四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠

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三章 業火、舞い上がる

十四話 憎しみ、膨らみて

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 ――無知で大人しい下級貴族出身。そんな巫女の心を折るなど、容易いことだ。

 右大臣という絶対権力の庇護下で育った春姫は、そう信じていた。
 願いを呟くだけで、周囲の人間が全て叶えてくれる。
 気に食わない人間がいると言えば、いつの間にかその人間はいなくなっている。
 欲しいものがあると言えば、それが家に届く。
 人も、物も。何もかも思うがまま。
 ところが春姫は、生まれて初めて、思い通りにならないという経験をしている。
 火の巫女として白羽の矢が立ったのは、そもそも自分だった。
 竜皇の世話をして一生を過ごすだなんて、冗談じゃない。
 人のために自分が動かねばならぬなど、想像もつかない。嫌で嫌で仕方がなかった。
 巫女は生涯を竜皇へ捧げるため、当然のことながら少将と添い遂げることもできない。
 だから、あらゆる手段を講じて、口のない女に譲った。
 ところがどうだろう。
 火の巫女にはその少将が、常に付き従っているではないか。
(聞いてない! 知ってたら、わたくしが巫女になってた!)
 扇合おうぎあわせという『貴族の遊び』で火の巫女に失敗をさせ、それ見たことかと、立場を奪ってやるつもりであった。にもかかわらず――当の巫女は予想に反して、こなしている。
(憎い)
 眼前に掲げる檜扇ひおうぎの陰で、春姫はうちきの袖を噛んだ。
(絶対、許さない。巫女の役目も少将も、わたくしのものなんだから)
 
