【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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番外 賢龍、安曇眞仲 2   ★

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     ◆番外 賢龍、安曇眞仲 2

 深く眠っている紫輝を横抱きにして、眞仲は屋敷の本棟に戻った。
 ここが、紫輝とライラとともに暮らす、俺たちの家だ。
 大和が寝室のふすまを開け、頭を下げる。

 眞仲は彼に命じた。
「大和。すぐにも望月の修業を始めろ。体が衰弱しているうちに、もう一度、死の際まで追い込め」
 究極の状況で、どういう行動をとるかによって、優秀な部下になりえるのかが決まる。
 腕は治ったものの、発熱などで体力を消耗している今は、鍛錬の絶好の機会だった。

 本調子になるまで休ませるなんて、もったいない。

「えぇ、優しいじゃないですか。一度でいいのですか?」
 本来なら、二、三度、追い込みたいところだが。まぁ、紫輝のお友達だから、少し容赦してやる。
「あれはエムだから喜んじゃいそうだ。それより、今回は早さ重視だ。高槻が戻るまでに仕上げろ」
「了解。…エムってなんですか?」
 眞仲が目線で行けと示すと。
 不満を見せつつも、大和は消えた。

 寝室に、眞仲は足を踏み入れる。
 十五畳ほどの広さの部屋に。同じ大きさの寝台がふたつある。

 ひとつは、紫輝と己が寝ても、なお余裕があるほど大きいサイズの、天蓋付きベッド。
 薄地の布で外界をさえぎることもできる。
 紫輝は、情事をライラに見られたくないようなので。そこに配慮して作ったものだ。

 もうひとつは、ライラ専用ベッド。
 大きなライラが足を伸ばして寝れる仕様だ。

 丁寧な所作で、天蓋付きベッドに紫輝を横たわらせると。
 眞仲は、紫輝が背負う鞘ごと、ライラ剣を外した。

「ライラ、出てきてくれ」
 ぐるりと回って、獣型になったライラは。
 若干の垂れ目を、さらに情けなく垂らして、眞仲をみつめる。

「紫輝は…兄さんは、大丈夫なのか?」
 心配と、恐れをにじませ、聞く眞仲に。ライラは告げた。
「生気は、だいぶうすいわぁ。でも、でも、寝て、起きれば、だいじょうぶ。そういうものなの」

 寝ることによって、激減した生命エネルギーは充填されるということか。
 なんにしても。命を削るような能力は、使わせられないな。
 らいかみっ! 二回分より消耗するなんて。許容できない。

 眞仲は、紫輝の鞘と、己の刀を刀掛けに置き。寝台に乗って、山積みに置いてある枕を背に、ベッドヘッドに寄り掛かって座る。
 己の太ももを枕にするよう、深く眠る紫輝を引き寄せた。
 そばにいるのだ。ずっとくっついていたい。

 すると、当たり前のように、ライラも寝台に乗ってこようとするので。
 チッチッと舌打ちした。

「ダメダメ。ライラは、向こうに専用ベッドがあるだろ?」
「あたしも、いっしょにねたいわぁ」
「小さくなるならいいぞ」

 ライラは。眉間にしわを寄せて、ものすごく嫌そうな顔をした。
 薬を飲まされたあとのような。

「いやぁよぉ。小さいの、なんだか、きゅうくつなのだもの」
「大きなままじゃ、入らないだろ。大きいままなら、あっちのベッドだ」

「てんちゃんは、いじわるねぇ」
 それでも、紫輝のそばにいたかったようで。
 ライラは小さくなって。というか、元のライラのサイズになって。寝台に上がった。
 むかついたらしく、眞仲の太ももで、爪を研いだ。
 服地に爪を食い込ませるが、肉に爪がかするから、地味に痛いやつ。

「痛い、痛い。ライラ。おまえ、なんで俺には、そんなに雑な対応なんだ?」
「しずかに。今、あたしはしんけんなのよぉ」
 爪とぎのあとは、揉みだした。
 眞仲が憑依しているわけでもないのに、キリリとした職人顔をしている。
 揉み終われば、満足して寝るので。眞仲はライラの好きにさせておいた。

 己の足の上に乗る、紫輝の頭を。そっと撫でる。
 見れば、見るほど、可愛く見える。
 黒々として。ところどころ跳ねている髪は、黒猫の耳。
 今は閉ざされて見えない、黒い瞳は。黒曜石のごとくきらりと輝き。
 それは命のきらめきのよう。
 鼻は高くはないが、その控えめな感じが清楚に見え。
 小さな唇は、ひとくちで食べてしまいたい。

 そう思いながら、眞仲はひとつひとつ、紫輝のパーツに指をすべらせていった。

 以前は、紫輝の方が兄で、それでも可愛いとは思っていたけれど。年上だから。可愛いより、好きだという想いの方が強かった。
 でも今は、年齢のせいなのか。あどけない紫輝が、可愛くて仕方がない。
 抱き締めて、包み込んで、ひとり占めしたい。
 本当は、誰にも見せたくない。

 可愛い、凛々しい、大好きな兄は、俺だけのもの。

 己の欲を優先すれば。この村の中で。ふたりだけの空間で。ずっと過ごしていただろう。
 でも、それでは。
 兄は優しいから、なんでも弟の気持ちを優先してしまう。

 しかし紫輝が、紫輝自身の幸せを追求できないのは、駄目だから。
 狭く、小さな世界で、気持ちをおさえて生きることになってしまうから。
 眞仲は考え直したのだ。
 なにが、紫輝の幸せにつながるのかを。

 あぁ。なんでこんなにも、紫輝が愛おしく、欲しいと思ってしまうのか。
 それこそ、初めて紫輝を目にした瞬間から、眞仲はその気持ちに支配されていたのだ。

     ★★★★★

 四歳の天誠は、金髪碧眼の、愛らしい容姿で。まさに宗教画の天使が現実世界に現れた、と世間に騒がれるほどだった。
 一般の家庭ならともかく、天誠の両親は芸能人。
 子供の顔出しはNGだと通達しても、心無いパパラッチにすっぱ抜かれ、写真が流出してしまうこともしばしばだった。

 そんな天誠だったから。
 会う人会う人、目を細めて、可愛いを連呼するのだった。

 だから、新鮮だったのだ。
 自分を目に映しても、なにも反応しなかった紫輝が。

 突然、庭に現れた紫輝は。そのとき、本当に天誠を見ていなかったのだ。
 記憶を失い、ぼんやりとしていたから。
 でも。そんなこと、天誠には関係なくて。
 とにかく、可愛いその子の気を、引きたくてたまらなくなったのだ。

