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19 神もモラルも恐れない

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     ◆神もモラルも恐れない

 シマーム国は国土の八割が砂漠だ。
 着陸態勢に入った機内から外を見やっても、薄茶色の砂原が長く遠く続くばかり。
 それでも、やはり懐かしい。
 郷愁を強く感じて。少し目が潤んだ。

 国王専用機が無事に空港に着陸し、タラップから降りた私は。ラウンジにあがることなく、そこに横付けされた車に乗せられる。
 ピカピカに磨き上げられ黒光りする車は、王と私を乗せて、王都ナビーヤへ向かうとのこと。

 まだ二歩しか、シマームに足をつけていませんっ。

 シマームの街並みは、主に白い箱型の低層住宅が多く並んでいる。
 前王まで、イスラムの古いしきたりが重んじられていて。近代化には後ろ向きだったから、ビルなどの高層建築物はほとんどありません。
 この国には、大きな三つのオアシス都市がある。
 王都、ナビーヤ。首都、ガザハーン。そしてエルバルだ。
 中東では、水のある場所に居住するのが常識で。各都市には、それぞれ二万人程度が居を構えています。

 私たちが向かっている王都ナビーヤには。まず国王が居住する王宮殿があり。
 さらに、その他の王族と、臣下、それを補佐する者たちが暮らしています。
 シマーム国を主導する人々の生活圏であり、政治拠点でもあるので。王都には一般人の居住は認められていません。
 以前私は、皇太子邸に寝泊まりしていましたが。

 今回は、王宮のようです。

 緊張と恐縮で目が回りそう。
 そんな中、どこをどう歩いたのかわからないくらい、回廊を歩き、曲がり、歩き、曲がりして。
 金銀で飾られた謁見の間や、宴を開くホールや、あれこれザっと案内されて。
 最終的にたどり着いたのは、王宮殿の奥に用意された部屋だった。

「おまえの部屋だ。まぁ、夜間は寝食を私の部屋でするから、それほど用はないだろうが。昼間、仕事をするのに活用しろ」
 ラダウィは仕事部屋みたいな感じで言うけれど。そこは大広間と表現できるほどに大きいです。
 日本では、家族で住んでいたときマンションでしたが。これほどの広さはありませんでしたよ?
 ザっと見て、寝室と仕事部屋と居間が、ぶち抜きのワンフロアに間仕切りによって分かれている。

 なんの準備もなく、鞄ひとつでここまで来てしまいましたが。
 部屋の大きさも豪華すぎなのに、身の回りの品もすべて一流品ですっ。
 ホテルで見たときと同様に、こちらのクローゼットにもスーツが多種類用意されているし。トーブやゴトラという民族衣装まであります。
 さらに家具家電、オフィス用品も。
 至れり尽くせりで、目が点になります。

「セキュリティー上、携帯電話やパソコンはこちらで用意したものを使用してもらう。番号とアドレス、他に入用の物があれば、あとでムサファに聞いてくれ。次の部屋だ」
 鞄を置くだけ置いて、すぐに手を引かれて廊下を進む。
 なんだか、子供の頃にラダウィに手を引かれて、あちこち連れ回されたときのことを思い出して。
 ちょっと頬がゆるんだ。

 そして、またもや大広間という空間に案内されたが。
 室内に足を踏み入れた途端、楽師が音楽を奏で始め。
 歓迎の宴が始まってしまった。

 緻密な柄の絨毯が敷かれ、床にじかに座るスタイルで。背もたれに使用するクッションがいっぱい並んでいる。
 そして目の前に、ぞくぞくと食べ物や飲み物が運ばれてきた。
 シマームは寒暖差が大きく、昼間は灼熱の太陽が身を焦がすが。
 日が沈み闇が覆うと、涼しい風が吹き渡る。
 大広間は外への窓が開け放たれており、ライトアップした庭の景色が見えるようになっている。
 夜の宴は心地いい気温の中、王と私を楽しませる趣向がたっぷり用意されていた。

