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三章 業火、舞い上がる
十八話 運命の選択
しおりを挟む――琴乃が火の巫女になる、五年前。
❖
従七位という末端貴族の家で、五人の男と一人の女を産んだ妻は、生命力を使い果たし、亡くなった。
その後、夫は――
「女などいらぬ。弱い者などいらぬ」
弱き存在など守っても無駄とばかりに、琴乃と五典に辛く当たった。
「母様が、死んじゃったから……」
屋敷の濡れ縁で膝を抱える十二歳の琴乃は、そう呟いては涙を流すことしかできず、五歳の弟の部屋に入り浸っていた。
「ぼくも、死んじゃった方がいい?」
「いつのり! なんということを!」
布団の上で上体を起こした弟は、胸から来る深い咳を繰り返し、琴乃の否定には弱々しく笑って首を横に振る。
「穀潰しって言われるより、幽世へ渡ってしまいたい」
「だめよ!」
「あねさまには、縁談があるでしょう」
「っそんなの……嫌。嫁ぎたくない」
十二歳の娘を娶ろうとしているのは、妻と離縁したというどこかの貴族である。
琴乃は、誰が好き好んで齢四十だという男の妻になるか、と思っている。だが、断ることはできない。
いっそ死んでしまおうかと思っていたところで、弟に先に言われてしまった。
(死ぬのは、わたしの方がいいに決まってる)
「とにかく、死にたいなんて言っちゃダメ。神様に、怒られるわよ」
「ゴホ、ゴホ。かみ、さま。裏の?」
「ええ、そうよ」
朝比奈の屋敷の裏手にある山の中には、小さな滝があった。小さいがまるで竜のように美しいので、『小竜の滝』と呼ばれている。そこには、神が禊をしに降りてくるらしい。大変神聖な場所なのだ、と父が自慢げに言っていた。
(そうだ! わたしの命を弟にやれないか、神様にお願いしてみよう)
朝方に家を出た琴乃は、小高い山のけもの道をせっせと歩いて登る。
人の行き来も多少あるのだろう、歩きやすいように左右の樹木の枝葉は落とされ草も倒れていて、子供の足でも難なく歩くことができた。
やがて森を抜け、視界が開ける。
目の前には、小さな滝と池が見えていた。
断崖の隙間から、大量の水がザーッと水音を立てて落ちている。森の中にポツンとある場所は、生き物の姿もなく、とても静かだ。
「きれい……」
季節は、秋。
赤赤と染まる紅葉が細い滝を彩り、まるで赤い竜のようだった。
「神様。神様。どうか」
琴乃は、池の畔に両膝を突き、両手を合わせて祈る。
「わたしの命を捧げます。代わりに、弟――五典を、助けてください」
カサカサと葉がこすれあう音しか、琴乃の声に返事するものはない。
それでも琴乃は、毎日のように通い、祈り続けた。
❖
そろそろ雪が降る季節になろうかという頃。
かじかんだ手に白い息を吹きかけながら、琴乃がいつものように祈っていると――
『命を、捧げるか』
突然、低い声が轟いた。
「えっ」
驚いた琴乃が周囲をキョロキョロと見回すが、声の主は見当たらない。
『命を、捧げるか』
「五典を、助けてくださるのですか!」
『命を捧げるならな』
「お願いします!」
明日には、嫁がねばならない。
今日が最後とばかりに懸命に祈っていた琴乃は、迷いなく声に応えた。
すると、池の中から黒い影が徐々に浮き上がってきて、やがてざばりと音を立て水面から顔を出した。
「黒い、……蛇?」
首をもたげこちらを見つめる怪異に、琴乃はなぜか魅せられ、ぎらりと光る黒い鱗から目を離せない。
ついに神と相見えることができた、祈りが通じたのだ、と思った。
『生娘を喰えるとは、僥倖なり』
ところがその物騒な言葉に、琴乃は眉根を寄せる。
神様が、このようなことを言うだろうか。
「五典を、助けてください」
『先に、喰らわせろ』
なんだか様子がおかしい、と琴乃には疑いの心が芽生える。
「神様なんですよね!?」
『……』
返事がない代わりにザバァと音を立て、黒蛇がこちらへと向かってくる。その瞬間、琴乃は背後を振り返り、走り出した。本能で、逃げなければと思ったからだ。
(怖い!)
『逃げるな、逃げるな』
琴乃は、懸命に走る。
ザバババ、と背後で派手な水音が立った後は、ずざざざと地面を這う音に変わった。
(いやだ! こわい!)
