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二章 渦巻く欲に、翻弄される
十二話 水ノ竜の慈悲
しおりを挟む「扇合に呼ばれた、だと?」
清涼殿の昼御座で、いつも通りだらりと脇息に体を預ける焔を見て、琴乃は安心する自分に気づいた。内裏に勤める誰もが「恐ろしい」「目を合わせてはならない」「残虐だ」と噂する竜皇が、まるで子供のように幼稚に拗ねると知れたら、どうなるだろうと思う。
その焔は、充輝と口論のようになっていた。
「そんなもん、断れ」
「なりません。春姫の主催です」
「誰だそれは」
「右大臣が娘」
「ちっ、狸か」
(たぬき!)
焔と充輝の深刻な会話に耳を傾けていたはずが、石上を狸呼ばわりする焔に、琴乃は笑いを堪えることができない。面布の下で必死に唇を噛んでいる。
「しゃあねえな。で、充輝の心配事はなんだ」
「……巫女殿の腰の怪我です」
「あ?」
焔が、ギロリと琴乃を睨む。お前はまた何も言わなかったのか、と責めんばかりの態度に、充輝が呆れた声で付け加えた。
「怪我させたのは、貴方ですよ。焔様」
「ああ⁉︎」
たちまち焔は、膝を立てだん! と床を踵で打ち鳴らす。苛立ちを抑えないその振る舞いにも、充輝は怯まず接する。
「障りの日です」
「‼︎」
覚えがあったのか、目を見開く焔に、琴乃は黙って俯いた。
「っ、慈雨を呼べ」
「よろしいのですね」
「気が変わらないうちに連れて来い。ただし、ここへだ」
「は。では、巫女殿。水ノ竜様をこちらへお呼びし、腰の治療をして良いとのお許しが出たので、今から連れて参る。このまましばし待たれよ」
「はい。……え⁉︎」
琴乃にとっては、青天の霹靂である。
病や怪我を癒せるという水ノ竜。病床にある弟のために会いたいと熱望していた存在に、あっさりと会えることになるとは予想だにしていなかった。あまりの急展開に呆気に取られていると、焔がごろりと寝転がった。
「ああ~……会いたくねえ~……」
ぶつぶつと、文句を言っている。
風ノ竜・花嵐は、「火に弱い」と言っていた。教えによれば、火ノ竜・焔は「水に弱い」。
均衡を保つため、四人の竜人は、火>風>土>水>火……とお互いの強さが巡るのだという。
「陛下……わたくしなどのために、申し訳ございません」
琴乃が頭を下げると、焔はさすがにバツが悪くなったのか、起き上がって後ろ頭をぼりぼりとかく。
「いや。気にすんな。そもそも俺のせいだ」
焔の珍しく殊勝な態度を見た琴乃は、聞くなら今だと思い至った。
「あの。障りとはなにか、教えていただきとう存じます」
「あ? 花嵐に聞かなかったのか?」
「はい。火ノ竜様でないと言えない決まりだと仰って」
「ああ⁉︎ ったくあいつ相変わらず性格悪いな!」
「え」
騙されたのだろうか、と琴乃が身構えると焔はさらに激しく後ろ頭をかいた。今度は照れ隠しのように見える。
「まあ、俺がちゃんと説明した方がいいのはそうだな。あー……いずれ、その時が来たら教える」
「その時、ということは、今ではないのですか」
「ああ。まだ早い」
今までと違い、きちんと焔が理由を言ってくれたのが、琴乃は嬉しくて仕方がない。
「お待ち申し上げます」
「……ん。おかわり」
懸盤の上の杯を顎で指す焔に、琴乃は微笑んだ。
「はい」
(このお方は、態度や言動で誤解されているだけだ。お力の強さもあるけれど、本当はこんなにもお優しい)
建物の外ではまだまだ寒い冬であるというのに、琴乃の心はポカポカと温まる気持ちがした。
そうしていつも通りお茶を淹れたり焔の髪を梳いたりしていた琴乃だったが、濡れ縁から充輝に
「お連れいたしました」
と声を掛けられると、緊張で全身を強張らせる。
「おう」
焔も、緩んでいた口元が再びへの字に戻っている。
琴乃は水ノ竜を出迎えるため、すかさず床に両手両膝を揃え、平伏の姿勢を取った。
ところが、しゅさ、しゅさと充輝の狩衣の衣擦れがする以外、何も聞こえてこない。
「相変わらず暗いな慈雨」
焔が気安い様子で言ってようやく
「……うるさい」
と聞き覚えのない男の声がした。
琴乃は顔を上げて良いか迷う。すると充輝が、頭上から優しく声を掛けてくれた。
「巫女殿、面を上げて良い」
「はい! お初のお目にかかり、光栄に存じます」
ゆっくりと上体を起こすと、充輝が綺麗な姿勢で座しているのが目に入った。
そしてその横に、充輝の二の腕辺りの狩衣の袖をぎゅっと握りしめて立つ、水色の水干姿の少年がいる。その他には、誰もいない。少年は烏帽子を被っておらず、長い前髪が顔の半分を覆い、後ろ髪はひとつに結っている。額の辺りからごつごつとトゲのような青い何かが何本か生えていて、口からは長くて細い舌が少し出て――なんと先は二つに割れている。
「慈雨、様であらせられますか……?」
あまりにも不思議な存在に、琴乃は圧倒されつつ尋ねた。
目が合ったのかどうかも、髪の毛に邪魔されて分からない。慈雨は口を開くどころか、充輝の体の影に隠れて、出て来ようともしない。
見かねた充輝が、代わりに口を開く。
