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二章 渦巻く欲に、翻弄される
十三話 扇の覚悟
しおりを挟む七日後、朝餉の後。
琴乃は充輝を背後に従え、空見殿に向かっていた。
「緊張すれば、軽んじられる。堂々となされよ」
「はい」
短い練習期間、充輝に何度この言葉を言われただろうかと、琴乃は面布の下で苦笑する。
「何度も言ったが、焔様の世話に比べれば、どうということはないよ」
同時に、このようなありがたい? 助言を授かった。確かに、どれほど苛烈だろうと、竜皇に勝る圧を発する女房はいないだろう。
「巫女殿」
「はい?」
振り返ると、充輝は何やら厳しい顔をしている。
琴乃が、どうしたのだろうかと不安になると、
「辛いことばかりで、すまない」
充輝は謝罪の言葉を吐き出した。
まるで戦場へ向かうかのような緊張を孕んだ琴乃の背中に、さすがの充輝も良心が痛んだのだろう。
だが琴乃本人は、はたして辛いことばかりだろうか、と疑問に思った。
病の弟を置いてきたのは、確かに後ろめたくて苦しい。正式な巫女ではなく、災厄の巫女であると知ったのも、胸が痛い。
なんらかの謀でもって毒に際し、髪を切られ。挙句の果てには望んでもいない会に呼ばれ――下級貴族とは縁のない催しだ、相当厳しく当たられるだろうと容易に予想がつく。
それでも琴乃は、不思議と辛いとは思っていない。
「高階様。わたくしはそう思っておりません」
「だが……巫女殿は、本来、その、……」
充輝が言い渋ったのは、琴乃が白羽の儀で選ばれたのではないのに竜皇の巫女になった、ということだろう。普通なら、早く帰りたいと思うものなのかもしれない。
「はい。でもむしろ、巫女のお役目をいただけたことに、感謝しておるのです」
――男でないなら、捨ててこい。
父の声は琴乃の耳奥にこびりついたままで、決して剥がすことができない。きょうだいは男ばかりで、母はいない。家での疎外感たるや筆舌に尽くしがたかった、と琴乃は過去へ思いを馳せ、五典が男に生まれて良かったと心から思っている。
「感謝、してくれているのか」
「はい」
巫女と認められたことで、自分は女で良かったのだと思えた。なぜなら、竜皇の巫女は女でないとなれないからだ。そして竜皇は自分を『まごうことなき火の巫女』と認めた。
「わたくしは、このお役目に全力を尽くす所存です」
(真に火の巫女となるべく、前を向いて進むだけ。それが、今のわたくしの、生きる道だ)
琴乃の腹は、決まっている。
言葉と表情から察した充輝は、春姫の画策に感謝せねばなるまいな、と苦笑してみせた。それからキリリと眉尻を上げ、琴乃をまっすぐに見つめる。
「ならば我は、巫女殿を全力で護ろう」
「嬉しゅう存じます」
お互いの誓いのようなものだ、と琴乃は充輝と視線を合わせ、心強く思う。
それから元へ直り歩を進めた琴乃は、扇合の行われる大広間入り口で、手に持っている檜扇に付けられた鈴をシャンと鳴らす。
鈴の音を合図に、片側五名ずつ向かい合わせで横並びに座る女たちが、懸盤右隣の畳に両手を突き、平伏した。
(良い機会だ。この行事で、名実ともに真の巫女になろう!)
