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2-10 ずぶずぶのドロドロでございます
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◆ずぶずぶのドロドロでございます
「わ、我が、クロウのことを忘れるわけなかろう? …泣くでない」
陛下は、ぼくのことを、忘れていないようなのです。
そう言って、そっと、唇にキスしてくれたので。
触れるだけの、優しいくちづけですが。
陛下の体温が心地よく。唇の感触は柔らかく。ついばむような、あやすような、なぐさめるようなキスは。
あぁ、陛下のキスです。とても安堵いたします。
でも、だったらなんで、はじめましてなんて言ったのでしょう?
からかっただけなら、良いのですが。
まさか、ぼくとのことをなかったことにしたかったのでしょうか?
それを思うと、悲しくて。涙はなかなか止まらない。
ボロボロと、ぼくの頬にこぼれる涙を、陛下が唇で吸ってくれるのですが。
あぁ、とめどなくてすみません。
涙の洪水が、止む気配がありません。
陛下は、お姫様抱っこしていたぼくを、地におろし。ぼくが握り締めていたハンカチを手に取ると、ぼくの頬を拭った。
で、ですがっ。それは。そのハンカチはっ。
「あぁ、こ、これは。陛下にプレゼントしようと思っていた、ハンカチなのにぃ?」
プレゼントを、自分の涙で汚してしまって。
ぼくはびっくりや、がっかりや、アセアセや、いろいろな感情が渦巻いて。結果、涙は止まった。
止まった、けどぉ。
「そうなのか?」
「はい。このハンカチを持っていたら、離れている間、陛下がハンカチを見るたびに、ぼくのことを思い出してもらえるのじゃないかって。刺繍したのに。汚してしまいました」
ハンカチに目を落とすと。ぎゅうっと、力いっぱい握っていたから。しわが寄っているし。
涙で、びちょびちょのぐちょぐちょで。
とても人にあげられる物ではなくなっていた。
あぁ、ショック。
でも陛下は、そのハンカチで、まだぼくの頬を拭っている。
「我は別に構わぬが。汚れたのが気になるのなら、このハンカチは、我だと思って、クロウが持っていてくれ」
「わかりました。では、こちらを…」
まぁ、確かに。汚れてしまったものは仕方がない。
ぼくは、気持ちを切り替えて。内ポケットに手を入れ。
そこからいっぱいの、刺しゅう入りハンカチ、レース仕立てをズボッと出して、陛下に差し出した。
「毎日洗濯しても、ストックがあるように、十枚、持ってまいりました。一枚は汚してしまったので、九枚ですが。お受け取りくださいませ」
そうしたら、陛下は。ブフッと、変な感じで、笑いを漏らした。
もう、ちゃんと、笑いをこらえるなら、最後までこらえてください。
「おまえ…こんなにハンカチを作っていたのなら。一枚くらい、風に飛んでも、放っておけばいいのに? しかも、プレゼントなのに、むき身とか。なんで、そういうところは男らしいのだ?」
「王家の紋章の刺繍なのです。そこら辺に飛ばしておけません。ちょっと、聞いてます?」
ぼくの説明には耳を貸さず、陛下とセドリックは、一緒になって腹を抱えて笑っている。
なんで、そんなに笑うのですか?
ぼくはまだモヤモヤが晴れていないというのに。
ひとり、ムッとしていると。
笑い涙を、指で拭った陛下が。優しい微笑みになって。ぼくの涙でぐちょぐちょのハンカチと、ぼくが差し出したいっぱいのハンカチを、交換した。
「さすが、我の妃だ。王家の矜持をないがしろにしない姿勢は、立派だな?」
そうして、目を細めて、ぼくをみつめる陛下は。いつもの陛下で。
瞬時に、王様のお顔に戻られるのはさすがです。
それに、本当に、ぼくを忘れているわけではないみたい。本当に? 大丈夫?
