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魔王降臨
第26話 希望の王子
しおりを挟む淀んだ曇天が続く、人間の王国ソピア。
人々の不安と焦燥は、自然と争いを産み始めており、騎士団が対応に出払っているものの、治安は悪化の一途をたどっている。
「陛下。魔王が復活したとの情報が……」
「だからなんだ」
王城内にある『謁見の間』は、ソピア国王ハリスが王族以外の人間と会うために造られた部屋だ。
高い位置に設えられた玉座は、謁見を許可された者が自然と見上げることになり、その身分の違いを体感でもって知らしめられる構造になっている。
何人もの役人や貴族が国王との謁見を希望し、跪き、同じことを言う。
ハリスは、正直飽き飽きしていた。
「復活したから、なんだと聞いている」
誰もが「魔王が恐ろしい」と言いに来るが、誰もが具体的にどうして欲しいとは言わない。
伝承の通り本当に復活したというのなら、やはり伝承の通り滅びるしかない。
ただの国王でしかない自分に、いったい何を求めているのだ? とすっかりその心は冷え切っていた。
「なんらかの対策は、講じないのでしょうか!?」
だが今日は違った。
役人たちと並び、首を垂れているのは王太子のアンディである。
それが、発言の許しを得ないまま、必死に床へ向かって叫んでいる
「対策……?」
ハリスの反応で、アンディはバッと顔を上げた。
強い輝きを両眼に浮かべているのを見て、ハリスは喜ぶどころか「面倒だな」と疎ましくさえ思う。
「例えば、獣人の国に援軍を要請」
「愚かなことを」
「ですが、他に方法が!」
「まだそんな世迷言を」
「陛下! このままでは、ソピアは……人は……!」
アンディが眩しい正義感を保ち続けていることは、ハリスにとって喜ばしいことではなかった。
この状況では、もはや正論は無意味。人が滅びに向かっているというのは、純然たる事実だからだ。
「冒険者ギルドマスターのダンが、獣人王国に向かってからひと月経つ。未だ何の音沙汰もないということは、死んだに違いない。それでもか」
「私が! 行きます!」
謁見の間にいる役人たちは、どよめく。
唯一の後継である王太子に、もし万が一のことがあったら……と。
次代こそ王位を簒奪せしめる絶好の機会では……と。
思惑は様々だが、それもまた無意味だ、とハリスの心は動かない。
「好きにしろ」
「は! 獣人王国との連盟が成り立った暁には!」
「王位を譲る」
すく、と国王は立ち上がった。
「皆の者も、聞いたな? だがアンディ。そなたが帰らぬ時は、ソピア王家が途絶える時だ」
すく、と王太子も立ち上がった。
「王家どころか、人間が息絶える時です。生き残った者で好きにすれば良い!」
ぎろり、と若い王子は横目で宰相を睨む。
彼が『古の黒魔術師団』の一員ではないかという嫌疑は、公然たる事実になりつつある。なぜなら――
「ほっほ。お手並み拝見、ですなぁ!」
五十代に差し掛かろうとしていた宰相マードック・ノア。今は明らかに若返り、そして魔力に満ち溢れているのを感じるからだ。
そして彼はそれを隠そうともせず、むしろ自身の傘下に入るよう、有力貴族に声を掛けて回っている。
国王ハリスの諦観の源が、そこにもあることをアンディは把握していた――魔王はすぐ近くにいる。ならばもうどうしようもないではないか、と。
マードックの目的は分からないが、王城に留まったとて、できることは少ない。
ならば自身で打開するしかない! と、アンディは藁にもすがる思いで、獣人王国へ旅立つことを決めた。
随行を申し出てくれたのは、幼いころからの侍従であるネロだけだ。
アンディは、颯爽と踵を返し私室へと向かう。
すれ違う度に投げかけられる、ニヤついた高位貴族たちの視線は、自身の死を願っているものだろう。だが――滅びの王国を、その強欲で手に入れたとて後に何がある? とアンディはそれらを振り切って、未来を見据える。
――今、死にたくないと苦しんでいる、民のために。
◇ ◇ ◇
「獣人王国に入るには、やはり川を渡るしかないか」
巧みに馬を操るアンディの隣を並走しているネロ――二十歳そこそこの金髪碧眼の王子に対し、こちらは赤髪碧眼で三十歳。騎士を志すこともできるほどの腕前だが、忠誠心でもって付き従ってくれている、貴重な存在だ。
「……北の森へ行かれますか」
「っ! ネロ、それは」
「覚えていらっしゃったのですね」
「ああ。知っていて黙っていてくれたのだな。ありがとう」
「殿下のためです」
「ネロ……」
「銀狼に会えることを祈りましょう。それが、我らの最後の希望なのでしょう?」
「うむっ」
アンディは、腕でぐいっとにじんだ涙を拭う。
幼少期を、病床にあった母と過ごした離宮。その奥にある、北の森。
人間王国と獣人王国を隔てている川の幅が非常に狭くなっている個所があり、幼児でも容易に渡れる木の橋が隠されていた。
離宮ということもあって、人の出入りは禁じられている。
アンディは、子供の無謀さでもって森を探検し、その場所を発見した。
ネロの反対を押し切って向こう側へ渡ったものの、そこが獣人王国だと最初は気づかなかった。
輝く毛並みの、銀色の狼の子どもに出会うまでは。
はじめはお互いに警戒していたが、アンディが身振り手振りで釣りに誘うと、瞬く間に友達になった。
獣人側もどこか高位な貴族の土地なのではないか、というのは銀狼の服装で察し、ネロもアンディの気持ちを尊重して見守ってくれていた。
だが、母が亡くなりアンディは急に王城へ帰ることになり、悲しみに溺れていたため別れも告げられず。
「彼ならばきっと……!」
友人だった、貴族の銀狼なら、アンディの呼びかけに応えてくれるに違いない。
王子は、一縷の希望を胸に、ひたすら馬を走らせるのだった。――
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