……?
誰が?
……ファイが?
「嘘……嘘よ……」
そうこれはきっと悪い夢だ。ファイが死ぬはずなんてない。私に黙って一人で死ぬわけが無い。
「信じられないと思うが───」
「──そうだ! 捜索隊! 捜索隊は!?」
マネギルの言葉を遮って私は問い詰める。
探索者が長期の間、大迷宮から戻らなかった場合、探索者協会に帰ってこない探索者の安否を確かめるために捜索隊を派遣することができる。
その捜索隊の派遣で助かった探索者は沢山いる。ファイも捜索隊にお願いをして助けてもらえれば……。
「捜索隊も要請した。俺を入れた特別な捜索隊が一週間掛けてファイクの生死を確認しに大迷宮の最終層50階層まで確認をしに行ったが、死体や遺品は何も見つからず。探協は、ファイクはモンスターに食い殺されて死んだと判断した」
「そんな……嘘よ……どうしてファイが最終層何かに……」
脳内が混乱する。
マネギルの言っている意味が分からない。理解したくない。
「それも含めて説明させてくれ。俺はファイクと最終層で───」
目の前の男は慌てたように説明を始めるがその全てがどうでもいい。
死んでしまった。
大切な人が、最愛の人が死んでしまった。
今私の中を駆け巡っている感情は悲しみと後悔。
どうしてもっと早く彼に思いを告げられなかったのだろう。
「ファイ……ファイク……嫌だ……イヤだよぉ……嘘だよね? 死んでなんかないよね?」
今まで我慢していた感情は抑えが聞かず、濁流のように吐きでる。
身体に力が入らない。
もう何も考えられない。
涙が止まらない。
・
・
・
「はあ……はあ……っ!!」
身体中の魔力が激しく脈打つように流れる。
心像するのは全方位から襲いかかってくる敵を屠る最適な魔法。
「「「キシャアアアァアアアッ!!」」」
「見た目の割には、攻撃のやり方がグロいな!!」
赤黒い歯茎と鋭い牙を剥き出しにして襲いかかってくるモンスターに言い放つ。
敵は頭上、しかも全方位から覆い被さるように無数に襲いかかってくる栗鼠型のモンスター『アーミーズスクワイア』は群れで行動するモンスターだ。
その数はざっと100匹以上。
一匹一匹は大した大きくもなく強さもないが、これだけ数が集まれば話は別だ。
「……悪いがここは俺の領域だ。死んでもらうぞ」
だが、数が多かろうと統率力があろうと関係ない。
影の支配領域は4割。
常時影を支配するならばこれぐらいの割合の方が諸々の消費は少ない。この階層のモンスターにはこれで十分だと言うのは分かっている。
俺を中心に足元に円形に拡がる影は今か今かと号令を待つ。
心像はとっくの前にできている。後は眼前の無防備に向かってくる敵を屠るのみ。
「うじゃうじゃと鬱陶しいんだ──消えろ」
言葉と同時に頭上の栗鼠をひと睨み。それを合図に足元に広がる影は蠢き、魔法として形を成す。
「「「ピギャッッッ!?」」」
可愛らしい甲高い絶叫が耳朶を打つ。
足元の影は無数の細針となって頭上の細々とした敵の小さな体躯を貫いていく。時間にして10秒も必要ない。足元に広がる影から高速連射される影針は頭上一面にいた『アーミーズスクワイア』を殲滅する。
頭上にいたモンスターを空中で殺せば、死体はそのまま無抵抗に落ちてくる。
「ほい、続けて収納っと……」
いちいち手掴みで死体を回収するのは面倒でしかないので、そのまま支配領域内に落ちてきた『アーミーズスクワイア』を影の中に収納させていく。
「この部屋の制圧は完了だな。どうする少し休憩するか?」
他のモンスターがいないことを確認していると、スカーが声を掛けてくる。
「うーん……さっき休んだばかりだし、疲れてもない。この階層もこの部屋で終わりだし、さっさと下に降ろう」
「そうか」
異論は無いのかスカーは頷くと、また静かになる。
現在、大迷宮クレバス深層74階層。最奥、下の階層へと続く階段がある部屋。
戦闘を終えて早々に下の階層へと続く階段を降り始める。
この深層に落ちてきてからどれだけの時間が経ったのか。正確な時間は55階層以降あやふやになり、考えるのを辞めていた。
時間が分からない以外は特に大した問題や怪我も無く、ここまで来ることができた。……と言うか順調すぎた。
60階層での『ステルスマーリン』の戦闘を経て6割までの『支配領域』の解放がされた。
この『支配領域』がとんでもないぶっ壊れ性能をしていた。
簡単に説明すると『支配領域』とは俺が現時点で支配、掌握することのできる影の範囲のこと。『影遊』を使用する際にこの『支配領域』の展開は必要不可欠で『支配領域』が展開されていなければ『影遊』を使用することはできない。
俺が『キングスパイキーウルフ』との戦闘で初めて『影遊』を使用した時に『支配領域』の展開はできるようになったのだが、まだ『魔力耐性』や『魔力操作』が未熟だった俺には負担が大きい力で、55階層まではスカーの独断でその『支配領域』は制限されていた。