 その気持ちが、初恋なのだと。天誠は小学校に上がる前には、気づいていた。

 縁あって、己の兄となった紫輝。
 きらめく、その瞳に、自分の姿を映して欲しかった。
 笑いかけてほしかった。話しかけてほしかった。
 でも、心を閉ざしていた紫輝は。なかなか家庭環境に馴染まなくて。
 天誠がどんなにアプローチをかけても、しばらくは反応すらしてくれなかったのだ。

 天誠を認識する前に、紫輝が反応を示したのは、ライラだった。
 ライラに先を越された…。
 それは、天誠の胸の中に残る、痛い記憶だ。
 ライラを抱っこして、ベッドで眠る紫輝を見たとき。
 天誠は。ライラがうらやましすぎて、マジで悔し泣きをしたのだった。

 間宮家に紫輝が引き取られて、半年くらいが経った頃。
 紫輝はようやく、天誠を弟だと認識したようで。笑いかけてくれた。
 そのときの感動たるや。
 齢四歳にして、心臓が止まって死ぬかと思った。
 笑ったら可愛いだろうな、と思っていた、百倍可愛かった。
 瞳に己を映し込み。桃色の丸いほっぺが、柔らかそうに動いて。己に笑いかけたのだ。

 ヤバい、ヤバい。
 感激のあまり、ギュッと抱きついたら。泣かせてしまった。

 家に来たハリウッドセレブから、高級なおもちゃをプレゼントされるより。
 紫輝が、食べかけのケーキをスプーンですくって、自分に差し出してきたときの方が、断然嬉しかった。
 体に震えが走るくらいに。
 あーん、と口を開けて、スプーンをくわえる。
 紫輝から貰ったケーキを食べ、こちらが喜んでいるというのに。
 紫輝も満足そうな、どこか得意げな顔で笑うから。
 好きになっちゃうよ。四歳なのに、胸がキュンキュンしたよ。

     ★★★★★

 そんな、幼い頃から愛してやまない、紫輝と。離れ離れになって。
 二二九五年。眞仲は十九歳になった。

 ひょんなことから、黒の大翼を手に入れ。手裏家を掌握した眞仲は。不破と銀杏とともに、西側の権威を獲得する。
 しかし。翼を手に入れたことにより、三百年前にばら撒かれた人類遺伝子を破壊する薬物、その影響による体の不調はなくなったけれど。
 紫輝はどうなのだ?

 眞仲は、本当に死の際まで追い込まれた。
 紫輝も、現在、同じ症状で苦しんでいるのではないか?

 心配だった。
 そして、兄の死をも脳裏をよぎり。苦悩の日々が続く。
 けれど、紫輝をみつけられないまま、容赦なく時間は流れていった。

 眞仲と不破と銀杏は、普段は黒マントをかぶり、手裏家総帥の手裏基成とふたりの龍鬼という体裁で、行動している。
 しかし、手裏の黒の大翼を持つ者は、眞仲だけなので。
 眞仲は基成として、公の場に出る機会が増えている。

 宴席などで、古狸の幹部たちに、手裏基成は歓待される。
 本物の手裏基成は、十六歳になっても、初陣に出なかったことから。幹部たちに顔が知れていなかったので。容易に成り代われたわけだが。
 古狸はいやに、基成に女性をあてがおうとした。
 己の手の者を、基成につけて、己の地位をあげようと目論んでいるのか。
 手裏家に食い込もうとしているのか。どちらにしても…。

 女性が、基成にしなだれかかってきたとき。
 女も幹部もうぜぇ、と思ってしまった。
 すると、羽が。無意識にバサリと動いたのだ。

「基成様は、この女性が気に入りましたかな?」
 いやらしい笑みを浮かべる幹部も、優越感に微笑む女も。

 ただただ気持ちが悪かった。

 宴席を中座し、手裏基成の屋敷に戻って…眞仲は吐いた。
 自分は、なにをしているのだろうか。
 翼を手に入れたところで、この異形の姿を、紫輝は受け入れてくれるのか?
 そして、紫輝は生きているのだろうか?
 紫輝がいない世界など、己にはなんの意味もないのに。

 この翼は、ただ捻じ込んだだけだったのに、なぜか定着し。
 そして己の意志に反して動く。
 気持ち悪い。得体の知れないなにかが、己に寄生してしまったように感じる。

「安曇様。大丈夫ですか?」
 腹心の亜義が、部屋の隅でうずくまる眞仲に、声をかけてきた。
 紫輝と再会できたら、己の家で、紫輝に不自由なく過ごしてもらいたくて。龍鬼の家でも働きますと、手をあげた者を、雇ったのだ。
 己の目の届かぬところで、紫輝が危険な目にあわないよう。守らせるために、優秀な隠密も育てた。
 亜義も、そのひとりだ。
 けれど。ここに紫輝はいない。なにもかも、無駄だったのだろうか。

「大丈夫だ、亜義。ひとりにしてくれ」
 黒く濁った沼に、眞仲は引きずり込まれていく。
「紫輝。紫輝…兄さん…助けて」
 地位も権力も金も、軍を掌握する力も、手に入れたけれど。
 そんなもの。眞仲にはどうでもいいことだった。

 紫輝が、いないのなら…。

     ★★★★★

 この世界に来てから、四年が経ち。
 眞仲はニ十一歳になった。
 己についた翼が、感情の波で勝手に動くのが、眞仲は気持ちが悪くて。自分の意志で動かせるよう、特訓した。
 ポーカーフェイスならぬ、ポーカーウィングだ。
 翼の動きに、胸筋が強く作用することに気づいて、早々に体得した。
 さらに、鍛えていったら、空も飛べるようになってしまった。
 どうせなら、紫輝を抱えて飛べるようになりたい。
 ふたりで飛んだら、紫輝はどんな顔をするだろう?