涙を浮かべながらも、琴乃は必死に走る。
だが、子供の足だ。あっという間に追いつかれ、ぬるりとした舌で、足首を絡め取られた。
『美味そうだなあ』
「いやあああ!」
ただ弟を助けたかっただけなのに、なぜこのような恐ろしい目に遭わねばならないのか。
助かったとしても、明日は父と同じような年の男の妻にならねばならない。
喰われるも、地獄。生きるも、地獄である。
絶望のあまり、琴乃はついに笑い始めた。
「あははは、あはは……わたしは、何のために」
唯一の娘だと可愛がってくれた母の笑顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。
「……生まれなければ、良かった」
『喰らうてやろ』
そうだ。喰われてしまえば、死ねる――
「そうはさせねえ」
「!?」
ところが、気づけば琴乃は、見知らぬ男の腕の中にいた。
「ったく、誰かが派手な呪いをやってやがると思って見に来てみれば」
男の黒衣からは、品の良い香の香りがする。
琴乃は、相手の顔を見たくて顎を上げようと試みるが、ぎゅっと抱きしめられていて、できなかった。
見知らぬ男であるのに、なぜだかその温もりと声音に、安心する。
「いい加減、放しやがれ」
『ぎゃあ』
目だけでなんとか後ろを見ると、琴乃の足首に絡んでいた黒蛇の舌が、途中から斬られていた。
「もっと斬られたくなければ、さっさと去ね」
『ぐ、ふふ。残念だが、そうはいかぬ』
黒蛇の嘲るような声を聞いた琴乃の首が、なぜかなにもないのに、ギリギリと締まっていく。
「が、は、あ、……」
『貴様がまんまと餌に釣られてくれたのだからな! ぐわっはっは』
「雑魚が、生意気な」
男は、即座に口の中で何かを唱えた。すると、琴乃の首がみるみる楽になってくる。今度は、死ねないという絶望が、琴乃を襲った。
「や、あ、死に、たい」
「あ?」
『さすがの竜人も、死の呪いに引きずり込まれては、勝てまいて』
黒蛇がニタァと笑うと、黒く光る陣のようなものが、男と琴乃が立っている地面に浮き出てきた。
「ちっ、やはり罠かよ……人身御供で竜人を呪う、てやつか」
『ふはは! 分かっても、もう手遅れだ』
「はあ、仕方ねえな」
男は、首だけを後ろへ向けて、叫ぶ。
「充輝! そいつ、殺せ!」
「はっ」
水色の狩衣をまとった、片目に眼帯を着けた人間が突然空中に現れたかと思えば、刀を横一閃した。
『な!?』
チャキンと鍔音が鳴ると同時に、ぶしゃあと血を溢れさせながら、黒蛇の首がどさりと地に落ちた。
あっという間の出来事で、琴乃は事態を把握しきれていない。
「殺しましたが。良かったのですか?」
充輝の問い掛けに、
「さっさと殺しといて、聞くなよ」
さもおかしそうな声で、男は笑う。
「さあて……おい。女」
「え」
「これは、厄介でな。おまえの命がかけられた、俺への呪いだ。おまえが死ねば、俺も死ぬ」
「あなた様が、わたしの命で、呪われたのですか?」
「その通りだ。でもおまえのせいじゃない。俺のことが気に食わない奴らの仕業だ。おまえは、たまたま目をつけられただけだ」
琴乃が命を懸けた祈りを、誰かに利用されたという。
自分勝手な願いで喰われたならば、まだいい。だが琴乃は、この男を巻き込んだ。そんな罪の意識が、じわじわと琴乃を襲う。
「いいか。俺は竜人だ。万が一にも死ぬ訳にはいかない。俺の命ともいえるものをおまえに預けるから、おまえも死ぬな」
「えっ」
「ついでに、おまえの生きる意味になるだろ」
軽く言ってのけるが、竜人といえばこの国では神と同等の存在であることは、琴乃でも知っていた。
「わたくしごときが、そんな!」
「ごときなどではない。大切なもののために命を懸けられるような清い人間だから、俺は俺の命を預けようと思った。これからは、俺のために生きろ。できるか?」
「あなた様のために、生きる……でもわたくしは、明日、別の男の元へ嫁がねばならないのです」
琴乃が見上げても、男の腕の中にいるため顎の先しか目に入らないが、明らかに不機嫌になったのは声色で分かった。
「おまえ……子供にしか見えんが」
「十二です。でも、父が勝手に縁談を」
「はあ。なら、おまえが選べ。俺か、そいつか」
命が懸かっているというのに、めんどくさそうに聞いてくるのが、琴乃にはおかしくてたまらない。魅力がある男とは、こういう存在だろうかと思った。
「あなた様を、選びたいです」
「ん。じゃあ、おまえにコレを預ける代わりに、そうだな、声と記憶を俺が預かろう」
「声と記憶、ですか」
「ああ。俺のコレは、おいそれと話されては困るからな。記憶は、全部ではない。祈った分と、俺たちに関する分だ」
「それは良いのですが、弟の命は……」
「竜人と縁を結んだ人間は、特別だ。おまえが世話をすれば、大丈夫だろう」
琴乃は、ならばと頷いた。
❖
「喋れない女など、恥だ。ましてや記憶がないだと!? そんな怪しげな……気味が悪い。知られては、恥を晒すだけだ。家から出すわけにはいかん!」
朝比奈の家に戻った琴乃は、言葉が喋れず、数ヶ月前からの記憶を無くしていた。それを知った朝比奈家当主である琴乃の父は、婚姻の破談を決めた。
五典が、「毎日のように裏山に登っていましたよ」と言っても、琴乃にはまるで覚えがない。
弟を世話するだけの、琴乃の平和な日々が、始まった。
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