婚約者の王子様に愛人がいるらしいが、ペットを探すのに忙しいので放っておいてくれ。

フジミサヤ

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第二章

16 彼と謎の少年の対峙

 結論から言うと、その場所は間違いなくクライヴ・スペンサーの研究施設だったようで、闇属性の魔術に関連する膨大な量の文献や研究資料が保管されていた。何やら怪しげな器具や装置もあり、人体実験を彷彿とさせる不気味さを感じて鳥肌が立つ。
 何よりも、クライヴ・スペンサー自身がその場に蹲っていた。ただし、彼は一人ではなかった。



 


「……あれ、まずいな。見られたか?」


 一瞬だけ、サミュエルかと錯覚した。
 
 容姿も声もよく似ているが、纏っている空気が違う。プラチナブロンドの髪色に金色の瞳を持つ端正な顔立ちの少年が、何故かそこに佇んでいた。その服装から見て貴族の令息なのだろう。口では“見られたか”などと嘯いているが、まったく焦った様子もない。

 その彼の足元に男が倒れている。外傷はほとんどないが、顔面蒼白で意識はない。呼吸はかろうじてあるようだ。倒れていたのは、クライヴ・スペンサーその人であった。どうやらこの謎の少年の仕業らしい。
 ノアは少年を凝視する。まさか……殺そうとしているのか?
 

「……死んでないし、殺すのは禁止されてるから死なせはしない。あとで身体の方は治癒しておくよ。この男は悪いことをしていたから、少し懲らしめただけだ」

 ノアの表情から何かを察知したのだろうか。淡々と語る少年の口調や仕草には、何処となく粗野で気さくな雰囲気を感じる。服装や外見とチグハグな印象に戸惑いながら、口を開いた。

「もしかして、ユリウス殿下でしょうか……?」

 そう尋ねた途端、少年はキョトンとした表情を見せた。その後、吹き出して笑い出す。

「あ~、まさか王族と間違えられるとはなあ。残念ながら違う。今はこんな小綺麗な格好をさせてもらっているが、俺はもともと単なる平民だ」

 少年はそう断言した後に苦笑いを浮かべた。こんなにサミュエルと似ているのに血縁関係じゃないのか。ノアは疑問符を浮かべながらも改めて目の前の少年を見据える。
 確かに立ち居振る舞いや話し方に違和感がある。サミュエルと同年代に見えるが、貴族というよりは町人といった感じだ。
 しかしサミュエルと兄弟と言われても信じてしまうくらい、顔立ちも声もよく似ていた。それに何処と無く感じてしまうこの圧倒的なオーラは何なんだ。

「……貴方が傷付けたと思われるそちらのスペンサー伯爵は、宮廷魔術師でサミュエル殿下の教育係をされている御方です。このような状況を目撃して、黙って見過ごすわけにはいきません。申し訳ありませんが、警備兵に通報させていただきます」

 ノアは毅然と答えたが、内心冷や汗ものであった。相手はまだ子どもとは言え、宮廷魔術師であるクライヴを昏倒させているのだ。ただ者ではない。しかし目の前で人間が襲撃され傷付けられている現場を目撃してしまった以上、放置する訳にはいかない。
 

「サミュエルは多分気が付いてるよ。というか、俺はサミュエルに……頼まれたんだ。兄貴を助けたいから元凶を絶ちたいってさ。……あと、俺自身もこいつのせいで、身近な人間が不幸になるのを防ぎたいから、悪い奴は早目にご退場願うしかないと思って行動しただけで」

 少年は第二王子を呼び捨てにしている。ますます謎が深まる。ノアが顔を顰めて睨み付けていると、少年は困ったように頭をかいた。

「君が誰か知らないが、頭が硬い奴みたいだな。一応、これはサミュエルと世界を救うことに繋がるんだけど。……まあいいや。とにかく君はここに来たことは忘れてくれ。この場所も、今日で無くなるから」

 意味不明な発言をするなり、少年はノアに向かって片手を翳した。闇魔法だと認識した時には遅かった。魔法陣が展開されると同時に、視界が闇色に染まり急速に意識が遠くなっていく感覚に襲われる。いつもならもう少し気を付けて対策するのに、動揺しすぎて咄嗟の防御ができなかった。多分記憶操作系の魔術だ。 
 けれど、ノアが闇に呑まれる前にそれは弾かれる。



  
 
 
 


「アホか、お前は。適当に誤魔化せばいいものを。アイツ、かなりヤバい奴だからいったん逃げるぞ」

 ヴェイルの呆れたような罵倒と共に、慣れ親しんだ魔力の波長に包まれて、ノアの身体は異空間に取り込まれた。


 


