四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠

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三章 業火、舞い上がる

十五話 安穏(あんのん)と呪(しゅ)

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「充輝の失態だな」
 清涼殿の昼御座ひのおましまで戻ってきた焔が、しとねにどすんと腰を下ろしながら苦言を投げる。
「はあ、逃すとは……してやられました。言い訳のしようもございません」
 珍しく充輝は床に両手を突き、頭を軽く下げた姿勢で焔の言葉を受け止めている。いつもなら充輝の方が立場が上なのではと思うくらいであるのに、素直な謝罪の姿勢を取るということは、よほどの失態だったのか。琴乃が分からないなりに「高階様の存在だけでも心強かった」と伝えるも、苦笑されてしまった。
「言っても仕方がない。充輝と陰陽師は、相性が悪いからな」
「はい……わざわざのご足労、大変申し訳ございませんでした」
「いいや。行って良かったようだ。だろう?」
 焔に促された琴乃が、強く頷く。
「はい! 女房の皆様、大層喜ばれておりましたよ。陛下に謁見する機会などないのだと、大変ありがたがって」
「ふん。煩わしいだけだからな」
「陛下のおかげで、扇合がよき会合となりました」
「ふふん。だがおまえ、今夜は俺から離れるな。そうだな、せっかくだ、夜更けまでしゃくをしてもらうか」
 本来ならもう陽炎殿に戻る時間ではあるが、琴乃は念のため焔から離れない方が良いと言われ、素直に留まっている。
 気づけば日はほとんど落ち、夜のとばりがすぐそこまで忍び寄っている。はらはらと音もなく粉雪が舞う壺庭では、灯籠とうろうに火が入り、夜の支度が始まっていた。
 この時間まで清涼殿に留まるのは、琴乃にとって初めてのことである。
「陛下まで警戒されるということは……あの方は一体? 弓削ゆげ、と名乗っていましたが」
 琴乃のその言葉に、悩ましげに答えるのは充輝だ。
「弓削延親のぶちかという。阿萬殿の実力に勝るとも劣らないと言われている、陰陽師だ。右大臣のおぼえもめでたく、下手をすれば阿萬殿は蹴落とされるのではという噂が飛び交っている」
(なるほど、だから春姫を助けに……)
 頭の中の情報を整理しつつ、琴乃が酌の準備を始めると、焔が忌々しげに吐き出した。
「阿萬はうさんくさいが、あいつは虫唾むしずが走る」
 琴乃も、焔のいう感覚がなんとなく分かった。弓削という男は、たとえ微笑んでいても、絶対に心を許してはならない相手だと直感したからだ。
「さて、巫女殿が清涼殿に留まるならば……衣装を少しゆるいものに着替えた方が良い。焔様、こちらへ女官を呼んでも?」
 充輝の気遣いに、焔が「来られるやつがいるんならな」と素直でない口調で許しを出すのが、琴乃にとっておかしくてたまらない。
「では早速」
 と充輝が席を外すと、琴乃は酒の入った提子ひさげ(持ち手の付いた大きな急須のようなもの)を炭櫃すびつの火にかける。今夜は冷えるからして、熱燗あつかんを作ろうという仕草に、焔も満足そうだ。
「本日は本当にありがとうございました、陛下」
「ふん」
「大変疲れましたが、陛下がお優しいので、報われた気分です」
「俺が、優しい?」
 いつものように脇息きょうそくへだらりと肘を持たせかけている焔が、赤い目を不思議そうにぱちぱちと瞬いた。それがまるで篝火かがりびのようで、琴乃の心は暖まる気がする。
「お優しいです。まさか、迎えに来てくださるだなんて」
 ぶっきらぼうだったり、言葉が荒かったりは表面上のことで、琴乃の怪我を心配したり、危ないから留まれと言ったり。今は、大切にされていると感じている。琴乃はそのことを、素直に伝えたいと思った。『竜人』という、人を超越した存在であるからこそ、人の心の機微きびには疎いのではないかと感じたからだ。
「そんなことで、喜ぶのか」
「はい。陛下が、わたくしのためにと何かをするだけで、嬉しいのですよ」
 焔はしばし無言で琴乃の言葉を反芻している様子だった。琴乃は、懸盤かけばんに盃を並べながら、静かに焔の反応を待つ。
「なら、陛下と呼ぶのはもうやめろ……こと
「えっ!」
「俺と琴は、身分よりも個人として接するのが良い。そういうことだろう?」
 燭台の灯りに照らされる焔の顔は、半分が陰っていてよく見えないが、琴乃には照れているように見えた。
 まさか名前を覚えているとは意外であるし、しかも『琴』などと、兄たちにすら呼ばれたことがない。
「はい。焔様。嬉しいです」
「そうか」
 ん、と盃を差し出されたので、琴乃は提下ひさげを傾けて中身を注ぐ。するりと酒を口に含む焔は、目を細め庭を眺めている。
 音もない粉雪。ぱちぱちとぜる炭。ゆらゆらと揺れる燭台の炎。
 そんななんでもない静かな夜が、愛おしい。
 琴乃の心に、安らかで暖かい灯火ともしびが灯った。

