【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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19 筆頭参謀、参上。

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     ◆筆頭参謀、参上。

 九月になって、戦局は大規模戦闘に発展してしまった。
 紫輝は、戦場で戦う日々が続いたが。手裏側の攻撃は、一週間ほど、前線をちょこちょこ刺激するような、様子見しているような、本腰を入れていないような感じで。
 紫輝が率いる九班も、全員、無事なまま。手裏兵を追い払えていた。

 だが、九月七日の戦闘は、空気感が少し変化し。攻撃が細く長く続くみたいに、紫輝は体感していた。
 そういうの、時間が間延びするように感じて、嫌なんだ。

 手裏兵をひとり倒し、仲間を見やり、また敵を倒して、仲間を見やる。ということを、紫輝は繰り返している。
 すると。野際が相手をしている敵の顔が、見るたびに変わっていた。
 いや、実質ふたりが、交互に入れ替わっていたのだ。

 紫輝は、天誠が言っていた波状攻撃ではないかと思い。戦線から少し下がって、遠目に見てみる。
 広い視野で見てみると、野際以外の仲間の敵も、同じようで。一定の時間で、敵兵が交代しているようだった。
 つまり、一人対二人だ。ずるい。

「紫輝、どうかしましたか?」
 紫輝の背後には、当然のように大和がいて。下がった理由を聞いてきた。
「波状攻撃みたいだ。千夜に報告する」
「班長が下がると、士気が下がる。俺が組長補佐を連れてきます」
「頼む」

「俺がいない間、姫で守りを固めてくださいよ。傷ひとつ、つけないように」
 大和が言う姫とは、ライラのことだ。
 紫輝に注意喚起してから、大和は千夜の元へ向かう。
 過保護な天誠の元にいたからか、大和もちょっと、心配症のようだ。

 大和が千夜を連れてくる間、紫輝は前線に戻り。ひとり、敵兵を倒した。
 組長補佐になった千夜だが。廣伊は千夜を、九班から急に離さず。紫輝をサポートできる位置につけていた。
 なので、大和は。千夜を連れて、すぐに戻ってきた。

「紫輝、波状攻撃だって?」
「あぁ、野際を見て。敵が疲れてくるタイミング…時点で、下がり。違う兵と交代している」
「本当だ。組長に指示を仰ぐが。とりあえず、疲弊した兵を三人下げておけ」
 千夜の指示にうなずき。紫輝と大和は、前線の仲間に接触する。
 九班の中で、息が荒い者を三人下げて。その穴を、紫輝と大和で埋めた。

 そうする間に、千夜が廣伊とともに戻る。
 紫輝は下げていた三人と交代し、廣伊から対策を授けてもらった。

「よく気づいたな、紫輝。波状攻撃を食らい続けていると、消耗戦に負け、一点突破を余儀なくされる。これから対処法を言う。千夜は戦法を各班に伝え。紫輝は、それを踏まえて、九班を立て直せ。いいな?」
 紫輝と千夜は、廣伊にうなずきを返す。

「波状攻撃には、通常の個人戦闘型を捨て、共同して対抗するしかない。五人二列で班の陣形を組み直す。前列が疲労したら後列が入れ替わる」
「敵と同じことをするわけだな。了解」
 千夜はいち早く、班の伝令に走っていった。

「紫輝は一太刀で相手を無効化できるから、できる限り前面で圧していってくれ」
「了解。廣伊はどこへ?」
「助太刀に投入された、左第六大隊が、陣形を崩されかけている。共倒れにならぬよう、組の陣形を固めるため、後方に下がって指揮を執る」
「ええっ? 左、もう潰れたの?」
「潰れる前に、テコ入れが入っているはずだ」
「誰? 堺が?」

「今回は、美濃幸直みのうゆきなお筆頭参謀だと聞いている」

 そう言って。廣伊は、紫輝がまばたきする間に、いなくなった。
 すっごい遠くに、かろうじて緑が見える。はやっ。

 テコ入れ幹部の名前は、紫輝が初めて聞くものだった。
 まぁ、左が展開している場所は、ここから視認できないし。その幹部と、顔を合わせる機会はないだろうと。このとき紫輝は、思っていた。

 それよりも、目の前の大仕事を片付けなくてはならない。
 班単位で陣形を組むことに『腕に自信あり』な猛者たちは、難色を示したが。
 倒れる前に後退してしまう手裏兵は、払っても払ってもキリがなく。将堂側の方が疲労も見え始めていたところだったし。
 なにより組長の指示なので、最終的には紫輝に従ってくれた。

 すると、つまりは敵と同じことをしているわけで。二対二になるわけで。
 兵が疲労することなく、戦線を押し込んでいけるようになって。
 結果、手裏兵を追い払うところまで行けた。

「おまえが、手裏の策に気づいたんだってな? お手柄だな、班長」
 からかうように野際が言い、紫輝の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 紫輝は照れて、笑った。良かった。みんな今日も無事だ。

     ★★★★★

 長い一日が終わり。前線基地に戻ると、いつもホッとする。
 今日は、生きているのが不思議なくらい、激戦だったから。格別だ。
 不破、やっぱり容赦ねぇな。
 天誠も、もし本気出したら。将堂は、ひとたまりもないかもしれないな?