「すべて、おまえを迎え入れるために用意したものだ。どうだ? 気に入ったか?」
 人目もはばからず、私の肩を抱き。ラダウィが耳元で囁く。
「もちろんです。でも、私には過ぎた品ばかりで、驚いています」
「なにを言う。王妃の部屋は、まだ飾り足りないぞ?」
 そう口にして、ラダウィはワインが入ったさかずきを煽る。

 それを見て、いろいろと聞きたいことがあり。私はその件をたずねた。

「お酒は、以前は禁止令が出ていましたよね?」
 同じイスラム圏でも、飲酒の是非は国による。
 しかし厳格に戒律を守っていたシマームでは、飲酒禁止令を敷いていたはずだった。

 ラダウィはひとつうなずいて、答えを明かす。
「あぁ、飲酒禁止令は私の代で廃止したのだ。これからシマームは観光に力を入れていく。外国客を誘致するなら、酒が欠かせないだろう?」
「大きな路線転換ですね? 保守派の反発を招いたのでは?」
「私を退位させるほどのものではない」
 空の杯を示され、私はお酌する。
 ホン課では、このような接待がなかったものですから、慣れていなくてちょっとギクシャクですが。
 気を良くしたようで、ラダウィは続けて説明してくれた。

「外の世界を拒絶していた我が国は、情報も外貨も獲得できず、世の流れから見ても完全に遅れを取ってしまった。それには民衆も気づいていて、ひそかに不安感を募らせていたのだ。新たな油田開発、飲酒、観光客の引き入れ、前王の治世では許されないことだったが。一部の事柄をゆるめることで、民は潤い。その心のゆとりで、他の厳しい戒律を守っていく気になれるのだ」

「私…のことは、どうなっているのですか?」
 ためらいつつ、一番気になっていた部分に触れる。

 同性同士の付き合いも、戒律では認められていない。
 華月がラダウィと付き合っていたとき、彼は王子でした。
 もちろん、戒律を破ることになるし、王子だから目こぼしされるということもないはずだが。
 責任という意味では、子供のあやまち、若気の至りで、言い逃れることもできたのかもしれない。

 しかし、ラダウィも華月も私も、もう大人です。子供の過ちだと言い逃れられる期間はとうに過ぎていた。

「国王陛下が、私のような者をそばに置くのは、差しさわりがあるのではないですか?」
 今、ラダウィは。国王であるのに、同性である私を伴侶として扱おうとしている。
 彼がとがめられたりしないのか、それが心配だった。
 だがラダウィは、胸を張って言うのだ。

「おまえが手に入るなら、私は神もモラルも恐れない」

 そして、人前であるのに。彼は私の頬を撫で、唇に吸いつくようなキスをする。
 その大胆に言い切る猛々しい姿に、私は魅入ってしまった。
 身分も性別も常識も、神さえも、ラダウィの前では些細なものなのでしょうか?
 欲しいものを剛腕で奪い取っていく、その強靭さに、私は魅かれてしまうのだ。
 男として憧れ。
 恋する気持ちもどんどん高まっていく。

「とはいえ、おまえをきさきとしてぐうするのに、うるさく言うやからもいる。そういうものの口は、いつけてしまうのだ」
 私は、本当に口を針と糸で縫ってしまうのかと思って、目を丸くしたが。
 ラダウィは喉の奥で笑う。
「言葉をそのまま受け取って、信じるところ、おまえは本当に可愛いなぁ。頭からバリバリ食べてしまいたくなる」
 犬歯を見せつけてニヤリとすると、ラダウィは本当に私を食べるみたいにして、唇をかじった。
「んぅ、こ、言葉通りでは、ない?」
 日本ではもちろん考えられないことだが。王が口を縫えと言えば、それがまかり通りかねないお国柄なので。私はおののいたのですが。
 どうやら言葉の綾らしく。安堵しました。
「あぁ。立派なモスクを建設し、神への忠義を示したのだ。だから、この件については誰にも文句を言わせない」
 モスクは、イスラムの教会で。その建設は尊い行いとされている。

