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28 千夜の腕

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     ◆千夜の腕

 大和を道案内に、月光、幸直、廣伊、井上は、一足先に奥多摩の村に向けて出発した。
 そして、日が暮れてから。紫輝と千夜が、ライラに乗って村に向かう。
 ライラにしがみつくことができない千夜は、意識がなかったときにしていたように、ひもでライラにくくり付ける。
 なんとなく、ライラママが、千夜をおんぶひもで背負っているような感じ。

「くっそう、格好つかねぇ」
「ジェットコースターなんだ、安全バーは必須だよ」
 そう言いながら。紫輝は、月光の隠密さんに手伝ってもらいつつ、千夜のことをがっちりと結んでいく。
 途中で外れないように。想像すると、怖い。

「また、変な言葉使って…さっぱりわからねぇから、ツッコまねぇぞ?」
 縛り終えたら、隠密さんに挨拶する。

「今までお世話になりました。ありがとうございました」
「道中お気をつけて」
 屋敷の前で、頭を下げてくれる彼らに、手を振って。
 紫輝はライラに乗り込み。一路、村に向かうのだった。

 ライラは、千夜が元気なのが嬉しいようで。御機嫌だ。
 空を飛ぶように、ぐんぐん前に進む。

「やべぇ、はえぇ、こえぇ」
 千夜は左手で、ライラの毛を必死に掴んでいる。
 紫輝も後ろから支えているけど。やっぱり怖いのかな?

「だから言ったろ? ジェットコースターだって。少しスピ…速度落そうか?」
「いや。こんくらい、平気だ」
 いやいや、こえぇって、聞こえましたけど?

「せんにゃ、せんにゃ、がんばれせんにゃっ」
「おい、紫輝。お嬢がなんか、ガルガルガオガオ言ってるぞ」
「応援歌だよ。頑張れ千夜っ、ってね」
「マジか。可愛いなぁ、お嬢は。速度はえげつないけど」
 はははっ、と紫輝は大声で笑った。
 なんか、千夜と以前のようなやり取りができていることが、すごく嬉しくて。

「なぁ、紫輝。おまえも、もう遠慮したりするなよな。俺は大丈夫だからさ」
 しっかり前を見据えて、千夜は紫輝に言う。

「俺は、暗殺者としての矜持と廣伊という、相反するものを両立しようとして、破たんした。けど、もう間違わねぇ。廣伊のために、これからは生きる。愛する者に求められてんだ。これ以上、幸せなことはない」

 千夜のその言葉は、とても美しく聞こえる。
 でも。千夜は?
 それは、千夜自身のために生きているということになるのか?
 その想いだけで、ずっと幸せでいられる?
 強者の矜持も千夜の一部だったんじゃないの?

 けれど、その問いかけは、紫輝にはできないのだ。
 せっかく気力を取り戻しつつあるのに。水は差せない。

 ライラジェットコースターは、紫輝と千夜が話をしているうちに、村の、あの屋敷の前に降り立った。
 ライラの背から降りて、千夜に巻きつけたひもを外していると。屋敷の中から、大和をはじめ、みんな出てきた。
 先に、無事到着していたようだ。
 若干、ぐったりしている千夜を。廣伊と幸直が抱えて、屋敷の中へ入っていった。

 やっぱり、まだ本調子じゃないんだな。

「あの高速を一時間とか、そりゃ、腰も抜けるよね」
 背後でぼそりと、月光が囁いた。
 え? ライラのせいだった?
 だから、スピード落そうかって聞いたのにぃ。

 紫輝は、ジェットコースターや。父の運転で、高速道路を走行したり。以前の世界で、速い乗り物に耐性済みだから。ライラの速さに、もう慣れてしまったのだが。
 この世界の、一番速い乗り物は、馬だから。
 他者はそのスピードには、なかなかついていけないのだ。
 涼しい顔をしていた大和も、実は、ライラ騎乗時は目をつぶっていたらしい。

「っていうか、村とか、聞いてないんだけど? 紫輝? どういうことなのかなぁ?」
 至近距離で、可愛らしい笑顔ながら、怒りの波動をみなぎらせている月光に。紫輝は、目を合わせられなかった。

「すみません。俺も、朝、初めて聞いたもんで」
「紫輝村って言うんだってね? 村。つか、村? あいつ、どんだけ高性能なの? 嫌いっ。マジ嫌いっ」

 ヒステリックに、地団太を踏み。ピンクの羽をバサバサしてる。

 丸くおさまりそうで、いいんじゃない? と紫輝は思うが。
 月光が、そこに引っかかっているわけではないことは、なんとなくわかる。
「…お酌させていただきます」
「一緒に寝るっ」
「一緒に寝ます」
 紫輝が承諾すると、ようやく月光は機嫌を直して、にっこりした。

「おーんちゃーん、ごはん、ちょーだい」
 そこに、ライラが突っ込んでくる。
 紫輝は大きなライラの首に抱きついて。いっぱい頭を撫でた。
 今日も、白くて長い御毛毛が柔らかくって、温かくって、素敵です。