「うむ。これが水ノ竜・慈雨様なんだが、この通り激しく人見知りで人嫌いであらせられる。喋るのもままならないので、我が代わりに」
「そうなのですね! それは、わざわざのお越し、大変申し訳ないです」
琴乃が顔を向けると、慈雨はびくっと肩を波打たせた後で、充輝の背後から様子を窺うように顔半分だけ出した。
その姿が可愛らしくて、思わず琴乃の目尻が下がる。
「そんなんいいから。早く怪我、治せ」
やり取りに痺れを切らした焔が苛立ち、またもびくっとなった慈雨は充輝の影に隠れてしまった。琴乃は、相手が竜人であり自分よりもはるかに長く生きている存在であることも忘れて、優しく言葉をかける。
「陛下、わたくしのために来ていただいたのですから。……慈雨様、もしも気が進まなければ、何もせずとも良いのです」
「おい。何を言ってる」
焔は聞き捨てならないとばかりに琴乃の言を止めようとするが、琴乃は琴乃でこういう時は頑固だ。
「人嫌いであれば尚更です。どうぞ無理はなさらないでくださいませ。わたくしの腰など、なんとかなりますから」
これには、焔が心底呆れたとばかりに、声を荒らげた。
「そう簡単に言うが、扇合は席を立つことまかりならん。全員の持ち寄った扇を評さねば終わらぬ。一日がかりの行事なんだぞ」
「耐えます」
焔は、ぐぬぬと唸りながら額に手を当てる。と――
「その、けが。ほむらの、せい?」
充輝の背後から、声変わり前の少年のような声がした。
「陛下のせいではございません。障りの出た時、わたくしが迂闊に近づいてしまって」
「なら、ほむらのせいだ」
「まあ。ふふふ」
琴乃の笑い声に誘われるようにして、慈雨がそろりと半身を出した。充輝の肩に手を置いた姿勢でこちらを見ている。
「みつき。ぼく、この巫女には、きらわれたくないな」
「大丈夫ですよ、慈雨様」
「そう? 巫女……ぼくを、こわがらないでね」
「え? はい」
幼い少年のような慈雨を怖がるとは? と琴乃は返事をしつつ首を捻る。
「じゃ、なおす」
だがその一言で、琴乃は自然と姿勢を伸ばす。同時に、脳天を突き抜けていくような痛みがある。
日に日に悪くなっていく腰の怪我に、実は悩まされていた。
そろりそろりと充輝の背を伝うようにして琴乃の目の前まで出てきた少年が、思い詰めたように告げる。
「こわくないからね」
そうしてゆっくり、かぱりと大きく口を開けると、中に――青蛇がいた。
少年の舌が、そのまま蛇なのである。
先程、慈雨の口角から出ていた舌はこの蛇のものであるようだ。舌先が割れているのはそういうことかと、琴乃は驚きと恐怖を必死に隠しつつも、妙に冷静な頭で納得した。
『ふん。たかが怪我だが、場所が悪いな』
慈雨の口内にいる青蛇が、ねっとりとした声で喋ったかと思えば、ぬるりと伸びて出てくる。
琴乃は、仰け反りそうになるのを必死で耐えた。
(絶対、怖がっちゃダメ! 慈雨様が、傷ついてしまう!)
琴乃の内心を見透かしているかのように、青蛇がにやりと笑った気がした。
『ふ。肝が据わっておるな。どれどれ……』
シュルルルルと音を立てながら青蛇は慈雨の口からどんどん伸びて、琴乃の腰の辺りでその頭を止める。
『なるほど。骨がズレておる』
「え!」
『ぬん』
青蛇が唸ったかと思うと、パキンと乾いた音が部屋に轟いた。
琴乃には、確かにズレていた何かがはまった感覚があった。そして、みるみる痛みが引いていく。
『よし。おい焔、温めてやれ。人肌より少し温いぐらいでだ』
「……わかった」
『はっは。声の次は腰。腰の次は何か楽しみだな』
捨て台詞のようなものを吐いて、青蛇はシュルルルルとまた慈雨の口の中に戻っていく。
「声? あ!」
蛇の一連の動きを見終えた琴乃は、一番最初の儀式で聞いた声と蛇の声が同じであることに気づく。なるほどあれは、慈雨(正確には、慈雨の中の青蛇)の声だったのかと、腑に落ちた。
口を尖らせた焔が茵から降りてきて、不貞腐れつつも琴乃の腰に直接手を当てる。
「陛下⁉︎」
「黙ってろ。あっためてやる」
言われるなり、琴乃の腰の辺りがじんわりとしてくる。
すると慈雨が、
「火加減、だいじょぶ? 熱すぎたら、ぼく、冷やす」
モジモジしながら言うので、琴乃は安心して微笑んだ。
「大丈夫です。お気遣い、とっても嬉しいです、慈雨様」
「そっか……治ってよかったね、巫女」
「はい! 慈雨様。お慈悲をありがとうございました」
「へへ。うん」
――慈雨を見送り戻ってきた充輝が言うには、水ノ竜が人間と会話をすることは滅多にないのだという。
「光栄です。まさか花嵐様と慈雨様にお会いできるとは思いませんでした」
感動している様子の琴乃に、焔が不穏なことを言う。
「ふん。言っておくが、土ノ竜には絶対会わない方がいいぞ」
「それは、なぜですか?」
「俺らの中で、一番厄介だからな」
充輝が無言で、深く何度も頷いていたので――琴乃は『土ノ竜は厄介な存在である』と忘れないよう心に刻み込んだ。
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