雨に魅入られし君の名は

雨宮 瑞樹

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鈍色の雨

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 地面に叩きつけられる金属音の雨が響いた。学食の入り口で、足がすくむような派手な音。
 稲葉櫂は思わず足を止めていた。東秀大学の食堂の席に着いている大学生達の耳には届かなかったのか。食堂内の会話は途切れることなく続き、それぞれ昼食を中断させることもなかった。流れるままにそれぞれの時間をあたり当たり前のように続けている。放った高音も喧騒に埋もれていった。地面に叩きつけられた小銭は、地面で震えて動きを止める。

 だが、櫂の心の隙間に落ちたコインは気付かぬうちに入り込み、倒れることなく、木霊し続けていた。
 銀色の硬貨の一枚は、キン、キンと魚のように跳ねて、 櫂のスニーカーに向かって一直線に転がってきていた。爪先で、コツンと当たり弾かれる。バランスを崩し傾くその直前。無意識に、拾い上げて百円玉を握りしめていた。転がってきた方向に顔をやる。そこには、まるまった白い華奢な背中。束ねた黒髪を忙しなく揺れている。細い指先が慌てた様子で硬貨を集めて財布に次々に投げ込んでいた。小顔に高い鼻筋に優しげな長い睫毛が野に咲く花のように揺れている。彼女の肩から溜め息が聞こえ立ち上がった。その花に無意識に見入られるていたことも気づかず、ただじっと見つめていたようだ。
 乱れた前髪を掻き分け、床についたジーンズの膝を払っている彼女を見て、握りしめた百円玉の感触が手の中にやっと蘇った。近づいて、声をかけた。

「これも落ちましたよ」
 急に声をかけられた弾けるように顔を上げた小柄な彼女は、警戒心と身長差のせいか櫂をまともに睨み付ける形になっていた。濃くひかれたアイラインのせいか、こちらが悪いことをしたのではないかと勘違いしてしまいそうなほどの、威圧感。まるでカッターナイフを突きつけられているようだ。
 そのせいか透き通った茶色い瞳の奥が、鋭く冷えて見える。花のようだと思っていた瞳が嘘のように、完全に彼女の眼光に気圧され背筋にすっと冷たいものが走る。渡そうと思っていた硬貨を無意識のうちに手の中に固く閉ざしていた。
 そんな櫂に彼女の顔の中央に一瞬皺が寄っていた。眉間に集まっていた不満を掌に移しかえたように彼女は櫂の前に掌を突き出していた。
「ありがとうございます」
 口では謝意を述べているが、完全に早く返せという非難の声だった。慌てて彼女の掌に百円玉を置くと、彼女は一礼して颯爽と横を通りすぎていった。
 まるで嵐が去ったような感覚に苛まれほっと息をついたところに、右奥に二人のやりとりをすべてみていた食券機がぼんやり現れた。
 彼女は食券を買うために、財布の中身を撒き散らしたんじゃないのか? 買わないでよかったのか?
 そんなことを言いたげにしている機械に促されるように、振り返る。だが、もう彼女の姿はなかった。彼女の存在は跡形もなく消えていた。

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