願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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 名刺に書かれたメッシ不動産は、新宿のオフィスビル街にあった。
 オフィス街に和装で、だいぶ目立ってしまっていたが、仕方ない。なるべく気にしないように、縮こまりながらエレベーターに乗り込む。ドアが開くとすぐに事務所があった。その入り口の前でスーツに銀縁眼鏡の男性が待ち構えていた。迷わずつま先を私へ向けてくる。おそらく、この格好を見れば迷う必要もないのだろう。
 
「影山さんですか?」
 にこやかに声をかけられて、深々と頭を下げる。
「はい。先ほど、お電話させていただきました影山紅羽と申します」
「ここの代表をしています倉木と申します」
 早速名刺を出され受け取る。
「突然押しかけて、申し訳ありません」
「いえ。何となく春樹から話を聞きました。大変でしたね。ともかく、今日からでもすぐに住める場所をということで、話を聞いていますが、それで大丈夫ですか?」
 話しながら事務所の中へ。カウンターに座って事務員の前を通る。こんな格好をしているせいもあるだろうが、事務員から好奇の視線が痛かった。素通りして、さらに奥にある個室へと通された。
 机といすのシンプルな部屋。促されるがままに座る。正面に倉木が座ると、手に持っていたファイルからさっと資料を出してくる。仕事の早さに、感心するしかなかった。
 家具家電付きのマンスリーマンション。一時的に住むのならばお勧めだという。チラシは都内の物件が大多数だったが、一つだけ外れた物件があった。家賃も最安値だった。持ち合わせのお金は僅かだ。贅沢なんかしていられない。それを手に取る。
 
「神奈川の国立大学から近い場所にあるので、家賃も安く抑えらえていますし、若い世代が多い街ですね。治安も悪くないし、なかなかいいと思いますよ」
「では、ここでお願いします」
「わかりました。では、すぐ契約ということでよろしいですか?」
 頷くと、すぐに書類を記入していく。すぐにカギを渡された。それをぎゅっと握りしめる。
 その瞬間、ずっと手足にあった鎖が切れたかのように軽くなる。あの時のような一時の自由ではない。本物の自由を手に入れられたと思った。すべての景色がぱっと鮮やかに彩られたような気がした。
 今まで、すぐ傍に花瓶があったことすら気づかなかったが、急に視界に入ってくる。白い胡蝶蘭だった。花言葉は、幸福が飛んでくる。まさに、この手にあるものは、幸福へつながる鍵だと思った。
 
「これ。良ければ使ってください」
 紙袋を出された。中をのぞくと、洋服とパンプスが入っていた。
「ここの制服にしようと思ったんですけど、不評で結局使わなくなったんです。影山さんには、粗末なものかもしれませんけれど……その恰好じゃ、目立ちすぎるし、大変でしょう?」
 本当なら、遠慮すべきところだが、その通りだった。
「この格好で、都内を歩いていたりすると、みんなの視線が集まってきて居たたまれなくて……。本当に助かります」
「裏に更衣室がありますので、今着替えられます?」
 有難い申し出のままに、更衣室へ。
 着物の息苦しさから解放されていく。渡された白いワイシャツと黒パンツ。自分の足で立っている。そんな気がした。その代わり、脱いだ後の着物は大荷物になる。制服が入っていた紙袋には、装飾品だけ入れれば、すぐにいっぱいになってしまっていた。
 荷物を抱えて更衣室を出る。
「ここからお住まいになるマンションまで、遠いので、車でお送りしますよ」
「そこまで、甘えられません。大丈夫です」
 といいながらも、かなり重いし、大変なことは間違いなかった。たぶん、見た目からして不憫になってしまうレベルなのだろう。苦笑いして、倉木は言った。
「全然大丈夫じゃなさそうなので、お送りします」
「本当に、何から何まで申し訳ありません。なんとお礼をしたらいいのか……」
「僕はただ仕事をしているだけです。お客様を現地に送るのは、よくあることですし、ちゃんとお金もいただきますので、お気になさらず」
 春樹を始め、倉木にも。助けられてばかりだ。

 車の後部座席に乗り込む。揺れる車内。どっと疲れが押し寄せる。
 しばらく車を走らせていると、倉木は遠慮がちな質問が飛んできた。
「あの……少し影山さんのプライベートについてお尋ねしても?」
「はい」
「春樹から、影山さんには結婚をするご予定で、家を購入されたと聞いたんですが、本当ですか?」
「はい。結婚後の新居として都内のタワーマンションを」
「契約はもうお済ですか?」
「お相手にお任せして昨日、書面のやり取りをすると連絡がありました」
「支払いは? ローンを組むという形ですか?」
「いえ全部お任せしていて、相手も学生なので、ローンは組まず、支払いを済ませました」
「それは……影山さんも支払いをされたのですか?」
「はい。二人で半分ずつ」
 
 何の躊躇いなく頷くと、息をのむ気配がした。
 春樹に驚かれたのと同じような、心に突っかかるような反応だった。聞き流そうかと思ったが、
やはり気になった。
「あの……岩国さんも、同じ反応をされていました。何か気になることがあるのでしょうか?」
「いや、確証もないですし、変に不安にさせるのもあれですし……」
 倉木に言葉を濁されてしまう。
 呆れられても仕方のないことだろう。今の私には、世間の常識さえもないのだと、痛感している。
 倉木が全部お膳立てしてくれなければ、今頃路頭に迷っているところだ。まるで、赤青黄色の信号の意味もわからない子供同然だ。勢いだけで、飛び出してきたものの本当に情けないと思う。
 
「自分でいうのもあれなんですけど、私ずっと世間を知らずに育ってきました。時を重ね、大人になるばかりで、皆さんが当たり前に知っていることを、私は多分半分もわかっていないと思うんです。今の私は、使い物にもならないお荷物です。でも……これからは、自分の足で立って歩いていきたい。ちゃんと、しなければと思っています。今もご迷惑をお掛けしているにも関わらず、厚かましいお願いだとはわかっておりますが……何か懸念があるのならば、今後のためにも、どうか教えていただけないでしょうか」
 暗くなり始めた首都高。走る車窓からみえる、ビル郡に明かりが灯っていく。とても明るく、力強い。明かり下で、みんな一生懸命働き、自分を生きているのだろう。私も、そんな風になりたいと強く思う。
 しばらく、ハンドルを握ったまま思案していた倉木が「とてもいいにいいのですが」前置きをして、重い口を開いていた。
 
「影山さんは、おそらく詐欺にあわれたのだと思います」

 私にとっては、衝撃の一言以外になかった。
 これまで見て見ぬふりをしていた違和感がどんどん鮮明になっていく。急に結婚を申し込まれたこと、すぐ一緒に住もうと言われたこと、そして、帰国してからは会いたいが、会えないと言われたこと。
 舗装が悪いせいか、車がバウンドする。その度に、揺れる美しく輝き放つ夜景の光がパチンとショートしたように、少しずつ光を失っていくような気がした。


  
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