「よしよし、えらいね。今日はライラ、いっぱい頑張ったな。もう、ねんねしていいぞ」
「あい」
 ぐるりと回って、剣になったライラを、背中の鞘におさめる。
 ライラは、紫輝のどこかにくっついていれば、勝手に紫輝の生気を食べて満腹になるのだ。
 それで紫輝が消耗することはない。

 紫輝たちは屋敷の中に入って、大和の歓待を受けた。
 風呂に入って、御馳走を食べて、月光さんと一緒の部屋に入ったけれど。
 話をする間もなく、スコンと寝入ってしまった。
 ライラに生気を食べられるよりも。移動の方が、体力を消耗するな。
 廣伊たちより、ライラでズルして、だいぶ楽をしているはずなのに。

     ★★★★★

 子供みたいに、ご飯を食べたら、すぐに寝てしまった紫輝は。早い時間に起きてしまい。
 月光を起こさないよう、そっと部屋を出て。
 屋敷が並び立つ敷地内を散策した。

 朝の空気は新鮮で、吸い込むと、肺がピカピカになる感覚がある。
 空気が美味しい、というやつだ。

 山の紅葉は、朝焼けの赤紫色の雲と絶妙なコラボレーションで、美しい。
 そういえば、富士山は見えなくなった。ちょっと寂しい。

 千夜たちが滞在する屋敷の隣に、本棟が。と言うが。
 距離は、充分に離れている。
 南側には、段々畑より規模は小さいが、充分に屋敷の食材を調達できるくらいの畑がある。
 小さな建物は、蔵だったり、農機具倉庫だったり、ニワトリ小屋だったり。
 なんか、いろいろ、そろっている。
 井戸をみつけたので、水を汲んで、飲んで、顔を洗い、はねた髪を濡らして直した。

「ひえっ」
 なにかが落ちる音がして。悲鳴があがった方を見やると。

 小さな背丈の女性が、紫輝を見て驚いている。

 畑で摘んできたのだろう、菜っ葉が足元に落ちていた。
「おはようございます。驚かせてすみません」
 紫輝は落ちた菜っ葉を、拾おうとするが…。
 そうか、いきなり龍鬼に会っちゃったから、彼女は驚いたんだ。
 なら、むしろ触らない方がいいんだな、と思って。
 どうしようかなと考えていた。

 すると女性が、その場に正座して頭を下げたのだ。

「お、おはようございますっ、紫輝様。こ、こ、こちらこそ。申し訳ございませんっ」
 え? え? どういう状況?
 どうしたらいいの? これ。
 そうしてオロオロしていたら。
 女性の後ろに、すっごくでっかい男性が現れた。

 いやいや、俺は、彼女を怒ったわけでもいじめたわけでもないんですよ? と、言い訳したい気持ちに駆られたのだが。
 ズーンという効果音が出そうな、大きな、天誠よりも身長も横幅もでっかいその男性が。
 女性の横で正座して頭を下げた。

 ええぇぇ、マジで、どういう状況?

「こらこら、紫輝様が困っているぞ」
 そこに大和が現れて…大和ぉ、助かったよ。
 なんなの? どうしたらいいの? という気持ちで、紫輝は大和を見やる。

「や、大和っ、早く紹介してよ。っていうか、あんた、その態度なに? 奥方様よ。頭下げなさいよっ」
 女性がひそひそと大和を叱っている。
 ん? お知り合いですか?

「いやいや、頭は上げてください。貴方も、そちらの方も。大和、立たせてあげて」
 最初、彼女は驚いていたし。龍鬼が怖いのかと思って、大和に頼んだ。
 この屋敷で働いている人だと思うので。これからお世話になるし。
 よくわからないけど、なんとか穏便に済ませたい。

「ほら、立っていいって。紫輝様はこういう、かしこまったのは苦手なんだよ」
 大和にうながされたふたりは、落とした菜っ葉をササッと拾うと、立ち上がって。再びお辞儀する。
「紫輝様、このふたりは俺と同じく、安曇様に仕えている者です。すみれと橘」
 大和は、女性と男性の順で示し、紹介する。

 小さくて木の葉柄の翼、これは。
「すずめっ」

「はい。スズメ血脈のすみれです。以後、お願いいたします」
 すみれは、唐突に言い当てられても、嫌な顔ひとつせずに、元気に挨拶した。
 あれ? もしかして、この世界に来てから初めて、女の人と話したかも。

「ハシビロコウの橘です」
 ハシビロコウ、という鳥は。紫輝は知らなかった。
 大きな体格に、ブルーグレーの大きな翼、でも同じ色の目が、とても優しい光を宿している。

「こちらの屋敷での身の回りのお世話は、こちらのふたりが、主にたずさわります。もちろん、俺もいますけど。紫輝様、なんなりとお申し付けください」
「え、でも、龍鬼が怖いんじゃないの?」
 すみれを見て言うが。
 頬を赤らめた彼女に代わり。大和が言った。