 そんなふうに、幸せな光景を夢想するけれど。
 この頃には、この世界に紫輝の気配が全くないことを認め、眞仲は捜索をあきらめかけていたのだ。

 紫輝がいない世界なら、いっそ壊れてしまえばいい。
 もう、早く終わりたい。
 けれど、自死したら、死後の世界でも、紫輝に会えないような気がして。
 だったら、誰かが己を殺せばいい。そんなやけな気持ちで、将堂軍に突っ込んで行ったり、奇襲をぶちかましたり、かなり無茶もしたのだが。眞仲より強い者など、そうそういないのだった。

 手裏軍のトップが、戦場に出るのも、良い顔をされなくて。
 仕方なく、世界を牛耳ろうと目論んでいる不破の策略に加担していったのだった。
 紫輝を感じられない、この辺りのことは。特に、思い出したくもない。

 ただ…闇に漂っていただけだ。

     ★★★★★

 そして、運命の二三〇〇年。
 悪巧み三人組専用の会議室に、不破が。手裏派の者がおさめる将堂の土地に、将堂の宝玉と呼ばれ名軍師と名高い瀬来月光がいる。という情報を持ってきた。

「もしも仲間に引き入れられたら、将堂は赤子も同然になる。私と銀杏で行ってこようと思うのだが…」
 このとき、眞仲は二十四歳。
 なにもかもに嫌気がさしていて、腐っていた。

「将堂の領地に行くんだろ? 面白そうだから、俺が行く」
 己の隙をついて、将堂の誰かが殺してくれないかなぁ? という厭世的な気分だった。

「しかし…そこは、眞仲が私と初めて会った場所だ。つらいと思うのだが…」
 銀杏がいるので、不破は話を濁したが。不破と初めて会った場所というのは、眞仲がきこりに捕まっていた、あの山のことだ。
 そういえば、地理的に、あそこは三百年前住んでいた己の家と近い。
 この世界に来て、七年。
 ふいに、懐かしい気持ちになって。紫輝のなにかを感じたくなって。
 やはり行きたいという気になった。

「俺と不破で行く。銀杏は基成と化して、留守番だ」
 そうして眞仲は、あの山へ向かった。

 目的の、瀬来がいる場所は、あの山小屋の跡地だった。
 タイミングの悪いことに、誰か先客がいて。
 眞仲と不破は、山小屋の裏手、少し離れた場所に待機していた。

「瀬来は、三大名家のはずだが。なぜ、こんな山奥の、小さな山小屋に、供もつけずに住んでいるんだ?」
 小声で不破がつぶやく。
 その疑問は、すぐに解消された。

「お父しゃまのおきゃくしゃまですか?」
 舌足らずな声で、唐突に聞かれ。眞仲も不破もびっくりした。
 子供の気配は、自然に近くて読めないものだが。
 この子は、全く気配がなくて。

 しかも。しかもっ。

 か、可愛い。
 え、なに? 可愛いぞ、この子。
 紫輝の、子供のときそっくり。
 ボリュームのある黒髪に、大きな黒い瞳がきらきらしている。
 桃色の丸いほっぺ、ぺっかりした太陽の笑顔。

「…龍鬼か?」
 だが、不破の言葉に。
 この子の表情は、曇った。

「あ、おきゃくしゃまにみつかっちゃダメって、お父しゃまに言われてました。かくれんぼだって。ぼくが鬼になります」
 龍鬼の子供は、木に向かってしゃがみ込み。小さな手で目を隠して、いーち、にぃーいと数え始めた。

 可愛いぃ。
 え、持って帰りたい、この子。
 たまに脈絡のないことするところも、紫輝そっくり。

 そう、表情は変わらないが。
 心の中で、眞仲は大フィーバー中だった。

 そんな眞仲の黒マントを、不破が引っ張る。
「今のうちに離れよう。瀬来に会う前に、身バレはまずい」
 そうして、龍鬼の子供は見えるが、少し離れた位置に移動し。
 不破が言葉を続ける。

「あの龍鬼の子を育てていたから、人目を避けて、このようなところに住んでいたんだな。好都合じゃないか。瀬来もあの子も、手に入れたい」

 眞仲は。あの子が欲しかったので。うなずいた。
 誰も、紫輝の代わりにはならない。
 それはわかっているが。あの子があまりにも、紫輝に…天誠が一目惚れをした紫輝に、うりふたつだったから。
 手に入れたい、そばに置きたい、可愛がりたいと思ってしまった。

 いや、これは浮気ではない。…と思う。

 そんなふうに心の中で葛藤していたから、その気配を察知するのに、一拍遅れたのだ。
 男が、あの子に向かって剣を振り上げていた。

「やめろ、僕の息子だ。紫月、逃げろっ」
 子供に危害を加えようとしている男に向かって、瀬来は叫び。子供を救おうと、懸命に駆け寄ってくる。
 だが。

 じゅーう、と数え終わって。満面の笑みで振り返った、あの子は。
 その剣を見て。

 次の瞬間、消えた。

 眞仲も、駆け寄ろうとしたが。不破に止められた。
「馬鹿。みつかるぞ」
「しかし、あの子が」

 とっさに、我を失うほど、眞仲はあの子に心を奪われていた。
 あの子は、どこへ行った?

「子供といえども、龍鬼だ。龍鬼は防衛本能が強い。幼くても、己の身を能力で守る。だから龍鬼は、子供でも、容易には殺せないのだ。あの子も、おそらく。どこかに避難した」
 だから大丈夫、と。眞仲は不破になだめられる。

 その間、瀬来は。剣を持つ男に、果敢に挑みかかっていた。
 男は瀬来に、危害を加えるつもりはないようだったが。
 息を殺して、眞仲と不破は、ふたりの顛末をみつめる。

「おまえのじゃない。赤穂の子だっ。おまえほどの才人が、将堂から龍鬼を出すわけにはいかないと、なぜわからない?」
 その場を去ろうとする男に、瀬来はまといつき、子供がどこへ行ったのか、そのヒントを彼から得ようとしていた。
 ふたりが離れたところで。
 不破が、あの子がいた木の辺りに向かう。

「あの子は、どこかに瞬間移動したのだろう。今なら、能力の痕跡をたどって、引き戻せるかも」
 能力を存分に、緻密に、使えるよう。不破は、普段、傷を隠している右手の手甲を外し。
 少し空気が歪んで見える場所に、手を突っ込んだ。

 眞仲は、龍鬼ではない。普通の人間だ。
 だから、本来なら。龍鬼の能力は、よほど強いものや具現化したものじゃなければ、目に見えない。

 でも、そのときには見えたのだ。紫に光る、その穴が。

「掴んだ」
 彼の言葉に、眞仲は珍しく、顔に喜びの表情を浮かべた。
 しかし、すぐに。不破が顔をしかめ。
 手を穴から引っこ抜いてしまった。
 彼の手に、あの子はいない。

「どうした? なにがあった?」
「穴の中で、なにかに引っ掻かれた。まずい。致命的だ」
「なにが? あの子が?」
「これは、時空の穴だ。あの子は時間を操る龍鬼だった。この時間の、どこか別の場所に飛ぶのが、瞬間移動だが。それじゃない。違う時間に飛んだ」

 青い顔で語る不破の話を聞き。だが眞仲は。背筋をゾワリとあわ立たせた。
 それって…。

「時間を操る龍鬼なら、時空の狭間の中でも、己を守ることはできる。だが私は、その能力がない。その中で傷を負った。どのような作用が現れるかわからない。最悪、能力が使えなくなるかも…」

 左手で、不破は胸の前で右手を抱える。
 そこには、引っ掻かれたくらいの小さな傷が。傷自体は、大したことはなさそう。

 だが。紫色の光が、もやのように、手に、はびこっていた。

 不破は常に冷静沈着で、余裕があり。野心があり。己という確固とした軸を持っている。
 その男が、初めて弱味を見せた。
 さすがの不破も、能力がなくなることには、恐れを抱くようだ。

「そこにいるのは誰だ?」
 瀬来が、子供が消えた現場に戻ってきた。
 眞仲は不破を抱えて、とりあえず、その場を離脱する。

 そんなことより。

 そんなことよりっ。これは。
 今の、この出来事は、紫輝と己とライラに、三百年前に起きた。あの事象ではないか?