「それで保守派の苦言を封じる、口を縫いつけたということなのですね?」
「あぁ、そうだ。おまえは我が国の慣習を重んじ、グローバルな視点を持ち、察しも良い。その賢さは、シマームにおいて貴重な宝だ。私の月よ…どうか妃として、私とともにシマーム国の発展に尽力してくれないか?」

 王の囁きは、今飲んだ酒よりも、ジンと熱く私の喉を焼いた。
 そのまま、心地よく酔いしれてしまいたい。
 だけど、妃という言葉に、気後きおくれが生まれる。
 自分は、偽物だから。

「…シマーム国の発展に、力を尽くします。ラダウィ様の御心のままに」
 それは、三峰の仕事をしていれば叶うことだ。
 王の御心に沿うことも、会社の求めに即している。
 だからやはり、私は仕事に邁進していればいいのだ。
 そうすれば、ラダウィの望みも会社の望みも、叶います。

 できるだけ長くあなたのそばにいたいと願う、私の望みも。

「二度と手放したくなかったから、強引に国へ連れ帰ってしまったが。怒っていないか?」
 視線を微妙に外し、唇をとがらせて言う。
 その顔を見て、私は昔のことを思い出した。
 いつも自信たっぷりに振舞う彼が。反応の悪い私に話しかけてくるとき。よくそんな顔をしていました。
 探るような、戸惑うような。ちょっと怒っているような。
 なんだか懐かしいですね?

 心が温かくなり、自然に笑みが浮かんだ。
「いいえ、ラダウィ様。シマームは私の第二の故郷。思いがけなく帰ってこられて、とても嬉しいです」
「…っ行くぞ」
 ラダウィは吐き捨てるように言うと、私をお姫様抱っこみたいに横抱きにして。楽団も置き去りにして王の私室に引き上げてしまった。

 寝室のベッドに私をおろし、鼻がぶつかる近距離で吠えた。
「おまえと…初めて会った日からやり直すつもりで、ゆっくり心を寄り添わせていこうと思っていたのに。そんなことを言われたら、理性が千切れる」
 怒っているような言い方で、私は失敗したのかと思いましたが。
 触れる唇は、身も心も包み込むようなやんわりとしたキスをして。そのギャップに、目が回る。

 そんなことって、なにを言いましたっけ? いいえ? 故郷? 嬉しい?
 王が激昂する言葉が、なにかわからなくて、混乱します。
 けれど。くちづけの合間に、彼の手がネクタイのノットにかかり。
 ゆっくりほどいて、シュルリと衣擦れさせて引き抜いて。
「良いな?」
 と、情欲の熱をはらむ目でみつめられると。
 その一言で。私は彼の金の瞳に体を縫い留められてしまうのだ。

 ネクタイをほどいたときは、ラダウィに抱かれるとき。

「はい、ラダウィ様」
 返事を返せば、王は満足そうに笑って、私を寝台に押し倒した。
 服を脱がせる、布をさばく音が、耳に心地よい。
 彼が体をまさぐる、手の動きが気持ち良い。
 時差の加減で、よくわからないが。たぶん二十四時間以上、一回も寝ていない。
 長距離の移動で体も疲れていて、宴でお酒も飲んでしまったから。
 私がラダウィに上手にして返せるかは、わからないけれど。
 彼の嵐のような激しい波に揉まれていれば、きっと最後まで付き合えます。
 たぶん。

 ラダウィのキスは、マシュマロのようにふわふわで、柔らかくて、甘くて。
 電撃のように凄まじくて、熱烈にまといついて。
 彼の香りのようにスパイシーで、濃厚で。
 酩酊感にくらくらして。
 
 彼の愛撫に、波が打ち寄せるような幸福感に…ただ身を漂わせた。

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