「紫輝、波状攻撃に気づいた点について、詳しく報告してくれ」
 廣伊に言われ、組長の宿舎に招かれるが。ちょっと困る。
 だって、天誠に事前に教えてもらっていた、ズルだからな。

「あの、報告って言ってもぉ…」
「あぁ、俺も聞きたい。敵将の傾向とか分析したいから」
 千夜にがっちり肩を組まれて、こりゃ、逃げられない。

 紫輝が千夜や廣伊と話しているとき、大和は近寄って来ない。
 なので、今は、そばにいなかった。
 紫輝は覚悟を決め、三人で廣伊の宿舎に足を向けた。

「気負うな、紫輝。些細なことでいいんだ。どういう状況だったから、そう疑ったのか、という…」
 廣伊が玄関の扉に手をかける、その前に。言葉を切り。

 紫輝と千夜を、手で制した。

 慎重に扉を開けたが、部屋には誰もいない、ように見える。
 気配もない、のだが。
 なんとなく空気感は変だった。なんか、いるのか?

 廣伊が、剣の柄に手をかけた。すると不自然な空気が揺れ、何者かが姿を現した。
「待て待て、俺だよ、先生」
 扉の影、死角から出てきたのは。薄茶の髪に、濃茶の大きな翼を持つ、長身の男だった。

「これは、美濃参謀」
 手を剣から離し、廣伊は、床に膝をついて礼を尽くした。
 後方にいた紫輝と千夜も、ならって膝をつく。

 参謀は幹部職なので、大隊長より、さらに上の階級だ。
 それに、美濃参謀と言えば。本日、崩されかけていた左の大隊を立て直した功労者、とも聞いている。

「や、やめてくれよ、先生。昔は幸直って、名前で呼んでくれたじゃん」
「先生?」
 紫輝と千夜が、同時に疑問の声を出す。
「例の、幹部教育係だ」
 紫輝は、あぁ、とうなずいた。
 赤穂たちが子供の頃。廣伊が、礼儀や戦術などの教育をしたのだ。
 その話を聞いたとき、とばっちりで、紫輝も礼儀作法の特訓を受けさせられてしまった。
 美濃参謀も、スパルタ教習仲間なのか。

「美濃参謀、私のことは高槻と呼ぶよう、指導いたしましたが。下の者を先生と呼ぶのは、部下に示しがつきません」
「えぇ? 先生を呼び捨てにはできないな。あ、じゃあ名前で呼ぶよ。親しみを込めて、廣伊。な?」
 紫輝は、美濃のことをチャラ男パート2だと思った。
 大和がパート1。
 でも、大和とは、チャラの種類が違うのだ。

 赤茶の髪で、親しみやすい笑顔で。ッスッス言う、大和だが。天誠の命令で動いているので、基本礼儀正しい。後輩わんこ系チャラ男だ。
 紫輝とタメだけど。雰囲気がね。

 美濃は、鼻筋の通った、高い鼻梁。薄茶の長いまつ毛に、柔らかい印象のちょい垂れアーモンドアイ。
 厚めな唇は、自信ありげに微笑んでいる。モデルばりの美形だ。
 薄茶の髪を、自然な感じで横分けし。一見、短髪に見えるが。後ろ髪を三つ編みにしている。

 シャープで突き刺さるような、威圧感バリバリの美形である天誠とは、真逆の。誰からも好かれるような、スイートマスク系美男子だ。

 あれ? 天誠も、つい最近までは、スイートマスク男子だったのにな?
 年輪を重ねて、いつのまにか、高潔かつ神々しい系ゴージャスハイパーイケメンにジョブチェンジしてんじゃね?
 まぁ、天誠はともかく。

 美濃は、学校の基準で言えば、意識高いイケてる系、簡単に距離を詰める系のチャラ男、というのが。紫輝の第一印象だった。

「それで、美濃参謀は、なぜ勝手に、人の部屋に侵入し。さらに気配を消していたんでしょうか? 幹部の貴方が本気で気配を消したら、大抵の者は気づかないのでは?」
「気づいたじゃん? 廣伊は。さすが、俺の師匠だ」
 廣伊がすごいのに、なぜか美濃がドヤ顔している。
 そして、なんとなく千夜がムッとしている。
 紫輝は、この微妙な空気感に、頬を引き攣らせた。

「あれ? 廣伊の後ろにいるの、龍鬼か?」
 後方にいた紫輝に気づいて、美濃はたずねる。
 紫輝は会釈して、名乗りを上げた。

「右第五大隊二十四組九班班長、間宮紫輝です」
「わっ、噂の、殺さずの雷龍? 俺、ついてるぅ」
 幸直は笑顔で、紫輝に握手を求めてきた。
 さすが。距離を詰める系チャラ男。
 紫輝がオズオズと手を差し出すと。彼はしっかり両手で握り込んできた。

 龍鬼の手を、躊躇わずに握る…。
 大和のときも、びっくりしたけど。美濃は、廣伊が以前してくれた話によると、将堂の分家。つまり、名家の出だ。
 なので、もっと驚いた。

「君が廣伊の元にいるのは、わかっていたんだ。呼び出してもらおうかと思っていたから、偶然会えて、嬉しいよ」
「俺に、なにか御用ですか?」
「いや。赤穂様が、口の悪いクソガキだって言ってたから、どんなかなって」
 テヘッと笑う美濃に、紫輝はイラッとした。
 いや、彼にというより、赤穂の言い草にだが。