 右の手のひらに大きな傷のある、その手に掴まれて、穴に引きずり込まれた。
 途中で、その手をライラが引っ掻いて。大きな手が離れた。
 そして空間に放り出されて、紫輝とライラと離れてしまった。あれだ。

 眞仲の心臓が、ドクンと、強く高鳴る。
 期待に、狂喜の戦慄が走った。

 だとすると。瀬来の息子が…将堂赤穂の息子が、紫輝?

 間違いない。
 だって、先ほど会ったあの子は、紫輝の子供の頃にそっくりだったのだ。
 初恋の相手を、見間違えるはずはない。
 やっぱり浮気じゃなかった。
 己は、初恋の相手に、また心を惹かれただけだったのだから。

 待て待て。だったら、タイムパラドックスが適用されるかも。
 同一人物が、同じ時間軸に存在できない。あれ。
 ってことは? あの子がいなくなったことで、紫輝が降りてくる、かも??

 己の推測に興奮し、眞仲は我知らず、顔に笑みを刻んでいた。

「くっそ、あの子、助けたかったな。あの子は、将堂赤穂の息子。将堂一族に命を狙われ、おそらく瀬来が、手裏派の土地でかくまっていたのだろう。どうせ、将堂の血が穢されたとか、そんなくだらない理由で。龍鬼は理不尽に迫害される。あの子を助けられず、私自身、深手を負って。瀬来も引き入れられなかった。今回の仕事は散々だな」

 失意に沈む不破を横目に、眞仲は『そんなことない』と胸のうちで慰めた。
 なぜなら。今日の仕事は。
 眞仲に、おおいなる希望をもたらしたからだ。

 紫輝がこの世界に、眞仲の元に、降りてくる。
 もしかしたら、ここに現れる紫輝は、十八歳かもしれないが。そんなのどうでもいい。

 もう一度、最愛の兄に会えるのなら。

 もう二度と、紫輝とは会えない。そう、半ばあきらめていた。
 闇に、のまれていた。
 でも。再会できる、必ず会える、その希望を、眞仲は色鮮やかに取り戻していた。

 紫輝は、眞仲の一条の光だから。

「親族であるのに、龍鬼だから殺す。そんな横暴な話、私は受け入れられない。おまえも、一時期は龍鬼として差別を受けていた。私の気持ちがわかるだろう? 私は、あの子を助けたかった。将堂からも。この世の理不尽からも」
 不破はそう言うが。眞仲は、額面通りには受け取らなかった。

 己に翼がなかった頃、眞仲も、龍鬼として不破に助けられた。
 だから彼に『あの子を助けたかった』という気持ちがあることを、否定はしない。

 しかし、紫月。紫輝は。手裏家の絶好の、戦略の駒ともなり得る。
 不破の手に、紫輝を渡すことはできないと、眞仲は感じた。

 その後、眞仲はおよそ一ヶ月をかけて、戦略を練り直し。紫輝を迎え入れる支度を開始した。

 紫輝は、龍鬼だった。
 元々、この時代の人間。
 だったら、己もここで生きていく。
 どうせ三百年前に帰れたとしても、すぐに、兵器によって、人の世界は滅びるし。

 それになにより、紫輝がいない世界で、もう生きたくない。

 紫輝がみつかったら、すぐにも一緒に暮らしたい。
 しかし、己のそばには、不破がいる。
 彼の目から紫輝を隠すには、どうすればいいか。

 紫輝は、本当の両親に会いたいかな? この姿の己を、受け入れてくれるかな?
 ここまで容姿が変わっていたら、きっと気づいてもらえない。
 ならば、別人として会うのもいいな。
 兄さんは、弟の愛を受け入れるのに、ためらいを感じていたし。
 兄と弟でなかったら、紫輝はすぐさま、己の愛を受け入れてくれるはず。

 などと。二三〇〇年は、眞仲にとって。闇の中をもがいた七年間を払拭する、紫輝のことに想いを馳せる、希望に満ちた最高の一年間になったのだ。

 はたして、二三〇一年。
 眞仲は、まずはライラと再会した。
 ライラの猫又としてのチート能力を知って。メインルートを本決めする。
 いわゆる、紫輝が将堂軍に入るシナリオだ。

 そしてその三日後。
 紫輝と再会した。

 感動した。
 八年、待っていた。
 現れると、確信してはいたが。本当に現れて。

 十八歳の、別れたときそのままの姿で、紫輝は眞仲の目の前にいた。

 初めて、目と目が合ったとき。紫輝は、眞仲の顔をジッとみつめた。
 言葉もなくて。
 紫輝が己を、どう思っているのかわからなくて。
 はじめましてとか。気持ち悪いとか。そんな言葉を聞きたくなくて。

 情けないけれど、紫輝がなにかを口にする前に、言ってしまった。
「俺は安曇眞仲だ。この山に住むきこりだよ。…君の名前は?」
 そして、にっこりと笑いかける。

 さぁ、紫輝。準備は万端だよ?
 紫輝がどう動いても。必ず幸せになるよう、導いてあげるからな。

 でも結局、紫輝が一番泣いたのは。別人として会うと画策した、眞仲の仕打ちのせいなのであった。

     ★★★★★

「愛している、紫輝」
 目の前に紫輝がいれば、その言葉しか出てこない。

 己の足を枕にして眠る、そのあどけない寝顔。
 寝ている彼に、キスをしようとすると。ライラがフサ尻尾で邪魔をする。そこまでがワンセットだ。
 クソ、紫輝のママめ。
 まぁ、懐かしいやり取りではあるけれど。

