眠れるΩは白い森の中

玻璃 れにか

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épisode 18  La mission cruelle de Sapphire

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 海上ではほとんど海に沈んだ大きな太陽が最後の光を海面に反射させ、空を美しい紫色に彩っている。
 ふたたびデッキに戻ってきた莉絃は、改めて二人に一礼した。
「本当にありがとう。これからはもっと気をつけるね」
「莉絃ちゃんが謝ることじゃないっしょ! もう、どんな奴が追っかけてきても、俺と槐が追っ払うから安心してよね」
「蘭童は変な抜け駆けをしないように気を付けてね」
 優しいけれどプレッシャーを感じる微笑みで槐は蘭童を見つめた。
「槐、俺たちが協力しなければ莉絃ちゃんを守り切れないぞ!」
「分かってる。向こうだって本気出してくるだろうし……」
 微笑んでしばらくその様子を見つめていた莉絃が、意を決したように口を開く。
「……それでね……実は、いつ聞こうかと思っていたんだけど」
 遠慮気味にふたりを見つめつつ、莉絃は慎重に言葉を選んで問うた。
「……あの、槐と蘭童は政府の指示を受けている人……なの? それなのに、俺のためにそれに逆らおうと……している?」
 槐ははっとしたように深い青の瞳で莉絃を見つめ、言葉を漏らす。
「俺から説明させて。俺と蘭童は、中枢統制部という政府の機関から命令を受けて、本当は莉絃をインスティテュートに連れて行く指示を受けてたんだ」
「俺の遺伝子に変異があって、みんなの研究に役立つ……んだよね?」
 槐は苦々しい顔をして俯く。蘭童はベンチから立ち上がり、莉絃の頭を指差した。
「莉絃ちゃんの身体に眠っていた特別な遺伝子が、槐のエロい治療で機能回復するにつれて目覚め始めた。んで、中枢統制部の偉いじいさんがそれを狙ってるワケ」
「俺が、研究に協力すれば……ドミナント……だっけ、それに参加すればいい?」
 槐は莉絃に近づき、息ができないほど強く抱きしめた。蘭童はそれを冷やかしもしない。しばらくの間を置いたのち、槐が唇を開いた。
「ドミナントは……莉絃を深い鎮静ちんせい状態にして、遺伝子データの複製ふくせいを長い長い時間をかけて行うことなんだ。そして、最後には……」
「まあ、解剖されちまうわな。オリジナルを永久に手元に置いておきたいんだよ」
 抱きしめられた腕の中で、莉絃は静かに目を伏せた。
「そうなんだ……。じゃあふたりは、俺をドミナントさせないために組織を裏切ってるんだよね? 無事では済まないんじゃない?」
「おいおい、自分のことより俺らの心配かよ! どんだけお人好しなんだ莉絃ちゃんは……」
 蘭童は大げさな動作で空を仰いでから、片手を伸ばして莉絃の頭を撫でた。
「俺はそんな天使みたいな莉絃ちゃんと濃厚なセックスができたら、死んでも後悔ないな」
「阿呆、させるわけないでしょ」
 蘭童の足を思い切り踏みながら、槐は腕を組みなおした。
「中枢統制部のトップ、くすのきという老人がドミナントの推進派なんだ。でも、この研究は政府の中でも一部の人間にしか知られていない」
「あのクソジジイが死ねば、俺らだってこんなクソ任務から解放されるんだけど……なかなか死なねえんだなあ、これが」
「つまり、中枢統制部も一枚岩じゃない。俺らが楠の指示に従わないからといって、奴が乱暴なことをする可能性は低い、だから安心してほしい」
 優しい青色の双眸に覗き込まれて、莉絃は首をゆっくり縦に振った。
「望みはある。莉絃との治療チームを通して、アカデミーの上層部と繋がることができないか試みてる。こんな非人道的な実験、一人の老人の我儘わがままで強行されるべきじゃない」
 貨物船のデッキには夕日のオレンジ色の光が痛いほど降り注いでいる。抱き締められたまま、莉絃は槐の胸の鼓動を聞いていた。


