四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠

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三章 業火、舞い上がる

十七話 病む心

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 睦月むつきから如月きさらぎへ月が変わったが、遠目に見える山肌は相変わらず真っ白な雪に覆われている。
 壺庭の池の表面には薄氷が張っていて、簀子すのこえんを歩けば、つま先が冷たくなる。
 朝餉の後で、出仕の準備をする琴乃は、充輝に不満をぶつけていた。扇合以降、後宮を流れる不穏な空気を感じているものの、何の情報ももたらされないからだ。
「高階様。もう少し、今の状況を教えてくれませんか」
「案ずることはないよ、巫女殿」
「わたくしは、当事者です」
「後宮内の雑音に、耳を傾ける必要はない。巫女殿の心が揺れてしまっては、陛下のお世話に差し障りが出てしまう」
 充輝の言うことは頭では分かっても、呑み込めなかった。
 まるで蚊帳の外だ、と疎外感を持った琴乃の心情を察した妹子いもこは、無茶なことに、独断で春姫の側付き女官の元へと自ら足を運んでいた。
 そして巫女装束の着付けをしながら、琴乃に春姫の現状を伝えたのである。
「扇合以降、春姫様はとこせ、怨嗟えんさの声をわめき散らしているそうです」
「え! お身体の具合は、大丈夫なのかしら」
「ええ。ですが罵ったり物を投げたりが激しく。今では、女官の誰も近づけないくらい、荒れているご様子とのことでした」
 面布めんぷを着けようと濡れ縁に控えていた充輝は、御簾みす越しにその会話を聞き、頭を抱えた。これはきちんと話さねばかえって危ないだろうと、ようやく考えを改めるに至る。
「まったく。無茶なことを」
「妹子を怒らないであげてください。わたくしを思ってのこと。もう危ないことはしないよう、言い聞かせましたから……その代わりこれからは、きちんと説明いただきたいです」
「うむ。これからはそうしよう。だから、決して自ら動いてはならぬ。様々な悪しき術も、あるのだからな」
 琴乃は、充輝の言の全てを素直に信じた訳ではない。これからも、隠されたり言い渋られたりするだろうと思っている。
 かといって焔に聞いてみたところで「人間のことはよく分からん」と言われてしまう。風ノ竜・花嵐からんはまさしく風のように気まぐれで、いざ訪ねてみても花舎かしゃにいることは少ない。水ノ竜・慈雨じうは、初対面以降会う機会がない。
 つまり、充輝から情報を得なければ、何も分からないということになる。それが琴乃には、もどかしかった。
 いつも通り、充輝を従えて清涼殿へと向かいながら、琴乃は思い悩んでいる。
(結局、高階様に頼るしかないだなんて)
 無力感が、琴乃を襲う。
(やはり、本物の巫女ではないからかしら……それならば、なおさら自分で行動して、お役に立てなければ……)
「巫女殿?」
 殿上間てんじょうのまの手前で立ち止まり、唇を引き結んでいる琴乃の顔を、充輝が心配そうに覗き込んだ。
 充輝の黒い眼帯に施された青い刺繍が、キラキラと輝いているように感じて、琴乃は大きく瞬きをする。
「なんでもありません。それ、素敵な刺繍ですね。なんと書いてあるのですか?」
「あー……これはなので、言えないのだ」
「そう、ですか」
 分からないことばかりが、琴乃の胸の中に降り積もっていくようだ。じわじわと呼吸が苦しくなっていく。
「どうした、琴」
 焔がわざわざ迎えに出てきてくれたのを見て、琴乃はますます申し訳ない気分になる。
(心配させて。何もできなくて。何も知らなくて)
 心の中が、黒く染まっていく気がする。
「おい。琴?」
「巫女殿?」
「ごめんなさい」
 ――琴乃の頬を、涙が一筋、つーっと伝った。
「何を謝っている」
「巫女殿、どうしたのだ」
 涙で頬を濡らしながら、琴乃は嗚咽おえつしはじめ、ついに両膝を床に突いた。
