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番外 アンドリュー 明日になったら
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◆アンドリュー 明日になったら
タイジュ先生の意思に反して無理やり殿下が彼を抱いているのだと知り。
私は彼をここから救い出したい一心で、彼の手を引いて外に出た。
しかし馬車に乗る手前の階段で、急に手が痺れて。
私は彼の手をつないでいられなくなってしまう。そして、手が離れた。
神の手の魔法を使われた?
そのとき、タイジュ先生の顔を見て、私はハッとする。
どうしてそんな、おびえるような目で私を見るのですか? 私はあなたを助けたいのに。
そして、タイジュ先生は。
彼がここにいるのは女神の采配だと言った。
「俺は殿下とともに在れと、導かれたのだと思います」
彼に嫌々従っているのではない。己の意思で殿下のそばにありたいのだと。
そのようなことも言われて。
私はその場にがっくりと膝をついた。
そんな。神の手であるタイジュ先生に、女神を引き合いに出されてしまっては。
神に背いてまでタイジュ先生を奪うことなど、できない。
「いいのか? アンドリュー」
そのとき。思いがけない声が響いた。殿下の声だ。
殿下はコエダちゃんと手をつないで、階段の一番上に立っていた。
悠然とした態度で殿下に見下ろされる。
「私なら、大樹を手に出来るなら、神も悪魔も踏みつける。アンドリューの場合の悪魔は、私ということになるがな?」
その彼の覚悟。そして軽口をはさむ余裕さに、私はグッと息をのむ。
タイジュ先生も振り返って、殿下を目にした。
「…いたんですか?」
「当然だ。大樹をむざむざ奪われるほど愚かではない」
静観の構え、ではあるが。ちゃんと監視していたようだ。
コエダちゃんは殿下の手を離れて、タイジュ先生に駆け寄る。
「パパぁ」
ギュッとタイジュ先生はコエダちゃんを抱き締めて。
その顔はまるで聖母のごとき穏やかさなのだ。
患者であった私に向けた、柔らかい笑み。
私が愛した、笑顔。
「まぁ、そんなに落ち込まないでくださいよ、アンドリューさん。殿下が許してくれたら、お食事を一緒にしましょう。もうすぐお昼ですし、ね?」
シリアスなムードを吹き飛ばして、タイジュ先生が意外な提案をしてきた。
「……食事?」
「えぇ、美味しいものを食べて腹がいっぱいになれば。すぐに気も晴れますよ。ま、俺の庶民料理なのですけどね。医者なのに、今は料理人モドキです」
「そんな、殿下は神の手であるあなたを給仕にこき使っているのですか?」
「いえ、小枝のご飯のついでなので。それほど苦ではないんですよ?」
「ついで? 殿下を…王族の方の料理を、ついで?」
「あぁ、不敬ですかねぇ、そこは申し訳ないんですけどぉ。俺の一番は小枝なので」
のほほんとした物言いに、私は唖然としてしまう。
おそるおそる殿下を見やると、彼は肩をすくめている。
どうやらタイジュ先生のこの態度は通常通りのようで。
殿下も己を二の次にされていることを許しているようだった。
貴族である私は、殿下に、王族に歯向かうことには自然と恐れを抱いてしまう。
タイジュ先生のことでは対立構造であるが。
それも本当に恐れ多いながら、どうしても引けないから殿下と対峙しているのであって。
彼のことがなければ、殿下と対立など絶対にしたくないというか。タイジュ先生のように気安くはできない相手なのだ。
「アンドリューさんは誤解しているようですけど、殿下は俺になにも強要していませんよ。つか、なんの仕事もしなくて。俺が申し訳ないくらい。料理くらいはしないと、いつまでも身請けの金銭に見合わなくて、恐縮してしまいます」
「強要しない…では、意思に反して抱かれているわけではないのですね?」
「…まぁ……はい」
妙な間はあったが。そこは恥ずかしさからなのだろう。
タイジュ先生はほんのり頬を染めて。肯定した。
それでは。恋人同士を私が引き裂いてしまうことになる。
そこで私は、自分の気持ちを顧みた。
自分は、タイジュ先生の気持ちを考えたことがあっただろうか?
