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スイートピー2
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スピーカーとなった受話器から、小早川の声が大音量で響いた。
『どうも。影山社長、お久しぶりです。その節は、大変ひっかきまわしていただいたので、後処理が大変でしたよ』
由紀子の顔は無表情だ。
「外のマスコミは何?」
『いやぁ、うちのタレントがやらかしまして。娘さんとのデート現場を撮られちまったんです。それで、その真相を聞かせろと、そちらへ押しかけているという訳です。テレビでもつけてみてください。ちょうどニュースの時間だ』
由紀子の指示がないのに家政婦が、テレビをつけた。
夕方過ぎのニュース。そこに湊と私が、大きく映り込んでいた。
目元だけ隠されているが、まさに今着ているワンピース。湊が私の肩を引き寄せたとき。喫茶店で私の手を握っている瞬間。他にも、一緒に笑っているようなところまで、あらゆる写真が次々と映し出されている。
とどめを刺すように「佐藤蓮、白昼堂々ワールドレジャーランドでデート」というテロップまでついていた。
一般客からたくさん声をかけられていたから、ネットあたりで騒がれるかもしれないとは、思っていたが、ここまでの大事になっているとは思いもしなかった。
頭からサーっと血が引いていく。
『こんなことになって、ほとほと困っているんですよ。いや、確かに目立ってこいと言ってはいましたよ? でも、限度っていうものがある。湊の野郎め……』
表に立っているときは、必ず蓮と呼ぶのに、本名が漏れる。
小早川は、本気で怒っている証拠だろう。湊は、大丈夫だろうか。私に押し寄せてくる心配を吹き飛ばすように、小早川はため息をついた。受話口へ息がかかって、びりっと雑音が入った。
『まぁ、そんなわけで外の騒ぎの理由は、お分かりいただけたと思います。こういう時は、いかに迅速に対応できるかが基本。企業も同じですよね?』
「で? 何をしろというの?」
すかさず由紀子が問い返す。小早川は、さすが話が早くて助かると、皮肉るように褒めた。
『話は簡単ですよ。紅羽をその家から、出してくれれさえすればいい』
テレビから聞こえてくる喧噪とすぐそこにある騒がしさが、部屋中に響いて広がっていく。その隙間から、絶え間ないインターホンの音が響き続けている。
部屋にいた家政婦が、廊下へ行ったり、戻ったりを繰り返している。
『紅羽から辞表を預かっていないんで、実はまだ蓮のマネージャーなんですよ。だが、そろそろ無断欠勤も四ヶ月目に突入しちまう。いい加減働いてもらわないと、困るんでね。こちらで預かります』
「そんな勝手、許すとお思い? こんな状況で、ここから出して、誰が娘を守るというの? 母親である私以外にいるはずがないでしょ」
『こんな時ばかり、親面ですか。本当に都合がいい。仕事中に、娘を勝手に拉致していった人がよく言えますね?』
「前にも言いました。これは、家族の問題です。口の利き方に気を付けていただきたいわ」
『そうですか。ならば、リコの兄――後藤健太に娘の旅行先へ行かせ、金をだまし取るように手配したことも、愛する娘のためにしてやったということですか?』
後藤健太。
私が初めて由紀子に逆らい、海外旅行へ行ったときに出会った男の名前。
窓に、門の外で待ち受けている記者のカメラの光が反射した。目が眩んで頭がくらくらしそうだった。
真っ赤なバラの花束。甘い言葉。繋がらなくなった電話。
苦々しい記憶が、フラッシュバックする。
まさか由紀子の差し金だったとは、夢にも思わなかった。
『紅羽とリコ――松坂梓は、高校時代の同級生で、あなたは松坂がどんな人間か知っていた。裕福な家ではなかったこと、紅羽を目の敵にしていること。紅羽が反抗したときは、金をちらつかせて利用しようと考えていた。そして、その時がきた。紅羽の海外旅行だ。怒り心頭だったあなたは、松坂梓へ連絡を入れた。紅羽の旅行の一団に加わって、大変な思いをさせてほしい。もちろん、報酬はたんまりと払うと。それを松坂梓は快諾し、提案した。
自分が行ったのではつまらないから、異父兄弟の兄――斎藤健太を向かわせる。そして、紅羽を騙して、家を出たとしても路頭に迷うほどの大金をふんだくってやる。それが成功報酬だ、と。あんたは、その提案に合意した。