「ん、天誠」
 ゆっくりまぶたが動いて、少しだけ開く。
 黒い瞳に眞仲が映り込むと。紫輝は安心したように微笑んだ。

 可愛い。
 語彙が少なくて心苦しいが。とにかく可愛いのだから仕方がない。

 なんというか、己を無条件に信じ切っている、そのサマが。胸をギュッと締めつける。
 もちろん期待に応えて、守ってあげたくなるし。
 誰にも見せたくなくなるし。
 抱き締めて、ぶんぶん振り回したくなる。

「俺、寝ちゃってた? え、ここ、どこ?」
「俺たちの家の、寝室だ」
 無事に目を覚ました紫輝に、安堵し。眞仲は愛しさが胸にあふれ返って、紫輝の額にキスした。
 さすがにここで、ライラは邪魔しなかった。
 むむ、空気を読む猫めっ。

「おんちゃん、おきたわね。あんしんしたわぁ。むちゃしちゃ、だめよぉ」
 紫輝の顔を、ライラがのぞき込む。
 すると紫輝は目を真ん丸にした。

「らっ、ライラぁ? ちっさい。ちっさくなれるのかよぉ。可愛いよ。ライラぁ」
 昔の大きさのライラが、久しぶりだったからか。紫輝は突然、テンション爆上げ。
 寝たままライラを抱き上げようとして、潰れた。
 いつもの大きなライラに戻ったからだ。

「あらあら、おっきくなっちゃった。おんちゃんだいじょうぶ?」
 己の腹の下にいる紫輝に、ライラは言うが。

 とりあえず、どいてあげて。

 眞仲はライラに、ベッドからの退場を命じる。
「ほら、ライラ。専用ベッドに行って」
「あい」

 紫輝の意識がないときは、やはり心配していたようで、そばを離れなかったが。
 紫輝が目を覚まして、安心したのか。ライラはおとなしく、自分のベッドに向かった。
 布団の上でグルグル回って。ようやく、どしんと横たわる。

「あぁ、ライラのポンポン、あったかくて、柔らかくて、最高。天誠もやってもらいなよ」
「いや。俺は命の危機を感じるな」
 ライラは己に容赦がないから。窒息する己が目に見える。

 そう。ライラが優しいのは、紫輝にだけだ。

 子供の頃、紫輝の心を一番に開いたライラは、庇護する対象として、ずっと紫輝を見ているように思う。
 もちろん、眞仲だって。飼い主認定はされているが。
 紫輝が呼んだら、すぐ飛んで行くのに。己には、一瞥とか。
 あれ? ひどくね?

 まぁまぁ、それでも。今回、紫輝がこの世界に来てからは、ライラは眞仲の言うとおりに動いてくれたし。今も、言えばちゃんとベッドに行くし。
 ちゃんと尊重もされていると、思うけれど、な。

「ええ? ライラの下で圧死は最高の死に方では?」
「マジ死は推奨いたしません」
 紫輝が目を覚ましたので、眞仲は彼の隣に寝る。
 横向きで互いに向かい合い、紫輝の髪を梳いて、笑みを交わす。
 同じ目線になるのは、ベッドで睦み合うときの利点だ。

「紫輝、すまない。これほどに消耗するとは思わなかった。気遣えなかった、俺の失態だ」
「ううん。俺も、どうなったかわからなくて。でも、今、どこも、なんともないから、大丈夫だと思うよ」
 長く垂れている眞仲の髪を、紫輝はひと束手に取り、頬ですりすりする。つるつるするようで、気持ち良さそうな顔をしている。

「そうだ。千夜はどうしている? あれからどれくらい経っている?」
 とうとう思い出してしまった。
 ふたりでいるときは、他の男のことなど考えないでほしいのだが。
 今日のメインイベントだったから、仕方がないか。

「半日くらい。もうすぐ夕食だ。望月も元気。将堂軍に戻せないから、紫輝の隠密として、そばにつけることにした。もう訓練に入っている」
「隠密? 千夜は納得したのか?」
「あぁ。俺たちのことも全部話して。紫輝が将堂の血脈だということもな。全部知った上で、了承した。彼は将堂内部を熟知し、暗殺業の伝手で、裏の情報も集められる。紫輝の良いアドバイザーになるだろう」

 己の髪をいじっているから、自分も紫輝に触れてもいいよな?
 眞仲は、右手で手枕をし。左手は、紫輝のはねた髪を指先でなぞったり、耳の際を撫でたりした。
 すると、紫輝はくすぐったそうに肩をすくめる。
 感じやすいんだな。初心で、感度が良いなんて…愛らしすぎる。

「ん…千夜は、廣伊のそばに、いたいんじゃないかなぁ」
「メリットばかり与えては、人間は駄目になる。望月にとって、腕は、死を意識するくらい重要なもの。それをただであげるのは良くない。大きすぎるプレゼントは、ときに相手に畏怖を与える。紫輝もよく、こんな高いのもらえないよぉ…って言っていたな」

「だって…三十万もする時計とか、贈ろうとするから。小学生の俺に。身の丈に合わないっつうの」
「そう。身の丈に合わない。だから、代償を要求される方が、相手も納得しやすいこともある。たとえば、三十万の時計のお礼はチュウ百回分、とかね」

 斜め上を見やって、紫輝は考えている。
 三十万の時計とキス百回は、果たして割に合うのか?

「んー、それなりに大変そうだけど…微妙? キスはタダだし」
「なに言ってんだ? 紫輝のキスがタダなわけない。紫輝のファーストキスをいただけるなら、普通に一億くらいは積むっ」

 クワッと目を見開き、眞仲は声高に主張する。マジだ。

「それは盛り過ぎ。つか、ファーストキスは、天誠だったじゃん」
「そうだ。ファーストもセカンドもサードも、俺だ」
 甘さをにじませた声で、紫輝の鼓膜を震わせ。眞仲は紫輝にくちづける。
 唇に吸いつくだけの、軽いキス。
 目線が同じ高さだと、すぐにキスできていい。
 でも話の途中だから、うっとりするくらいの、優しいチュウにとどめた。

「それはともかく。紫輝の護衛のついでなら、高槻も守っていいぞって言ったら、彼は喜んでたから、いいんだ」
「そうか。なら、いいか。むしろ廣伊のそばにいられるってことだし」
 紫輝は納得した。よしよし。

「千夜の腕、紫色に見えた?」
「あぁ、俺は紫輝の加護を貰っているから。紫輝の能力は見えるみたいだ。でも望月や大和には、普通の腕に見えるみたいだぞ」

 紫月が、過去に飛んだとき。
 時空の穴が、眞仲にも見えたのは。紫輝の加護をすでにもらっていたからだった。
 それも、紫輝と紫月が同一人物である証拠になるな、と考えつく。
 今更だけど。

