【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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29 結婚してんだ

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     ◆結婚してんだ

 四季村に、天誠は二泊三日滞在した。
 紫輝は、弟が己のために作ったという村を、ふたりでゆっくり、散策とかしてみたかったけれど。家族で何日も過ごすというのは、この世界に来て初めてだったから、やっぱり盛り上がってしまうよね?
 寝室にこもって、二度の夜を過ごしてしまった…。照れ照れ。

 その後、廣伊を説得するためのレクチャーなんか受けて。
 のんびりと風呂に入ったり、昼食をとったりして。

 十月二十五日の昼過ぎに、天誠は出立することになった。
 今度行くのは、手裏の第二の大都市である、名古屋だ。
 京都は前線からも遠すぎるので、名古屋に本拠地を構えるよう、画策しているところなんだって。

 それにしても、楽しい時間って、本当にあっという間だな。

「天誠、ここはまだ、将堂の領地だからな? 道中、マ、ジ、で、気をつけて行けよ」
「あぁ。冬は、ここで、もっとゆっくり過ごせるといいのだが。紫輝。高槻の件は任せたぞ」
 敷地の入り口で、屋敷の使用人たちが頭を下げる中。
 手裏の黒い軍服に黒マントを羽織る天誠が、紫輝に告げた。

 ちなみに紫輝は、鮮やかな発色の、紫色の甚平だ。
 ここには命を狙う者はなく。守ってくれる者も、ライラや大和をはじめ、大勢いるので。気を抜いていいと、天誠に言われたのだ。
 ゆえに、鞘を背負っていないので、獣型のライラも横にいる。

「ライラ、引き続き、紫輝を頼む。頼りにしているぞ」
「あい。てんちゃん。あたしがおんちゃんをまもるわぁ」
 体をすりつけるライラの胴を、ポンポン手で叩いて。天誠はライラをあやした。

 そして、紫輝を軽く抱き寄せ『またすぐに会おう』なんて囁くから。
 紫輝も、なんだか名残惜しくなる。

 何度も経験した場面だが、いつも別れのときは悲しすぎて。
 胸がギリギリ痛くなるから。
 そっと、紫輝は天誠のマントの中に手を突っ込んで…羽を引っこ抜いた。

「いてっ」
 声とともに、怒ったみたいに黒い翼がマントの中でバサリと揺れた。
「え、痛いの?」
「そりゃ、くっついているんだから。毛を三本くらい一気に抜かれる痛みだ」
「そ、そんなに? ごめん」

 それでも、抜いた羽は戻せないので。
 紫輝は、三十センチほどもある風切り羽をしっかり手に握って、胸に抱く。

 眞仲に羽がついているのは、もう見慣れているんだけど。
 なんとなく、半年前まで十六歳だった天誠に、しっかりと定着した翼があるというのが。紫輝の脳みその中で、消化できていないというか。
 紫輝を抱いて、飛んだりするから、当たり前なんだけど。
 この翼には血が通い、神経も痛覚もあるのだなと、改めて認識した。

「御守りに、欲しかったんだ。そばに天誠を感じられるから」
「あぁ、紫輝にも翼があったなら、俺も欲しいよ。真っ白な羽」
 天誠は紫輝をギュギュッと抱き締めて、背中をわさわさと手で撫で回す。
 そこに翼があってほしいというように。

「オオワシ血脈だから、羽は黒いと思うけど」
「いいや、紫輝は天使だから、白に決まってる」
「はは、また天誠の大袈裟なやつ、でたーっ」

 別れの悲しさを吹き飛ばすように、わざと明るく紫輝は笑う。
 天誠は、まぶしそうに目を細めて、微笑んだ。

 二日間みっちり、片時も離れなかったけれど。
 まだまだ、一緒にいたいと思ってしまう。
 でも天誠は、紫輝の頭をわしわしと手で撫で上げて。踵を返した。
 馬に乗ると。ひとつうなずいて、行ってしまった。

 気丈にしていたけど。天誠の姿が見えなくなると、涙がこぼれる。
 いつも。同じ。

「おんちゃん、あたし、お山の中をさんぽしたいわぁ」
 ほがらかな様子でライラに言われ、紫輝は手の甲で涙を拭った。
 いつまでも悲しんでいられない。
 ライラは気持ちを浮上させるときに、いつもいい切り替えをしてくれる。
 たまに、空気読めないけど。

「散歩な。良いよ。でもライラが村の中を歩くと驚かれちゃうから。山の中までは、剣で移動な。待ってろ、鞘を持ってくるから」
「紫輝様、どうぞ」
 すかさず、大和が鞘を渡してくれて、驚く。
 そんなに、用意周到にできるものなの?
 ま、いいか。

 紫輝は鞘を背負うと、ライラ剣をおさめ、山に移動する。
 村人から見えないところまで来たら、ライラを戻し。あとは彼女の気の向くままに歩いた。
 以前の世界でも、ライラは庭を毎日パトロールしていた。縄張りの変化が、気になるのだろう。

 日頃、人目を避けるため、剣の姿でいることが多いから。大きな大きな猫の姿に戻れるだけでも、ライラは嬉しいようだった。
 この村に来てからは、ずっと獣の姿でいたが。天誠がいる間は、ふたりにつき合わせて、家の中にこもっていたから。ストレスたまっちゃったかもな。申し訳ない。