「イアン様、先ほどは、なぜ、はじめましてなんて言ったのですか? ぼく。イアン様がぼくを忘れてしまったのかと思って。本当に、びっくりしてしまったのです」
「一週間くらいで、クロウを忘れるような薄情者ではない。あれは…ちょっとした余興だったのだ」
そう言って、陛下は、ぼくが登っていた木を見上げた。
「この木は、ここで出会った者が恋に落ちるという、伝承のある。有名な大樹らしい。そこで。おまえと、ここで初めて出会ったというシチュエーションを、演出してみたのだ」
「そうでしたか。ぼくは、てっきり…」
アイキンのゲームの強制力が発動して。
「陛下がぼくをすっかり忘れてしまって。もしかしたら、全部リセットされちゃって。アイリスも殿下も、セドリックも、ぼくを忘れてしまって。王城での出来事は、夢のように、なかったことにされてしまって。ひとりぼっちになってしまったのかと…」
わけのわからない力で、今まであったことが、全部ゼロになってしまったら。
この世界は、そういうことが起きる世界なのかもしれない、と思ったら。
怖くて。
本当は。片時も陛下のそばから離れたくなかった。
でも、陛下は。そんなぼくの危惧を笑うのだ。
「なに、そのように不安になっているのだ? 我ひとりだけならともかく、アイリスやセドリックまで、おまえのことを一斉に忘れるなど。あり得ないだろう?」
「ぼくのネガティブ思考は、際限がないのです。ぼくを忘れた陛下は、この学園で可愛い少女と恋に落ち、婚約者のぼくが鬱陶しくなって。冤罪を仕立て上げて、ぼくを断罪して処刑するのです。公爵家も、お家取り潰しなのです」
それが、いわゆる、王道学園乙女ゲームの悪役令嬢の結末なのです。
あぁ、なにより。
陛下が、海色の瞳を凍らせて、大勢の人の前で、ぼくを指差し。おまえとの婚約を破棄するっ! って言われたらと思うと。
また泣きそうです。
そうして、身を震わせていると。陛下が、ハハッと大声で笑った。
「おまえのネガティブ思考の中の我は、どれだけ、悪逆非道なのだ? 孤島から救い出してくれた、命の恩人のおまえを、一切忘れて? たかが可愛いだけの少女に、とち狂い? おまえに罪をなすりつけて、殺すのか?」
「いえ、それは、陛下であって陛下ではない、というか。別人の話です。イアン様がそのように、悪逆非道な方だとは思っておりません」
ただ、一般的な。乙女ゲームの中の悪役令嬢の末路を、口にしただけで。
今の陛下が、そういう御方というわけではなく。
でも、ゲームに歪められた陛下が、そうなるかもしれない、という。
最悪の予想図の話なのだ。
「そうだとも。そのような我は、我ではなく。別人だ。もしも我が、そのようなことをしでかすのだとすれば。クロウは早々に、見限って。我がひとりで、地獄に落ちるところを見ていたらいい。それに、我がクロウを、そのような不幸せにしたら。我がクロウを殺すよりも前に、シオンに殴り殺されるぞ?」
すると、いつの間にか陛下の横に来ていたシオンが、拳を陛下の頬に軽く当てた。
ふ、不敬罪っ。
「えぇ、今現在、兄上を泣かしている陛下を殴っても、構いませんが?」
「これは誤解だ。クロウ、言い訳してくれ」
両手を挙げて、降参の姿勢を取る陛下を救うべく。
ぼくはシオンに告げた。
「これは、陛下のせいじゃないから。シオン、下がってくれ。不敬罪、お家取り潰し、駄目ッ」
命令すると。シオンは拳を下ろして、ぼくの斜め後ろに立った。
陛下の斜め後ろには、セドリックが立つ。
そして、陛下は。
とても真面目な顔つきで。真剣に、ぼくに言ったのだ。
「良いか、クロウ。どのような困難があろうと、我はクロウを王妃とし。八月に、国を挙げての結婚式を執り行うのだ。我は、クロウを愛している。誰よりも。…もしも万が一、我が、とち狂ったとしても。きっと、我の母も、妹も、セドリックもシオンもラヴェルもアイリスも、国民も。誰もかもが、クロウに味方するだろう。おまえには、それだけの功績があり。みんなが愛すべき人物なのだ。だから、なにも不安に思うことはないぞ?」
丘の上の、穏やかな風に、金髪を揺らす陛下は。とても精悍で、男らしい頼もしさを醸している。
白地の制服が、年齢相応の青年に見せていて。
国王の威厳というよりも、年若い王子様の親しみやすさがある。
つまり。あぁ、格好いい。
いつ見ても。どの角度から見ても。格好いい。
ぼくの両手を、大きな陛下の両手が握り込んで。
その温かさと力強さに。ぼくの不安は、かき消えた。
そうだよね。今までのことが、なかったことになんか、そう簡単に、そんなことが起きるわけがないよね?