「いえ。安曇様の伴侶に、思いがけずに遭遇して。恐れ多くて、固まったのかと」
「あぁ、それで、奥方とか言ってたのか? ええぇ、なんか照れちゃうな。そんな固くならないで。俺は天誠のお兄ちゃんだから。怖くないよ」

 フレンドリーな空気感で、紫輝は笑顔を意識して言うが。
 大和は残念そうに首を振る。

「…紫輝様。それは余計、怖いかと思います」
 安曇の兄だなんて、安曇を知っている者にとっては呪禁じゅごんに匹敵する恐ろしい言葉だ。

「朝食を終えたら、幹部の方々は、すぐに出立するということなので。紫輝様、そろそろ居間の方へ」
「そうだね。じゃあ、すみれちゃん、橘くん、これからどうぞ、よろしくお願いします。またね」

 大和とともに去っていく、紫輝の後ろ姿を見送り。
 すみれは、橘に感想を述べた。
「普通の男の子ね。安曇様のように威厳があったり気品があったり、美丈夫なのかと思っていたわ」
「だが、可憐だ」
「えぇ、可憐ね。あと、気さく。そして大和がべったりだわ」
「べったりだ。殺されないといい」
 橘は口数が少ないが。

 殺されないと、の主語が安曇なのは、すみれに、ちゃんと伝わった。

     ★★★★★

 早めの朝食をとった一行は、馬で本拠地に向かう。
 本拠地まで、距離はあるが。ほぼ平坦で、道は下っていくので。河口湖からここまでの道程よりも、早く目的地に到着できるそうだ。

「紫輝、落ち着いたら屋敷へおいで。御馳走作るからな」
「あぁ、俺も。紫輝、本拠地で遊ぼうぜ。誘いに行くからな」
 月光の別れの言葉にかぶせて、幸直が言うが。
 月光に却下されてた。

「幸直は駄目でーす。赤穂様の許可を取ってから、出直してくださーい」
「えぇ、ひでぇよ、側近」
 ふてくされた幸直に代わり。
 井上がズイッと前に出た。

「間宮くん。最後に…ライラ様と抱っこを…」
 でも、ライラ剣が紫輝の背中でガタタッと震えたので。ライラ様には振られたようだ。
「また今度、と申しております」
 にっこり笑って、ごめんなさいした。

「紫輝、私がいない間、千夜を頼む。雑務を片付け、ニ、三日…遅くとも一週間後には、ここへ戻るつもりだ」
 廣伊は第五大隊長だ。今回の事件では、聴取や兵の補充や隊の立て直しや、やることは山積みだろうと、一兵士の紫輝でも考えつく。
 一週間でも足りないくらいだと思うが。
 廣伊は戻ってくるのだろう。千夜のために。

 紫輝も。一般兵士は、前線任務明けの三週間ほど、休暇を貰える。
 その後、冬の間は交代制で、休みが貰えるようなのだが。
 紫輝の休暇は、千夜の看病で使い切った。
 十一月には、紫輝も、本拠地に一度は顔を出さないとならないだろう。
 班長なのに、野際に最後の最後で全部任せてしまったのも、気になる。

 千夜のことは、廣伊と紫輝の休暇を、うまく、交代交代にして看られるといいと、考えていた。
「わかった。廣伊、道中、気をつけて」
 廣伊と千夜は、ただ、目線だけで挨拶し。
 紫輝と千夜と大和は、屋敷の前で、彼らを見送った。

 気がゆるんだのか。千夜は、屋敷の詳しい案内をしていた最中に、熱を出して。寝込んでしまった。
 やっぱり、まだ本調子じゃない。
 当たり前だ。腕を斬られてから、まだ一ヶ月経っていないし。
 移動はそれなりに、体に負担がかかる。

 井上には、そばにいてもらいたい気はあったけれど、彼は軍医だから。
 患者は千夜ひとりじゃないからな。仕方がないのだ。

 千夜の容体の管理は、大和がした。
 彼は天誠から、医学の知識も学んでいたようで。以前の世界での、医療の常識みたいなものも知っていた。
 清潔に保つことの重要さ、とか。
 煮沸消毒、アルコール消毒なども。
 薬も、井上が置いていった鎮痛剤を、多量に服用しないよう管理してくれて。
 マジですごいです。

「すごいのは、この知識を授けてくださった、安曇様ですよ」
 洗濯済みの包帯を、さらに鍋で煮ながら、大和は紫輝に教えてくれる。
 そうなんだ。うちの弟、本当にすごいんです。
 そう、弟がすごいのであって、自分はすごくない。

 だから、大和やすみれや橘に、頭を下げられるのは違うと思う。
 大和にも、紫輝様と呼ばれるたびに、なんか申し訳ない気になるのだ。そう言ったら。

「紫輝様も、すごいに決まっているじゃないですか。たとえば。俺、紫輝様のそばについてから、何回か失態をやらかしているんですが。ここで今、生きていられるのは、紫輝様のおかげです」

 うーん、よくわからない。

 紫輝は眉間にしわを寄せて、大和をみつめる。
「貴方は、存在するだけで、世界を救っているのです」
「それは、嘘だよね?」
「マジです」
 紫輝賛辞がはなはだしい大和に、これ以上言っても無駄だと思い。
 なまぬるい笑みだけを投げかけておいた。