 ライラは紫輝に頭をすりつけ、前に出て、紫輝の行く手を邪魔する。ライラを避けると、またすりついて、邪魔する。
 そんな些細なことが、可愛くてならない。
 小さい体のときも、これをよくやられて。踏んじゃいそうで怖かったが。
 でも大きな体だと、体当たりしてもびくともしないから。わざと温かいライラの体に、紫輝も身をぶつけたりする。
 ボインと、紫輝の方が跳ね飛ばされるが。それがいい。

「ライラ、背中がかゆいのか?」
 そのうち、大きな木の幹に、ライラはウネウネと、体をくねらせて背中をこすりつけはじめた。

「おんちゃん、しらないのぉ? かゆいんじゃないわぁ。においをつけているのよぉ」
「でも、ここにいるのはあと少しだよ。匂いつけても意味ないんじゃね?」
「ちがうのよぉ、どうしてもにおいをつけなきゃ、ダメなのよぉ。ほんのぉなのよぉ」

「そうか、そうか、ほんのぉか。じゃあ、仕方ないな」
 その言葉に、自然、目尻が下がる。猫の本能に従うライラを、紫輝はやっぱり可愛いと思うのだった。

 それはともかく。そう、ここにいるのは、うまくいけば、あと少し。
 天誠は、廣伊を説得しろという課題を、紫輝に出した。
 先ほど、廣伊対策のレクチャーを天誠から受けていたとき。天誠は簡単に言うのだけど。そんなことできるのかなぁ…と思っていたら。

「大丈夫。そのために望月を人質にした。すべてを明かして、なお、動かないのなら。縁がなかったとあきらめるしかない」
 なんて言う。人質って…言い方。

 天誠は、そのときは仕方がないから、紫輝が責任を感じなくてもいい、などと言ったが。
 すべてを明かすということは。天誠が何者であるのか、自分が何者であるかをさらすことだ。
 危険が伴うと思う。

 すべてを知ったあと、廣伊が将堂に、そのことを暴露したら。身の破滅じゃないか。
 だから、紫輝は。責任重大だと思っているのだ。
 けれど、千夜に恩を売って、それに廣伊を巻き込むのも、違うと思うから。無理強いはできない。
 結局、なるようにしかならないな。
 本当、無茶ぶりなんだから。って、少し前のことを紫輝は脳裏に浮かべて胸のうちで文句を言う。

「ちゅう、ちゅう、おんちゃんがちゅう、おんちゃんとてんちゃんはちゅうちゅうちゅうっ」
 そうしたら、なにやらご機嫌なライラが、また恥ずかしい歌を歌い始めた。
「ちょっと、ライラ。その恥ずかしい歌はやめろって」

 紫輝の注意は、なんのその。ライラは高らかに歌い上げながら、匂いを擦りつけていた木で、今度は爪を研いでいる。
 割と立派な木なのだけど、大きな体で全体重を寄りかからせるから、ゆさゆさ揺れた。
 そんな大きな爪の跡をつけたら、熊と間違われるんじゃないだろうか? と紫輝は心配になる。

「わっ」
 どこからか声がして、見上げると。ライラが爪を研いでいる木の上に、千夜がいた。
 紫輝にみつかって、顔をしかめ。仕方なく降りてくる。

「わぁ、千夜、久しぶり。思い切ったねぇ、その髪」
 紫輝は千夜の頭を見て、素直に感嘆する。あんなにボリューミーだった長髪が、超短髪。おしゃれ前髪。整髪料があったらリーゼントとかできそう。

「すごく格好いいじゃん。誰に切ってもらったの?」
「あぁ、橘っていう、大きな使用人の。手先が一番器用なんだって聞いたからさ」
「わぁ、いいな。俺も今度、橘くんに頼もうかな?」
 でもそう言ったら、たぶん天誠が拗ねちゃうな、と思って。胸のうちでクスクス笑う。

「千夜、ピンが落ちそうだよ」
 紫輝は、千夜のトレードマークのピンが、ひとつ取れそうになっているのをみつけた。
 千夜のピンは、細い鉄の棒を折り曲げただけのシンプルな髪留めのピンだ。
「あぁ、短くしたらうまく刺せなくて。暗殺に便利なんだが」
「…誰を?」
 物騒な言葉に、紫輝は目を丸くして、千夜を見た。

 千夜は明るい笑顔を見せる。ずっと苦しそうな顔を見続けてきたから、なんの憂いもない晴れ晴れしい彼の笑みに、紫輝は胸を打たれた。

「ははっ、暗殺だけじゃなくて。いろいろ便利だ。扉こじ開けるとか、目印とかに使える」
 紫輝は手を伸ばして、千夜のピンを直してやる。
 一本は髪をはさめるが、二本目が余る。
 なので、紫輝はバツ印に交差して刺した。これなら一本目が落ちなければ二本目も落ちない。
 それに、なにやら男らしくなった千夜に、バッテンが似合っている。

 千夜は甚平の前が大きくはだけて、引き締まった胸筋や腹筋がちらりと見えていて、男の色気がすごい。犬歯を見せてニヤリと笑う顔とか、なんか、ワイルドに磨きがかかっているんですけど。