いや。彼を身請けして、彼を抱くことしか考えていなかった。
タイジュ先生が自分の奴隷になったら、それが当たり前だと。
彼の気持ちがどうでも。主の私が好きにしていいのだと。
奴隷とはそういうものだと。
だけど、殿下は違ったのだろう。
殿下はいつも私の前を歩いていた。だから、タイジュ先生も目の前でかすめ取られたような気がして。
それが腹立たしく、胸を焼き、憤怒を呼んだ。
だけど。タッチの差でタイジュ先生を奪われた、そこしか見えていなかったが。
殿下は奴隷であるタイジュ先生へ心配りし。
強要しないことで彼を尊重し。
だからこそタイジュ先生は殿下に心を開いたのだろう。
奴隷だから好き勝手していいと思っていた私と、気の持ちようが雲泥の差だ。
殿下は私より、タイジュ先生のことを考えていて。
殿下は私より、タイジュ先生の気持ちに寄り添っていて。
殿下は私より、タイジュ先生を愛している。神を踏みつけにする覚悟があるほどに。
完敗だ。
私はタイジュ先生のことをずっと奴隷としてしか見ていなくて。
彼の気持ちを知ろうともしないで。
殿下を悪者にして、彼が痛苦の中で生活していると思い込んで、そう決めつけていた。
そんな私に、あなたを手にする権利はない。
「あなたを想う気持ちは、どうやら殿下に負けてしまったようです。殿下には、私は本当にかなわない。殿下は悪魔を踏めるのでしょうが、私は悪魔の誘惑に溺れた。しかし、今から心を入れ替えて。再び誠実な気持ちを取り戻そうと思います」
私は立ち上がり、タイジュ先生をみつめる。
階段の段差があるから、ちょうど正面から彼をみつめられた。
彼は、私がなにを言っているのかわからないというような顔をしている。
ふふ、本当に鈍い人ですね。
しかし。私が求婚の意味合いで身請けを申し出て、熱い想いを込めて手の甲にキスまで落としたのに。
全く恋愛として意識できないくらいには。
究極に鈍感なあなただから。
きっと私の心の闇にも気づかないのでしょう。
悪魔の誘惑は、殿下からあなたを奪って私のモノにするという甘美な夢のことだ。
そのような汚れた感情をタイジュ先生が気づかないのなら。彼の鈍感も悪くはない。
もうそのような夢は見ません。私も悪魔を踏みつける。
だからどうか闇に堕ちた私を、清廉なあなたは知らないでいてほしい。
「タイジュ先生、気高き騎士の精神で、私はあなたを守る。ですから、あなたへの想いをそっと抱き続けてもよろしいですか?」
「?? えぇ、いいですよ」
その場で踵を鳴らして、胸に手を当て敬礼すると。
タイジュ先生は『うわぁ、格好いいね、小枝?』とつぶやいた。
今はその賛辞だけで。私は充分に心が満たされた。
その後、殿下に許されて。私はタイジュ先生の手料理を御馳走になったのだが。
見たことのない料理で。トマトベースながら、口の中には食べたことのない味が広がるのだった。
美味しいのは、美味しい。ものすごく。
ただ、黄色くて、赤くて、口に入れるとムニュムニュ。その食感が初体験なだけで。
いや、本当に美味しいけれど。
タイジュ先生がその珍妙な料理を作り出したのが驚きだった、ということだ。
それよりも、食卓で。王族と使用人が同じテーブルで食事をしていることに度肝を抜かれて。
ショックだった。
殿下が食卓で柔らかい表情をしていたから。
学生時代、殿下は常に気を張っていて。
こんなに穏やかな空気で、コエダちゃんと笑い合うような殿下は見たことがなかったから。
それで、あぁ、親友としても私はまだまだだったのだなぁと痛感したのだ。
タイジュ先生とコエダちゃんはあっという間に。
殿下の頑なで、固い鎧をまとっていた心も、きっと癒したのだろう。
長年かけても私ができなかったことを、やり遂げたのですね。
できれば私が、殿下にとってのそのような存在になりたかった。
もう一度やり直しだ。
近衛騎士として、殿下の片腕となれるような者になろう。
タイジュ先生のように、とはいかないだろうが。
