四季の風の香りを覚えていますか

ふくろう太

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0〜9歳

まずは生い立ちから

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まず初めに、私は関西方面の出身です。

生まれは、これこそ「田舎」みたいなところです。



生まれた時から、恐らく5.6歳までの記憶で思い出せるものがなく、この章で書けるのは幼稚園年中さん以降のお話になります。


5歳(4歳?)の時、私はハトのことを「ミッキーちゃん」と呼ぶような子どもでした。
よく走り、よく転ぶ、わんぱくな女の子だったそうです。

その頃を覚えてない人は多くいるのではないでしょうか、私もうろ覚えなことしかありません。






でもその時でも覚えていた事が

父が母に暴力を振るっていたという記憶です。





今時珍しい話でもありません、むしろ昭和の時代からは認知度も近所の方の関心も増え、手助けや通報、相談と言った支えをしてくださる方も増えたのではと思います。

ですが、あの頃私が住んでいたアパートは5~6階建でしたが周りの住人の方は割と少なかったと思います。
挨拶するご近所さんも少なかったので…。




母がなぜ毎日泣いているのか、それがギリギリわかるか分からないかの歳でしたが、父が母をたたく姿は私はこの先忘れないでしょう。



まだ物心もついていない歳ですから、私は母に聞いたのでしょうか。

もう覚えていませんが



「いたい?」と。




その後の覚えている記憶は、私は保育園に行っていたので、その持ち物の名字を変える作業をしていた母でしょうか。

斜線を引いて書き直したり、買い直したり、離婚する前だったので、なぜかはその時わからなかったので先生に

「おなまえかわるんだ!どう?」

と言ったのは覚えています。

その時の先生の顔は覚えていません。
私が教職を目指さなかった理由は、そこにあるのかもしれません。
子どもたちが曇りない瞳でそう言ってきてうまく返せる自信がないからです。


そうしていつの間にか離婚して、母はシングルマザーになっていました。

その後住むことになったのは、母の母である、おばあちゃんの家でした。
おばあちゃんもおじいちゃんとは離婚しており、おばあちゃんと、母の弟である伯父さんと暮らしていました。

伯父さんのことを私達は姪っ子は名前で呼ぶほど親しく、私達にもとても良くしてくれました。(度々家を開けてはいましたが)
以降この伯父さんのことは「あきくん(仮名)」と書かせていただきます。

年長になった後は、おばあちゃんの家から母が保育園まで送り迎えしてくれていました。
その時は楽しそうに笑顔で送り届けてくれる母と、夜遅くまで働いて疲れた顔をして帰ってきた母に迎えにきてもらった記憶しかありません。


私はいつも保育園では最後の1人でした。


私には姉がいましたが、2つ歳が上のため、小学校に通っており、姉は自分の足でおばあちゃんの家から通い帰りも自分の足で帰っていました。

なので私だけおばあちゃんの家から離れた保育園までは必ず誰かに迎えにきてもらわなければならず、仕事を終えた母が必ず迎えにきてくれました。


1番最後の私は毎日ぬりえをしていました。


私のお迎えが来れば先生たちも帰れるので、私はいつも先生のいる職員室で絵の細かいぬりえをしていました。

先生が、「このぬりえは最後まで残った人の特別なんだよ」といってくれたので、最後まで残っていた私にとっては優越感のようなものを感じられて待っている間もそこまで寂しくはなかったと思います。


楽しかったのか、さみしかったのかもこの歳になればあまり覚えてないものです。

なので、22歳になってこの頃を思い返してみて思うことと言えば、



母が私達を育てるために夜遅くまで1人で頑張ってくれていた。


ということだけです。





たまに母に「あの時は寂しい思いをさせた」と言われる時がありますが、その時話を聞く相手はおばあちゃんしかいなかった母を思うと喉の奥が苦しくなります。

私にとっては今になったらほとんど覚えてもいないことは、当たり前ですがその当時も大人だった母にとってはずっと心残りで、ずっと覚えていることでした。

今は感謝しかないと、伝えてもあの時の罪悪感は消えるものではないのでしょう。





幼稚園も卒園し、小学校に通うようになった私は友達と放課後遊んだりするようになりました。

小学1~3年生の頃の記憶もかなり曖昧です。


恐らくほとんど覚えていません。



ですが、小学3年生の時に私の同級生が不慮の事故で亡くなりました。

毎日遊んでいたような仲の子でもなく、ただのクラスメイトの男の子でした。
でも「遊ぼう」と言われれば「何して遊ぶ?」と返す歳の子どもです。
男女も、保護者のイザコザも関係なく遊ぶ歳です。

なので何度か一緒には遊んだことがありました。なんの遊びだったかは詳細までは思い出せませんでしたが、赤の他人ではありませんでした。



それでもその子のお葬式で涙を流していたのは数人でした。


「人がこの世界いなくなる」


の本当の意味が分からない歳でした。




その時同行してくれた母は涙を流していたと思います。
その涙の意味は恐らく「今私もこの子を失ったらどれだけ辛いか」というその子のお母さんやお父さんに対する同情の涙だったのでしょう。



それさえも理解できないような歳でした。


それが私の小学3年生の記憶です。







その翌年4年生になった私は、



その後の自分の人生が根元から覆るような事件が起こりました。









------次の章に続きます。

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