「隠密の修業したんだって? すぐ行動に移すとか、やっぱりすごいなぁ、千夜は」
 千夜は、キラキラした羨望の眼差しで、紫輝に見られ。げんなりと顔をしかめる。
 そんな綺麗なものじゃなかったと、ここ数日を振り返った。

     ★★★★★

 腕が治った矢先、大和に、山の奥地に強制連行され。マジで、死にそうになったのだ。
 忠告はされていた。
 痛い腕を抱えていた方が、マシと思うかもしれない、と。
 あの、壮絶な痛みの方がマシだなんて、この世にそんなものはないと。その言葉を聞いたとき、千夜は思ったのだが。

 本当に、地獄はあったのだ。

 廣伊に、完膚なきまでに叩きのめされた、二十四組に入りたての頃。あの、地面に這いつくばった状態。
 大和は、そこからが本当の鍛錬だと言い。息を吸えないほど体を追い込んだあとに、剣を容赦なく振るった。
 どんな状況下でも、息を殺せ。己の存在を消せ。真の隠密になるための、山の中での鬼ごっこ。
 少しでも気配を見せれば、大和が攻撃してくる。
 二度ほど気絶したが、もちろん大和に水をぶっかけられて起こされる。

「死にたいんすかぁ? 望月先輩」
 愛想の良い新兵だと思っていた。その大和が、千夜をのぞき込むその顔は。

 悪夢に見そう。

 笑顔なのに、目が笑っていない。
 昔、安曇と対戦したとき、彼はまるで、師匠のように千夜の剣をあしらっていた。
 でも、あんまり手応えがないと、殺しちゃうかもしれないなぁ…という狂気も見せていた。
 その雰囲気に、かなり似ている。

 そんな大和とやり合う極限状態が丸ニ日続いた。
 祖父に教わった隠密の極意など、ほんの触りに過ぎなかったと知る。
 ジジイ、俺をあなどって。なにもかも中途半端にしやがって。腹立つ。

     ★★★★★

「やっぱり、大変だった? 天誠に言って、加減してもらおうか?」
 地獄の特訓を思い出していた千夜に、紫輝が気遣って声をかける。
 冗談じゃない。
「馬鹿な。強くなるのは大歓迎。余計なこと言うなよ」
 と、いうより。紫輝があの男にそんなことを言ったら、蔑んだ目で見られるのが確定だ。
 千夜は、強くなるための苦労や苦痛は、どんなものでも耐えられる。
 それより、使えない奴だと思われる方が、耐えられない。

「ええ、これ以上強くなったら、どうなるの?」
 ははっと軽く紫輝は笑うが。
 己より強い者が、廣伊の他にも、まだまだいるのだと思い知らされているところだ。

 もっと、もっと、強くならねぇと、紫輝の後ろにいられない。
 そう思い、千夜は奥歯をきしらせる。
 事実、そうなのだった。

「なぁ、紫輝。お嬢のちゅうの歌を聞いたことは、内緒にしてやる」
 千夜に言われ、紫輝は目を丸くした。
 だって、千夜にライラの声は聞こえないはずなのだ。だから、恥ずかしいと思いながら、ボロを出すまいと黙っていたのに。

 聞かれた? あれを、聞かれたっ??

「いや、それは…あの、つかっ、なんで?」
「さぁ。わかんねぇけど。高らかに歌っていたな、おんちゃんとてんちゃんはちゅうちゅう…」
「やーめーてー」
 顔を最上級に赤くして、紫輝は千夜の口を、手でおさえにかかる。

「おまえ、マジで、あの禍々しい男と付き合ってんの? ちゅうしてんの? 将堂の敵で、弟で、安曇眞仲で…」
「将堂の敵でも、俺の敵じゃない。どの天誠も、俺の味方。家族、愛する人、だから…チュウもする」

 羞恥を、口をとがらせることで誤魔化し。紫輝は本音をさらした。
 まぁ、千夜はもうなにもかも知っているみたいだし。いいんじゃね?

「それにしても…はぁ。やっぱり、これのせいだよね」
 紫輝は、千夜の右手を掴んで、情けなく眉尻を下げる。
 ライラの声が聞こえた原因だ。

「俺の加護があるから、聞こえるのか? 今まで、俺の加護は。天誠とライラにしかなかった。だからたぶん、加護のせいだよね? 他に不都合なところはないか?」
「別に、お嬢の声が聞こえるのは不都合じゃねぇ。それに、力が三倍、五倍、とかだと、なお嬉しいが。今のところそういう部分はないな。元のまま…いや、痛みも動かしにくさもないから、怪我する前のまま、か」

 今までと変わった部分がないことを、残念そうなニュアンスで千夜は言う。
 気を失ってから、紫輝は千夜と会うのが初めてだった。
 だから、腕の話をするのは、少し緊張する。
 千夜が、やはり後悔しているのではないか、と。
 隠れて住まなければならないのは、龍鬼である紫輝も考えたことだから。窮屈な生活であるのはわかっている。
 千夜はそういう生活を、これから送らなければならないのだ。

 そんなことを考えていたら、千夜が。紫輝の鼻を、右手でつまんだ。
「なに、情けない顔してんだ? 俺は感謝してんだぜ。当たり前だろう? おまえは、俺の矜持を守ってくれた。廣伊を愛することも、剣の道も、なにも捨てずに済んだんだ。ありがとう、紫輝」
「これから、どうなるか、わからないのに…」