「役立たず……わたくしは、役立たずです」
 何度もそう言いながら、さめざめと泣く琴乃に充輝が寄り添い、背をゆっくりとさすって慰める。
 そんな琴乃の様子を、焔は眉根を寄せながら見ていたが、やがてしばらくのいとまを申し渡した。
「今日はもう戻れ。そのまましばらく、出仕しゅっししなくてもいい」
 琴乃は火ノ竜から「もういらない」と言われたように感じ、全身から力が抜けてしまった。
 まだ冷たい風が吹き込む濡れ縁で、床に両膝を突き泣いている琴乃の身体は、みるみる冷えていく。このままでは風邪を引いてしまう、と充輝は焦った。
「巫女殿。とにかくこれではお体に差し障る。陽炎殿へ戻ろう」
 肩を抱くようにして身を起こそうとするものの、琴乃の膝には力が入らない。
「さあ、巫女殿。歩けるか?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「巫女殿?」
「あああああ」
「おい充輝、様子がおかしいぞ!」
 充輝が、ハッとする。
「今日、面布を着ける前に、妹子と春姫の話をしていた……春姫付きの女官から直接聞いたと」
「ちっ、そいつが持ち帰ったけがれが、口から入ったか」
 焔がズカズカと琴乃に歩み寄ってから、面布を乱暴に取り去ると――唇が、黒く染まっていた。
「これは!」
 驚く充輝に、焔が頷いてみせる。
「やはりか。これほどまでにあの女のうらみが強いとはな……下手をすると……いや、今はそれどころではない。即刻はらわねば」
「阿萬殿を」
「いや、俺だけでやる。中へ寝かせろ」
「しかしっ」
「早くしろ。手遅れになれば……どころではない」
「焔様⁉︎」
 充輝は焔の言葉に戸惑いつつも、泣きじゃくる琴乃を宥めながら横抱きにして運び、部屋の中へ寝かせた。炭櫃を寄せ、少しでも身体を温めようと、奥から掛け布団を持ってきて掛けてやる。
「琴。おまえは本当に、辛いことばかりだなあ……」
 焔は琴乃の顔のすぐ横にひざまずいて、頬を優しく撫でている。
「まさか……焔様は、以前から巫女殿をご存知だったのですか?」
「ああ。昔な。充輝も会っているぞ」
 目を見開く充輝に、焔は大きく溜息を吐いてから告げる。
「こいつがここに来たのは、偶然じゃない。全て、はかられたことだ」
「謀られたとは、一体……」
「俺をだと信じている奴らの仕業だ。五年前、琴はそれに巻き込まれ、声と記憶を失った。こうして再び相見えるのは、運命さだめのようなもの」
「なんと……!」
 横になり、天井を見上げたまま泣きじゃくる琴乃を、焔は優しい顔で見下ろしている。
「琴。その穢れは俺が引き受けてやるから。泣きやめ」
 それから覆い被さるようにして、焔はその唇を直接、琴乃の唇に付けた。
「焔様!」
 焦った充輝が、叫ぶ。
 だが焔は意に介さず、そのまましばらくじっとし……ようやく顔を上げると――琴乃はあれほど泣いていたのが嘘であるかのように、すやすやと眠っていた。
「慌てるな。穢れを吸い出しただけだ」
「そ、うでしたか……ですがそれならば、焔様にはまた障りが出てしまいます」
神酒みきを持ってこさせろ。左大臣だけでいい」
「! はっ」
 充輝が礼をするや否や、急いで立ち上がって去っていく。その背中を見届けた焔は、ハアアと大きく息を吐きながら床に尻をつけ、天井を仰ぎながら両手も背後の床につけた。
「おまえの穢れを吸ったのも、五年振りだ」
 左頬のただれが赤赤と血を流しはじめたのを、焔は雑に指で撫でる。
「あの日も、泣いていたな」
 赤い目が、天井ではない何かを見つめている。
 壺庭に雪が舞い始め、簀子すのこ縁に風が吹き込んできた。焔は琴乃の身体を掛け布団ごと横抱きにして持ち上げてから、しとねにゆっくり腰を下ろす。
 腕の中で眠る琴乃を温めるため、少しだけ焔が火の力を使うと、ようやく青白かった頬の血色が良くなってきた。それを見て、焔は満足そうに口角を上げる。
「大きくなった、な……」
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