私も殿下を支える者になりたい。そのように精進しようと思う。
★★★★★
己の屋敷に戻って。夜、殿下とタイジュ先生のことを考えながら自室で酒を飲んでいたら。
すべて飲み切ってしまったので。
代わりのものを用意してもらおうと思い、側仕えの部屋へ行こうとした。
そうしたら扉を開けたところにノアがいて。
「あぁ、ちょうど良かった。酒が切れたので、代わりのものを持ってきてくれ。銘柄はなんでもいい」
と頼んだ。
「かしこまりました」
ノアはすぐに返事をするが。彼の部屋は一階の奥にあるので。
私の部屋の前にいるのはどこか不自然だと思う。
「私に、なにか用があったか?」
「いえ、用意してきますね」
そう言って、ノアは階下に降りていく。
用向きがあったのかと思ったのだが。
まぁ、あとで聞けばいい。
しかし、十歳の子に酒の用意をさせたのはマズかったかなぁ…と、あとから思う。
たとえばコエダちゃんに、そんなことはさせないと思う。
そういうところ、気が利かないなぁと自分で思う。
酔っているつもりはなかったけれど。頭が回らないのは、酔っているからかもしれない。
「お待たせしました」
そう言ってノアが持ってきたのは。
水差しに入ったただの水だった。
「…酒の在りかがわからなかったか?」
「いえ。アンドリュー様のお部屋には、三本ほどのブランデーがありましたが。それを全部飲んでしまったというのなら、飲み過ぎです。今日のアンドリュー様はとても悲しそうなお顔をしていたから、心配で…」
あぁ、よく私のことを把握していて。部屋のことも把握していて。従者となる適性があるな。
ではきっと、私を心配して部屋の外で様子をうかがっていたんだろう。
優しい子だな。
「明日のお仕事にも差し支えますので。今日はもうこの辺りにしてください」
そう言って、ノアはグラスに水をそそいで差し出してくれる。
だが私は。そんな気遣いさえも、今は胸苦しかった。
「仕事か…なんのために? 愛する人を養う喜びも、潰えたというのに」
あぁ、だけど。
タイジュ先生を守る騎士になると宣言したのだから。
殿下を支える者になりたいと決めたのだから。
立派な騎士にならないと。
だけど。胸にぽっかり穴が開いて、失恋という名の風が吹き抜けていく。
寒くて。満たされなくて。つらいのだ。
私はノアに差し出された水に手を伸ばすけど。
震えて、グラスを取り落してしまう。
そして、目の前にいたノアを抱き締めた。
彼が、コエダちゃんだったら。
そばにタイジュ先生がいたら。
昼食の光景が、私の屋敷での出来事だったら。
北の離宮での幸せが、私の元にもあったかもしれないのに。
「アンドリュー様」
聞こえる声は、コエダちゃんの甲高い声ではなくて。
この屋敷に、タイジュ先生はいない。
わかっている。あの屋敷にあった輝きは、もう私の元には訪れないのだと。
「今日だけだ。明日になったら、騎士として毅然と顔を上げる。だから、今だけそばにいてくれ」
思いがけず、涙が出た。
あぁ、やはり私は酔っているのだ。
「アンドリュー様。こんな小さな体で、申し訳ありません。ぼくが大人だったら、あなたを支えてあげられるのに。早く大きくなって、アンドリュー様が寄りかかっても支えられるような立派な騎士になりたい…」
ノアの言葉に、私は言葉を返せなかった。
彼をコエダちゃんに見立ててしまう、私はどうしようもなく身勝手な大人だ。
ただ。ノアが私以上に立派な騎士になれたらいい。
その手助けをしてあげたいと、純粋に思う。
私ははじめて、誰かの代わりではなく、ノアをノアという人物としてそのとき受け入れたのだ。
タイジュ先生の意思に反して無理やり殿下が彼を抱いているのだと知り。
私は彼をここから救い出したい一心で、彼の手を引いて外に出た。
しかし馬車に乗る手前の階段で、急に手が痺れて。
私は彼の手をつないでいられなくなってしまう。そして、手が離れた。
神の手の魔法を使われた?