 おかしいな。大和はいつから、こんなになっていたのだろう。
 出会った当初は、もう少し、様子見感や値踏み感があったのだが。

 そんなこんなで二日目は過ぎ。天誠が会いに来ると言った三日目になった。

     ★★★★★

 千夜の熱は下がったが。痛みがあるのか、常に眉間にしわが寄っている。
 口数も激減し…。そりゃそうだ。痛いときに、会話なんかできない。
 食欲も少なくて、朝食をだいぶ残してしまった。

 廣伊が戻ってくるまでに、なんとか体調を整えてあげたいな。
 ひとりにしてくれと、頼まれたけれど。
 やはり、痛みのある中で、ひとりにするのは怖いので。
 大和に。部屋の外だが、気配はわかる場所に、いてもらって。紫輝は離れた。

 紫輝は、屋敷の敷地内の、村が見渡せる場所に立った。
 大和は、村を見学しても大丈夫ですよ。と言うのだが。
 龍鬼だと言って、石を投げられたり、嫌悪の目で見られたり、そういうつらい時期を経てきたから。なんとなく村人に遭遇するのが怖かった。

 段々畑の手入れをするおじさんや、村の通りを歩いているおばさんや、子供たちの遊ぶ声、牛や馬の鳴き声、そんなものを、遠目から、見て、聞いて、感じている。

「ここは、俺が紫輝のために作った村だ」
 後ろから抱きつかれ、頭のてっぺんにくちづけられた。
 馴染みのある美声。

 天誠が来てくれた。

 彼の体温を身近に感じるだけで、濃厚なハチミツみたいに、甘い、幸福感に満たされる。
 甘い…久しぶりにアイス、食べたい。

「以前、手の中の小鳥の話をしたな? 外敵に襲われず、飢えることもない。でも、光が差さない空間。兄さんの笑顔が失われるかもしれない空間。この村は、俺の手の中の空間だ。ライラの能力を知るまでは、紫輝と、この場所で暮らそうかと考え、作った箱庭。紫輝? この鳥籠とりかごに囲われてくれるか?」
「え? いや、それはもちろんイエスだけど。待て待て。俺は、光の差さないというのは、納屋に閉じ込められるとか、窓がない場所とか、そんなのをイメージしてたんだけど。この村で自由にできるの? 充分じゃね?」
 バックハグされてて、天誠の顔が見えないのだが。じたばたしていたら、天誠が上から紫輝の顔をのぞき込んできた。

「俺が、兄さんを、そんな不自由な目にあわせるわけない」
 心外だ、という顔をする弟に。
 紫輝も、小難しい顔をして見せる。

「いや、だから。最初からここで良かったんじゃね? って言ってるんですが」
「うん。良かったんだけど。隠し通す自信もあったんだけど。紫輝を、本当の両親に会わせてやりたかった」

 心臓が、ギュッと握られたみたいになった。

 紫輝は最初、己の本当の両親に会うことをためらっていた。
 龍鬼である自分を、受け入れてもらえないだろうと思って。
 でも、天誠は、自分以上に自分のことを考えてくれるのだ。

 赤穂と月光と会った紫輝は、ふたりが龍鬼の己を愛してくれる人たちだと知る。
 天誠もおそらく、彼らが紫輝のことを探しているのを知っていて。
 彼らにチャンスをあげた。
 親子で心を通わせる機会を。

 まぁ、そこにたどり着くまで、結構大変で。いっぱい泣いたけどね。
 主に、天誠に泣かされたのだが。

 それでも、紫輝が家族と出会うきっかけを用意してくれたのだから。感激ではある。
「それだけじゃなくて。戦も終わらせたかった。結局、戦が終わらなければ、紫輝は一生、隠れ住むことになる。今、紫輝は。この村を大きいと思い、暮らすのには充分だと思っているかもしれないが。どうしても、隠れているという閉塞感からは、逃れられない。根本から直さないと、死ぬまで心労は続く。そんなの嫌だろ?」 
「うん。今は考えられないけど。いずれ嫌になるのかな?」

「もうわかったと思うが。紫輝は将堂の血脈だ。そして俺は手裏のトップにいる。うまく立ち回れば、終戦できる」
「俺と、天誠で?」
「そう。俺と、兄さんで」

 右耳に甘い低声を吹き込んで、天誠は横からのアプローチで、紫輝にくちづけた。

 紫輝は。途端に緊張した。
 三日前は、ぐちゃぐちゃに泣いて、わけがわからないままキスしたけれど。
 今は、なんだか久しぶりに感じる、恋人同士がするみたいな、柔らかいキスで。
 こ、恋人のっ。

 腕の中で、がっちり固まってしまった紫輝を。
 天誠は、彼の腕や腹を撫でて、緊張をほぐし、バードキスであやす。
 まだまだキスに不慣れな初心な恋人に、天誠は笑んでしまう。