 赤穂は、右軍の頂点に立つ、総司令官。将堂軍の准将であり、さらに紫輝の血縁である、父親だ。
 紫輝が時空移動したため、赤穂と紫輝は、三歳分しか離れていない。
 初対面で斬りかかってくるような、イカレた男なので。
 なんか、紫輝は。まだ、彼が父親だと認めたくないのだが。
 月光がそう言うのだから、仕方がない。

 まぁ、事情があって、親子の名乗りもしていないから。向こうも、紫輝が息子だなんて、思いもしないのだろうけど。
「うーん、どちらかというと、堺の印象の方が、合っているかな? 礼儀正しく、優しい子…パッと見は、そう思えないけど。こわも…凛々しい感じで」
「あんた今、強面って言おうとしたろ?」
 ギンと目を光らせて、久々に睨みを利かせてみた。
 すかさず、隣にいた千夜に、頭はたかれ、ツッコまれたが。

「紫輝、上官、敬語、睨まない」
 駄目出しを次々言われ、紫輝は唇をとがらせて黙り込む。
 つか、千夜だって、睨んでたじゃん。千夜に言われたくないなぁ…と拗ねた。

 すると美濃が。紫輝と千夜のやり取りを見て、大声で笑い飛ばした。
「はははっ、良いねぇ。気に入ったよ、雷龍。な、廣伊、この子、俺にちょうだい?」
 唐突な美濃の言葉に、紫輝も千夜もギョッとする。
 ひとり、廣伊だけが冷静に切り返した。

「いきなり参謀補佐に?」
「いや。まずは奇襲隊で様子見だが。いずれ、そうする」

 紫輝は千夜にこっそり、奇襲隊ってなに? と聞いた。
「奇襲隊は、幹部が直接動かす部隊だ。組と違うのは、常に、その隊が存在しないこと。お呼びがかかったときにだけ結成される、即席部隊だ。でも、声をかけられるだけで、名誉なことなんだぞ? 究極の、精鋭の集まりだ。能力が上に認められたって証拠なんだよ」

 千夜が、紫輝に説明している間に。廣伊は部屋のランプに火を灯しながら、美濃に答えていた。
「ありがたい申し出だが。先約がある。私の元で、基本を固めてほしいとおおせなので」
 なにそれ、初耳なんですけど?
 自分のことなのに、廣伊が誰に、なにを依頼されてるのか、全く知らないんですけど?
 と、紫輝が、いぶかしげに廣伊をみつめると。
 美濃は顔を、どんどん青くしていった。

「は? 参謀の俺より、優先させるって…まさか」
 あたふたしながら、美濃が外へ出て行く。
 紫輝たちも彼に続き、丸太の木組みで作られた縁側に出る。

 すると。なぜか、風もないのに、木々が揺れてざわめき。悪しき空気が、辺りに立ち込めた。
 ぞくりと背筋に悪寒が走って、紫輝はおもむろに、ライラ剣を抜く。
 ザザッと木々をかき分ける音、低空で走る黒い影。
 紫輝は木組みの階段を飛び降り、ライラに吸うなと告げた。

 地に足がついたと同時に、ガンと剣が合わさり。反動で跳ね返って、紫輝は足を踏ん張らせた。
 続けざまに二打、三打と剣を打ち込まれるが。強く押し込んで、敵を大きく跳ね返し。
 叫んだ。

「赤穂っ! てっめぇ、不意打ちで来んなって言ってんだろ。マジで雷落とすぞ、このクソ准将がっ」
「こんな軽い手合せで、焦ってんじゃねぇよ、まだまだだな、紫輝」
 ビリビリするほどの殺気を、赤穂は紫輝だけに向かって放った。
 だから紫輝は、赤穂の来訪を察したのだが。

 本当の不意打ちだったら、間違いなく、ライラで生気を吸っていただろうな。
 そう思いつつ。紫輝は、剣を背中の鞘におさめる。
 ま、赤穂もそれを見越して、殺気を事前に放ったのだろうが。
 つか、殺気を飛ばすな。

「すげっ、赤穂様にそんな口利いて、斬られないなんて」
 美濃のつぶやきに対し、赤穂が凄んだ。
「幸直、てめぇ、左に行けと命じたのに、なんでここにいる? 遊んでんじゃねぇよ」
 威嚇するように、羽先が膝裏までもある立派な大翼をバサバサさせた。
 黒い翼の根元に、白い羽毛のワンポイントがある。
 眼力鋭く。だが、どこか色っぽくも見える、切れ長の目で。美濃に睨みを利かす。
 赤穂のそれを見ると。紫輝は、己の眼力は、まだまだだなと思ってしまうのだった。

「遊んでるわけじゃ…ちょっと雷龍に、挨拶しに来ただけじゃないですかぁ。赤穂様や堺ばかり、彼と会って…ずるいっしょ」
「ずるいじゃねぇ。こいつは俺のもんだ。遊びたいなら、俺の許可を取れ」
 剣をおさめた赤穂が、紫輝を背後から羽交い絞めにする。
 ライラ剣がガタガタし、紫輝もワタワタした。