「じゃあ、変な風には見えないんだな? 良かった」
 そうして、紫輝は少し不安そうに瞳を揺らし。眞仲の胸元の衣服をギュッと握り込んだ。

「あのとき、俺、部屋からいなくなった?」
 紫輝がそう聞くということは、どこかへ行ったという感覚だったのだろう。
 そう察して、眞仲は紫輝の頭を、手のひらで引き寄せ。胸に抱き込む。
 体をぴったりくっつけることで、兄の不安を慰撫する。

「いいや。俺もライラも、しっかりしがみついていたし。紫輝も、俺の腕の中にちゃんといた」
「俺、九月の前線基地に行ったんだ。暑さとか、空気の匂いとか、千夜の台詞もそのまま。過去に飛んじゃったんだって思った。でも、ちょっと違って。しばらくすると、台詞や行動が、あのときのまんまじゃなくなったんだ」

「紫輝はあのとき、望月の健康だった頃の腕をイメージしていた。おそらくその日が、印象深かったのでは? 過去に行ったわけではなく。脳内の旅路というか。過去の物をこの場に持ってくるイメージで。実際には、その時間まで巻き戻して腕を具現化したんだろうな」
「んー、難しいけど。そうなんだな。たぶん。感覚では、そんな感じ」

 眞仲の推測に納得したようで、紫輝はホッと息をつき。澄んだ眼差しで眞仲をみつめた。
 だから、大きな瞳をきらきらさせるな。
 紫輝の、無垢で純真なその表情に、眞仲は昔から弱かった。

「でも、良かった。俺、またひとりで飛んじゃったのかと思って。ひとりにしないって、天誠と約束したのに。俺も、あそこに誰もいなくて、ひとりは嫌だって思った。だから。天誠がずっとひとりだったことが、もう本当に悲しくて。もう二度と、天誠をひとりにしないって、改めて、強く思ったんだ」
「嬉しいよ、紫輝」

 それが、眞仲の一番の願い。
 紫輝が真剣に受け止めてくれることが、さらに喜びを倍増させる。
 ありがとうって、離さないでって、愛してるって、気持ちがどんどん高まっていくのだ。

 紫輝が、眞仲の髪をそっと撫でる。
 体にまとう、紫のベールを見ているような視線だった。

「これが、俺の加護なら。もっと、しっかり守ってほしかった。天誠が翼をつけなくても良いように。ライラが猫又にならないように」

「…怪我もなく、時空の中を通り抜けられただけでも、充分な守りだと思うが。たとえ紫輝が、強固な加護をつけたとしても。中身の変容は、別なのだと思う。病気や怪我などをプロテクトするようなものではないから。ベールの中身でライラが猫又になったとか。俺が兵器の薬物のせいで鳥遺伝子を取り込まなければならなかったとか。それは紫輝が気に病むことではないんだよ」

「俺の我が儘で、千夜の腕を治したように。長寿だったライラを生かしたいと思った、俺の我が儘で。ライラが猫又になったのかと思ったんだ」

 あぁ、なるほど。確かに、それはないとは言えない。
 ただ、ライラのことはライラにしかわからない。
 紫輝がライラを守りたいと思ったから、そうなったのか。
 ライラが紫輝を守りたいと思ったから、そうなったのか。

 まぁ、それはわからないから。とりあえず、紫輝の憂いは晴らしておこう。
「違うだろ。三百年、時が経過したせいだろ」
「…そう?」
「知らんけど。ま、わからないことをグダグダ悩んでも仕方ないさ。ライラは神秘。そう思っていればいい」
「ライラは神秘」

 ふふっと、紫輝はおかしげに笑う。

 納得はしていないのかもしれないが。この件は、ライラが幸せならそれでいいことだし。
 ふたりで、全力で、ライラに幸せをもたらせば、それでいいのだ。

「…天誠」
 チュッ、と音の鳴るキスを紫輝にされ、眞仲は目を丸くして驚いた。
 まだまだ、兄としての意識が強くある紫輝が。自分からキスしてくるなんて。

 しかも、今は。そんな可愛いことされると、困ってしまう。
「紫輝。俺はずっと我慢してきた。手を出さないよう、ギリギリ踏みとどまっている。…倒れたばかりの紫輝に、これ以上負担をかけたくないんだ」

 三日前に会ったとき、言ったように。眞仲は欲求不満だ。

 本当なら、愛する人を、毎日抱いて寝たいのに。己が仕掛けたことながら、離れる時間が長すぎて。
 紫輝が目の前にいるときは、こうするべきとか、今は駄目とか、そんなことなにも考えないで、抱き合いたくなる。
 けれど。紫輝を壊したくはないし。
 長い目で見れば、ベストのことをしているのだから。会えない時間は仕方がないのだけど。

 とにかく。欲求不満だけど、紫輝を大事にしたいからしない、ということだ。

 しかし。紫輝は。唇を突き出す、あの、激烈にキュートな顔で、天誠を見上げる。
 うっ、上目遣いプラスとがり唇とか。
 俺を殺しにかかっているとしか思えない。

「倒れてない。寝てただけ。天誠は、もう我慢しないで。そう、言ったろ? それに俺は、これ以上我慢なんかできないよ」
 どんどん顔を真っ赤にして。紫輝は眞仲の胸にしがみつく。
 さらに訴えた。
「二ヶ月前、離れたときから、ずっと思っていたんだ。天誠に抱かれたいって。お、俺だって、健康な青少年なんだから。こういうの、好きだし。だから…俺を抱いてくれないか? 天誠」

 恋人にそこまで言われて、動けなかったら男じゃない。
 それに紫輝は、兄の矜持をかなぐり捨てて、弟に抱かれたいと思ってくれたのだ。
 健全で、ちょっと頑ななところのある兄だから、叶わないかもしれないと思っていた、眞仲の望みのひとつ。

 紫輝が自ら、抱いてと言ってくれるなんて…。

 眞仲はもうためらわなかった。
 眞仲の方こそ、紫輝を貪り尽くしたいのだから。
「覚悟してよ、兄さん。愛の重い男にそんなことを言ったら…どうなるか」

     ★★★★★

 薄い布で囲まれた寝台の中で、一糸まとわぬ紫輝を。眞仲は文字通り貪っていた。
 二ヶ月前、紫輝は別れる間際、なんでもすると言ってくれて。
 それを今、履行している。