 エロい紫輝も好きだが。初恋の甘酸っぱさも嫌いじゃない。

 でも、まぁ、本題が残っているので。
 いつまでも唇をくっつけていたいけれど。二センチ、距離をあける。
「心置きなく、家族で暮らすために。今日は、終戦への道の第一歩だ。紫輝。大物を片づけに行こう」
「大物?」
「望月を、そして高槻を、手中におさめる」
「千夜を? なんで? どうやって?」
「俺と紫輝がタッグを組んだ、第三勢力を作るため。望月が手に入れば、高槻も従う。まぁ、まずはここまで。うまく行くかは、兄さん次第だ」

 自分が、千夜を説得するということか? と思い。紫輝は怖気づく。
 でも、天誠がここまで言うのだから。自分もなにかをしないと。

 天誠は、ふわっとした計画は立てないから、なにか彼を説得できる材料を持っているのだ。
 手を引かれるまま、紫輝は天誠とともに千夜の部屋へと向かった。

     ★★★★★

 千夜の部屋の前には、大和が控えていて。頭をサッと下げ、道を開ける。
 紫輝は、千夜に声をかけてから部屋へ入った。
 すると、千夜は奥歯を噛み締め、布団の上で、痛みにひとり、耐えていた。

「痛ぇ。紫輝、なんでだよ? 右腕が…ないのに。指先が痛ぇんだ。強く、痺れて…耐えられねぇ」
 千夜が弱音を吐くなんて、相当な痛みに襲われているのだ。
 紫輝は彼に駆け寄り、左の肩の辺りを撫でる。
 気休めだが…少しでも痛みを和らげてあげたくて。
 手当てと言うだろう?
 それに今の千夜の症状は、以前の世界のドラマで、そういう場面を見たことがある。

「う、腕を切断すると、そういう症状が、まれに出るみたい。脳が、なくなった腕がまだあると錯覚して…幻肢痛って言うんだけど…あぁ、どうしよう。痛いよね? 薬を…。天誠、今日は無理だよ。千夜がこんなに苦しんでいるし」
「苦しんでいるから、助けてやるんだろう? 紫輝」

「誰だっ」
 今、部屋に天誠がいると気づいたようで、千夜は顔をあげた。
 そして、みるみる目を丸くする。

「お、まえ…安曇眞仲? え? でも羽が…」
 天誠は無遠慮に、ずかずかと千夜に近づくと。甚平の胸倉を掴んで引き寄せた。

「そうだ。安曇眞仲だ。随分痛そうだから、早めに片をつけてやる。その腕を治す。交換条件は、我らの言うことを聞くと約束すること。もし約束を違えたら、殺す」
「天誠…言い方」
 あんまり邪悪っぽいオーラを出すものだから、紫輝はつい、ツッコんでしまった。

「紫輝…おまえ、手裏と通じていたのか? 俺たちを、裏切って…」
 いきり立つ千夜を、天誠は冷たい目で見下ろし。
 でも薄笑いは浮かべている。

「おまえは、将堂を除隊したのだから、そんなことはどうでもいいだろう? とはいえ、紫輝は裏切っていない。俺は紫輝に、メロメロな男なんだよ。だから、紫輝の大事なお友達のために、こうして助け舟を出してやったんだ。紫輝に感謝しろよな? 望月千夜」

 軽い言い回しだが。千夜を見る、切れ長の目に、底光りする黒い瞳。
 おとなしく我らに従え、という強烈な威圧を感じ。
 千夜は、ひやりと背筋に汗をかく。

「お、おまえたち…いったい…」
 どうして、どういうわけで、ここに安曇がいるのか。
 紫輝とは、どんな関係なのか。

 考えたいが、痛みで頭が回らない。
 それほど頭脳派でもない。むしろ感覚で動いてきた千夜に、この目の前の問題は難しすぎた。

「俺たちには、固い絆があるのでな。まぁ、その辺りは、あとでゆっくり説明してやる。どうする? 腕を治すのか? 治さないのか?」
「治すに、決まってんだろ」
 敵か味方か、わからない。そんなの、考えられない。
 だけど。腕が治るなら、なんだっていい。
 この痛みから、逃れられるなら。
 廣伊の前で、笑えるようになれるなら、なんだって。
 そんな気持ちで、千夜は奥歯を噛む。

「だが…廣伊は殺せねぇ。もう。それだけは…」
 痛みに霞む頭ながら、千夜は本能で、できないことを訴える。

「はっ、紫輝が、そんな無体な条件、つけるわけがないだろう。安心しろ」
 鼻で笑って、安曇が告げる。
 そうか。先ほど安曇は我らと言っていた。
 条件付けの中に、紫輝の意志が入るのなら。できないことは言われない。
 どんな条件になるのかはわからないが。廣伊を殺す以外のものなら、なんでも従う。

 そうして千夜はうなずいた。
「よし。次は、紫輝の番だ」
 急に天誠に言われ、紫輝はきょとんとする。
 なに? なんの番?

