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第一章
06 彼が一夜を共にした人2
しおりを挟む「……実は、母に会いに行こうかと思っておりまして。父からは当然許可を貰えないし、外出許可も下りないのは分かっているので、黙って出てきました。もちろん週明けまでには学園に戻ります」
ノアは視線を逸らしたまま、あらかじめ用意してあった嘘を小さな声で一気に答える。それを聞いたサミュエルの眉間の皺が深くなったことに、ノアは気が付かなかった。
ノアの母は心身共に衰弱しており面会謝絶の状態がもう何年も続いていた。今は南部の地方都市にある療養院に隔離されている。ノアとは数年間会っていない。彼女が精神を病んだ原因の一端である自分は、母との面会を固く禁じられている。現在の病状などはノアには一切知らされておらず、父も主治医も沈黙している。
この理由であれば、周囲に黙って王都を出ようとしたノアの行動に、サミュエルも納得するであろうと判断した。寄宿舎を抜け出す理由として、シモンにも同じ理由を告げている。もっとも、シモンの方はノアの発言を信じているのかは疑わしい。
「そういう理由か。なら私も同行しよう。君を一人で行かせるわけにはいかないからね」
サミュエルが何故か勝手について来る宣言をしてきたので、ノアは困惑した。これでは当初の目的であった北部辺境伯領に行くことができない。
「いえ、大丈夫です。殿下を危険に曝すわけにはいきません。殿下は早急にお戻りください」
「学園に戻る必要はないよ。その理由は君も薄々気が付いているだろう?むしろ今私が戻るとややこしくなる」
サミュエルの際どい発言に、ノアは冷や汗をかく。防音結界をはっているとはいえ、万が一誰かに聞かれたら大事になる発言だった。
「どちらにしろ、私は殿下と一緒に行動できない立場なので」
「それは、君が私を殺そうとしたから?」
「……そうです」
ノアの頑なな態度に、サミュエルは溜息を漏らした。
「ノア、何故嘘をつくんだ?君は私を殺そうとした訳じゃないし、誰も傷付けていない。最初からずっとそうだった」
ノアは押し黙った。サミュエルの役に立てるなら、自分に利用価値があるなら、何でもしようと考えていた時期もあった。しかし、今の自分はただの無能な犯罪者だ。この方に何かの形で報いることもできず、足を引っ張るだけの存在となっている。
「それに、この先の駅からは北部へ行く乗合馬車しか出ていないよ。南部へ行くなら国境近くの駅まで一旦戻るしかない。ノアは方向音痴みたいで心配だから、私が案内してあげよう」
「……ですから!」
「私の案内が不安なら、公爵に連絡して正式に許可を取ってもいいが、どうする?」
サミュエルにさらりと脅されて、ノアは焦った。それはまずい。困る。今父に連絡されて学園を不在にしていることがバレれば、間違いなく連れ戻されることになる。
「……父に連絡は不要です。分かりました。案内をお願いします」
「よろしい」
不満たっぷりのノアの顔を見つめながら、サミュエルが満足気に微笑む。どこまで気が付いて何を把握しているのか全然読めない。油断のならない相手である。
「出発は明朝でいいかい?もう遅いから今日は休もうか」
「……承知しました」
ノアは仕方なく頷く。これ以上の抵抗は無駄だと悟ったからだ。
仕方がない。夜中、サミュエルが寝入ったところで一人こっそり抜け出して転移魔法で北部辺境の山中に適当に移動しよう。座標はあやふやだし、森の中なら魔物はいるかもしれないが、人間に迷惑をかけることはないはずだ。最初からそうすれば良かった。
ノアは密かに計画を立てた。ノアが居なくなったときのサミュエルの反応を想像し、少しばかり罪悪感を抱いたが、すぐにそれを頭から振り払う。
しかし、その計画は結局実行されることはなかった。
***
翌朝、ベッドの中での激しい密着に耐えかねて目を覚ますとすぐ隣でサミュエルが安らかな寝息を立てていた。
(……夢?)
驚き過ぎて硬直してしまう。昨晩は当たり前のように床で寝ようとしたノアを引き留めて、ベッドへと引き摺り込んだのはサミュエルだ。せめてもの抵抗としてベッドの端と端で離れて就寝したはずだ。何故彼はノアを抱き締めているのか。否、むしろ何故ノアは彼の腕の中にいるのか。疑問しか湧いてこない。
「起きたのかい?おはよう、ノア」
こちらが狼狽えていることに気が付いていないのか、サミュエルは目を瞑ったまま至近距離から呑気に挨拶をしてくる。ノアは無言で身を捩ってサミュエルの腕の中から抜け出そうとしたが、彼の腕はビクともしない。
服は着ている。特に異常はないようだ。念のために身体のあちこちを確認する。心臓が煩いくらいに脈打っていた。
「よく眠れた?」
ノアの挙動不審な行動を気にせずサミュエルは柔らかい微笑みを浮かべる。
「はい。……その、腕を解いていただけますか?」
「ああ、ごめん。君が逃げ出さないよう無意識のうちに拘束してたみたいだ」
サミュエルに抱きしめられて眠っていたという現実が受け止めきれずに狼狽えるノアの反応が面白いのか、サミュエルはクスクスと楽しそうに笑った。それからゆっくりと腕を緩めてノアの身体を解放してくれる。
昨夜はいつの間にか寝落ちしていたらしい。久しぶりによく眠ったような気がする。疲労と睡眠不足が溜まっていたのもあるが、自分以外の他人の体温に安心してしまったのだろうか。
一種の裏切り行為に思えて、ノアは居心地の悪さを感じていた。
「朝ごはん食べに行こうか」
「……その前に、これも外してもらえませんか」
ノアは自分の手首に巻かれた手枷を示す。昨晩の就寝時にサミュエルからはめられた。魔力を阻害する類の魔導具で、ノアは魔術を行使することができなくなってしまったのだ。
以前魔法省の取調を受けていた際も同じような手錠をはめられたことがある。違うのは、鎖に連なるようにサミュエルの腕に似たような輪状の金属が装着されていることだ。この二つの装置を無理矢理外すと爆発するらしいよ、と昨晩笑いながら説明されてノアは硬直した。
どうやら夜中に逃げ出そうと企んだことを見透かされていたようだ。流石にサミュエルを傷付けたり殺傷することは避けたいので、ノアは夜の間は大人しくしていた。にしても、少しやり過ぎな気がするのは気のせいではないはずだ。
「忘れていたよ。解除しようか」
サミュエルは悪びれる様子もなく素早く解呪する。手枷が外れたことで魔力が流れ込んでくる感覚にほっと息をつく。
とりあえず、隙をついて逃げ出すか、シモン辺りにこっそりと連絡してサミュエルを回収してもらう以外に方法はないだろう。騎士団の詰め所か警備兵にサミュエルの存在をチクリたいところだが、普通は一国の王子がこんな場所にいる訳がないので、下手すると偽物扱いされる可能性もある。悩ましいことである。
「ノア、今日は普通の格好にしようか。昨日の服は可愛いかったけど、誘拐されかねない」
「……」
「返事は?」
「……はい」
逃亡を邪魔した彼への苛立ちからつい仏頂面になってしまう。そんなノアに対し、サミュエルは楽しげに笑みを浮かべていた。
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