   ❖

「ほう、貴様か。琴の髪を切ろうとしたのは」
「どうか、どうか罰をお与えくださいませ」
「頼まれずとも」
「妹子! あの、違うんです焔様っ」
 せっかくゆるゆると酌をしていたのに、着替えの単衣ひとえ裳袴もばかま、それから夕餉ゆうげを充輝とともに持ってきた妹子が、震え上がりながらも決死の覚悟で焔に髪の件を告白し、それを充輝が素直に伝えたものだから――当然竜皇は荒ぶりはじめた。
「琴は黙ってろ」
「おや。いつの間にやらずいぶん親しくなられて。席を外したのは、ほんの一刻ほどでしたよね」
 それなのに、充輝はなんでもないかのような態度でいる。
「あああの焔様! 実際に髪を切ったのはわたくしですから」
「琴、だなんて。ずいぶん親しい呼び方ですね。しかも陛下がお名前で呼ばせるとは」
 琴乃が必死に宥め、充輝がからかう。
 焔はそれらを見てようやく、後ろ頭をぼりぼりかきながら「もういい」と諦めた。
「だが、ひとつ聞かせろ。切った後の髪はどこへやった」
「巫女殿の髪はいずこへ?」
 焔と充輝に問われた妹子は、
「妹の命と引き換えと言われたので、指定の場所に置きました。空見殿そらみどの釣殿つりどのにある、壺の中です」
 と床に両手を突いたまま答える。
「充輝。すぐさま確認させろ」
「はっ」
 即刻部屋から出ていった充輝は、半刻もしないうちに戻ってきた。
「……ございませんでした」
 充輝が渋い顔をし、焔が腕組みしているのを、琴乃は不思議な気持ちで眺めている。切った髪がどうだというのだろうか。
「琴。今日、弓削に何を言われた。されたことでもいい」
 焔に問われた琴乃は、若い坊主と交わした言葉を思い出す。
「特には。ただ挨拶をしただけです。寒いからと火鉢を持って来られて。ああでもその火鉢の火が、なんだか気持ち悪いなと」
「なんだと? 火の巫女が火をそのように思うわけがない」
 焔の言葉を受けて、充輝が渋い顔をする。
「もしや、巫女殿の髪を使って、なんらかの術を施したのでは」
「まあ、そうだろうな」
 飛び上がる勢いで驚いたのは、妹子だ。
「そんな!」
 充輝が暗い顔で、その妹子を諭す。
「妹子。女の髪は命と同じである。陰陽師にかかれば」
「黙れ充輝。言葉すらしゅとなる。それに貴様、分かっていて渡したのだろう」
 忌々しげな焔にいい咎められた充輝は、今までの深刻さから一転して、にやりと口角を上げた。
 それを見た焔が、とてつもなく嫌そうな顔をしている。
「貴様の謀略、俺が気付かぬとでも思ったか」
「バレましたか……」
 
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