 自分の能力が、紫輝は自分でわからないのだ。
 たとえば、紫輝が死んだら、そのあとはどうなる?
 たとえば、途中で効力が切れたら?
 たとえば…。

「将来なにが起ころうと、紫輝を恨んだりしない。なにかが起きたら、そのとき対処すればいい。起こっていない未来に脅えてたら、時間がもったいねぇよ」
 にっかりと笑う千夜を、紫輝はまぶしいと思ってみつめた。
 やっぱり、格好いいな、千夜は。

「あ、そうだ。話の途中だった。お嬢の歌のことは黙っててやるから。俺が声を出しちゃったことは、内緒にしてくれねぇか?」

「内緒にできるはずないでしょ? 先輩」
 紫輝は、千夜の後ろでニコニコしている大和が、ずっと気になっていたのだが。
 言えずにいたのだ。
 おそらく千夜は、紫輝の護衛任務中。紫輝に気づかれたら駄目なやつだったのだろう。

 言えなくて、ごめんな千夜…と胸のうちで詫びた。

「そうそう、この前、良い滝つぼみつけたんですよぉ、先輩??」
 大和は千夜の襟首を掴んで、山の中へと歩いて消えた。
 大和の台詞の語尾に、怪しげなハートマークが見えたことは、紫輝だけの秘密にしておく。

 それからしばらく、紫輝は千夜の姿を見られなかった。
 大丈夫かな、千夜。

     ★★★★★

 翌日の夜、廣伊が村に戻ってきた。
 でもその日は、千夜に譲って。ふたりで仲良く過ごしてもらって。

 十月二十七日の早朝、紫輝は廣伊と会った。
 廣伊は、いつもの緑色の軍服を着て、剣も携えている。
 この村でも油断していない、凛とした背中だった。

 敷地内の、村を見渡せる場所に、廣伊ひとりでいる。
 この世界の人たちは、日の出とともに活動するみたいで、朝は早い。村人が朝食を作る、煙とか、人の気配とか、高台にいても、感じられた。

 隣にライラを寄り添わせる、軽装姿の紫輝は。廣伊の背中に声をかけた。
「おはよう、廣伊。朝食を本棟で食べないか?」
 振り向く廣伊は、いつもどおり表情に乏しい。それゆえに、整った容貌が際立つ。
 神様が作ったお人形のように、一部の隙も無い美しさだ。
 千夜は、この綺麗な男を手に入れたのだな。
 そう思うと、うらやましい…とは違うか、やったな、こいつぅ…という気分だ。

「おはよう、紫輝。この屋敷は、至れり尽くせりなのだな。風呂の用意も、着替えの用意も、なにも言わずに出てくるなんて。ただ、千夜だけがいないが…」
 そのことに、紫輝は触れず。廣伊を本棟に招いた。

 食堂の机は、六人掛けのこじんまりとしたもの。紫輝と近い位置で食事をしたい。という天誠の要望が、具現化している。
 いわゆる、ダイニングテーブルだ。
 一般家庭は、床にちゃぶ台を置いて、そこで食べたり。裕福な家だと、ひとりひとり御膳が出たりするようだが。
 軍人は剣を持っているので、椅子に座って高い机で食べる形式。
 前線基地の食堂も、そんな感じだった。紫輝も廣伊も入れないけど。

「本棟は、木佐の屋敷だよな。木佐はどうした?」
「大和は仕事中なんだ。それと、ここは大和の家じゃない。俺の家だ」
 食事が給仕され、紫輝たちの前に並ぶ。
 川魚の塩焼きや山菜の煮物や卵焼きや味噌汁、軍の食事に比べれば豪勢だし、どれもこの土地で採れるものなので新鮮な御馳走だ。

「うわぁ、美味しそうだね。食べよう、廣伊」
「紫輝の家? 村も…しき村…」
 食事をとりながら、紫輝はどのように話を持っていこうか悩んでいた。
 この村の話からでは、飛躍しすぎだよな?

「おまえが、千夜の腕を治したのか?」
 思案していたら。いきなり、廣伊がズバッと話に切り込んできた。
 紫輝はもう、成り行きで行こうと思い。廣伊に返す。考え過ぎると、逆に無茶苦茶になりそうだからな。

「なんで、そう思う?」
「あれほどのひどい傷を治せるのは、龍鬼くらいだろう。だが、私も堺も、そういう能力はないし。残るは藤王と紫輝、手裏のニ龍だが。一兵士の千夜の傷を治して、得のある者といえば。おまえしかいない」
「…なるほど」

 素晴らしい洞察力だと思います。
 まぁ、その筋だったら、紫輝とつながりのある安曇という線も残るけど。

「だが、決定打は。腕が紫に光っていたからだ」
 ですよねぇ。
 すっぱり廣伊に言われ、紫輝は肩を落とした。

「あぁあぁ、やっぱり見えちゃった? 嫌だよね、恋人の腕がそんなんじゃ…でも、これ以上は無理っていうか…」
「感謝する。千夜がつらくないのが、一番いい。彼に腕を返してくれて、ありがとう、紫輝」
 礼を言われ、紫輝は目を丸くする。