「で、どうだ? クロウ。もう一度、恋に落ちたか? 我に…」
学園に伝承される、両想いになる木。
おとぎ話みたいな話に、陛下はわくわくと瞳を輝かせて、ぼくをみつめている。
ぼくが、陛下に恋するなんて。当たり前なのに。
それを望んでくれているということが。嬉しいし。
なんだか可愛いと思ってしまう。
だから、ぼくは胸を張って言うのだ。
「はい。木から落ちて、恋に落ちて。イアン沼にはまって、ずぶずぶのドロドロでございます」
「…うむ。言い方は、アレだが。なんでか、おまえが言うと、可愛らしく聞こえるから不思議だな?」
なんか、微笑みの陛下の口元が、引きつっているが。
ん? なんかおかしかった? 沼にはまるって、最高の誉め言葉じゃなかったっけ?
「陛下、可愛らしいは、無理があるかと。激重ブラコンのぼくでも、ずぶずぶのドロドロは、どうかと思いますが? とうとう陛下も、兄上の摩訶不思議ワールドに毒されてしまったのですね? お可哀想に」
シオンが、ぼくの背後で、なにやらぼくをディスっている。なにおぅ?
「シオン! ぼくは、摩訶不思議ワールドなんかじゃないぞ? モブを極めているこのぼくは、誰よりも平均的で一般的な、モブ、オブ、モブなのだっ」
ぐちょぐちょハンカチを握りしめて、ぼくは力説するが。
シオンもセドリックも、陛下まで。
平均? 一般的? と首を傾げるのだった。失礼な。
「まぁ、良かろう。クロウ、せっかくの機会だからな? 楽しい学園生活にしような?」
そうだ。陛下は学校に通うのが、初めての機会なのだから。いっぱいいっぱい、楽しいことや面白いことを、しないとな?
ぼくも、したことは、ないのですけど。一緒にお昼を食べたり。廊下でおしゃべりしたり。通学途中で買い食いしたり。カースト上位のイケてるグループみたいなこと、したいですね?
わぁー、ハードル高い。
自分で言ってて、底辺にほど近いモブには、絶対無理とか思っちゃうけど。
あ、木陰に隠れてチュウは、もうしてしまいました。照れ照れ。
イケるぞ。やれるぞ。
チュウは結構、難易度高いもんな?
ろ、廊下で喋るより、高難易度だもんな?
うん。今世では、邪魔とか、キモッとか、グズとか言われたくないものです。
そうだ、学校の醍醐味と言えば。体育祭や文化祭ですが。セントカミュ学園にはあるのでしょうかね?
「わ、我が、クロウのことを忘れるわけなかろう? …泣くでない」
陛下は、ぼくのことを、忘れていないようなのです。
そう言って、そっと、唇にキスしてくれたので。
触れるだけの、優しいくちづけですが。
陛下の体温が心地よく。唇の感触は柔らかく。ついばむような、あやすような、なぐさめるようなキスは。
あぁ、陛下のキスです。とても安堵いたします。
でも、だったらなんで、はじめましてなんて言ったのでしょう?
からかっただけなら、良いのですが。
まさか、ぼくとのことをなかったことにしたかったのでしょうか?
それを思うと、悲しくて。涙はなかなか止まらない。
ボロボロと、ぼくの頬にこぼれる涙を、陛下が唇で吸ってくれるのですが。
あぁ、とめどなくてすみません。
涙の洪水が、止む気配がありません。
陛下は、お姫様抱っこしていたぼくを、地におろし。ぼくが握り締めていたハンカチを手に取ると、ぼくの頬を拭った。
で、ですがっ。それは。そのハンカチはっ。
「あぁ、こ、これは。陛下にプレゼントしようと思っていた、ハンカチなのにぃ?」
プレゼントを、自分の涙で汚してしまって。
ぼくはびっくりや、がっかりや、アセアセや、いろいろな感情が渦巻いて。結果、涙は止まった。
止まった、けどぉ。
「そうなのか?」
「はい。このハンカチを持っていたら、離れている間、陛下がハンカチを見るたびに、ぼくのことを思い出してもらえるのじゃないかって。刺繍したのに。汚してしまいました」
ハンカチに目を落とすと。ぎゅうっと、力いっぱい握っていたから。しわが寄っているし。
涙で、びちょびちょのぐちょぐちょで。
とても人にあげられる物ではなくなっていた。
あぁ、ショック。
でも陛下は、そのハンカチで、まだぼくの頬を拭っている。
「我は別に構わぬが。汚れたのが気になるのなら、このハンカチは、我だと思って、クロウが持っていてくれ」
「わかりました。では、こちらを…」
まぁ、確かに。汚れてしまったものは仕方がない。
ぼくは、気持ちを切り替えて。内ポケットに手を入れ。
そこからいっぱいの、刺しゅう入りハンカチ、レース仕立てをズボッと出して、陛下に差し出した。
「毎日洗濯しても、ストックがあるように、十枚、持ってまいりました。一枚は汚してしまったので、九枚ですが。お受け取りくださいませ」
そうしたら、陛下は。ブフッと、変な感じで、笑いを漏らした。
もう、ちゃんと、笑いをこらえるなら、最後までこらえてください。
「おまえ…こんなにハンカチを作っていたのなら。一枚くらい、風に飛んでも、放っておけばいいのに? しかも、プレゼントなのに、むき身とか。なんで、そういうところは男らしいのだ?」
「王家の紋章の刺繍なのです。そこら辺に飛ばしておけません。ちょっと、聞いてます?」
ぼくの説明には耳を貸さず、陛下とセドリックは、一緒になって腹を抱えて笑っている。
なんで、そんなに笑うのですか?