これを聞いたとき、さすがに度肝を抜きましたね。それが、娘に対してやることですか? というか、完全に犯罪ですよね。今、ちょうど外にはマスコミがわんさか待ち構えている。これを、そのまま話しちまったら、どうなるでしょうねぇ?』
いつもの由紀子ならば、すぐさま激高するところだ。
しかし、今は赤い唇を歪めて、微動だにしなかった。
反論する余地もないというところなのかもしれない。
遠くから、絶え間なくインターホンが鳴り続けている。廊下は、相変わらずバタバタと足音がする。
由紀子の指示を仰ぎたいのだろうが、この状況でどうしたらいいのかと、狼狽しているのだろう。
由紀子は、まるで感情のない人形のように無表情だった。赤い唇だけが、ゆっくり動く。
「要求は、なに?」
小早川の溜息のような笑いが、受話器にかかった。
『こちらの要求は、たった一つ。紅羽さんを開放し、今後一切干渉しないようにしてくれさえすれば、それでいい。これまで育ててやった恩を返せというのも、当然なしだ。その条件さえ飲んでくれれば、この件は永遠に胸の中にしまっておきましょう』
「必ず約束は守っていただけるのでしょうね?」
『もちろんです。我々は、あなたと違って誠実を売りにしているので、必ず守ると誓いましょう』
小早川がそう告げて、由紀子は黙り込んだ。
廊下の家政婦はあわただしさが、異様なほど大きくリビングにまで聞こえてくる。
再び窓ガラスにフラッシュが、反射した。
たっぷりと時間をかけた後、由紀子は重々しく口を開いた。
「その条件を、のみましょう」
『英断に感謝します。車が、お宅の裏口で待っています。今すぐに紅羽を出すようにお願いしますよ』
「わかりました」
そこで、ぷつっと電話が切れた。由紀子は、不気味なほど無表情だった。
身体が押しつぶされそうなほどの重い沈黙に、家政婦も挙動不審になっている。いつもと違う反応で、警戒心が上がる。
私が、何があったもいいように身構えたとき、拍子抜けするほどあっさりとした声が返ってきていた。
「二度とここに戻ることは許しません。少しここで待っていなさい」
そう言い残して、家政婦を伴ってリビングを出ていく。また、外から鍵でもかけられるのかと思ったが、そうなったら、そこの窓を割ってでも出ればいい。そんなことを考えていたが、杞憂に終わっていた。
ただパタリとドアが閉じただけで、鍵をかけるときの独特な金属音はなかった。
すべては、湊と小早川のお陰だ。これで、すべてやっと終わる。
頻繁に届いていたフラッシュの光は、ここの落ち着きとともになくなっていた。ずっと鳴りっぱなしだったインターホンの音も消えている。 ずっと不快だったマニキュアの匂いは、すっかり薄まっていた。
すべてが落ち着く方向へ向かっている。足からどっと力が抜けて、座り込んでしまいたいところを、ぐっと我慢した。
それから数分もしないうちに、再び由紀子がやってきて、私の前に立った。
表情がない顔でも、目の端は吊り上がっていて、鋭い。隠し切れない怒りが、にじんでいる。
私は目をそらさない。
「お母さま。今まで、ありがとうございました」
親元を離れるものとしての最低限の礼儀だ。ずっとここで時間を積み重ねてきた事実は、変わりない。
私は、丁寧に頭を下げる。
由紀子からの反応はなかった。私へ向いていたつま先が、さっさと出口の方へと向かう。
「ついてきなさい」
私は顔を上げて、私は言われた通り、由紀子の後をついていく。
そのまま、家の玄関へ。小早川が待っているという裏口は、この玄関の真裏。その正面には、勝手口がある。そこから出る方がいいと思ったが、また余計なことを言って面倒になるのは、御免だった。
この玄関から出て、家のぐるりと回っていけばいいだけだ。マスコミは、門の外。問題ないだろう。
由紀子が靴を履いている。由紀子も母としての最期の礼儀として、見送りでもしてくれるのだろうか。
続いて、私も靴を履く。
由紀子は、玄関のドアノブに手をかけ、私を待っていた。
早く出ろと言いたげな顔だった。私は、無言の指示に従って、ドアの前に立った。
もう一度軽く、母へ会釈をしたタイミングで、由紀子がドアノブに手をかけて、ドアを押した。
同時に、私の背中をドンと、ほとんど突き出すように強く押される。
私はその衝撃によろめきながら、何歩か前進した。体が完全に外へ出た。ドアが勢いよく閉まった。