「誰がおまえのもんだ、俺は俺のもんだ」
「俺の部下だから、俺のもんなんだよ」
「恐れ多いですぅ、准将赤穂さまぁ」
「うるっせぇ、おとなしくしろ、斬るぞ」

 紫輝は赤穂の腕の中で暴れながら、口論する。
 本来なら、感動的な親子の御対面に発展してもおかしくないのだが。俺様赤穂が相手だと、どうしてもシリアスな雰囲気には、なりえない。

「廣伊、先約って、これ?」
 美濃が廣伊に確認すると、彼はうなずいた。
「じゃあ、この子を幹部入りさせる気? じゃあ堺は左に転属?」
 その言葉は、聞き捨てならなかった。
 紫輝はさらに暴れ、赤穂の腕の中から脱出した。

「はぁ? なに言ってんの? 赤穂、てめぇ、そんなこと考えてんのか? あり得ねぇ、幻滅だ」
 最強の龍鬼として恐れられている堺は、それゆえに人間関係に脅え、傷つききっている。
 龍鬼に対する差別観が、より強い左軍に異動させるなんて、考えられないっ!

「大雑把な赤穂には、わかんねぇだろうが。堺は、生真面目で繊細なんだ。すっごく傷つきやすい人なのに、左に送ろうとするなんて…鬼かっ? 絶対に許さねぇぞ」
 紫輝は赤穂にびしっと指差して、言い立てる。
 同じ龍鬼として、そんな横暴は断固阻止だっ。

「はぁ? 右軍最高司令官に対して大雑把とはなんだ、ボケ。つか、鬼が鬼とか言ってんじゃねぇ」
「俺は鬼じゃねぇ。無害、平穏、そんな俺を鬼とか龍鬼とか言うな、ボケ」
「龍鬼は龍鬼だろうが、クソガキがっ」
 言い合いは、子供の喧嘩レベルだが。真っ向からの睨み合いは、暴風雨並みの荒れ模様。

「そこまでです。ふたりとも」
 そこに、低音だが温かみのある声が響き、時雨堺が現れた。
 薄青色の軍服が、今日もお似合いです。
 暗闇に、ストレートで真っ白な髪が輝いて、後光が射しているみたいに見える。
 素敵ですぅ、と紫輝は見惚れてしまう。

「堺、おまえ、もっと早く出て来いよ。いつ雷龍が斬られるかと思って、冷や冷やするじゃねぇか」
 美濃はあからさまにホッとした様子で、堺を見た。
 廣伊も千夜も、傍観モードなのに。
 触らぬ神に祟りなしということか、余計な茶々を入れて藪蛇になりたくないのか。
 でも、その反応。とても賢いと思います。

 気に入らない相手は、味方でも斬る。という赤穂の噂は、聞いたことがあるけれど。
 こうして口論していても、赤穂が本気で怒っていると感じたことは、紫輝はないのだ。
 なんていうか、赤穂との言い合いは。挨拶みたいなもんだから。心配することないのにな。
 美濃様は、心配しすぎだ…と紫輝は胸のうちでつぶやいた。

 堺は、能力を出しているわけでもないのに。美濃を冷たい眼差しでみつめ、場の空気を凍らせた。

「そもそも元凶は、貴方の無責任な発言でしょうが。幸直、紫輝は純粋な子なんです。なんでも真に受ける素直な紫輝を、私をだしにして、からかうのは見過ごせません」
 堺の凄まじい怒りの気配に、美濃は口先でもごもごと言い訳する。

「怒るなよぉ。ちょっとした冗談だろ?」
「冗談? なんだ、じゃあ、堺は左に行かないんだな?」
 不安が解消され、紫輝は明るい笑顔で、堺をみつめた。
 堺は怒りのオーラをパッと消し、紫輝に笑いかける。
「ええ、もちろんですよ。左軍に、私の居場所はありませんし。そうそう、赤穂様はきっと。紫輝よりも先に、幸直を斬るでしょう。空いた席には紫輝がおさまればいい」

「それは良い案だ」
 赤穂が柄に手をかけたのを見て、美濃はビビッて、手を横に振る。
「わ、わ、わ、勘弁してください、赤穂様。俺は冗談でも、貴方の剣を受ける勇気はないです」

「…なんで? 赤穂はちゃんと加減してくれるよ?」
 美濃の及び腰を、紫輝は不思議に思う。
 毎回、こっちは赤穂の不意打ちを受けているんですけど。
 でも、気配を見せてくれるし、本気じゃないのもわかっている。
 赤穂は。こちらの力量に、応じてくれているのだ。そうじゃなきゃ、下っ端の紫輝が、一太刀だとて受けられるわけがない。
 赤穂が手練れなのは、ビンビン伝わっているので。

 だが美濃は、本当にわからないのか? というような顔で苦笑した。
「室内にいたときから、俺は、こちらに向かってくる赤穂様の気配に、そら恐ろしさを感じていたぞ? 赤穂様の疾風迅雷の剣技を受け止めるおまえは、化け物だ。普通はすくみ上がって、剣を取り落す。で、俺も無理」
「軟弱なやつだ」
 ふんと鼻を鳴らし、赤穂は剣から手を離した。
 え? 鈍感って言われた? 彼そう言った?