ぼくはまだモヤモヤが晴れていないというのに。
ひとり、ムッとしていると。
笑い涙を、指で拭った陛下が。優しい微笑みになって。ぼくの涙でぐちょぐちょのハンカチと、ぼくが差し出したいっぱいのハンカチを、交換した。
「さすが、我の妃だ。王家の矜持をないがしろにしない姿勢は、立派だな?」
そうして、目を細めて、ぼくをみつめる陛下は。いつもの陛下で。
瞬時に、王様のお顔に戻られるのはさすがです。
それに、本当に、ぼくを忘れているわけではないみたい。本当に? 大丈夫?
「イアン様、先ほどは、なぜ、はじめましてなんて言ったのですか? ぼく。イアン様がぼくを忘れてしまったのかと思って。本当に、びっくりしてしまったのです」
「一週間くらいで、クロウを忘れるような薄情者ではない。あれは…ちょっとした余興だったのだ」
そう言って、陛下は、ぼくが登っていた木を見上げた。
「この木は、ここで出会った者が恋に落ちるという、伝承のある。有名な大樹らしい。そこで。おまえと、ここで初めて出会ったというシチュエーションを、演出してみたのだ」
「そうでしたか。ぼくは、てっきり…」
アイキンのゲームの強制力が発動して。
「陛下がぼくをすっかり忘れてしまって。もしかしたら、全部リセットされちゃって。アイリスも殿下も、セドリックも、ぼくを忘れてしまって。王城での出来事は、夢のように、なかったことにされてしまって。ひとりぼっちになってしまったのかと…」
わけのわからない力で、今まであったことが、全部ゼロになってしまったら。
この世界は、そういうことが起きる世界なのかもしれない、と思ったら。
怖くて。
本当は。片時も陛下のそばから離れたくなかった。
でも、陛下は。そんなぼくの危惧を笑うのだ。
「なに、そのように不安になっているのだ? 我ひとりだけならともかく、アイリスやセドリックまで、おまえのことを一斉に忘れるなど。あり得ないだろう?」
「ぼくのネガティブ思考は、際限がないのです。ぼくを忘れた陛下は、この学園で可愛い少女と恋に落ち、婚約者のぼくが鬱陶しくなって。冤罪を仕立て上げて、ぼくを断罪して処刑するのです。公爵家も、お家取り潰しなのです」
それが、いわゆる、王道学園乙女ゲームの悪役令嬢の結末なのです。
あぁ、なにより。
陛下が、海色の瞳を凍らせて、大勢の人の前で、ぼくを指差し。おまえとの婚約を破棄するっ! って言われたらと思うと。
また泣きそうです。
そうして、身を震わせていると。陛下が、ハハッと大声で笑った。
「おまえのネガティブ思考の中の我は、どれだけ、悪逆非道なのだ? 孤島から救い出してくれた、命の恩人のおまえを、一切忘れて? たかが可愛いだけの少女に、とち狂い? おまえに罪をなすりつけて、殺すのか?」
「いえ、それは、陛下であって陛下ではない、というか。別人の話です。イアン様がそのように、悪逆非道な方だとは思っておりません」
ただ、一般的な。乙女ゲームの中の悪役令嬢の末路を、口にしただけで。
今の陛下が、そういう御方というわけではなく。
でも、ゲームに歪められた陛下が、そうなるかもしれない、という。
最悪の予想図の話なのだ。
「そうだとも。そのような我は、我ではなく。別人だ。もしも我が、そのようなことをしでかすのだとすれば。クロウは早々に、見限って。我がひとりで、地獄に落ちるところを見ていたらいい。それに、我がクロウを、そのような不幸せにしたら。我がクロウを殺すよりも前に、シオンに殴り殺されるぞ?」
すると、いつの間にか陛下の横に来ていたシオンが、拳を陛下の頬に軽く当てた。
ふ、不敬罪っ。
「えぇ、今現在、兄上を泣かしている陛下を殴っても、構いませんが?」
「これは誤解だ。クロウ、言い訳してくれ」
両手を挙げて、降参の姿勢を取る陛下を救うべく。
ぼくはシオンに告げた。