そのとき、タイジュ先生の顔を見て、私はハッとする。
どうしてそんな、おびえるような目で私を見るのですか? 私はあなたを助けたいのに。
そして、タイジュ先生は。
彼がここにいるのは女神の采配だと言った。
「俺は殿下とともに在れと、導かれたのだと思います」
彼に嫌々従っているのではない。己の意思で殿下のそばにありたいのだと。
そのようなことも言われて。
私はその場にがっくりと膝をついた。
そんな。神の手であるタイジュ先生に、女神を引き合いに出されてしまっては。
神に背いてまでタイジュ先生を奪うことなど、できない。
「いいのか? アンドリュー」
そのとき。思いがけない声が響いた。殿下の声だ。
殿下はコエダちゃんと手をつないで、階段の一番上に立っていた。
悠然とした態度で殿下に見下ろされる。
「私なら、大樹を手に出来るなら、神も悪魔も踏みつける。アンドリューの場合の悪魔は、私ということになるがな?」
その彼の覚悟。そして軽口をはさむ余裕さに、私はグッと息をのむ。
タイジュ先生も振り返って、殿下を目にした。
「…いたんですか?」
「当然だ。大樹をむざむざ奪われるほど愚かではない」
静観の構え、ではあるが。ちゃんと監視していたようだ。
コエダちゃんは殿下の手を離れて、タイジュ先生に駆け寄る。
「パパぁ」
ギュッとタイジュ先生はコエダちゃんを抱き締めて。
その顔はまるで聖母のごとき穏やかさなのだ。
患者であった私に向けた、柔らかい笑み。
私が愛した、笑顔。
「まぁ、そんなに落ち込まないでくださいよ、アンドリューさん。殿下が許してくれたら、お食事を一緒にしましょう。もうすぐお昼ですし、ね?」
シリアスなムードを吹き飛ばして、タイジュ先生が意外な提案をしてきた。
「……食事?」
「えぇ、美味しいものを食べて腹がいっぱいになれば。すぐに気も晴れますよ。ま、俺の庶民料理なのですけどね。医者なのに、今は料理人モドキです」
「そんな、殿下は神の手であるあなたを給仕にこき使っているのですか?」
「いえ、小枝のご飯のついでなので。それほど苦ではないんですよ?」
「ついで? 殿下を…王族の方の料理を、ついで?」
「あぁ、不敬ですかねぇ、そこは申し訳ないんですけどぉ。俺の一番は小枝なので」
のほほんとした物言いに、私は唖然としてしまう。
おそるおそる殿下を見やると、彼は肩をすくめている。
どうやらタイジュ先生のこの態度は通常通りのようで。
殿下も己を二の次にされていることを許しているようだった。
貴族である私は、殿下に、王族に歯向かうことには自然と恐れを抱いてしまう。
タイジュ先生のことでは対立構造であるが。
それも本当に恐れ多いながら、どうしても引けないから殿下と対峙しているのであって。
彼のことがなければ、殿下と対立など絶対にしたくないというか。タイジュ先生のように気安くはできない相手なのだ。
「アンドリューさんは誤解しているようですけど、殿下は俺になにも強要していませんよ。つか、なんの仕事もしなくて。俺が申し訳ないくらい。料理くらいはしないと、いつまでも身請けの金銭に見合わなくて、恐縮してしまいます」
「強要しない…では、意思に反して抱かれているわけではないのですね?」
「…まぁ……はい」
妙な間はあったが。そこは恥ずかしさからなのだろう。
タイジュ先生はほんのり頬を染めて。肯定した。
それでは。恋人同士を私が引き裂いてしまうことになる。
そこで私は、自分の気持ちを顧みた。
自分は、タイジュ先生の気持ちを考えたことがあっただろうか?