そして、これ見よがしに、ガチャっと大きな施錠音。
それが耳の端に届いたとき、フラッシュの嵐が私を飲み込んでいた。
『どうも。影山社長、お久しぶりです。その節は、大変ひっかきまわしていただいたので、後処理が大変でしたよ』
由紀子の顔は無表情だ。
「外のマスコミは何?」
『いやぁ、うちのタレントがやらかしまして。娘さんとのデート現場を撮られちまったんです。それで、その真相を聞かせろと、そちらへ押しかけているという訳です。テレビでもつけてみてください。ちょうどニュースの時間だ』
由紀子の指示がないのに家政婦が、テレビをつけた。
夕方過ぎのニュース。そこに湊と私が、大きく映り込んでいた。
目元だけ隠されているが、まさに今着ているワンピース。湊が私の肩を引き寄せたとき。喫茶店で私の手を握っている瞬間。他にも、一緒に笑っているようなところまで、あらゆる写真が次々と映し出されている。
とどめを刺すように「佐藤蓮、白昼堂々ワールドレジャーランドでデート」というテロップまでついていた。
一般客からたくさん声をかけられていたから、ネットあたりで騒がれるかもしれないとは、思っていたが、ここまでの大事になっているとは思いもしなかった。
頭からサーっと血が引いていく。
『こんなことになって、ほとほと困っているんですよ。いや、確かに目立ってこいと言ってはいましたよ? でも、限度っていうものがある。湊の野郎め……』
表に立っているときは、必ず蓮と呼ぶのに、本名が漏れる。
小早川は、本気で怒っている証拠だろう。湊は、大丈夫だろうか。私に押し寄せてくる心配を吹き飛ばすように、小早川はため息をついた。受話口へ息がかかって、びりっと雑音が入った。
『まぁ、そんなわけで外の騒ぎの理由は、お分かりいただけたと思います。こういう時は、いかに迅速に対応できるかが基本。企業も同じですよね?』
「で? 何をしろというの?」
すかさず由紀子が問い返す。小早川は、さすが話が早くて助かると、皮肉るように褒めた。
『話は簡単ですよ。紅羽をその家から、出してくれれさえすればいい』
テレビから聞こえてくる喧噪とすぐそこにある騒がしさが、部屋中に響いて広がっていく。その隙間から、絶え間ないインターホンの音が響き続けている。
部屋にいた家政婦が、廊下へ行ったり、戻ったりを繰り返している。
『紅羽から辞表を預かっていないんで、実はまだ蓮のマネージャーなんですよ。だが、そろそろ無断欠勤も四ヶ月目に突入しちまう。いい加減働いてもらわないと、困るんでね。こちらで預かります』
「そんな勝手、許すとお思い? こんな状況で、ここから出して、誰が娘を守るというの? 母親である私以外にいるはずがないでしょ」
『こんな時ばかり、親面ですか。本当に都合がいい。仕事中に、娘を勝手に拉致していった人がよく言えますね?』
「前にも言いました。これは、家族の問題です。口の利き方に気を付けていただきたいわ」
『そうですか。ならば、リコの兄――後藤健太に娘の旅行先へ行かせ、金をだまし取るように手配したことも、愛する娘のためにしてやったということですか?』
後藤健太。
私が初めて由紀子に逆らい、海外旅行へ行ったときに出会った男の名前。
窓に、門の外で待ち受けている記者のカメラの光が反射した。目が眩んで頭がくらくらしそうだった。
真っ赤なバラの花束。甘い言葉。繋がらなくなった電話。
苦々しい記憶が、フラッシュバックする。
まさか由紀子の差し金だったとは、夢にも思わなかった。
『紅羽とリコ――松坂梓は、高校時代の同級生で、あなたは松坂がどんな人間か知っていた。裕福な家ではなかったこと、紅羽を目の敵にしていること。紅羽が反抗したときは、金をちらつかせて利用しようと考えていた。そして、その時がきた。紅羽の海外旅行だ。怒り心頭だったあなたは、松坂梓へ連絡を入れた。紅羽の旅行の一団に加わって、大変な思いをさせてほしい。もちろん、報酬はたんまりと払うと。それを松坂梓は快諾し、提案した。
自分が行ったのではつまらないから、異父兄弟の兄――斎藤健太を向かわせる。そして、紅羽を騙して、家を出たとしても路頭に迷うほどの大金をふんだくってやる。それが成功報酬だ、と。あんたは、その提案に合意した。
これを聞いたとき、さすがに度肝を抜きましたね。それが、娘に対してやることですか? というか、完全に犯罪ですよね。今、ちょうど外にはマスコミがわんさか待ち構えている。これを、そのまま話しちまったら、どうなるでしょうねぇ?』
