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花時雨1
しおりを挟む狐につままれたような気分だったが、気を取り直して食券機に向かう。千円札を入れてカレーのボタンを押して、食券を受け渡し口に出して出来上がった食事の受け取り、水とスプーンをトレーに乗せて満席になっている食堂を見回す。すると、中央長テーブルの窓際席で熊谷篤人の丸いたれ目がこちらに向かって手を振っている。その正面では、金髪頭の三島宏樹が角ばった顔にある切れ長の目を尖らせていた。遠目からでも分かるほどに、宏樹の不機嫌さが手に取るようにわかる。
一瞬見て見ぬふりをしようかと思ったが、篤人のたれ目は逃げるなよと訴えてくる。ため息をつきながら、櫂は二人の元へ足を向けると、二人の正面にもカレーが並んでいた。
「櫂、待ってたよ」
そういう篤人は、ほっとした顔。こいつの相手をしてくれ。俺はもう疲れたよ。と、目配せしてくる。その先は、金髪頭に向いていた。
「めずらしく櫂が、ナンパか? こんな晴れてるのにお前、傘なんて持ってるし雨でも降るのかねぇ」
ため息をつきながら篤人の隣にカレーを置いて、早々。先ほどのやり取りを見ていたのか、金髪頭の三島宏樹が嫌味たらしい声が飛んできた。
宏樹に指摘されて、邪魔者でしかなくなっていたジーンズのポケットに傘の柄をつっこんであったことと一緒に朝のイライラを思い出す。
『昼頃から降り始めて夕方はまとまった雨になるでしょう。大き目の傘をご用意ください』
今朝テレビに現れた丸眼鏡お天気キャスターの自信満々の顔を信じて、ビニール傘を持って部屋を出た。
だが、外に出てみれば頭上に現れたのは、雲一つない青々とした空。
雨が降らないのであれば傘は邪魔者以外の何物でもない。置いてこようかと思ったが、授業の時間が迫っていて、わざわざ部屋に戻る時間もなかった。仕方なく今日一日この傘のお守りをしなければならなくなった。
溜息を一つつき、鞄と傘を隣の空いている席に置いて、篤人の隣の椅子に座る。どいつもこいつも面倒だなと思いながら、宏樹の正面に座っている熊谷篤人のたれ目に尋ねた。
「宏樹のあの状態は何なんだ?」
「さっき、付き合っていた彼女と別れてきたんだってさ」
「またか」
宏樹は、母が産婦人科医で父が内科医の家庭だ。男三兄弟の末っ子で、家庭は幼少期から非常に裕福だ。これが欲しいといえば、何でも買ってくれる環境下。新しいものがすぐに手に入ってしまうために、古いものを大事にできない飽きっぽい性格ができあがったのだという。それが、大人になっても身体に染みついていて、好きな彼女ができてもやはりすぐに冷めてしまう。恋人と長続きしないのは、こんな風に育てた親が悪い。それが、二十二歳といういい歳をして大人になりきれない宏樹の言い訳だ。
三人分の濃いカレーの匂いが充満する。
「おい、櫂。この後、恒例の飲み会に付き合えよ」
彼女と別れた後、宏樹は恒例の飲み会を開催する。何度も誘われているが、わざわざ人との距離を縮める行事が苦手だ。自分のテリトリーを守りたい櫂にとって、その行動自体理解できない。
「早速、新たな彼女探しか。当然、断る」
「なんだよ。お前フリーなんだろ? お前が来たら、参加するっていう女の子も多いんだから来いよ」
「そもそも、この後バイトだ」
医大に通う学生は全員裕福な家庭であると思われている節がある。実際周りの学生たちの家庭は、宏樹のような開業医であったり、篤人の家庭のように父親は大企業の上層部だったりと、かなり恵まれた環境にある者が多い。だが、それがすべてじゃない。特に私大ではなく、この東秀大学のような国立医学部においては往々にして、学費を工面するのが大変な家はある。自分のように市役所で働いている公務員家庭も含めて。その上、一人暮らしをしている櫂にとっては尚更、どんなに勉学に忙しかろうがバイトは必須だ。自分に対して無関心な両親の援助は、昔から皆無。医大進学も渋々認めさせたようなものだった。だから、何もかも自分でどうにかしなければならない。
先立つものがなければ、前にも進めない。
「苦学生め」
宏樹の嫌味を受け流しながら、櫂はカレーを頬張った。宏樹を相手にすることに疲れてくる。素知らぬ顔をしていた篤人に話を振ってやろうと、目を向ける。もうこれ以上付き合いきれない。