竜皇の巫女である琴乃は、女官で最も高い地位にある。礼の姿勢を執った女房どもの間を、真正面の茵に向かって決意とともに堂々歩いた。
千早の裾を翻すようにして振り返ってから、ゆっくりと膝を折るようにして座り、再びシャンと鈴を鳴らすと、全員が顔を上げる。この場には男性貴族がいないので、顏を隠す必要はない。だがたった一人、檜扇を眼前に掲げる女房がいる。
――春姫に違いない。
琴乃は扇合に臨む前、妹子から後宮に流れる様々な噂について、詳しく聞かされていた。琴乃は興味がなくとも、情報として把握しておくべきだと諭され、渋々耳を傾けたのである。その主な内容は、右大臣の一人娘である春姫が、護衛の充輝に懸想しているということについて。
扇合とは女房のための会合であるが、充輝に会いたいがために開いたのだろう、が妹子の伝えたいことだった。本来ならば、たとえ充輝が護衛として巫女の側に侍ろうと、いないものとして扱うのが慣例である。だが春姫は、充輝を『貴族男性』とみなすに違いないと妹子は主張していたのだ。
もし春姫側から、なんらかの言いがかりや不敬な態度などがあったならば、慣例を無視するのかと問い詰めればよい――そんな作戦を立てていた。
「これより、扇合を行います」
気づけば、進行役の女房が口を開いている。
琴乃は、まだなんの指示も出していない。あくまでも春姫の采配で進める気だ、と場の情勢を読んだ琴乃は、たちまち憂鬱になる。
(これに一日付き合うのね)
元々低い地位にいたから、このような勝手に苛立ちを覚えることはないのが幸いだ。背後の充輝の方が、こめかみに青筋を浮かべているくらいである。
しゅさ、しゅさ。
上等な衣擦れの音がし、進行役の手によって、琴乃の三歩ほど先に大きな懸盤が置かれた。琴乃を含めて十一名の女房が、これぞと思う扇を持ち寄っており、その懸盤に交代で置いてお披露目をする。
作者や絵の意味を説明したり、歌を詠んだり。教養や芸術、流行への造詣の深さが重要な行事である。
頭の中でおさらいをしている琴乃を置き去りに、またしても進行役の女房が、勝手に口を開いた。
「南少納言」
「はい」
少納言というのは従五位だったか、と琴乃が序列を思い浮かべていると、末席にいた女房が立ち上がって、懸盤の上に閉じられた扇を置いた。
軽く床に両手を突いて、
「一枚目。開かせていただきます」
という挨拶の後、扇を持ち上げ、はたはたとゆっくり開いていく。開ききると、全員に見えるよう掲げながら、ゆっくり左右に体をねじる。
白地の扇には、梅の木の間を羽ばたく鶴の絵が描かれていた。白と赤と黒の対比が美しい。鶴の頭頂の赤色と梅も見事に融合しているようで、琴乃はしばらく見蕩れた。
さて何か評価の言葉をと琴乃が口を開きかけたその時、先に檜扇で顔を隠している女房が一言発した。
「ありきたりね」
途端に、場は嘲りの空気に変わった。
南少納言を見やると、俯き、唇を噛み締めている。
(まるで、人身御供だわ)
蔑まれる役をあてがわれたに違いない、と琴乃は確信した。なぜなら南少納言は抗議どころか、扇の説明も絵師の紹介もせず、じっと黙って耐えているからだ。
琴乃の背後から、充輝の殺気が流れてくる。開始早々の茶番劇に、少将は大層お怒りだ、と琴乃は逆に冷静になれ――
「そうでしょうか? 梅が赤くて綺麗。陛下のお色ですね」
と、わざとらしいくらいに明るい声音で放ってみる。
ざわり。
まさか巫女が発言するとは思わなかったのだろう。彼女らの動揺が、琴乃には手に取るように分かった。畳み掛けるならば今だと、言葉を続けた。
「それより。ここにいる貴女方は一体誰なのでしょうか。自己紹介があると思ったのですけれど、いきなり始まったので、驚きました」
さすがに進行役が、あたふたと慌て出す。
「えっ、ご存知であるからして、省けと」
「わたくしは、貴女方のお顔もお名前も存じません。それで不都合なければ、どうぞお続けになって」
絶句した様子の進行役は、檜扇で顔を隠し続ける春姫に助けを懇願するように目線を投げたが、まるっと無視されている。
このままであれば、女官最高位である巫女へ無礼を働いたことになる。責を負って後宮から追放されれば、すなわち女官の地位も失うということで、良き縁談がなくなるどころか実家の名声も危うくなる事態だ。
春姫は、その責任を取る気はないらしい。
琴乃はあえて、進行役に対して心底呆れたような顔をしてみせた。『巫女は寡黙でおとなしい、人形のような人物』という噂を払拭するために。
相手は、気の毒になるぐらい、顔面を蒼白にして唇を震わせている。
このぐらい追い込めば大丈夫か、と気を取り直した琴乃は、最初の発表者へ笑みを向けた。
「ええと、南少納言殿、と申しましたか? わたくしはその扇、とっても気に入りました。絵師を教えてくださいませんか?」
琴乃に呼ばれた南少納言は、目をうるりとさせ、それを隠すようにその場で平伏した。
「はいっ、絵師は、竜都南の――」
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