「ちょっと、紫輝と遊んでいく。堺ぃ、邪魔だから。幸直連れて、先に帰ってろ」
 横柄な感じで、赤穂は堺に指示するが。
 堺は紫輝の手を握って。紫輝に、にこりと微笑みかける。
 紫輝もつられて、にこりと笑みを返した。
 堺のそばは、なんだか安らぐ気持ちになるから、好きなのだ。
 天誠のそばにいるときと同じ居心地のよさ。身長も天誠と同じくらいだから、なんとなく懐いちゃうんだよなぁ。

「おい、堺。聞いてんのか?」
 でも、堺は赤穂を綺麗に無視して、紫輝をみつめたままだ。なんで?

「会議です」
 堺は、赤穂には顔も向けずに、短く告げる。
「あぁ?」
「作戦会議。最高司令官様と筆頭参謀様がそろわないから、いつまでも始まらないんですよ。御戻りを…」
 声は断固としているのに、紫輝に目を合わせたままの堺は、ずっとニコニコしている。
 逆に怖いんですけど。
 これ、怒ってんじゃね?

「速やかに、行った方が良いと思います」
 紫輝も、堺に目を合わせたまま…つい、赤穂に助言してしまった。

「ちっ、興醒めだ」
 赤穂は左目を隠すように長く伸ばしている前髪を、軽くかき上げ、不満げながらも引き上げて行った。
「赤穂様が、あんなに執着するなんて。君、本当にすごいよ。ますます気になっちゃうな」
 美濃が紫輝のそばに寄ってきて、意味ありげにニヤリと笑う。
 そして廣伊を振り返った。

「なぁ、廣伊。赤穂様とは張れないから、雷龍はあきらめるよ。その代わりに、二十四組でひと際目立っている、そこの青い子、くれない?」
 美濃が廣伊の隣を指さしたので、青い子というのが千夜のことだと、すぐにわかった。
 黙して廣伊の後ろに控えていた千夜は、いきなり話題の中心となって、困惑している。

 え? 美濃は態度に余裕があって大人っぽくは見えるけど、でも千夜と同年代じゃね?
 千夜は子っていう年じゃなくね?

「そんな失礼な申し入れは、受け付けられない」
 それでも廣伊は冷静で。
 出世話に飛びつくような浅慮ではないところが、さすがだった。
 千夜を安売りするわけには、いかないもんな。

「仕方ないなぁ、正式な手順を踏むよ」
 いかにも面倒くさげに、美濃は薄茶の髪を手でかいた。
「あぁ、廣伊にも、そろそろ腹をくくってもらうよ。じゃあ、今日のところはこの辺で。またな、センセ」
 語尾にハートマークが見えるような、意味深な台詞を残し。美濃は、赤穂のあとを追って行ってしまった。
 美濃の後ろ姿を横目に、堺はなぜか、悩ましげなため息をつく。

「困りましたね。幸直に目をつけられてしまうとは。一般兵士のうちは、紫輝の存在を、あまり多くの者に知られたくなかったのですが」
「それは無理な話です」
 軽やかに階段を降りてきた廣伊が、堺の言葉に口をはさんだ。
 もういい加減、辺りは暗いのだが。
 宿舎の室内から、明かりが漏れて。堺の顔の判別くらいはできる。

「龍鬼というだけで、視線が否応なく、こちらに向けられることは、貴方もよくご存じのはずだ。重ねて、紫輝は殺さずの雷龍として、今は、敵も味方も注目している。もう温室に囲っておくことは、できませんよ」
「紫輝が戦場に出たのは、三ヶ月前ですよね? 今、私のそばへ引き上げてしまえば間に合うのでは?」
「遅いです。紫輝を戦場に出さなければ、上が…というか左が黙っていない。それに、将軍であり、龍鬼である貴方のそばに、龍鬼がつくのも。よく思われないのでは? あの金蓮様の様子ではね」
 不安そうな顔で堺に見下ろされるが。紫輝は、なんの話かわからず首を傾げる。

「あの、なに話してんですか?」
「君が、心配なんです。紫輝は今、とても目立っているから。集中的に狙ってくる者や、やっかみで敵視する者が出てくるかもしれない。紫輝を危険から守りたくて、いろいろ考えているのですが…」

 そんな、平々凡々な自分なんか、誰も見ていないと思うのだが。
 狙われるのは嫌だから、ちょっと怖くなる。
 頼りなく瞳を揺らした紫輝に、廣伊が補足した。

「堺は、紫輝を。将軍補佐として取り立て、少し戦場から離したいと言っているんだ。だが、上の者は…この場合は赤穂様たちではなく、金蓮様や、政治を動かしている左の者が、上ということになるが。その、上は。戦果にしか目が行かないものだから。戦闘力の高いおまえを、堺が戦場に出さないなんて言えば、彼は怒られてしまう」
「それは駄目だよ」
 俺のせいで、堺が怒られるなんて。
 しかも、また金蓮や左のやつらに、ネチネチ言われたりしたら。俺、マジ切れしちゃうかも。

 まだ起きていない悪い未来を想像して、紫輝がムムッと口をへの字にすると。
 堺は苦笑した。
「だね。敵より、案外味方の方が厄介なんだ」
 その話もわからず、紫輝が首を傾げると。
 堺は白いまつ毛を、ゆっくりと伏せ。儚げに見える白皙の顔を、ひそやかに歪めた。

「敵は、紫輝を的にするだけで、単純だが。味方は、味方の顔をして足を引っ張ることもある。味方には攻撃できませんから、それが厄介なんですよ。龍鬼を駒扱いする上層部の言いなりのまま、私は紫輝をこき使われたくない。紫輝を守れるなら、私は怒られてもいいのですが…左は、龍鬼の私の言うことになど耳を貸しませんから。頼りにならぬ上官で、申し訳ありません」

