願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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梅4

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「何を、おっしゃっているのですか?」
 堅い声が出る。それに対して、不快感をあらわにした母の瞳とぶつかった。
 母の顔は冷たく不快感をあらわにしながらも「そのままの意味です」選択肢はないと、きっぱりと言い切っていた。

 これまで、周りの目ばかり気にして生きてきた。
 なるべく、波風たたないように、気遣い、抑えその場を平らにする。それが由紀子の望みだと知っていたから。
 いつか、母に認めてもらえるように。
 母の顔色を気にしながら、期待に添えるように行動する。なるべく道を踏み外さないように、一歩も間違えないように。
 そうやって、自分を押し殺して、我慢していれば、いつか。きっと。
 「私の自慢の娘よ」と、母が優しく私へ微笑みかけてくれる。
 
 そんなささやかな夢さえもは、結局幻だと思い知ったのは、いつからだろう。乾ききった心は殺伐としすぎて、涙すらでなくなった。
 ずっと前から知っていたはずなのに、ずっと断ち切ることができなかった。でも今なら。
 岩国の人たちを視界の外へ追いやって、母を真っ直ぐ見据える。
 
 
 「お母様の都合で、私の人生を勝手に決めないでください。私の人生は、私のものです!」
 今まで生きてきた中で、一番大きな声が出た。一瞬、目を丸々とさせてたが、みるみるうちに般若のような形相になっていく。
 母には、不快感が前面に出ている。白目の比率が、見たこともないほど大きくを占めている。
 唇の燃えるような赤いルージュに黒さも混ざって、曲がって、大きく開かれた。
 
「この日のために、あなたを手塩にかけて大切に育ててあげたというのに! その態度は、一体何なの!」
 烈火が口から吹いたようだった。
 部屋の温度が急激に上がる。岩国の両親は、急激な変化に対応しきれず、おろおろしている。
 しかし、私には何も感じなかった。ずたずたになっている場所に、新たな傷を負わせたところで、今更だ。感覚はすべて麻痺している。
 そんな混沌とした空間の中で、ずっと異質な空気を纏い、ずっと傍観していた春樹が急に立ち上がった。
 
「紅羽さんと、二人だけでお話させていただいても、よろしいでしょうか?」
 春樹の独特のまったりと落ち着いた声音がこの騒がしさを由紀子を凪させる。両親も慌てた様子で、同意していた。
「そうね。こういうお話は、若い二人だけの方がいいかもしれないわ。由紀子さん、そうしましょう?」
 芙紗子が母の肩を抱く。
 しかし、興奮している母の鼓膜に、由紀子の耳には届かない。
「紅羽! 勝手は、絶対に許しません!」
 獣のように吠え続けていたが、「由紀子さん、落ち着いて」雄三が母をほとんど引きずるように、廊下へと追いやられる。母の赤く光った瞳が、私にまっすぐ向けられ、蛇のように纏わりついてくる。決死の最後の一撃は、閉じられる障子の奥に消えていた。
 
 取り残された私と春樹。春樹が私の方へきて、正面に立つ。その顔はやはり無表情だが、きっと怒りを秘めている。
 この場で、私ができることはただ一つだ。
 すかさず、その場で正座をして、床に両手をついて頭を下げた。
「春樹様、本当にこのようなことになり、申し訳ありません。この縁談、お断りさせていただきます」
 頭を下げ続けたまま、一息に言う。どんな怒鳴り声が飛んできてもいいように。最悪、蹴られてもいいように背中を丸める。すると。
 
「顔を上げてください」
 抑揚のない声色。彼の感情を読み取ることはできないが、確実に怒っているだろうと予測する。
 当然だ。岩国の顔に泥を塗ったのだ。
 どんな憤怒も、甘んじて受け止めなければならない。覚悟をして顔を上げる。
 しかし視界に飛び込んできたのは、予想外すぎる笑顔だった。目を見開くと、立っていた春樹が、私の前で胡坐をかいて、視線を合わせる。

「君、すごく面白いね」
 春樹の言葉には、弾んでいた。そのうえ、切れ長の瞳は、興味津々とばかりに爛々と輝かせている。
 その反応に困惑しかなかった。
 
「僕は、いろんな人から君の話は聞いていたけれど、みんな口をそろえて言っていた。『影山紅羽は、大人しくて、従順。絵にかいたような古風な人だ』って」
「申し訳ありません」
 再び、頭を下げようとしたらすかさず、止めに入ってくる。
「あ、勘違いしないで。怒ってるわけじゃないよ。みんな本当に人を見抜く力がないんだなって思ってさ」
 ケラケラ大笑いする春樹。一通り笑った後は、少し息をついて、私をまっすぐ見やる。
「お互いさ、面倒くさいよな。こういう大きな金が動くところに生まれると。僕らは、親たちの会社を反映させるための駒に過ぎない。時代は、どんどん進んでいるっていうのに、やっていることは時代錯誤。完全なる被害者だ。だから、君の気持はよくわかるしね。それで、これからどうするつもりなの? 独裁者気質の母親に、啖呵切ったんだ。それに歯向かえば、どうなるかくらい由紀子さんに初対面の僕でもわかる。覚悟してやったことなんだろ?」
「はい……私は今この場が終わったら家には帰らず、そのまま影山家と絶縁しようと思っています」
「今? 終わったらすぐ? 家には戻らずに?」
「はい」
 母に捕まってしまえば、もう家から出してくれない可能性もある。ある程度の荷物は取りにいきたいところだが、もう戻るわけにはいかない。

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