『支配領域』が開放される以前の俺が支配できた影の割合は約1割弱。大まかな広さで言えば直径100mの部屋があったとして、その部屋の影を俺を中心として半径10mまでの範囲で支配できるということ。『支配領域』の能力は支配できる影の範囲の広さによって性能が変化する。
支配率が1割弱ならば簡易的な潜影剣の発現、基礎魔法の性能強化(小)と言ったところだ。
これだけでも今まで『魔力循環』などの基礎強化をすれば何とか深層を攻略することができていたのだが、6割まで『支配領域』が開放された事によって今まで以上に深層の攻略が円滑に進むようになった。
今俺が常時支配している影の割合は4割。スカーに安定していると言われた割合だ。6割までは『支配領域』を広げることができるものの、それでも今の俺では魔力効率が悪く、精神疲労も激しいということで常時『支配領域』を展開しているのならば4割が安全ということでこの割合で『支配領域』を展開している。
支配率4割の大まかな広さは、直径100mの部屋があったとして、その部屋の影を俺を中心とした半径約50mまでの範囲で支配できるぐらいの広さ。
支配率が4割の場合の『支配領域』内の効果内容はこうだ。
複数の潜影剣の発現、基礎魔法の性能強化(中)、俺の意思・簡易的な心像に応じた基礎魔法の即時発動、支配領域範囲内での影から影の高速移動、支配領域範囲内の自動索敵・探知(生命・魔力)だ。
上記の通りできることが大幅に増えた。
特に支配領域範囲内の自動索敵・探知(生命・魔力)が破格すぎる性能だった。いつも感覚的で不確かな索敵をしていたのだが、この能力のお陰で支配領域範囲内であれば即座に状況の把握ができるようになった。
こんな超強化に加えて、ここまでの道中で『影遊』を新たに二つスカーに教わり、俺は深層74階層を踏破していていた。
「以前より強くなったからと言って油断はするなよ。調子がいい時ほど警戒を怠るな」
自分の中で起きた目まぐるしい変化を思い返しながら階段を降っているとスカーから釘を刺される。
「分かってる。油断なんかしてねえよ。次の75階層はターニングポイントだ。ここまでの階層で戦ったモンスターの何十倍も強い奴が出てくるのは分かりきってるし、寧ろガチガチに警戒してるね」
「……力には溺れるなよ。驕り高ぶるな、常に底辺だった頃の自分は忘れるな。お前の原点を決して忘れることはあってはならない」
『支配領域』を解放してから度々、スカーのこのような言葉が増えた。それは人として大事なモノを失っていないか、スカーなりの確認作業のようなものだった。
「ああ……忘れねえよ」
忘れたくても忘れられるはずがない。
決して平坦な道のりなんかではなかった。
ここまで来るのに何回も弱さを嘆き、恨み、絶望し、努力を重ねてきた。
一日や二日で手に入れた薄っぺらい力なんかでは無い。ここはまだ途中経過だ。
スカーが求め、認める『最強』に俺はまだ程遠い。
驕り高ぶれるはずがない。
俺はまだ自分の影に住み着いている爺さんよりも全然弱い。
まだ目指せる高みがあるのだ。
こんなところで満足なんてしていられない。
「ふう──」
精神が研ぎ澄まされていく。
焦りはない。
俺は人として大切なモノを失っていない。
そう確認したところで降っていた階段は終わりを告げる。
目の前には無駄に大きな薄ぐろい灰色の扉。
「──よし。ターニングポイントだ」
迷いなく扉に手を当てて真っ直ぐに力を入れて押す開ける。
重たく響く音を立てながら扉はゆっくりと動く。
開いた扉の隙間から眩い光が射し込む。
大迷宮クレバス深層75階層の扉は今開かれた。
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「君、うっかり死んじゃったから、異世界に転生させてあげるよ♪」
「スキル? ステータス? もちろんガチャで決めるから!」
最初はブチギレ寸前だったが、引いたスキルはなんと全部ユニーク!
本人は気づいていないが、【超幸運】の持ち主だった!
「冒険? 魔王? いや、俺は村でのんびり暮らしたいんだけど……」
そんな願いとは裏腹に、次々とトラブルに巻き込まれ、無自覚に“最強伝説”を打ち立てていく!
神様のミスで始まった異世界生活。目指すはスローライフ、されど周囲は大騒ぎ!
◆ガチャ転生×最強×スローライフ!
無自覚チートな元おっさんが、今日も異世界でのんびり無双中!
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
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