いつもの由紀子ならば、すぐさま激高するところだ。
しかし、今は赤い唇を歪めて、微動だにしなかった。
反論する余地もないというところなのかもしれない。
遠くから、絶え間なくインターホンが鳴り続けている。廊下は、相変わらずバタバタと足音がする。
由紀子の指示を仰ぎたいのだろうが、この状況でどうしたらいいのかと、狼狽しているのだろう。
由紀子は、まるで感情のない人形のように無表情だった。赤い唇だけが、ゆっくり動く。
「要求は、なに?」
小早川の溜息のような笑いが、受話器にかかった。
『こちらの要求は、たった一つ。紅羽さんを開放し、今後一切干渉しないようにしてくれさえすれば、それでいい。これまで育ててやった恩を返せというのも、当然なしだ。その条件さえ飲んでくれれば、この件は永遠に胸の中にしまっておきましょう』
「必ず約束は守っていただけるのでしょうね?」
『もちろんです。我々は、あなたと違って誠実を売りにしているので、必ず守ると誓いましょう』
小早川がそう告げて、由紀子は黙り込んだ。
廊下の家政婦はあわただしさが、異様なほど大きくリビングにまで聞こえてくる。
再び窓ガラスにフラッシュが、反射した。
たっぷりと時間をかけた後、由紀子は重々しく口を開いた。
「その条件を、のみましょう」
『英断に感謝します。車が、お宅の裏口で待っています。今すぐに紅羽を出すようにお願いしますよ』
「わかりました」
そこで、ぷつっと電話が切れた。由紀子は、不気味なほど無表情だった。
身体が押しつぶされそうなほどの重い沈黙に、家政婦も挙動不審になっている。いつもと違う反応で、警戒心が上がる。
私が、何があったもいいように身構えたとき、拍子抜けするほどあっさりとした声が返ってきていた。
「二度とここに戻ることは許しません。少しここで待っていなさい」
そう言い残して、家政婦を伴ってリビングを出ていく。また、外から鍵でもかけられるのかと思ったが、そうなったら、そこの窓を割ってでも出ればいい。そんなことを考えていたが、杞憂に終わっていた。
ただパタリとドアが閉じただけで、鍵をかけるときの独特な金属音はなかった。
すべては、湊と小早川のお陰だ。これで、すべてやっと終わる。
頻繁に届いていたフラッシュの光は、ここの落ち着きとともになくなっていた。ずっと鳴りっぱなしだったインターホンの音も消えている。 ずっと不快だったマニキュアの匂いは、すっかり薄まっていた。
すべてが落ち着く方向へ向かっている。足からどっと力が抜けて、座り込んでしまいたいところを、ぐっと我慢した。
それから数分もしないうちに、再び由紀子がやってきて、私の前に立った。
表情がない顔でも、目の端は吊り上がっていて、鋭い。隠し切れない怒りが、にじんでいる。
私は目をそらさない。
「お母さま。今まで、ありがとうございました」
親元を離れるものとしての最低限の礼儀だ。ずっとここで時間を積み重ねてきた事実は、変わりない。
私は、丁寧に頭を下げる。
由紀子からの反応はなかった。私へ向いていたつま先が、さっさと出口の方へと向かう。
「ついてきなさい」
私は顔を上げて、私は言われた通り、由紀子の後をついていく。
そのまま、家の玄関へ。小早川が待っているという裏口は、この玄関の真裏。その正面には、勝手口がある。そこから出る方がいいと思ったが、また余計なことを言って面倒になるのは、御免だった。
この玄関から出て、家のぐるりと回っていけばいいだけだ。マスコミは、門の外。問題ないだろう。
由紀子が靴を履いている。由紀子も母としての最期の礼儀として、見送りでもしてくれるのだろうか。
続いて、私も靴を履く。
由紀子は、玄関のドアノブに手をかけ、私を待っていた。
早く出ろと言いたげな顔だった。私は、無言の指示に従って、ドアの前に立った。
もう一度軽く、母へ会釈をしたタイミングで、由紀子がドアノブに手をかけて、ドアを押した。
同時に、私の背中をドンと、ほとんど突き出すように強く押される。
私はその衝撃によろめきながら、何歩か前進した。体が完全に外へ出た。ドアが勢いよく閉まった。
そして、これ見よがしに、ガチャっと大きな施錠音。
それが耳の端に届いたとき、フラッシュの嵐が私を飲み込んでいた。
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