「これは、陛下のせいじゃないから。シオン、下がってくれ。不敬罪、お家取り潰し、駄目ッ」
命令すると。シオンは拳を下ろして、ぼくの斜め後ろに立った。
陛下の斜め後ろには、セドリックが立つ。
そして、陛下は。
とても真面目な顔つきで。真剣に、ぼくに言ったのだ。
「良いか、クロウ。どのような困難があろうと、我はクロウを王妃とし。八月に、国を挙げての結婚式を執り行うのだ。我は、クロウを愛している。誰よりも。…もしも万が一、我が、とち狂ったとしても。きっと、我の母も、妹も、セドリックもシオンもラヴェルもアイリスも、国民も。誰もかもが、クロウに味方するだろう。おまえには、それだけの功績があり。みんなが愛すべき人物なのだ。だから、なにも不安に思うことはないぞ?」
丘の上の、穏やかな風に、金髪を揺らす陛下は。とても精悍で、男らしい頼もしさを醸している。
白地の制服が、年齢相応の青年に見せていて。
国王の威厳というよりも、年若い王子様の親しみやすさがある。
つまり。あぁ、格好いい。
いつ見ても。どの角度から見ても。格好いい。
ぼくの両手を、大きな陛下の両手が握り込んで。
その温かさと力強さに。ぼくの不安は、かき消えた。
そうだよね。今までのことが、なかったことになんか、そう簡単に、そんなことが起きるわけがないよね?
「で、どうだ? クロウ。もう一度、恋に落ちたか? 我に…」
学園に伝承される、両想いになる木。
おとぎ話みたいな話に、陛下はわくわくと瞳を輝かせて、ぼくをみつめている。
ぼくが、陛下に恋するなんて。当たり前なのに。
それを望んでくれているということが。嬉しいし。
なんだか可愛いと思ってしまう。
だから、ぼくは胸を張って言うのだ。
「はい。木から落ちて、恋に落ちて。イアン沼にはまって、ずぶずぶのドロドロでございます」
「…うむ。言い方は、アレだが。なんでか、おまえが言うと、可愛らしく聞こえるから不思議だな?」
なんか、微笑みの陛下の口元が、引きつっているが。
ん? なんかおかしかった? 沼にはまるって、最高の誉め言葉じゃなかったっけ?
「陛下、可愛らしいは、無理があるかと。激重ブラコンのぼくでも、ずぶずぶのドロドロは、どうかと思いますが? とうとう陛下も、兄上の摩訶不思議ワールドに毒されてしまったのですね? お可哀想に」
シオンが、ぼくの背後で、なにやらぼくをディスっている。なにおぅ?
「シオン! ぼくは、摩訶不思議ワールドなんかじゃないぞ? モブを極めているこのぼくは、誰よりも平均的で一般的な、モブ、オブ、モブなのだっ」
ぐちょぐちょハンカチを握りしめて、ぼくは力説するが。
シオンもセドリックも、陛下まで。
平均? 一般的? と首を傾げるのだった。失礼な。
「まぁ、良かろう。クロウ、せっかくの機会だからな? 楽しい学園生活にしような?」
そうだ。陛下は学校に通うのが、初めての機会なのだから。いっぱいいっぱい、楽しいことや面白いことを、しないとな?
ぼくも、したことは、ないのですけど。一緒にお昼を食べたり。廊下でおしゃべりしたり。通学途中で買い食いしたり。カースト上位のイケてるグループみたいなこと、したいですね?
わぁー、ハードル高い。
自分で言ってて、底辺にほど近いモブには、絶対無理とか思っちゃうけど。
あ、木陰に隠れてチュウは、もうしてしまいました。照れ照れ。
イケるぞ。やれるぞ。
チュウは結構、難易度高いもんな?
ろ、廊下で喋るより、高難易度だもんな?
うん。今世では、邪魔とか、キモッとか、グズとか言われたくないものです。
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全17話
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