***

「おい、ヴェイル。お前、これを見てどう感じる?」

 その夜、湯浴みから戻ってきたらしいノアは、寝巻きを脱ぎ捨てて下着姿になると、ヴェイルにずいっと太腿を突き出した。
 ベッドの上で丸くなっていたヴェイルがのそりと顔を上げる。

「……何でお前は平然と服を脱ぐんだ。恥じらいとか無いのか?」

 ヴェイルは心底呆れ果てた声で呻くが、視線はしっかりとノアの下半身に注がれている。ノアは唇を尖らせた。

「別に減るものではないし、お前に見られたところで今更だろ。それよりお前のせいで俺は今日ずっと痛い思いをしているんだ。反省しろ」

 ノアの太腿には、くっきりとヴェイルのつけた噛み痕が残っていた。赤紫色に変色していて少し腫れている。サミュエルと面会していたとき、腹を立てたヴェイルがノアに噛み付いた痕だ。幸い出血はしていないが、噛み付かれてからずっと痛みが引かない。ノアは恨めしさを込めてヴェイルを睨みつけた。ヴェイルは耳をピクリと動かし、不服そうに鼻を鳴らす。 

「そもそもお前が、『ポチ』とかふざけた偽名をサミュエルに伝えようとするのが悪いんだ。こんなの舐めておけば治る。わざわざ見せつけるんじゃない」

 ヴェイルは目を細めて文句を漏らしながらも、舌を伸ばしてノアの患部にペロリと触れる。

「だからって噛みつくことないだろ。あ……おい、やめろ……くすぐったい」
「動くな」

 ノアの訴えを無視してヴェイルはノアの脚を前足で器用に押さえつけると、長い舌を使い丁寧に舐め回していく。舐めたところで治るはずがなく余計痒くなるだけだと思っているのに、甘い痺れが生じ始めて妙な気持ちになってきた。

 しばらくヴェイルの好きなようにさせていると、今度は伸び上がってきて、何故かノアの首筋をペロペロと舐めはじめた。今のヴェイルはいつもの狼の姿だ。甘える猫みたいな仕草で擽ったい。
 ノアは身体を曲げると、自分の首筋を一心不乱に舐め続けているペットの頭をゆっくりと撫でた。艶々とした毛並みが手のひらに触れる感触が心地よい。そのままゆっくりと目を閉じる。

「………まあ、いいか。今日はお前がいなかったら、俺は記憶を消されていたかもしれないし、あの資料も手に入ってなかったしな」

 ノアは目を閉じたまま、ヴェイルの首筋に顔を埋める。ふかふかの毛並みはいつも太陽みたいな香りがする。心が落ち着く匂いだ。ヴェイルはノアの好きにさせつつ大人しくしてくれている。
 結局、怒っていても、こうやってじゃれ合っているうちに、ノアの感情は静まり、どうでも良くなってくるのだ。

 
 王宮の地下で怪しい少年に記憶操作系の闇魔法をかけられそうになったとき、ヴェイルが咄嗟にノアごと転移魔術を使って退避してくれたので、結果的に難を逃れた。しかもヴェイルはどさくさに紛れて、クライヴ・スペンサーの研究資料の中から、ノアが欲しがっていたであろう召喚術関係の貴重な魔導書をその場から拝借してきたのである。本当に有能すぎる。まるで神様だ。

 
 
「ありがとな、お前のおかげだ」

「……いや、どうした?珍しく素直だな……何か企んでるのか?」
「違う。本気で感謝している」

 ノアは屈託なく笑いながら答える。ヴェイルは意味不明と言いたげにグルグルと喉を鳴らしているが、困惑が滲み出ていた。ノアは腕の中にモフモフの毛皮を抱きしめる。心臓の鼓動が伝わってくるのも面白い。

「……俺としては、これに懲りて、あまり無茶しなくなってほしいがな」
 
 ヴェイルは溜息混じりに呟くと、ノアの頬をぺろりと舐めた。


 
 
***
  
 翌日、王宮では驚くべき事件が起きていた。クライヴ・スペンサーが突然失踪したのだ。
 同時に彼が所持していた研究資料の大半が消失したことも明らかになった。彼の自宅や研究施設には火が放たれ、燃え尽きてしまい何も残らなかったらしい。火災の原因については現在も捜査中とのことだ。

 被害者の遺品と思われる物品が焼け跡から僅かに見つかったそうだが、大部分は炭化していたとか。残りの資料は全て魔術協会に預けられて厳重保管される運びとなった。
 

 クライヴは失踪する前に、孤児院から一人の養子を迎えていた。その養子になった少年は大変優秀なようで、第二王子と年が近いことから学友として王宮に招かれているらしい。その養子の少年によれば、クライヴはここ最近、心身に不調をきたしており長期療養に入る予定だったという。
 今となっては、それが真実か確かめる術はない。
 

 
 
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