【完結】いいなりなのはキスのせい

北川晶

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20 僕は藤代の下僕だ  穂高side

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 夕日の射しこむオレンジ色の教室で、僕はひとり、数学の課題に取り組んでいた。授業中に出された例題を解くというものだ。
 僕は藤代に、よく面倒なことを押しつけられている。
 宿題、買い出し、調べ物など。今日も、昼休みに生徒会の雑用をやらされたのだ。
 唯々諾々と従う僕を、いいようにこき使っている。これは、恋人の扱いじゃなくね?
 恋人ではなく、僕は藤代の下僕だ。
 このあとも、藤代の家に呼ばれている。たぶん、課題をしろと言われるのだろう。だから、藤代が生徒会に出ている間の待ち時間を使って、事前に課題をクリアしておきたいのだ。
 無駄な時間はとにかく削いでいきたいからな。
 藤代との恋人ごっこほど無駄な時間はないよ、まったく。

 梓浜学園の生徒たちも、僕が使い走りする場面をよく目にしているから、僕のことを陰ながら『王の下僕』と呼んでいた。生徒会が円卓会議をするので、アーサー王と円卓の騎士から取って、藤代は学園の王だなんて呼ばれているけど。ま、藤代は生徒会長じゃなくても、王であるのは言わずもがなである。生徒会役員のみならず、全校生徒が藤代に跪いているわけだからな。
 で。僕は気絶させられたあの日から、藤代の下僕に成り下がっていた。
 なにかをしろと言われれば、黙ってやる。
 キスを求められたら、黙って応じる。

 それが、考えた末に出た、僕の処世術なのだ。

 セックスを要求されたらどうしようかと最初の頃は戦々恐々としていたが、今のところその気配はなく。安堵している。
 さすがの藤代も、キスはできても、僕をどうこうする気にはならないのだろうな?
 そりゃそうだ、女子のような柔らかい体でもないし、男子の中でも見目麗しい顔貌ではない。
 なにかとキスはしてくるけど、藤代は時折探るような目で見てくるから、キスをするといいなりになるという能力が効いているのか否か、毎回確かめているのだろう。
 そのたびに、いいなりの度合いを上げる僕。まだいいなりの振りだってバレてない。たぶん…。
 藤代は僕を恋人だと言うけれど、僕らの間に色恋という空気はまったくない。

 藤代を拒んだら殺される。

 その場面を体験してしまったから、そのときから僕の中に拒絶という選択肢はない。
 キスをすれば誰でもいいなりになる、という藤代の言葉に乗って『自分はいいなりです』というスタンスを取り続けるだけだ。
 藤代に『僕は他人となんら変わらぬ、藤代に魅了された、普通の人物です』と思わせなければならない。彼がそう認識してくれたら、面白みのない僕のことなどすぐに興味を失うだろうと思っていた。

 なのに。あれから五ヶ月も経つというのに。
 藤代は興味を失うどころか、どんどん執着を強めてくる一方だ。なんなん?

 でもまぁ、自分の選択は間違っていない、と思う。というか、これしかないと思う。
 藤代の能力は厄介極まりないから、穏便に立ち回るのならこの方法が一番なのだ。

 藤代のそばにいる間、僕は周りをよく観察してみた。
 そして結果的に、僕の味方になってくれる人物はいないと知った。
 教師も大人も、きっと自分の親さえも、頼りにならない。
 学園の外でも、彼に関わった人物はみんな藤代の味方になるからだ。
 藤代をひと目見れば。藤代が助けてと言ってきたなら。
 警官も駅員も医者も、喜んで、率先して、それに従う。そういうものなのだ。
 仮に、僕のように藤代の能力が効かない人物が一定数…いや、一割いたとして。
 それでも残りの九割は藤代に味方する。彼が本気で僕を探そうとしたなら、どこへ逃げてもあっという間に捕まってしまうだろう。
 このままでは、僕は藤代から離れることもできないし、藤代を拒絶することも無視することもできない。
 だから藤代に、自分への興味を失ってもらう方向しか道はないのだ。

 などと考察している間に、数学の問題を解き終え。凝り固まった体を、うーんと手を上に伸ばしてほぐす。
 そして、帰り支度を整え始めた。
 そろそろ藤代が生徒会室から戻ってきそうな時間だ。

 藤代が飽きるまで、藤代に従う日々。だがそれは、平穏な学生生活とは言い難いものだった。
 学校では、藤代はいつも僕をそばに置こうとする。一応、親友のようなスタンスで振舞っているが、人よりスキンシップは多めだ。
 藤代は僕への好意を隠そうとしない。いや逆にアピっている印象さえある。
 しかしそんな彼の態度は、一部の生徒たちの反発を呼んだ。
 誰もが賛辞する麗しい藤代の横に、僕のような地味男がいるのが許せないみたい。
 ブサイク、邪魔。モブのくせに。下僕は馴れ馴れしくすんじゃねぇ。などなど、すれ違いざまに言われることがあるので、これは被害妄想ではない。たぶん。
 まぁね、僕はやつに媚びないから、王の隣に下僕が対等な顔をして立っているように見えるんだろうね。それで身分違いもはなはだしい、みたいに憤っちゃうんだな。

「わかっているよ、僕だって。藤代の隣に僕は相応しくないってさ」

 熱狂的な藤代ファンの気持ちはよくわかる。でも、やっかまれて嫌がらせをされるのは、困る。
 藤代ファンは、彼の目や耳が届かぬ、僕がひとりでいるところを狙って、下僕とさげすみ、聞こえるように陰口を言い、事故を装って暴力をふるった。
 階段でぶつかってこられたり、体育の授業でサッカーボールを思いっきり蹴りつけられたりしたときは、だいぶヒヤッとしたものだ。
 でも、彼らは証拠を残すようなヘマはしない。藤代に知られたら身の破滅だからだ。
 藤代に二度と近寄るなと言われたら、本当に二度と近寄れなくなる。
 彼の特殊な能力がそうさせるのか。視界に入るところまで物理的に接近できなくなるらしい。過去に数人、そのような生徒がいた。

 そら恐ろしいよ、まったく。どんな能力なんだ。いまだ、理解不能だよ。

 それはともかく。
 だから、僕が気のせいかと思う程度、僕が耐えられる程度のチクチクとした嫌がらせではあるのだけど。でもさ、人に悪意を向けられたら、心が傷つくじゃないか。
 僕はなにもやっていない。ただ藤代に目をつけられてしまっただけなのに。
 藤代が僕を手放さなければ、僕にはどうしようもできないことだというのに。

「穂高くん、久しぶりぃぃ」
 帰り支度を終え、カバンを肩にかけた。とその時、突然名前を呼ばれた僕はびっくりして、教室の入り口に目を向ける。
 そこには、無邪気に手を振る須藤先輩がいた。

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