 要求は…紫輝の体をひたすら舐めさせろ。

「あ…んぁ…」
 紫輝の背中は、真っ白だ。
 舌で味わうと、絹豆腐の上をたどっているかのように、つるつるでなめらかな肌。
 特に、肩甲骨のあたりが、敏感だった。
 やはり、龍鬼ではあるが、鳥の遺伝子は持っているわけで。
 そうすると、翼の付け根に鋭敏な神経が通っているのかもしれないな。
 突き出た翼の名残を、軽く噛むと。紫輝はのけぞって、悦んだ。

 情欲に潤んだ黒い瞳は、いつもの元気満々な光ではなく。
 妖艶な色気を醸して、眞仲を誘惑する。

 眞仲は一番感じる局部や、双丘に隠された蕾や、色づいて主張する乳首を避け。それ以外の部分に、徹底的に舌を這わせた。
 足の指、ふくらはぎ、膝裏。紫輝だって、そうそう触れないところも、舌でたどる。
 それだけで、もう紫輝は。熟れた果実になった。
 そう。眞仲は御馳走は最後にとっておくタイプだ。

「指、とか。感じないって…あっ、嘘…あんっ」
 体が高まっているから、普段、なんとも感じていない場所こそ、強く快感を生む。
 眞仲は、紫輝の手の人差し指を、ねっとりと舐め。指先を甘く噛んだ。

 幼い頃、ケーキでべとべとになった紫輝の手を、舐め拭ったことがあるが。
 それから、こうして、紫輝の指を、ずっと舐めていたいという衝動があった。
 生クリームがついてなくたって、紫輝の指は、こんなにも甘い。

「本当に、感じないの? イくまで、舐めていようか?」
「だ、ダメ。ね、天誠。入れて。天誠、もう舐めないで、してよぉ」
 そんなの、もったいない。
 入れて、出したら、この最上の時間が、すぐにも終わってしまうじゃないか。
 いつまでも、長く、長く、紫輝を貪っていたいんだ。

「まだまだ。メインディッシュまでたどり着いていないんだからな」
 仰向けに寝る紫輝の、ツンと上を向いた乳首を、眞仲は指先で撫でる。
 紫輝の体は、すでに、究極にまで高められていて。屹立は痛いくらいに立ちあがり。先端からは、透明な蜜がしたたり落ちている。
 軽くイって、ピュクっと少ない量の液体が飛ぶのだが。

 精液は、まだ出させない。

「天誠、イかせて?」
 可愛らしいおねだり。でも、聞けないな。

「ここから、ここまで、詰まっているの。兄さんは、全部出したいの?」
 張り詰め切っている紫輝の屹立を、根元から先端にかけて、尖らせた舌で舐め上げる。

「は、あ…っ」
 ひと舐めで、先端から、またビュクッと、少しの体液が漏れた。
 小刻みに体を震わせる紫輝は、イきっぱなしの状態だ。

 局部の刺激は、精が出てしまいそうだから。
 眞仲は、乳首に唇を移動した。

 紫輝は放っておくと、自分の屹立や眞仲の剛直に手を伸ばそうとするから。眞仲は両の手で、紫輝の両の手を甘く拘束する。
 恋人つなぎで指を絡めて。
 眞仲は紫輝に覆いかぶさって、乳首に唇を寄せる。
 上唇で、紫輝の硬くなった乳頭に触れ。くすぐって。それから乳輪ごと口の中へ入れる。
 ジュッと音をさせて吸い上げ。コリコリする感触を舌で弾いて楽しむ。

「ん、あ、あ、んぁ、て、天誠…やぁ、それ、あ、あっ」
 舌先で突端を弾くたびに、紫輝はあえかな声を漏らす。気持ち良さに充分に溺れていた。

「や、じゃない。いい、だろ? 素直に言わないと。ずっと続けるぞ」
「んんっ、いい。気持ち、いいの。でも…ぉ」
「今度は左側。交互に、同じくらい可愛がってやらないと。可哀想だからな」
「か、可哀想じゃない。いいの、しないで。あ、あぁ…」

 左の乳首を、ねっとりと舐められて。紫輝は眞仲の手をギュッと握った。
 強すぎる快感を逃がす場所が、握られている手にしかない。
 右側は口の中で、突起を舌先で弾いていたが。左は、舌の真ん中でヌルヌルと舐め擦る。
 ツンと立つ硬い粒を、押し潰すように攻めると、桃色が赤く色づいて。いやらしい。

「天誠ぃ、イきたい。全部、出したいぃ。お願い、もう…あ、ぁ」
「ここをずっと舐めていたら、出るかもよ?」
「んんっ、出ない。あ、全部はぁ、出ないから…して、天誠ので、中、突いて?」
「そうかなぁ、出ないかなぁ」

 のらくらと紫輝のおねだりをかわしながら、眞仲は紫輝の乳首をちゅぷちゅぷとついばむ。
 紫輝はビクンと体を震わせ、軽く痙攣するが。
 やはり決定的な精の放出には至らない。ヌルヌルの体液で腹を濡らすばかりだ。

「仕方ないなぁ。兄さんは、弟のでっかいの、好きなんだもんな?」
「ん、でっかいの、好き。天誠の、でっかいの、欲しい」
 快楽に溺れて、トリップしているのか。紫輝は、いつもなら恥ずかしがる言葉を、眞仲にうながされるまま復唱する。
 紫輝の小さな口から、赤い舌がちらりと見える中で。卑猥な言葉を引き出し。眞仲は御満悦だった。
 恥ずかしがらせながら言わせるのも、いいが。
 素直に欲しいと言われるのも、いい。

「じゃあ、入れてあげるけど。まだ、ここはほぐれていないからね?」
 眞仲は、紫輝の足を持ち上げて、腿が胸につくくらい折り曲げる。
 双丘に隠されていた蕾をあらわにし、花びらを一枚一枚こじ開けるように舌でえぐる。

「そ、それは…あ、あ」
 紫輝の先走りが、屹立から伝って、蕾までも濡らしていた。
 紫輝が欲しがるほどに、蕾も眞仲を欲しがっていたのだろう。
 全く触れられていなかったそこは、すぐにも柔らかく、眞仲の舌を受け入れ、ほころんだ。
 だからこそ、感じやすい部分を容赦なく、舌で舐められ。とがった舌を差し入れられ。ぐちゅぐちゅにかき回されて…強烈な官能が紫輝を襲った。

「や…イく。それ、イ…く…っん」
 屹立がビクンと激しくうごめき、紫輝はビュクッと、溜まってくすぶっていた白い精を勢いよく放出した。
 ずっと、出したくても出せないものを、出し切った解放感で、紫輝は放心してしまい。
 頬に白濁が飛んだことにも、気づいていないようだ。
 強い快感の余韻に浸り、唇をわななかせている、無防備な恋人を。
 眞仲は欲望をたぎらせたギラリとした目でみつめる。