「紫輝の加護を与える。龍鬼の能力を使うんだ」
「お、俺はまだ、龍鬼の能力は使えないんだ」
 おどおどと、紫輝は天誠に訴える。
 努力はした。
 陰でこっそり、なにかできないか、試してみたが。うんともすんとも。
 廣伊の、小さな花芽が出るやつ、あれ以下。
 なんにも出なかった。

「なに言ってんだ? 使えるだろ。『らいかみっ!』も。普段の敵を倒すのも、おまえの能力だろ」
 かすれた声で、千夜が苦しみながらも言う。

「違うんだ。あれは、ライラが…」
「雷が落ちる、あの紫色は、おまえのものだろ。あの能力で、どうすんのかはわからねぇが。おまえが能力を使えないっていうのは、違う。だろ?」
 確かに『らいかみっ!』は、ライラと紫輝の能力、半分半分。
 でも、ほとんど無意識なのだ。
 コントロールしているのは、ライラのような気がする。
 そう思い。自信なんか湧かない中。
 天誠が紫輝の頬を両の手で包んで、みつめる。

「紫輝っ、よく見ろ。俺を、見るんだ。周りに紫色が見えるか?」
 自信がなくて、揺れる眼差しを。天誠の強い瞳の光が、捕える。
 彼の黒い瞳の中に、己の情けない顔が映っている。
 紫輝は気を引き締めて、しっかりと彼をみつめ。そして、見る。
 見える。
 紫色の、薄いベールのようなものが、天誠の体を包んでいる。

「見え、た。紫の、ベール」
「それが、紫輝の加護だ。これがあったから、俺とライラは、この世界に、支障なくいられているんだ」

 加護。と天誠に言われ。紫輝は思い出した。
 廣伊が、アロエを井上にあげたことを。
 廣伊が生み出した巨大アロエは、廣伊が能力を止めたことで、枯れて散った。
 だが、井上にあげたアロエは、生きていて。緑色に光って見えた。
 そのときに思ったのだ。だと。

「紫輝の能力は、時間を操るものだ。望月の、その腕の部分の時間を巻き戻す」
「そんな…もし、失敗したら…」

「失敗してもいい。どうなってもいい。頼む、紫輝」
 たとえ、死んでも。
 この状態から逃れられるのなら。なんでも試したい。
 そういう気持ちを、紫輝は千夜から感じた。
 それだけ、彼は追い詰められている。痛みに苦しんでいるということだ。

「助けたい。千夜のこと、助けてあげたい。でも、どうしたら…」
「イメージしろ。望月の腕を。躍動していた、彼の腕。紫輝の頭を撫でた、あの腕。全部、脳裏に浮かべる」

 そばで、天誠が紫輝をいざなう。
 練習はしながらも、能力を出すことを、怖いと無意識に思っていた。

 もし、天誠のいない場所で、自分だけがどこかに飛んでしまったら。
 また、天誠と離れてしまったら。
 そんな恐れが、胸の奥にはびこっていた。

 でも、今なら天誠がそばにいる。
 もしも間違って、どこかへ飛んでしまっても。天誠と、背中にいるライラは、一緒に行ける。
 今なら、能力を出しても良い。

「天誠。絶対、俺から離れるな」
「無論だ。二度と兄さんを離さない」
 天誠に一度笑いかけ。紫輝は集中した。

 千夜の腕。千夜の腕…。

     ★★★★★

 目をつぶって、千夜の腕のイメージをしていた。
 だけど、なにやら暑いと感じて。紫輝は目を開ける。

 そこは、千夜の部屋ではない。
 でも見覚えがある。
 前線基地の、いつも紫輝がご飯を食べていた、秘密の庭だ。

 強い日差しを受け、輝く鮮やかな木々の緑色が、夏の彩り。
 今はもう、十月の末なのに。

 気温も高い。汗をかきそうなほどに。
 紫輝は、額を手の甲で拭う。

 そこには、ひとりでいた。
 千夜の部屋に、いたはずなのに。軍靴を履いて、樹海の地面を踏みしめている。
 もしかして、ひとりで飛んでしまったんじゃないか?
 慌てて、ライラ剣を後ろ手に掴もうとするけど。
 柄がない。紫輝は泣きそうになった。

 嫌だ。ひとりは、もう嫌だ。
 じわりと目が潤んだ、そのとき。

「せんにゃっ!」

 ライラが叫んだ。
 ライラ、いた。いたっ。良かったっ。

 すぐさまライラに駆け寄ろうとした。
 そうしたら、ガサガサと草を踏みしめる音がして。

 誰かが来る。

 薄暗い、樹海の木々の合間から、千夜が現れた。
 彼の瑠璃の瞳が、紫輝を捕えると。ニヤリと笑う。

「紫輝。廣伊が呼んでるから、行くぞ」
 日差しに当たると、きらりと光る、メタリックブルーの髪が、目にまぶしい。
 胸板が厚く、二の腕もがっしりとした、体格の良い男前…。
 つか、腕ある。

 千夜は軍服を脱いで、腰に巻きつけている。つまり、防具だけを身につけて。タートルネックのノースリーブを着ているみたい…と。以前、思ったことがある、な?