「嫌じゃないの? 視界に入るたびに、うざくならない?」
「私は、それほど敏感じゃないので。目を凝らさないと見えないんだ」
 ホッとした。
 だって…彼氏の耳に元カノが開けたピアス穴、くらいのうざさがあるかと思って。
 私の男になにすんだ、みたいな?
 まぁ、気にならないならそれでいい。どうにもできないし。

「あいつは、このまま将堂を離れ、隠密になると言っているが。あんな派手なナリで、隠密なんかできっこない。紫輝はなにか、彼の仕事の話を聞いているか?」
 おかしなことを廣伊が言うから、紫輝は思わず笑ってしまった。

「笑って誤魔化す気か? 千夜に仕事を依頼したのは誰なんだ?」
「いや…隠密、できているな、と思って。つい、笑っちゃった」
 紫輝が目線で廣伊の背後を示す。
 食堂の隅に、千夜がいた。少し距離はあるが、廣伊は全く気配を掴めていなかったので、驚いた。

「千夜…朝起きたらいなかったから、昨夜のことは夢なのかと思った…」
 少し頼りない目を向け、廣伊が言う。
 彼が珍しくよく寝ていたので、なにも言わずに出たのだが、逆に不安にさせたな、と千夜は反省し。
 でも己を探してくれたのかと思うと、申し訳ないが嬉しく感じてしまう。

「夢じゃねぇよ。ほら、今日も腕はある」
 千夜は廣伊の後ろに立ち、椅子に座る廣伊をバックハグした。
「ラブラブなのは良いことよ」
 隣でライラが言うのに、紫輝は、そうだね、うんうん。と相槌を打つ。
 ライラの声が聞こえる千夜は、少し顔を赤くし、そそくさと離れてしまったが。

「ちょっと、千夜。廣伊に、どういう説明したんだよ?」
「隠密になることになった、と」
 それって、全然、話できてないじゃん。疑惑が募るじゃん。
 もう。千夜、大雑把すぎ。
 将来の、廣伊との大事な生活についてなんだから、詳しく説明してあげてよね。不安になるじゃん。
 と、紫輝の脳内で、文句が出まくった。

「大事な部分、抜けてんじゃん。俺の隠密、だろ?」
「…紫輝の?」
 話が見えなくて、首を傾げる廣伊に、紫輝は説明していく。

「うん。陰ながら、守ってもらうことになったんだ。それが、腕を治す条件」
「……」
 そこまで言って、廣伊が無言で見やるので。
 なんとなく、千夜を無理強いしたみたいな気になって。ついつい言い訳してしまう。

「いやいや、俺は無償で治すつもりだったんだよ。でも…」
 天誠が、そういうのは良くないって。
 天誠に言われると、そうなのかなぁ、と思ってしまう自分がいるのだが。
 でもやっぱり、交換条件っていうのは良くないよな。うん。

 なんて紫輝は思っていたのだが。
 千夜が首を横に振った。

「いや。友達でも、甘えは良くねぇ。それに、なにか代償があった方が、怖くねぇよ。変なものを、のちのち要求されたくないからな」
「紫輝は、そんなことしないだろう?」

 無償で腕を治しても良かった、という人物が。あとで無茶ぶりはしないだろうし。
 今までの紫輝の性格からしても、そんなことはしない。
 廣伊の中ではそういう評価だったのだが。

 千夜は顔をしかめる。
「紫輝じゃねぇ。紫輝の後ろにいる奴が、ヤバいんだ」

 千夜がそこまで言ったので。
 紫輝は、廣伊にぶっちゃける覚悟を決めた。
 箸を置いて、身を乗り出す。

「でね。これは強制や脅しじゃないんだけど。聞いてくれる? 俺、廣伊にも協力してほしいんだ。俺、家族と心置きなく、平和に暮らしたいんだよ。でも今のままじゃ、龍鬼だから、どうしても戦争に駆り出されちゃうだろ? だから。戦を終わらせたいわけ」
 そこまで一気に告げて。紫輝は、はぁと大きく息をつく。
 ここからが本番だ。

「それで、俺の家族というか、恋人というか…なんだけど。千夜が言った、俺の後ろにいるヤバい奴っていうのはね…」
 そっと、紫輝は机の上に黒い羽を置く。三十センチほどもある、大きな黒い風切り羽。

「手裏基成なんですっ。俺、手裏基成と結婚してんだ」

 あまりにも驚愕したのか、廣伊が箸を落とした。

 ですよねぇ。昨日、天誠から聞いたとき。紫輝もびっくり仰天したのだ。
 まぁ紫輝は。薄々、気づいてはいたけれど。

 だって。黒の大翼を持つ者は、手裏基成しかいないって。何度か、誰かしらから聞いていたから。

「それは…騙されているのでは?」
 廣伊は、紫輝を、まだ子供のように思っていたので。
 紫輝が裏切ったと思うよりも先に。安曇眞仲などに会ったときに、洗脳されたり、言いくるめられたり、恋心にかこつけて利用されたりしているのではないかと勘繰った。

 そして、千夜がそばにいてどうしてこうなった? という疑問も湧く。
「ううん。騙されていない。だって。手裏基成は、俺の弟の天誠で、恋人の安曇眞仲でもある。廣伊に、今までのこと、正直に、包み隠さず話すから。聞いてほしい」

 そうして、紫輝は。己が将堂赤穂の息子であり、時を操る龍鬼だったこと。命を狙われて過去へ逃げたこと。そこで天誠という弟ができて、愛情深く育ったこと。
 そして半年前に、この世界に連れ戻されて、今ここにいることなどを。丁寧に話していった。