 眞仲は、紫輝の頬に飛んだ白濁を舐め上げ。ゆるく開いた紫輝の唇を、食らう勢いで貪る。
 放心している紫輝は、眞仲にされるがまま、口腔をひどく蹂躙された。
 舌先を結びつけ、上顎を喉がひくりとなるまで擦り、あえぎが鼻から漏れるまで責めさいなんで。
 くちづけをほどくと、唾液の糸が引いた。

 ぐったりしている兄を、弟はうつ伏せに返し。お尻を持ち上げ、紫輝を膝で立たせた。
「天誠…イったばかりだから」
 駄目と言うけど、紫輝は逃げようとはしない。
 弟を拒否したくないのか、これから来る快楽を期待しているのか。
 どちらにしても、いじらしくてたまらない。

「だって、兄さんが。弟のでっかいの欲しいって、おねだりしたんだよ?」
 蕾に先端をあてがい、高ぶり切った強固な剛直を、眞仲はズブリと突き入れる。
 だが、舌で舐めほぐされたそこは、眞仲の張り出した部分まで美味そうにのみこんだ。

「は、あぁ…天誠…の」
「二ヶ月、これをずっと待ち望んでいたんだろ? 兄さん」
「あ、あ、あ…入って、くるぅ…天誠の、熱いの、が」
 長大な剛直を入れ込むたびに、紫輝の口からあえぎが漏れる。
 気持ち良さそうな、甲高い声。
 紫輝は頭を下げて、敷布を握り込む。後ろから突き入れられる快楽を耐え忍ぶために。

「ん、ふ…んんっ、天誠、天誠ぃ、あぁ、いい」
「いけない兄さんだな。そんなに弟のモノを、嬉しそうにくわえこんで」
 眞仲は、紫輝の中を存分に味わう。
 突き当たる奥まで挿入し、紫輝が善がる部分を、雁首で引っ掻き。先端が残るところまで、引き抜いて。再び奥を突く。
 紫輝の中は眞仲にきつくまといつき、先ほどのイきっぱなしの余韻を引きずって、ひくひくとわなないている。
 最高の愉悦を、眞仲にもたらしていた。

「だって、好きぃ…んん、天誠が、好き、だから」
 体で篭絡され、心もギュッと掴まれて。

 眞仲は降参しそうになった。

 というより、これほどに紫輝に溺れているのだ。
 最初から、完全に負けている。

「太い…天誠、も、太く、しないで。あ、あぁ…また、イっちゃうよ」
 そう言いつつ、紫輝は本能のままに眞仲を求め、腰を振った。
 紫輝の小さなお尻が、貪欲に眞仲を欲しがり、目の前でいやらしく揺れている。
 眞仲は表面上、悪い顔でニヤリと笑うのだが。
 内心はヤバかった。
 紫輝に持っていかれそう。
 心臓ギュンってなる。
 つか、どこで、そんなエロい言葉を覚えたのか? 許さん。

「紫輝? イきたかったら、言って。弟の精液、奥にちょうだいって」
 余裕を取り戻すため、眞仲は紫輝に、無茶な要求をする。
 紫輝は、眞仲を振り向き。目元を赤く染めた色っぽい顔で言った。

「ん、て、天誠の…弟の、せ、えき…ほし…奥に、いっぱい、出して? 熱いの、ほし…よぉ」
「んんっ? なんか、俺の言ったのより、エロいんだが」

 マジで、もう耐えられない。
 余裕なんかない。
 いつだって、兄さんの前では。俺は無様なんだから。

 眞仲は理性を手放し、紫輝の腰を手で強く掴むと、激しく揺さぶる。
 ズクズクと剛直を出し入れし。高まって。
 紫輝の背中に覆いかぶさるようにして、突き入れて。
 激しく打ち寄せる荒波のごとく、欲望を紫輝に注ぎ込んだ。

「あぁっ、ん、んんっ…」
 同時に、紫輝も達して。臀部を突き出すようにして、背を反らした。

 後ろの刺激だけで極めたので、紫輝の隘路が、淫らに、長く、ひくつく。
 眞仲は、その甘やかな締めつけの中。さらに奥へと剛直を捻じ込み、一滴残らず、精を出しきる。

 達した瞬間、グワッと翼が開いた。
 この瞬間だけは、どうしてもコントロールできない。
 でも、こればっかりは。そういうものかも。
 愛する人を無我夢中で抱いているときに、体裁なんか整えられない。

「あ、あ…あっついの…奥、きたぁ…」
 背中を抱くようにしていたから、紫輝の顔の近くに眞仲も顔を寄せていて。
 だから。囁くような紫輝のつぶやきを耳にしてしまった。

 いやいや。
 それは、さぁ。
 達したって、それを聞いたら、萎えないよ。

「天誠? ん? イけなかった?」
 体の中にある眞仲のモノが、硬いままなのを、紫輝は感じているようだ。
 いやいや、だってさぁ。

「…兄さん。これは無理。どんだけ、予想を超えること、するのかなぁ?」
 思いっきりエロティックな低音で、紫輝の耳に吹き込む。
 紫輝は眞仲の美声に感じて、首をすくめた。

「ふぁ…あ。あぁ?」
 硬いままの剛直を引けば、紫輝の中を擦り上げ、また刺激してしまう。
 紫輝の、いい部分を通るとき。中がビクビクッとなる。
 それにまた、眞仲は官能を受けるが。
 引き留めるように締めつけてくる蕾から、ぐちゅりと己の先端を引き抜いて。紫輝を仰向けに返す。

 そして有無を言わせず、再び正面から挿入した。
「え、え? 天誠?」
「あぁ、兄さん。可愛すぎる。マジで、無理無理。もっと良くする。だから、な? もう少しだけ、な?」
「な? って、なに? あぁ、天誠。あっ、あっ…」

 戸惑いながらも、紫輝は、突き入れる腰の動きを止めない眞仲の首に、腕を回す。
 なだめるように髪を撫でた。

「天誠。もっと、ゆっくり。な? 大丈夫。俺は逃げないから」
 柔らかく、なにもかもを包み込む慈愛の微笑みで、紫輝は眞仲を引き寄せる。
 そして。蕩ける甘露なキスをした。

 兄さん。弟を甘やかしすぎだぞ。
 でも。とても幸せだから。

 眞仲は兄の包容力に脱帽して、甘え倒すのだった。

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