「なんだよ、腕出して…筋肉自慢かよ」
 少しおどおどしつつ。言うと。
 千夜は、あのセリフを言ったのだ。

「暑いんだよ。もう九月なのに。なんでまだ、こんなに暑いんだ?」
 千夜は手のひらで顔をあおぎ、さらに羽もバサバサさせた。
「革の防具だけで、充分暑いっつうの。もう、無理無理」

 やっぱり。このやり取りは覚えがある。
 ここは、九月に入ったばかりの、前線基地だ。
 紫輝は目の前にある千夜の腕を、凝視する。

 剥き出しの腕、筋肉が汗で光り。陰影を強調し、腕の健康的な盛り上がりが格好いい…と、当時も思ったのだ。

「あれ? おまえ、いつもの紫輝じゃねぇな?」
 あのときとは違うセリフに、紫輝は驚いて、千夜を見上げる。

「どうしたんだよ。迷子か? あぁ、紫輝に迷子はおかしいか。ん? なにか用か?」
 そこにいるのは、いつもの千夜。
 いや、腕を失くす前の、元気な千夜。
 この千夜に戻ってほしくて。千夜を助けたくて。紫輝はここに来た。

 困惑していたけれど、紫輝は、そう、思い出した。
「千夜が、怪我をしたんだ。う、腕を、切断しちゃって…」
「はぁ? 切断? 馬鹿な。俺がそんなヘマするわけねぇだろ」

「廣伊をかばったんだよ」
 そう、紫輝が言ったら。
 千夜は押し黙って。横を向いた。

「なら、仕方ねぇ。廣伊は無事か?」
「無事だよ。千夜が守ったんだ。無事に決まってる」
 その言葉に、千夜はニヤリと笑い。
 ふふんと、楽しげに、歌うように言った。

「だろうな、さすが、俺。いいぞ。持ってけ」
 紫輝の目の前に、千夜は右腕を突き出した。
 持ってけって…これを、持っていくの?

 紫輝が不思議そうに、千夜を見やると。
 彼はご機嫌な様子で。あの、犬歯を剥き出しにする、最高の笑顔を見せた。
「廣伊を守ったんだろ? 未来の俺に、ご褒美だ。な?」

 紫輝は、千夜の腕を見やる。
 少し汗ばんだ、筋肉の美しいおうとつ。その肩の付け根から、二の腕、肘、手首、指の先まで、紫輝は両の手のひらでたどっていった。

 すると、まぶしい光がふたりを包んで。なにも見えなくなった。

     ★★★★★

「おおぉっ…」
 紫輝の、両の手のひらから、光があふれ。千夜の右腕を形作る。
 光がおさまったときには、千夜の右腕は、元通りに。
 あの夏の日。千夜から貰った腕、そのものが。
 甚平を着る、現在の千夜の右腕の、そこにあった。

「い、痛くねぇ…嘘だろ」

 布団の上に座る千夜は、おそるおそる、手を握って、開いてみる。
「感覚もある。まさか、本当に…腕が、治った…のか?」

 千夜は、腕が治ったのだと思っているようだが。
 紫輝の目には、腕が紫色に光っているように見えている。
 天誠にかかる、薄いベールのような加護とは、別物。それそのものが、紫なのだ。

「天誠、失敗したかも…天誠のと、違うみたい」
 恐れおののいて、紫輝は声を震わせてつぶやく。
 だが天誠は、優しく紫輝に笑いかけてくれた。

「大丈夫だ。ちゃんとうまくいった。ただ。その腕そのものが、紫輝の加護なだけだ。無くなった物は、本来、そこにない物。ここにあるのは、時間を巻き戻した腕だ。おそらく、この右腕だけ、時が止まっているのだろう」

 それが、紫輝には違和感に見える。
 いけないことをしてしまったんじゃないか、という気になる。
 でも、紫輝は。どうしても千夜を助けたかったのだ。

「ごめん、千夜。俺の我が儘で、千夜は普通の人生を歩めなくなってしまったかもしれない」
「つまり、化け物になった? ははっ、化け物上等だ。紫輝の加護? 時間が止まった? そんなのどうでもいい。自由に動かせる、この腕があるなら。痛みが、ないのなら」

 健康な腕を取り戻せたことに、千夜は興奮し、笑いを漏らすが。
 紫輝には聞こえていなかった。
「ごめん。千夜、ごめん」

 いつまでも謝りながら、紫輝は意識を失う。
 というより、深い眠りについた。

 倒れ込む紫輝を、天誠は支え。ひとつつぶやく。

「消耗が激しすぎる。この技は、もう使わせない」
 天誠は、紫輝の小さな体を柔らかく抱き締めて。まぶたの開かない目の際に、愛しげにくちづけた。

 紫輝が、あまりにも悲しげで、心を痛めているから。なんとかしてやりたいと思ってしまったのだ。
 それに、紫輝の能力も取り戻してあげたかった。
 紫輝が、己の能力をコントロールできるようになれば。
 彼がひとりでどこかへ行くこともなく、行ったとしても、戻って来れる。天誠をひとりにすることはなくなる。
 そんな気持ちもあった。