 紫輝の地位では、命令に従って動くしかない。
 上の思惑など考えたこともない。言われたことをするだけで、これからもしていくだけだ。
 そんなことより。紫輝はこうして、自分のことを心配してくれる友達がいるということが、なにより嬉しい。
 紫輝は堺の手をギュッと握り、ぶんぶん振って嬉しさを示した。

「堺、優しいなぁ。俺のこと心配してくれて、ありがとう」
 花がほころぶ笑顔の紫輝を見て、あんまり無邪気で可愛いから。
 堺は、ほんのり頬を染めた。

「大丈夫だよ、堺。俺のことは、廣伊がうまく動かしてくれる。俺のことを知らない上層部のやつらの駒になんか、させないさ。うちの最強の組長が、そんなこと許さないからな」
 紫輝の絶対の信頼を得ている廣伊を、堺は見て。
 廣伊はそれに、しっかりとうなずく。

「そうですね。下手に幹部が手を出すより、高槻に任せておく方が、悪目立ちしないかもしれません」
「お任せを…。紫輝は誰にも悪用させません」
 着地点を見出せたのか。ふたりにしかわからないくらいの、微細な動きで目配せしている。
 堺も廣伊も、大人の龍鬼って感じで、頼もしいね。
 よくわからないけど、なにか解決したみたいだな。

 紫輝はうんうんとうなずいて、気になっていることを堺にたずねた。

「あの、月光さんはお元気ですか? いつも赤穂の仲裁は、月光さんが来るのに。この頃、姿を見ないので心配です」
「あぁ、会議には出席しているが。風邪気味のようだ」
 月光は体が弱いと聞いていたので、紫輝は心配になる。

「風邪? お見舞いとか、駄目ですか?」
「君からこちらには、来られないから。近々顔を出すよう、瀬来に伝えておく」
 紫輝の頭を、堺は手のひらでポンポンする。
 下級の者から上官に会いに行ってはいけない、話しかけてはいけない、という面倒な取り決めが将堂軍にはある。なので、縁があっても、簡単に見舞いにも行けない。
 ウゼェ。この制度、なんとかならないかな?

「休養期間に入ったら、紫輝を私の屋敷に招待したいのだが。来ていただけますか?」
 ひとつ息をのんだ堺が、紫輝に聞いてきた。
 なんだか自信なさそうに、かすかに眉が下がっている。

「もちろんだよ。楽しみにしてる」
 友達の初めてのお誘いだ。断る理由なんかない。
 紫輝は笑顔で快諾した。
 堺は、安堵したような、嬉しいような、ささやかな笑みを、紫輝に返す。

「良かった。ではそのときは、ご連絡します。あぁ、私も会議に出ないとならないので、これで」
 なんとなく弾んだ足取りで、堺は踵を返し。会議に出るべくその場を去っていった。

「紫輝、腕を上げたな」
 堺の後ろ姿を見送っていた紫輝に、千夜が言う。
「確かに、赤穂様の剣を受け止めるだけでも、たいしたものだ。上達しているようだな」
 廣伊も褒めてくれたので。紫輝は嬉しく思いつつ、謙遜などしてみた。

「いやぁ、まだまだ。赤穂が手加減してくれるからだよ」
「それがわかること自体が、成長しているということだ。引き続き、精進していけ」
「はい。それより…美濃参謀って、どういう人? なんか、偉そう」

「偉そうじゃなくて、偉いんだ。以前話したが。美濃家は、将堂家に一番近い分家筋だ。金蓮様の祖父の代に、家を立ち上げた名家。美濃家はクマタカ血脈だが、祖父の代のイヌワシの血も入っていて。金蓮様の母上は、参謀の父の妹だから、彼の叔母に当たる。つまり、参謀は。金蓮様の従兄弟ということだ」

「ええ? じゃあ、赤穂とも従兄弟?」
「いや。金蓮様と赤穂様は、父方の従兄弟。金蓮様と美濃参謀は母方の従兄弟、ということかな。赤穂様と美濃参謀の関わりは、祖父の代からの血脈があるので。遠縁というところか?」
 廣伊も自信なさそうに、首を傾げながら説明してくれた。
 紫輝は、イトコのイトコは血がつながっていないとして、でも爺さんの子孫がうんぬんかんぬん…的な感じで、もう、ついていっていない。

「だが、美濃参謀の姉が、金蓮様の奥方なので…ややこしいが、義理の兄弟ではあるな。美濃家は将堂一族の中核にしっかり入り込んでいて、発言力も大きい。お子様にも恵まれているので、盤石だ」
「そんなに名家で、えっと、金蓮様の従兄弟で、義弟で? 発言力もあるのに。なんで大将直属の左軍じゃないんだ? なんで赤穂の部下なの?」

「それは…やつは、やんちゃな脳筋だからだ」
 あまり表情を変えない廣伊が、いかにも残念そうな顔をした。
「頭より体が先に動く、右軍体質の典型だ。政治とかよくわかんねぇって、平気で言うし。だが戦闘力は群を抜いている。今日もひとりで、左を立て直しただろう? 剣技もさることながら、戦術采配も上手く。天性の勘を働かせて、戦場の流れで行動を転換する大胆さもある。さらに鼻が利き、一流の戦士の素質を持つ若手を発掘するのが得意だ。…だから」