「篤人、宏樹に付き合ってやれば?」
「俺は、パス。この後部活だし、そのあとデート」
篤人には、中学から付き合い始めてかれこれ十年にもなるが彼女がいる。投げたボールを軽々と打ち返してくる丸い顔の篤人。さらっと返されて、鬱憤が降り積もる。
「宏樹お前さ、いい加減真面目に付き合わないと、そのうち痛い目を見るぞ」
人は人。自分は自分。あくまでそういった立ち位置でいたいが、宏樹の傲慢さが鼻をついて仕方がない。被害を被った相手の気持ちまで考えないのだろうか。
「俺は、十分真面目。『誠実』な人間だ」
「誠実? 短期間に何人も彼女が変わるようなお前が?」
大袈裟に目をむいてやっても何食わぬ顔で宏樹はいう。
「確かに、彼女と長続きしないのは認める。だけど、重なった期間は一度もない。つまり誰かと付き合うときは必ず、一対一で向きあっている」
「だから誠実?」
「そうだ」
宏樹の正当化が過ぎて、呆れてしまうのは正常な感覚の持ち主の証拠だろうと思っていたが、篤人があまりに自然に頷いていた。
「たしかにな」
想定外な肯定。櫂の涼しげな瞳が丸々と見開かれると、篤人は声を上げて笑っていた。
――
「俺がそんなこと言うの意外?」
「だって、篤人何年も付き合っている彼女がいるんだろ?」
「もちろん。俺は永遠に彼女を愛してる。だけど、世の中宏樹よりももっと酷い奴いっぱいいるぜ? 結婚っていう法で約束されたはずの関係でも、それを破って不倫してる奴はごまんといるわけだ。それらに比べたら、宏樹は結婚もしてなければ、二股もしてない。だったら『誠実』と豪語したって、いいんじゃないか? 櫂は真面目過ぎるんだよ」
篤人はそう言いきり、残りのカレーを流し込む。宏樹も大きく頷いて、皿を空っぽにしていた。
「そういうことだよ。櫂。誠実って言葉も、それぞれの価値観によってずいぶん変わるもんだ」
話をすり替えられて、強引に丸め込まれた気がする。煙たくなりそうな匂いをかき消すために残りのカレーを櫂も頬張り無理やり空にさせた。薄くなったカレーの香り。皿に乗っていたときは、いい香りだったのに、食べ終えてしまえば嘘のように不快に漂う。
「宏樹君ー」
甘ったるい声と濃い香水を振りまいている毛先が丸まった女が現れた。カレーと香水が混ざって、混沌とした香りが充満する。
思わず顔をしかめそうになったが、宏樹といえば満面の笑みを浮かべていた。宏樹の不機嫌さとこの匂いとどうやら化学反応を起こしたらしい。
「ちょっと、お茶しない?」
「あぁ、いいよ。俺もそんな気分だったんだ」
切れ長の目がクシャっとつぶして笑う。誠実という顔をして「じゃあ、お先」という宏樹の腕にと香水女が腕を絡めて、姿を消していた。
「あれで、誠実なのか?」
「あいつなりの基準の誠実だ。じゃあ、部活行ってくる。部長を待たせると、面倒なんだ。櫂はバイトだろ? また明日な」
篤人も立ち上がり、香水の残り香の奥へ消えていった。
残された櫂は、ふうっと溜息を吐く。
人の生き方にとやかく言う気も毛頭ないし、人の面倒ごとに首を突っ込むほどのお節介でも、余裕もない。自分の面倒で精いっぱいだ。が、何となく靄がかかる。それは、きっと、つんと鼻につく香水のせいだ。
重たく煙たい気分を全身ため息で吐き出すと、ふと脳裏に蘇る銀色の雨が降り続いている。普段なら自分のペースを崩さないように淡々とやり過ごすのだが、今日はやけにペースが乱されている気がする。櫂は鞄と傘を持って立ち上がった。
気を取り直そう。そう思うと同時に、常時持ち歩いている必須アイテムが手元にないことに気付いて、食堂の端っこにある小さな売店へ入った。目当てのものを購入し封を開けた。小分けで入っているクランキーチョコレート。幼少期から毎日欠かさず食べ続けている好物だ。
甘さは少しの幸せを与えてくれて、中に入ったモルトパフのサクサク感が気分を変えてくれる自分にとって欠かせない必需品だ。箱を開けて、一つ取り出し包みを開け、口に放り込むと自然と心が安らいだ。やっぱり、こいつは期待を裏切らない。いつもの味といつもの食感。いつもの場所に気分を落ち着かせながら、櫂はバイト先へと向かった。
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