残りの時間は花火のように美しく

雨宮 瑞樹

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歓迎会

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 掛け声と共に雪崩れ込んだのは、ゼミの飲み会で贔屓にしている個人経営の小さな居酒屋。
 夫婦で経営しているこの店は、ゼミの飲み会は自然とこの飲み屋で行うと慣習化されていった。
「いらっしゃい! あら、新入りさんね。初々しいわね! いつもの奥の座敷席どうぞ」
 店主の妻・りつさんの威勢のいい声が、響いた。溝口ゼミ生の面々は一列となってぞろぞろと奥へと入っていく最後尾にいた怜にりつさんの声がかかってきた。

「怜くん。相変わらず男前だね! 今日はみっちゃんは不参加?」
 この店の人たちは、溝口教授のことをみっちゃんと呼んでいる。溝口教授が大学の頃からの友人なのだそうだ。
 人懐っこく世話焼きのりつさんは、怜の顔を見るたびにこうやって話しかけてくるのだった。
 りつさんにとって、怜は何だか放っておけない存在だという。顔を見たら一回は必ず声をかけるからねと怜との初対面の時にそう宣言していた。前もって言われていたせいか怜もりつさんにだけは、話しかけられても何の抵抗も感じなかった。りつさんの笑顔は心の通っていない冷たい両親とは真逆に慕っていた祖母に似ている。

「教授はこの後重要な会議があるらしくて、今日は来られないと言ってました」
「あぁ、そういえばこの前なんか言ってたわねぇ。世界的な研究に関われるかもしれないとか何とか……。随分、みっちゃんも偉くなったもんねぇ」
 「せっかく一緒に飲みたい気分だったのに残念」とりつさんは呟くと「おーい」と店主がりつさんを呼び始めた。
 はーいと返事をして「じゃ、怜君も楽しんでいってね」と言って、踵を返し厨房へと消えていった。
 
 怜も集団から一歩遅れて座敷に向かうとすでに、小泉と千葉が美羽を真ん中にして席についていた。
 渡はその席順に不満気な顔ををしていたが、仕方ないという顔をして怜に声をかけた。
「怜、お前はあいつらの正面の一番奥。俺の隣の席な」
 怜はいつも一番奥のなかなか外に出にくい場所に追いやられる。その理由は、途中で姿を消すことがないようにだそうだ。
 正直、途中で抜けたことは、一度もない。だが、渡はこういった場面においては全く信用できないという。確かに酒席は、面倒だと思っている。酒の力を借りると人間、何を仕掛けてくるかわからない。細心の注意を払う必要があるからだ。できれば、参加したくないのは本音だが、一度出席を決めたのならば幹事の顔を潰すのは悪いと思うくらいの配慮はあるつもりだ。

 怜は言われるがままに、靴を脱いで一番奥の席に座ると、その横に渡。そして、他の三年生たちが座した。
 怜の目の前は、千葉。その隣に美羽。そのさらに隣に小泉。綾は後から来るといっていたので、今は不在だ。
 りつさんがビールを人数分運んできてくれ、ジョッキがそれぞれ手にする。美羽はお酒が飲めないとのことで烏龍茶を手にしていた。

「乾杯!」
 渡の掛け声と同時に、小泉と千葉に挟まれる形で美羽への総攻撃が始まっていた。
「美羽ちゃんも飲めばいいのに」
「ほら、少し飲みなよ」
「アルコールはダメなんです」
 グラスを持たせようと強引な二人に美羽は、決して嫌な顔をせずにニコニコしながら対応しているが、渡はムッとした表情を浮かべていた。雰囲気を大事にする渡は、この二人と反りが合わない。それは、怜も同じだった。気を取り直し、他の三年生の方へと意識を向けて、得意の面白トークを始めていた。
 時折、怜にも話を振ってくる渡の話に「そうだな」と淡々と返しながら、怜はビールを飲む。それを繰り返し、それぞれ酒がすすみ、声も一回り大きくなっていく。だが、怜は相変わらず変化はない。もともと酒に強いからなのかもしれないが、気分は浮きも沈みもしなかった。
 渡は、そんな怜の肩に強引に自分の手を回し、三年生たちに上機嫌に話し始めた。

「こいつ大隈怜っていうんだけど、不愛想だろ? 無口、不愛想、無表情の鉄壁の三拍子だ。人に興味ゼロ。だから、怜の名前の由来は、そのゼロからとってるんじゃないかって噂なんだぜ!」
 渡が初対面の人たちに話すいつもの常套句だ。渡の話に三年生は、大笑いしていた。
 怜は相変わらずの無表情で、気にせずグラスを傾けていた。渡には、言わせたいだけ、言わせるスタンスは昔から変わらない。

「でもよぉ。そんな欠陥だらけなのに、こいつ顔はかっこいいし、頭もいい。俺に持っていないものを全部持ってるんだぜ。俺はお前が羨ましいんだ、怜!」

 唾を飛ばしながら耳元で叫ぶ渡。一方の、無表情で怜はつまみをつつき始めていた。そんな対照的な二人に三年生の明るい笑い声が響く。
 唐揚げを口にしながら、怜は思う。酒席は嫌いじゃない。だが、やっぱり私的な話をしなきゃならないのは面倒だ。だが、渡のお陰でそういった話を全て引き受けてくれているのは有難いことだと密かに思いながら咀嚼していると、千葉のやけに通る声が不快に響いてきた。
 