「紫輝が、赤穂様の子供? なんか。驚きすぎて。頭がおかしくなりそうだ」
 いつも表情を変えない廣伊だけど。
 目の前にいる彼は、目まぐるしく、どこかしら表情筋を動かしている。
 きっと、本当に、すっごく驚いているのだろうなと、紫輝は察した。

「天誠だけが、八年前に堕ちたんだ。千夜が邂逅した、金髪碧眼の龍鬼は、まさしく天誠。天誠はまず安曇眞仲として手裏軍に入り、俺を探し続けた。でも、この世界は。純粋な人間は生きられない。そういう薬物が、今も残っているんだ。天誠は鳥の遺伝子を取り込むために、黒の大翼を背中につけた。それで、髪も目も黒くなったんだって。そのときから手裏基成をやってるって、言ってた」

 昨日、天誠から明かされた情報を、紫輝は廣伊にも、言われたまんま話していった。
「それは、手裏家のお家騒動の話だな。紫輝の弟の天誠がそこで成り代わり。今も手裏基成として、振舞っているということか? 波乱万丈だな」

 一言で言うのも、申し訳がないほどの、壮絶さがある。
 廣伊は人知れず息をのんだ。

 っていうか、それって、手裏軍の最高機密だろう?
 手裏の総帥が、手裏家の者じゃないなんて、どうしてそんなことが起こりえるのか。
 そして安曇眞仲と手裏基成が同一人物で。
 安曇が龍鬼ではなかったなんて…廣伊は容易に理解できなかった。

「それでね。天誠は弟なんだけど、血はつながっていなくてね。なんていうか…愛し合っていまして。結婚しました…というわけです」

 いきなり、照れ照れし出した紫輝を。廣伊は半目で見やる。
 後ろにいる千夜を見ても、残念そうに首を横に振り。
 どうやら、完全に出来上がっている様子。
 こんな子供に、手を出すなんて。
 でも、弟だと言ったか。
 あちらの方が年下…いや、今は年上…。

 なにもかもこんがらがって、廣伊は頭を抱えた。

 そして、笑った。
 あんまり突飛な話しすぎて、笑うしかないというか。

「ひ、廣伊が笑ってる。千夜、どうしよう。廣伊がおかしくなっちゃったかも」
「くくくっ、いや。なんか。でっかい話されて。こんなの、ついていけないって思ったら、笑えた。それで、紫輝は終戦にしたいと言うが。その話自体は悪くない。でも、どうやって?」

「天誠は…あ、俺の中では手裏基成は天誠なので、そう言うんだけど。将堂の俺と、手裏の天誠が、力を合わせれば終戦に向かえるって。詳しく教えられていないんだけどぉ。天誠は頭が良いから大丈夫だよ。でも、今はまだ、手裏側も将堂側も、その時じゃない。機が熟すまで、俺は将堂で、今までどおり過ごすよう言われている。それで、無事にいられるよう、千夜を隠密としてつけることになったんだよ」

 腕を治したが、それゆえ、千夜は将堂には戻れない。
 だが仕事を依頼し、生きる意義を、紫輝は千夜に与えた。

 腕を失くして失意に沈んだ千夜に、希望を与えてあげたいと、廣伊も思ったけれど。なにもかも、己にはできなかったこと。
 廣伊には、命を救うことと、生き永らえさせることしかできなかった。
 いつか、笑えるようになったら。そう願うことしか。

 死にたいと千夜が言ったとき、その願いを叶えるべきだったのではと、ずっと思っていた。
 その苦悩も、紫輝が晴らしてくれた。
 千夜は、今、明るく笑っている。
 強者としての自信も取り戻して。これほどの大団円があるだろうか?

 感謝、するしかない。
 ありがとうと、百万回言ってもいい。
 そんな紫輝に、否と言えるはずもない。

「廣伊、俺が受けた命令は、紫輝の命を、あらゆる場面で守ること。それのみだ。命令という形にはなっているが、無理強いじゃねぇ。紫輝が何者だって構わねぇ。俺は俺の意志で、紫輝を守ると決めた」
 千夜は確固とした決意を宣言し。
 紫輝は相変わらず、アワアワしている。

「で、でも、千夜は千夜だから。天誠は千夜を人質にしろなんて言ったけど、それは違うと思うし。だから、ちゃんと、廣伊の意思を尊重するよ。でもでも、俺は廣伊が協力してくれたら、とても嬉しいし、心強いんだけど、ね。で、どうかな?」

 紫輝が、眉尻を下げる情けない顔で、廣伊にたずねる。
 そんなに心配することないのに。

 紫輝と天誠の、兄弟としての結びつきは。過去の話を聞く限り、かなり強固だと、廣伊は感じた。
 そして、紫輝は、将堂の血脈。弟は、手裏基成に成り代わっていて。
 そのふたりが、結婚しているという。
 それは二大勢力である両家の統合もありうるということだ。

 このふたりが、うまく立ち回り、終戦に向かうことができたら。
 たとえ、廣伊が紫輝に加担したとしても、裏切りには当たらない。
 なぜなら、将堂軍の兵として、将堂の血脈の意志に沿っただけのことだからだ。