 ふと、廣伊は千夜に目を移す。
「正式な申し入れがあったら、千夜、行くか?」
 奇襲隊で様子見、いずれ参謀補佐というコースだ。
 紫輝を誘ったときは、からかう感じがありありとしていた。
 でも美濃は、千夜のことは、本気で誘っていたように感じた。

 やっぱり千夜はすごいなぁ。という目で紫輝は千夜をみつめる。
 でも彼は、首を横に振った。
「いや。せっかく組長補佐の席が決まったばかりだから。しばらくは、廣伊の元で勉強したい」
「…そうか。だが奇襲隊は大隊長級が集まるから、勉強になる。席を置いたまま参加も可能だから、考える余地はあると思うぞ」
「はい。検討します」

 千夜が会釈すると、廣伊は空を仰いだ。
「あぁ、招かれざる客のせいで、すっかり夜が更けてしまったな。話は明日にして、早く食事に行ってこい。食いっぱぐれてしまうぞ」
 夜食は人数分あるが、遅れていくと、余剰分とみなされ、食べられてしまうことがあるのだ。
 みんな戦場で気をすり減らすが、腹もうんと減らすものだからな。

 紫輝と千夜は廣伊に挨拶して、組の宿舎へ足を向けた。
「せっかく幹部から声がかかったのに、奇襲隊に行かないのは、ちょっともったいないような気もするけどな?」
 千夜の剣技に一番心酔しているのは、紫輝だ。
 美しい軌跡を描く剣先、目に止まらぬ速さの体さばき。
 手本にするには、高度なのだが。その域まで、いずれ達したいと紫輝は願っている。

 そんな彼が認められるのは、とても嬉しいことだ。
 なのに、なんで話を受けないのだろう?
 気になって、千夜に問いかけた。

「考えてもみろ、組長補佐になりたての若造が、組長も大隊長もすっ飛ばして、百戦錬磨の奇襲隊に配属されたら、どうなると思う? 男の嫉妬は、やべぇんだ。醜いんだ。おぞましいんだ」
 脅されて、紫輝は顔を青くした。

 誰かが、食堂で先に受け取っちゃって、飯抜きとか。廊下で足を出して、引っかけようとするとか。伝達ミスで、敵の中で孤立しちゃうとか。就寝中の暗殺とか。
 紫輝も、若干覚えのある嫌がらせの数々を、脳裏に浮かべる。

 紫輝は大体、ライラのフォローで、事なきを得たが。
 知らないところで、大和も何人か追い払っていたみたい。
 千夜がそれを、無事に切り抜けられるのか。絶対大丈夫、なんて。言えないよぉ。

「そうだ、そうだな。やっぱり山は、一歩一歩登るべきだよ」
 エスカレーターも悪くないと思うが。
 一気に出世すると、それなりにいろいろあるのだなぁと、紫輝は胸のうちで唸った。

 だが千夜は、そんな紫輝を見てニヤニヤしてる。
「引っかかったな。一体どんだけ、あくどい嫌がらせを思い浮かべたのやら。でも、俺はそんなのに屈する玉じゃねぇぜ?」
「か、からかうなよぉ。でも、そうは言っても、千夜がそうなったら心配だし。話し合いとか、全然成立しないんだよ?」
「あぁ、廣伊の嫌がらせを追い払ってきたから、やつらの言い分がクソなのは知ってる」

 入軍当初の嫌がらせを思い返し、紫輝は口の中でごにょごにょ言う。
 解決策は、回避しかなかった。
 己は無害なのだと、わかってもらいたいのに、説得できず。そのことが歯がゆくて、ずっと、心に引っかかっている。

「全く、おまえは見掛け倒しだよな」
 気弱そうにうつむく紫輝を、千夜は呆れたとばかりに口を歪め、叱った。

「気合の入った目力に、恵まれてんのに。宝の持ち腐れだ。おまえは、その天下の睨みを利かして、俺に近寄るなと凄めばいいんだ。簡単だろ?」
「でも、それじゃ、すべて追い払っちゃうよ」
「すべてじゃねぇ。俺らがいるだろ。おまえにはもう、野際も大和も、九班の仲間も、幹部の方々も、味方がいっぱいいるじゃないか。おまえを認めているやつのことだけ、見ていればいい。世界中のみんなが、おまえを好きになるなんて思ってんなら、それは傲慢だ。おまえのことを好きだというやつらに、おまえも好きと言ってやればいい」
「千夜、好きぃ」
 紫輝は思いっきり千夜の背中に飛びついて、彼の太い首にしがみついた。
「ばか、やめろ、しまるぅ」
 千夜はしばらく苦しげにしていたが、紫輝を背負って歩き出した。

 紫輝は、できれば、穏便に解決したい派だった。
 わかり合えるなら、友達も増やしていきたいけれど。
 己に刃を向ける相手と、友達になれるかといえば。そうではないなとも思う。
 それに、この世界では。龍鬼であることが、まずマイナス要因だ。
 千夜の言うようにするしかない場面も、多々ある。
 好意を向けてくれる相手を大事にするのは、第一前提。だけど…。
 でも、切り捨てたくはないのだ。
 あきらめたくない。少しでも多くの人にわかってもらいたい。
 全員じゃない、少しだけでいいから。と思ったところで、紫輝は思い出した。