「ねぇねぇ、美羽ちゃんって地方出身? 一人暮らし?」
「実家暮らしです」
 その答えにあからさまに落胆した顔をする小泉。千葉と、小泉は女に手を出すのが早い。このゼミに所属する者たちは、誰もが知っている。だが、そんな事実を知らないであろう美羽は警戒心もなさそうな顔で笑いながら一つずつ丁寧に質問に答えていた。
 そんな対応をしている美羽を怜は視界の端に置きながら、昼間の出来事をうっすら思い出していた。

「俺は地方出身で、大学寮暮らし。すぐそこなんだ」
「そうなんですか」
「で、美羽ちゃんは彼氏いるの? そんなにかわいいんだ。いるに決まっているよね?」
 という質問に、美羽の表情は固まり、怜を一瞥する。一瞬だけ怜と視線が交わるがすぐに逸らして、美羽はすぐに前のめりになっている千葉に答えていた。
「それは、秘密です」
 二コリと笑いながら、答える美羽。てっきり中庭で契約した言葉が美羽の口から飛び出すと思っていた怜は意外だった。
 こんな時のあの言葉だったんじゃないのか?
 それとも、やっぱりあの時の作戦とやらはなかったことにしようとしているのだろうか?
 別にそれならそれで構わない。だが、怜はどこか釈然としなかった。
 じっと美羽を見ると、泳いでいる目がまた一瞬だけ交わるがすぐに逸らされた。何を考えているんだ?
 怜の心の水面さざ波が起き始めていた。

「えー、教えてよ」
 千葉に代わって、小泉が問い質そうと試みる。その状況に怜は助け船を出すべきなのか、それとも美羽が自ら助けを求めてくるのを待つべきなのか迷った結果、仕方なく口を開こうとしたところに、いつの間現れたのか。綾がレモンサワーを手にもって渡と怜の間に強引に割って入ってきた。
 いつもの強引さに渡の眉間に皺を寄せているがそんなの何ともないというように綾は渡に背を向けていた。
 綾は、怜を至近距離で見つめてくる。やけに香水の香りが鼻について、おいしかった酒もつまみも何もかもが怜の口の中は苦く感じ始めていた。まっすぐ前を向いたまま目も合わせず、ため息を一つつく。

「怜、たまには飲みましょうよ」
 最後に、ふたりで。という囁きを付け加えて、綾は妖艶に笑った。
 一年の頃から授業が被ることが多く、その度に怜に付き纏ってきていた綾はゼミに入ってからは、より近い位置での接触を図ってくるようになった。そんな綾に怜は辟易としていた。
 怜は肺に重苦しくたまり始めた息をまたゆっくりと吐く。
 一方の目の前で繰り広げられていた小泉と千葉の美羽への総攻撃は、さらに勢いを増し始めているようだった。さすがの美羽も少し困った表情を浮かべ始めていた。それを見かねた渡が咎めに入っていた。
「おいおい、美羽ちゃん困ってるだろ。そういうの慎めよ」
 渡の制止で、美羽への攻撃は一旦止む。
 だが、綾はサワーを一口飲んで
「あら。いいじゃないの。かわいいんだから」
 ねぇ?と千葉たちに加勢すると、小泉と千葉は粘っこい笑みを零した。
 綾はそんな二人に満足そうに笑って、怜にもそう思うでしょう? と同意を求めていたが、怜は無表情に無言を貫く。
「この子だって、こうやってちやほやされることを得意に思っているんじゃないの?」
 綾は、そうよね? と今度は美羽に同意を求め始めていた。それに対し、美羽は目を泳がせて作り笑いを浮かべているだけだった。何も言わず、無理やり作った笑顔を前に怜の心に大きな白波がたっていた。

 急に空気が重く静まり返る。それをいいタイミングだと渡は「今日はお開きにしようぜ。いいよな?」とみんなに同意を求めていた。
 綾と小泉、千葉は不満そうにして渡を睨もうとしたところに、怜の落ち着き払った「帰るぞ」という涼しい声が響く。
 怜の揺るぎない声で、渡と三年生は迷わず立ち上がり、それに続いて小泉、千葉が重い腰を上げ外へと出ていった。
 だが、綾はグラスを持ったまま立ち上がろうとしなかった。

「行くぞ」
 怜は仕方なく声をかけるが、綾は前を向いたまま動かない。仕方なく綾の後ろを避けていこうとしたら、右手を掴まれていた。綾の火照っている手の感触に嫌悪感が体を駆け巡る。
「ねぇ、怜。いい加減私と付き合ってよ」
「どうしてそんな話になる?」
「あと一年で、大学生活も終わる。
 私、あなたのことずっと追いかけてきたのわかってるでしょ? 私、怜のことが好きなの。
 そのために、このゼミに入ったのよ」
 この身を呈して。という綾の小さな声が聞こえた。そんな綾に、怜は淡々と返答した。

「無理だ。もう時間を無駄にするのは、いい加減やめろ。俺から言えるのは、それだけだ」
 捕まれた右手をゆっくり振り解き、怜はみんなを追いかけるようにして外へ出て行った。
 その後ろ姿を見送りながら綾は、自分の手に残った微かな怜の手のぬくもりを自分の中に閉じ込めていた。絶対離すもんか。そう強く胸に刻みつけるように。
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