 将堂の中にも派閥はある。金蓮派、赤穂派、そしてそこに紫輝派ができる。そういうことだ。

 長年、廣伊がどの派閥にも属さなかったのは、特に信念があるわけでもなかったからだ。
 ただ、黙々と剣を振るってきた。
 そんな中でも、なぜか、将堂を裏切れないという意識だけは、根強くある。
 将堂に、それほど強い恩があるわけでもないのだが。

 龍鬼だから。
 ここから放り出されたら生きていけない、という恐れが、無意識にあるのかもしれない。

 ただ、紫輝に追従しても、裏切りに当たらないのなら。紫輝につく。
 紫輝には、確かな恩があるのだ。

 廣伊は赤穂に、紫輝の地位を引き上げろと言われたことを思い出す。
 紫輝は、赤穂の子供。
 将堂の血脈。
 その人が、終戦に向けて準備を始めているのだ。協力…するに決まっている。

 なにより、この不毛な戦いを終わらせられるなら、なんでもしたい。
 廣伊だって、平和な世の中で、千夜とまったり暮らせたら…みたいな夢くらいある。

「紫輝に、協力する。身命を賭して、私もおまえを守ろう」
「本当に? わぁ、ありがとう。これで千人力だな、ライラ」
 紫輝は嬉しそうに、隣に寄り添うライラにしがみついて、喜んだ。

 廣伊は、そこで気づく。
 ライラの目に、なにもかもを見通すような、凛とした輝きがあることを。
 誰かが、見ている? まさか。

「廣伊が承諾してくれて、安心した。これで、廣伊のことも守れる」
 千夜が、廣伊の肩を抱いたので。廣伊は一瞬気を取られた。
 再び目を戻すと。紫輝の白い妖獣は、いつもののほほんとした、邪気のない目に戻っていた。

 んぅ、やはり気のせいかな、と思い。千夜に返事をする。
「紫輝の隠密なら、私のことまで守れないだろ?」
「紫輝のそばにいれば、必然的に廣伊のそばにもいられる。余裕があるなら廣伊を守ってもいいと、安曇から言質を取っているので、大丈夫だ」

 千夜が笑いかけてくる。が、そんな優しげな笑顔、今まで向けられたことないから。
 廣伊は、どきどきそわそわしてしまう。
 なんだろう、この感覚は?

 廣伊は。頭では、愛とか恋とか、わかっているのだが。
 心がときめくという体験は、あまりなく。
 やることやっているのに、実は初心なのだった。

 千夜の猛攻に、ぐるぐると廣伊が目を回すのは、もうすぐ、である。

「なぁ、廣伊。このあとどうするんだ? 休暇はどうなった?」
 紫輝の問いかけに、廣伊は真面目な顔つきで答えた。

「先日相談したとおりだ。十一月から、私が休み。十二月から一月いっぱいは、紫輝が休むようにしてきた。しかし千夜が大丈夫そうだから、私もすぐに本拠地に戻るつもりだ」
「ええ、それならっ、十一月までは、ここに滞在してゆっくりしなよ。せっかくだし、ハネムーン的な?」
「「はねむん?」」

 廣伊と千夜は、ふたりで首を傾げた。
 紫輝が、時折言ってくる変な言葉が。三百年過去に使われていたものだと、今ではふたりとも知っているが。
 意味は結局わからないので。

「えっと、新婚旅行だ。蜜月だよ」
 紫輝に言われ、ふたりは顔を赤くさせる。
 しかし大人として、廣伊は気持ちを引き締める。

「いや、しかし。やること山積みだし」
「駄目。強制収監。千夜、三日間、廣伊を部屋から出さないでね」
「了解、紫輝様っ」
 揶揄する口調で言って、千夜は廣伊を姫抱っこすると、千夜たちの屋敷に向かった。

「十一月に、ふたりで本拠地に帰ろうね? 廣伊。またね」
 千夜の後ろにいる紫輝は、笑顔で手をヒラヒラ振っている。
 いやぁ、良い仕事した。そんな誇らしげな顔つきで。

 廣伊は紫輝から、千夜に視線を戻す。
 ほんの間近に千夜の顔がある。
 見慣れた男の顔のはずなのに、鋭角な顎の線が髪を切ったことであらわになって、様相が違って見えた。
 まるで別の男のよう。

 廣伊の視線に気づいた千夜が、瑠璃の瞳を動かし、廣伊を映し込む。
 そっと微笑むから。
 廣伊はなんだか気恥ずかしさを感じた。
 いつもと態度が違うじゃないか。調子が狂う。
 そんな理不尽な怒りが湧いて、廣伊は唇を引き結んだ。

 再び寝室に戻ってきたふたりは。綺麗に敷布が整えられているのを見て、いたたまれない気持ちになる。
 それでも千夜は、廣伊を寝台に座らせ。
 その隣に自分も腰かけた。

「千夜、本当に。紫輝が、あのようなことを言ってきたからには、私も準備を整えねばならない」
「なにをする気だ?」
 たずねながら、千夜は廣伊の剣を抜いて、そばに立てかける。

「赤穂様に、紫輝の地位を引き上げるよう言われた。そのときは、時期尚早かと思い、保留にしたが。こうなったからには、早々に引き上げなければならない。紫輝も。紫輝を守るために、自分もな。私は第五大隊長の本来の任務に戻るのだが。紫輝を副長にすることに決めた」
「ふーん、いいんじゃね?」