   ❖
 
 扇合の会も終盤に差し掛かろうとしているころ、なぜか琴乃の背筋をぞわぞわとした寒気が襲っていた。
 大広間は、冷える。風邪の引き始めだろうかと思っていたが、いよいよ手が震えるほどになってきた。
 十一人のうち、九人のお披露目が終わり、いよいよ春姫の番である。これまで沈黙し続けていたが、ようやく声が聞けるか、と琴乃は構えた。
「石上の春姫様より」
 進行役の女房は、努めて表情を消したまま、粛々と進行だけすることにしたようだ。
 女官たちの情勢が後からどう転ぶかは、春姫の対応次第だろう、と琴乃は読んでいる。
「……春姫様?」
 ところが当の春姫は、呼ばれても微動だにせず、檜扇ひおうぎの陰に隠れたままだ。
 全員が戸惑い始めたころ――
「失礼を」
 坊主袈裟けさ姿の男が一人、背後に役人と思われる狩衣姿の男性を二人従え、前触れもなく大広間へ入ってきた。
 女房たちは、慌てて袖や扇で、おもてを隠している。
「何用だ!」
 警戒した充輝が片膝を立てると、坊主の男は余裕のある態度でにっこりと口角を上げた。先日、焔の障りを抑えた阿萬あまんではない。
 装束から、陰陽寮の者ということは分かったが、琴乃の見知らぬ人物である。貫禄のある阿萬とは違い、年若く、頬に張りがある。
「いえ、いえ。お寒かろうと、火鉢をお持ちした次第。それに、姫様がお顔を隠したいと望まれているならば、この通り」
 促された役人二人は礼をすると、素早く動いて、春姫と琴乃の間に屏風びょうぶを立てた。
「何をする。無礼であるぞ」
「少将殿におかれましては、後宮の決まりごともご存じのはず。こちらの女房どもも、ご覧の通り、恥ずかしい思いでいるはずですよ」
「……我が邪魔だと言うのか」
「そうは言っておりませぬ。穏便に済ませたく、手配した次第」
 こんな終わり間際に、と琴乃はこの茶番を冷えた目で見ている。春姫だけを特別扱いしているのが、見え見えだ。琴乃はふと、兄が学んでいた兵法を思い出す。
 三十六計の中に、相手の判断をまどわすような撹乱かくらん工作をし、指揮系統を乱してつけこむというのがある。ここで伝統を持ち出して、新任の巫女である琴乃が動揺するのを狙ったのだろう。兄が兵衛府ひょうえふに入るための試験勉強に付き合わされたのが、ここで役に立つとは、と苦笑が漏れそうになった。
 すると坊主の男は、琴乃にも言葉を投げかけた。
「巫女殿のように、面布めんぷに守られているお方には、分からないことでしょう」
(やはり、わたくしへの撹乱であるか)
 迂闊うかつに反応するのは良くない、と黙っている琴乃の代わりに、充輝が怒号を放った。
「巫女殿を、侮辱する気か!」
「滅相もない。お邪魔をいたしました」
 琴乃は、名乗りもせず場を去ろうとする男に、違和感を持った。後宮の決まりごとを持ち出すのであれば、『火の巫女』に挨拶しないのはおかしい。
「待ちなさい。勝手に来て勝手に去る貴方は、誰なのです? 阿萬殿の部下ですか」
 きびすを返そうとしていた坊主は、ぴしっと背筋を硬直させた後で琴乃へ向き直り、ゆっくりと両膝を床に突いた。
 さすがに巫女から直接話しかけられたとあれば、無視はできないのだろう。両手を身体の前で合わせて、深く頭を下げてから、名乗る。
「これは失礼をいたしました。弓削ゆげと申します」
「弓削殿。火鉢をありがとう、寒かったので助かりました」
「恐縮でございます。扇合を邪魔するような意図はございませんので、これにて失礼を」
 そう言われてしまえば、これ以上引き留めようもない。
 琴乃には、嫌な勘がまた働いていた。厨子棚ずしだなの茶器へ毒が仕込まれた時と、同じような違和感である。
 琴乃は、立ち去る弓削の足音を聞きながら、無意識に火鉢の火を見つめる。火の巫女となってからは、お茶のための湯を沸かしたり、闇を照らすため燭台に火を入れたりすることを、楽しいと思っていた。焔は『火の守り』と言っていたが、この火には心地良さを感じない。むしろ不快だ。
「巫女殿?」
 充輝が、琴乃の様子をおもんぱかって声を掛ける。
「いえ、なんでもありません。……続けましょう」
 気のせいだろう、と琴乃は気を取り直し顔を上げた。
 それを受けた進行役の女房が、改めて咳払いの後
「石上の春姫様より」
 と声を掛けると、屏風の向こうから手だけで扇を出される。
 表裏をひらりひらりと見せられるという、なんともふざけた行いに、さすがの琴乃も黙ってはいられなかった。
「礼儀を重んじるのも、扇合の主旨ではないのですか?」
「っ、申し訳、ございません!」
 ばったん。
 倒れた屏風越しに現れたのは、春姫ではなく、末席の南少納言である。
「な!」
 驚く琴乃に、顔面をぐしゃぐしゃにした南少納言が、言い訳を始めた。
「は、春姫様は、具合が悪くなったと……代わりにしなさいと先程の者に言われ、致し方なく……」
(しまった! 弓削の目的は、春姫を逃がすこと!)
 嫌な勘がまた当たったことに自分でも驚きつつ、琴乃は冷静に努め、この会の締めくくりを素早く決断した。
「そうですか。主催がいなければ、会としては成立しませんね。残念です」
 出席者たち全員が、青ざめている。
 いくらお飾りと言われていても、火ノ竜の巫女である。不興を買ったとなればどうなるのか、と恐れるのも無理はない。
 だから琴乃は、きっぱりと告げた。
「今日ここで起こったことは、いたしましょう」
 進行役の不手際も、南少納言の不敬な代理も、この一言で不問に付したことになる。
 充輝が黙って散会の手筈を整え始めたことからも、采配は的確だったに違いない、と琴乃は胸を撫で下ろした。実際、女房たちも皆、安心した様子を見せている。
 しかも、
「遅い」
 と焔が自ら迎えに来たのだから、余計だ。
 女房たちは突然の竜皇の訪問に慌てながらも、床に額をこすりつける勢いで平伏した。
「え、あの、どうされたのですか?」
 琴乃も、まさかのことに大変驚いている。
 火ノ竜が竜皇に就いてから、上級貴族の自由な出入りがある空見殿そらみどのまでやってきたのは、初めてのことだったからだ。
 さらにその理由が――
「ふん。暗くなってきたから、迎えに来てやった」
 と、巫女を気遣ってのことであるから余計だ。
 しかも巫女は巫女で、
「まあ、そうでしたか。陛下のご足労とご心配を賜り、嬉しゅう存じます」 
 この、火ノ竜相手に微笑む余裕さ。
 火ノ竜は巫女を寵愛し、大変仲睦まじいと広まるのも、時間の問題だろう。
「皆様。陛下が遅くなったことを案じていらっしゃいますし、ここで解散といたしましょう」
 琴乃の気遣いに、焔はむすりと
「他のは別にどうでもよいがな」
 と言うが、琴乃は誤解を解く良い機会だと、焔に女房たちへの挨拶を勧めた。
「そう仰らず。せっかくです、皆様へお声掛けくださいませんか」
「ぐぬ」
「あとで髪をいて差し上げますから」
「茶も淹れろ」
「はい」
「なら、やる」
 女房たちに竜語は通じないが、琴乃が仲達をすることで初めて竜皇への謁見が叶ったと、皆感激のうちに扇合を終えることができた。
 反対に、春姫は権勢を衰えさせることとなる。
 自分勝手な振る舞いや、責任を押し付けただけではない。
 さすがに私的な理由(少将への懸想)でもって、竜皇と仲睦まじい巫女を蹴落とそうとするのは、国のいしずえを否定することと同義であるからだ。右大臣の権力の傘でも庇えきれないほど、春姫の評判は、地に落ちることとなった。
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