いや。彼を身請けして、彼を抱くことしか考えていなかった。
タイジュ先生が自分の奴隷になったら、それが当たり前だと。
彼の気持ちがどうでも。主の私が好きにしていいのだと。
奴隷とはそういうものだと。
だけど、殿下は違ったのだろう。
殿下はいつも私の前を歩いていた。だから、タイジュ先生も目の前でかすめ取られたような気がして。
それが腹立たしく、胸を焼き、憤怒を呼んだ。
だけど。タッチの差でタイジュ先生を奪われた、そこしか見えていなかったが。
殿下は奴隷であるタイジュ先生へ心配りし。
強要しないことで彼を尊重し。
だからこそタイジュ先生は殿下に心を開いたのだろう。
奴隷だから好き勝手していいと思っていた私と、気の持ちようが雲泥の差だ。
殿下は私より、タイジュ先生のことを考えていて。
殿下は私より、タイジュ先生の気持ちに寄り添っていて。
殿下は私より、タイジュ先生を愛している。神を踏みつけにする覚悟があるほどに。
完敗だ。
私はタイジュ先生のことをずっと奴隷としてしか見ていなくて。
彼の気持ちを知ろうともしないで。
殿下を悪者にして、彼が痛苦の中で生活していると思い込んで、そう決めつけていた。
そんな私に、あなたを手にする権利はない。
「あなたを想う気持ちは、どうやら殿下に負けてしまったようです。殿下には、私は本当にかなわない。殿下は悪魔を踏めるのでしょうが、私は悪魔の誘惑に溺れた。しかし、今から心を入れ替えて。再び誠実な気持ちを取り戻そうと思います」
私は立ち上がり、タイジュ先生をみつめる。
階段の段差があるから、ちょうど正面から彼をみつめられた。
彼は、私がなにを言っているのかわからないというような顔をしている。
ふふ、本当に鈍い人ですね。
しかし。私が求婚の意味合いで身請けを申し出て、熱い想いを込めて手の甲にキスまで落としたのに。
全く恋愛として意識できないくらいには。
究極に鈍感なあなただから。
きっと私の心の闇にも気づかないのでしょう。
悪魔の誘惑は、殿下からあなたを奪って私のモノにするという甘美な夢のことだ。
そのような汚れた感情をタイジュ先生が気づかないのなら。彼の鈍感も悪くはない。
もうそのような夢は見ません。私も悪魔を踏みつける。
だからどうか闇に堕ちた私を、清廉なあなたは知らないでいてほしい。
「タイジュ先生、気高き騎士の精神で、私はあなたを守る。ですから、あなたへの想いをそっと抱き続けてもよろしいですか?」
「?? えぇ、いいですよ」
その場で踵を鳴らして、胸に手を当て敬礼すると。
タイジュ先生は『うわぁ、格好いいね、小枝?』とつぶやいた。
今はその賛辞だけで。私は充分に心が満たされた。
その後、殿下に許されて。私はタイジュ先生の手料理を御馳走になったのだが。
見たことのない料理で。トマトベースながら、口の中には食べたことのない味が広がるのだった。
美味しいのは、美味しい。ものすごく。
ただ、黄色くて、赤くて、口に入れるとムニュムニュ。その食感が初体験なだけで。
いや、本当に美味しいけれど。
タイジュ先生がその珍妙な料理を作り出したのが驚きだった、ということだ。
それよりも、食卓で。王族と使用人が同じテーブルで食事をしていることに度肝を抜かれて。
ショックだった。
殿下が食卓で柔らかい表情をしていたから。
学生時代、殿下は常に気を張っていて。
こんなに穏やかな空気で、コエダちゃんと笑い合うような殿下は見たことがなかったから。
それで、あぁ、親友としても私はまだまだだったのだなぁと痛感したのだ。
タイジュ先生とコエダちゃんはあっという間に。
殿下の頑なで、固い鎧をまとっていた心も、きっと癒したのだろう。
長年かけても私ができなかったことを、やり遂げたのですね。
できれば私が、殿下にとってのそのような存在になりたかった。
もう一度やり直しだ。