 軽い感じで相槌を打つ千夜だが。
 なにやら、熱っぽい目で廣伊をみつめてくる。
 話しながらも、指先で頬や耳や髪を優しく撫でる。些細な感触がくすぐったくて、ぞわぞわした。
 もう、そんな目で見るなっ。

「副長なら、ほぼ廣伊のそばにいられるからな。あー、なら、大和を紫輝の補佐につけてくれよ。彼は紫輝の表の隠密だし、安曇が仕込んでいるから頭も回る。紫輝の補佐にうってつけだ」
「木佐が? この屋敷が、木佐のではなく紫輝のだというのは…」

「あぁ。ここは。この村自体が、安曇が紫輝を守るために作った、箱庭なんだそうだ。村人も全員、安曇の息がかかっている、龍鬼に優しい村だ。だから廣伊も、ここにいる間は気を抜いていい。そんな軍服は…脱いでしまえ」

 かっちり着込んでいる緑の軍服に、千夜は手をかけ、脱がせていく。
 早く本拠地に戻って手続きをしたいと思っている、仕事中毒の廣伊だが。
 戸惑いつつも、千夜の手を止めはしなかった。

「マジか。いちいち規模がでかいな。終戦とかも、普通は考えつかないだろう? なんなんだ、あの兄弟」
「知らね。ただ、俺はあいつらに全面協力するだけだ。紫輝が時間を操る龍鬼だとしても、俺の腕を戻す方法など考えつけないもんだ。でも、安曇は論理的に紫輝を誘導し、紫輝は安曇の示唆を受けて感覚的に、腕を取り戻したんだよ。そんな奴らだぜ? 村にしても、終戦にしても、凡人には到底理解しきれねぇ」

 千夜は一度立ち上がり、部屋の衣装箱から白い薄絹の衣を手に取ると。
 素肌の廣伊の肩に、着せ掛けた。

 着物とは言えないほど、薄く、肌が透けて見えてしまうもの。
 これではなく、やはり軍服を…。

「同感だ。だから、つまり…早く、やることをやらねば…」
「あぁ、やることしよう。ここにいる間は、この衣だけを着て、俺のことだけ考えて、俺のことだけその目に映してくれないか?」

 帰らなければ、そう思うのに。
 清涼な夏の空を思わせる、千夜の瞳にジッとみつめられ。
 胸がギュギュっと痛くなって。
 廣伊はなにも言えなくなった。

「俺の嫁になってくれ、廣伊」
「…嫁?」
 なかなか、千夜の言葉がのみ込めなくて、廣伊はきょとんとしてしまう。

 そういえば、この衣は、お嫁さんが白い着物の上にまとうもの。
 千夜は、本当に。自分を嫁にする気なのか?
 そう思って、廣伊は彼を見返した。

「あぁ。俺の伴侶に。ずっと、俺と一緒に生きてくれないか?」

 龍鬼として生まれついた廣伊は、ひとりで生きて、ひとりで死んでいくのだと思っていた。
 そういう生き物に生まれたのだと、あきらめていた。

 でも、千夜が。一緒に生きてくれると言ってくれた。
 自分に、伴侶だなんて。考えたこともなかったのに。

 嬉しいから。
 ただただ、嬉しかったから。
 迷うことなどなかった。

 彼が求めてくれたのだから、自分なんかが、などとは。もう、思わない。
「私を、千夜の伴侶にしてくれ。千夜とともに、生きていく。そして、これからもずっと一緒だと、誓う」
 ふたりは手に手を取って、額と額を合わせて、永遠にともにいる約束を、厳かに誓い合った。

「ふふ、これも契約だな。思えば、私と千夜は、あの契約から始まった」
「だが、あの契約があったから、俺は今まで、廣伊のそばにいられたんだ。こういうものなら縛られるのも悪くない」
 瞳に唇が近づいてきて、廣伊は思わず目を閉じた。
 すると千夜が、唇でまつ毛を撫でてきて。くすぐったい。

「薄絹をまとう廣伊は、本当に花嫁さんみたいで、とても綺麗だよ。緑のまつ毛もキラキラだ」
 うっとりした顔つきで、千夜が囁くから。
 外見なんか、そんなに褒められたことがなくて。

 廣伊は目がグルグル回りそうになる。なんなんだ? 急に褒め倒してきやがって。

「せ、千夜? どうかしたか? なんか変なもの食べたのか?」
「失礼だな。俺は思ったままを言っているだけだ。廣伊を愛している。好きだ。可愛い。このほっぺとか食べちゃいたい。どうせ、この先は忙しくなるだろう? だったら、この三日間は。絶対ぇ離さねぇから」

 褒め倒しからの、猛烈な求愛攻撃に、廣伊はタジタジしてしまう。
 そうするうちに寝台に押し倒されてしまった。

「昨夜は突っ走っちゃったから。今日は優しくしたいんだ。廣伊のこと、愛させて…」
 甘さがにじむ声で、深い海を思わせる瞳で、情熱の孕む眼差しで、そんなことを言われたら。

 了承するしかないじゃないか。

 ずるい、なんて思っても。廣伊は千夜のくちづけをかわすことなどできはしない。
 ただ、愛してる、そんな気持ちで。彼に身を委ねた。

 
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