 けれど、それで、紫輝の命が脅かされてしまっては、本末転倒だ。
 失敗した、と天誠は思った。
 やはり。
 愛する者の前でだけは。自分は、無能で愚かだ。

「し、紫輝? 紫輝は、大丈夫か?」
「あぁ。眠っているだけだ」
 大事な宝物を抱えるように、紫輝を腕の中におさめる安曇を見て。
 千夜は。安曇が、もしかしたら紫輝を利用しているんじゃないかと、疑念を持っていたのだが。
 彼らの様子を見て、違うのだと感じた。
 固い絆がある、などと言っていた。
 このふたりの関係は、いったい…。

「化け物上等、と言ったが。文字通り、おまえは化け物だ。一度切断された手が、生えているのだから。腕が治ったとしても、将堂軍には戻れない。わかるな?」

 千夜は、安曇の言葉にうなずくしかなかった。
 今は、腕はもう痛くない。
 以前と同じように生活できる。
 けれど、廣伊の隣には並べないのだ。
 この屋敷の中で、村の中で、過ごすしかないのかもしれない。

 痛みがなくなっただけでも、感謝しなければならないというのに。
 人間の欲は、際限がなくて。
 元に戻ったら、廣伊の背中を守りたいなんて、すぐ考えてしまって。
 紫輝に、申し訳ないと思った。

「で、条件だが。あらゆる場面で紫輝を守ること。それのみだ」
「え。だが。俺は将堂には戻れねぇ」
「だから、隠密の修業をしてもらう」
 隠密の技能は、千夜はある程度、取得している。
 しかし、使えないから。暗殺者として生きていたのだ。
 彼の要求を、自分は遂行できないかもしれない。
 腕を治してもらったのに、それではあまりにも不義理だと思い。千夜は素直に内情を明かした。

「…俺は、暗殺者として育てられた。隠密の修業も、少なからずしている。しかし、この髪や翼では、どうしても隠れきれなくて」
「隠密は、必ずしも隠れなくていい。大和」
「はい」
 音もなく、大和が安曇の背後にいた。
 いつの間に?
 そして、まさか、大和が?

「大和は、俺が紫輝につけた、隠密だ。隠密というのは、ここぞというときに認知されなければよいのだ。ときに食事の配膳係、ときには農夫となり、生活に溶け込む。そしていつの間にか、いなくなる。それができれば、隠密と言える。まぁ、腕が生えたおまえには、隠れてもらわなければならないがな。しばらく大和について、隠密の修業をし直せ」

「大和がいるのに、俺もつけるのか?」
「そうだ。大和は表の隠密。戦場で、生活圏で、紫輝を守る。望月は裏の隠密。これからは、情報集めが肝になる。陰ながら紫輝を守り。ときには、紫輝から離れて情報を集める…余裕があるなら、高槻を守ってもいいぞ。紫輝にくっついていれば、高槻もそばにいるだろうからな」

 千夜の瑠璃の羽が、ブワッと開いた。
 廣伊を守ってもいい?
 それは、破格の報酬。
 腕を治してもらって、廣伊のために生きたいと思った、己の願いまで叶えてくれるなんて。出来過ぎだ。

「それは…俺が、良い想いをし過ぎでは?」
「どうかな? ない腕を抱えて、死んだ方がましだったと思う日が来るかもしれないぞ」
 安曇は大和を見やり。大和は、心なしかげっそりと、頬を削げ落している。
 そんなにつらい修業とは?

「虫がいいかもしれないが。もし廣伊が紫輝と対立しても。俺は廣伊を殺せない」
「いいぞ。だが、紫輝は守れ。それが対価だ。紫輝を守り切れるなら、高槻から逃げてもいい。おまえが囮になって死ぬのもいい。ただ、おまえが死ぬより先に、紫輝を殺されるな、ということだ」

 安曇の口添えに、千夜はうなずく。
 廣伊と対峙せずに、逃げる選択肢もあり、ということか。
 ならば、できそうだ。
 廣伊と対峙しないで済むのに、越したことはないが。
 とにかく、自分が死ぬまで、紫輝の命を守り抜く。
 対価でなくても、恩ある者の命を守るのは、当然のことだ。
 まぁ、死よりも恐ろしい修業が待っているようだが。

 強くなることに執着がある千夜には、むしろご褒美であった。

 千夜は、居住まいを正して、その場に正座し。
 安曇と、眠る紫輝に頭を下げた。

「謹んでお受けいたします」
「…紫輝が寝ている間に、昔話をしてやる。俺と紫輝の関係について。そして、その後の展望までをな」
 そこで千夜は。
 時を操る龍鬼である紫輝が、三百年前に飛んで、天誠と兄弟になったこと。
 紫輝が、この世界に来てからの顛末。
 終戦に向けての道筋。
 紫輝が命を懸けて守るべき存在であることなど。安曇にすべてを明かされた。

 すべてを知って…千夜はやはり、深く頭を下げたのだった。

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