 サウナの設置された客室は空いているようだった。どうしても一緒にいるといって無理やり部屋についてきた蘭童を含め、三人はそれぞれ違うベッドで眠りについていた。南海の孤島を目指して、船は順調に航路を進んでいるようだ。窓から差す薄い月光を目蓋に感じ、莉絃はカーディガンを羽織ってそっと客室を出た。
 細い通路の窓からレモン色の半月を見ていると、後ろから大好きな匂いがする。
「――眠れない?」
 振り返った槐はとても心配そうな表情を浮かべていて、莉絃は重い空気をかき消すように無邪気に笑った。
「あのね、船に乗ったのもサウナも、あとカクテル吞んだのも生まれて初めてで、興奮してるの」
「……」
「水上ヴィラに泊まったのも、本物の海に触れたのも、野生の森で迷子になったのも……今までずっと自分の部屋か研究室で本を読んでいたから、槐と出会って、治療が始まって、急に世界が大きく開けたんだ」
「俺だって、山小屋で薪に火を点けるのなんて生まれて初めてやった」
「島の市場で、焼き立てのパンで作ったサンドウィッチ食べたのも初めて! ベーコンがカリカリでものすごく美味しかったぁ」
「莉絃食べるの遅いから、パンからはみ出したベーコンが落ちないか心配だったよ」
 ころころと笑う莉絃につられるように、槐は穏やかな笑みを浮かべた。窓の外では薄い雲が流れて、綺麗な半月に紗をかける。濃紺の海面に柔らかな月光が降り注ぐ。
「初めて莉絃と図書館の前でぶつかった時から、自然と目で追ってた。病院に行く途中、アカデミーの構内で見かけて……いつも何か食べてるか、本を読んでたね」
「えっ、見てたんだったら話しかけてくれればよかったのに!」
「研究熱心だったから、邪魔したくなかったの」
 本心半分、嘘半分だった。本当は研究や読書や食べることに夢中になっている姿をただ目で追っていたかった。くるくると変わる表情にいつも見惚れていた。
 流れる雲を眺めていた莉絃は、ほんの少し恥ずかしそうに俯く。
「もうΩってあまり世界にいないっていうのに、自分が機能を持たないことも、Ωだってことを隠して生きるのも情けなかった……悔しさを研究にぶつけてたんだ」
「莉絃……」
「だから、治療が始まって自分がΩでだってことを隠さないで言える槐がいてくれて、なんかずっと心の中で張りつめてたものを、緩めることができたなあって思う」
 しばらく黙って莉絃の顔を眺めていた槐は、船内の通路に置かれた大きめの木箱に腰を下ろし、窓の外の月を見た。
「俺は……両親の顔を知らない。生まれてすぐ、遺伝子検査を受けてインスティテュートに連れていかれた」
「嘘……俺と同じ?」
「そう。強い因子を持つαというだけで、腫れ物みたいに扱われた。莉絃が来る前に、俺は楠が当時行っていた実験の被験者になるために奴の研究所に行くことになった」
 莉絃は震える声で尋ねた。
「被験者って……酷いことされた……?」
「いや、大丈夫。楠も若い頃は優秀な研究者だった。今ドミナントなんて狂気じみた研究を進めているのも、Ωを生み出そうとして失敗を繰り返した結果なんだ」
「莉絃に出会って、ターゲットだったお前にどんどん惹かれていった……自分の育ての親が、どれだけ残忍なことをしようとしているか――教えてくれたのは莉絃だ」
 木箱に座って月を見つめる槐の睫毛に、月光が影を落としている。目を細めてその顔を見つめていた莉絃の頬に大きな手が伸びる。
「ずっとしたかったけど、できなかった。キスしてもいい?」
「あの、待って……俺はいいけど、槐の番の人に悪いからっ」
「俺の番?」
「インスティテュートで会ったよ。芹嘉さん……ていう美人」
 真面目な顔をしていた槐が、突然破顔して笑い出したので、真剣に悩んでいた莉絃は呆気にとられてその様子を見ていた。
「まさか! 芹嘉はアカデミーの病院の院長の娘だよ。昔から面識はあるけど、手も握ったことないし……ああ、院長が適当なこと吹き込んだんだな」
「ええっ、そんな……」
「莉絃、いてくれたわけ?」
 院長から直に告げられたこともあり完全に信じていた莉絃は、今までの逡巡しゅんじゅん葛藤かっとうが恥ずかしくなって、俯いて顔を紅く染めた。
「って言うか、俺に番ができるとしたら――莉絃しかありえないでしょ」
 立ち上がった槐は、月光が差し込む窓の前に立ち莉絃のあごを軽く持ち上げると、わずかに顔を傾けてそっと莉絃の唇を奪った。


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