「あっ、今は、俺の話じゃ無くね?」
 紫輝が千夜の背中から飛び降りて睨むと。
 彼は、悪戯がみつかった子供のような顔で、ひとつ笑った。

「はっ、単に、あいつが気に入らねぇだけ」
「あいつ? 美濃参謀?」
 紫輝の問いに、千夜はうなずいて答えた。
 さっぱりとした、裏のない性格の千夜が、会ったばかりの人物を悪く言うのは珍しかった。

「どうして? 青い子って言われたから? 確かに千夜を子ども扱いするの、変だったけど…」
「まぁな。あいつ、同い年だし。二十二歳」
 同年代とは思っていたが、同い年でしたか。
 みんな、幹部のプロフィール把握しているんだな?

「幹部っていうのは、兵はみんな翼下よっかと見ているものなんだよ。見下しているという感じではなく、自分の子供みたいな、庇護する存在というか。どんなに戦歴がある老兵でもだ。だから、ああいう言い方を間々する」
 軍の常識みたいなものを、いまいちわかっていない紫輝に、千夜は詳しく説明したが。我に返った。
「っていうか、そこじゃなくて。廣伊に馴れ馴れしいからだっ」

 千夜は、男らしい眉を寄せ。目に鋭い光を宿す。
 彼の不機嫌そうな顔を見て、紫輝は思い返した。

「そういえば、美濃参謀が、廣伊を先生って呼んだときから。なんとなく、ムッとしていたよな?」
「今、廣伊の一番そばにいるのは、俺だって。自負してんだ。なのに、俺の知らない廣伊を知ってます、みたいな顔をした男が、突然現れて…なんか、イラついた」

 紫輝は、自分に置き換えて考えてみる。
 天誠の彼女とか、目撃したことはないが。
 もし、自分の知らない天誠の顔を知る彼女が現れたら…わー。もう、無理。
 想像でも、無理。
 心臓にペンを突き立てられたみたいに。
 ブルドーザーにひかれて、地面に押しつぶされたみたいに。
 痛くて、つらくて、泣きたくなるよ。

「わかる、わかる、イラつくどころじゃないよぉ。なんかここ、ギ~ッってなるよっ」
 胸の真ん中の軍服を、手で握り込み。紫輝はぐるぐる揺さぶった。

「…俺と会う前、廣伊には、いろいろなことがあって。その全部を、俺は知らないけど。俺は、今の廣伊を一番わかってる。その気持ちを、なんか、あいつに崩されたみたいに感じたんだ。っは、言葉にすると、身勝手だな、俺」
「そんなことない。理屈じゃないじゃん、そういうの。なんていうか、廣伊と千夜って、すごく太いつながりがあるように感じる。えっと、背中を預け合える関係ってやつだよ。そういうとこ、俺好きだぜ」
 紫輝の感想に、千夜は一瞬、真顔になった。
 感情を一切排除した、今まで見たことのない表情だった。

「それほどに、甘くない」

 そう言ったときの彼の目が、空虚な色をしていたから。
 紫輝は息をのんだ。

「廣伊が、手裏兵の手にかかるくらいなら。いっそ、自分が殺したい。そう思っている」
「は、激しいね」
 気迫に圧倒されている紫輝を見て。千夜は、どこか自嘲するような笑みを浮かべた。

「それでもおまえは、俺と廣伊のこと、わかるって言えるか? 好きだと思えるか?」
「人の気持ちは、人それぞれじゃないか。だから、千夜の気持ちを全部わかるなんて、言えない。それは、おこがましいもん。でも、俺が変わらずに言えることは。千夜のことも廣伊のことも、好きだよ」

 いっそ、自分が殺したい。その強烈な言葉の中に、紫輝は『廣伊を殺されたくない、自分が守りたい』そんな千夜の気持ちが見えた。

 紫輝は、大事な人を、この手にかけるなんてことは考えられない。
 でも。もしかしたら天誠は、そういう気持ちを持っているかもしれないと思うのだ。

 たとえば、紫輝が敵の手に堕ちて、ひどい場所で囚われの身となるとか。
 または、むごい殺され方をするかもしれないとか。
 そういう場面が来たら、いっそこの手で…。
 そう考える天誠を、紫輝は容易に想像できる。

 だから千夜の考えは、激しいものだとは思うが。理解はできる。
 そして、それは究極の場面での話だ。

「俺は、歪んでいる。それを自覚しているぜ」
「歪んでいても、それくらいのことで嫌いになったりしない。ただ、千夜と廣伊の間に、やっぱり太い結びつきがあるんだなって、改めて認識しただけ」
「それくらい、かよ。変なやつ。普通、引くだろうが?」

 千夜に言われ、紫輝はから笑いするしかない。
 弟が同様のタイプで、幼い頃から耐性がある、なんて言えない。

「千夜はぁ、異世界から来たっていう、俺の突拍子もない話を信じてくれて。ライラのことも、お嬢さんって言って可愛がってくれる、変なやつ。だから、変なやつつながりで、いいんじゃね?」
「それは、説得力あるな」

 はははっと、ふたりは笑い合った。
 いつもの、おおらかな笑顔を、千夜が見せてくれたから。紫輝はちょっと、安堵した。

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