近衛騎士として、殿下の片腕となれるような者になろう。
タイジュ先生のように、とはいかないだろうが。
私も殿下を支える者になりたい。そのように精進しようと思う。
★★★★★
己の屋敷に戻って。夜、殿下とタイジュ先生のことを考えながら自室で酒を飲んでいたら。
すべて飲み切ってしまったので。
代わりのものを用意してもらおうと思い、側仕えの部屋へ行こうとした。
そうしたら扉を開けたところにノアがいて。
「あぁ、ちょうど良かった。酒が切れたので、代わりのものを持ってきてくれ。銘柄はなんでもいい」
と頼んだ。
「かしこまりました」
ノアはすぐに返事をするが。彼の部屋は一階の奥にあるので。
私の部屋の前にいるのはどこか不自然だと思う。
「私に、なにか用があったか?」
「いえ、用意してきますね」
そう言って、ノアは階下に降りていく。
用向きがあったのかと思ったのだが。
まぁ、あとで聞けばいい。
しかし、十歳の子に酒の用意をさせたのはマズかったかなぁ…と、あとから思う。
たとえばコエダちゃんに、そんなことはさせないと思う。
そういうところ、気が利かないなぁと自分で思う。
酔っているつもりはなかったけれど。頭が回らないのは、酔っているからかもしれない。
「お待たせしました」
そう言ってノアが持ってきたのは。
水差しに入ったただの水だった。
「…酒の在りかがわからなかったか?」
「いえ。アンドリュー様のお部屋には、三本ほどのブランデーがありましたが。それを全部飲んでしまったというのなら、飲み過ぎです。今日のアンドリュー様はとても悲しそうなお顔をしていたから、心配で…」
あぁ、よく私のことを把握していて。部屋のことも把握していて。従者となる適性があるな。
ではきっと、私を心配して部屋の外で様子をうかがっていたんだろう。
優しい子だな。
「明日のお仕事にも差し支えますので。今日はもうこの辺りにしてください」
そう言って、ノアはグラスに水をそそいで差し出してくれる。
だが私は。そんな気遣いさえも、今は胸苦しかった。
「仕事か…なんのために? 愛する人を養う喜びも、潰えたというのに」
あぁ、だけど。
タイジュ先生を守る騎士になると宣言したのだから。
殿下を支える者になりたいと決めたのだから。
立派な騎士にならないと。
だけど。胸にぽっかり穴が開いて、失恋という名の風が吹き抜けていく。
寒くて。満たされなくて。つらいのだ。
私はノアに差し出された水に手を伸ばすけど。
震えて、グラスを取り落してしまう。
そして、目の前にいたノアを抱き締めた。
彼が、コエダちゃんだったら。
そばにタイジュ先生がいたら。
昼食の光景が、私の屋敷での出来事だったら。
北の離宮での幸せが、私の元にもあったかもしれないのに。
「アンドリュー様」
聞こえる声は、コエダちゃんの甲高い声ではなくて。
この屋敷に、タイジュ先生はいない。
わかっている。あの屋敷にあった輝きは、もう私の元には訪れないのだと。
「今日だけだ。明日になったら、騎士として毅然と顔を上げる。だから、今だけそばにいてくれ」
思いがけず、涙が出た。
あぁ、やはり私は酔っているのだ。
「アンドリュー様。こんな小さな体で、申し訳ありません。ぼくが大人だったら、あなたを支えてあげられるのに。早く大きくなって、アンドリュー様が寄りかかっても支えられるような立派な騎士になりたい…」
ノアの言葉に、私は言葉を返せなかった。
彼をコエダちゃんに見立ててしまう、私はどうしようもなく身勝手な大人だ。
ただ。ノアが私以上に立派な騎士になれたらいい。
その手助けをしてあげたいと、純粋に思う。
私ははじめて、誰かの代わりではなく、ノアをノアという人物としてそのとき受け入れたのだ。
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