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変わりたい、変わりたくない
しおりを挟む「はい!やっぱり遅刻!」
昇降口で唯の声が響いた。
唯はより頭一つ分背の高い亮に、見えるように腕時計を亮の顔に掲げてみせる。
約束の時間は5時。
でも、長い針は大きく周り、8を過ぎたところ。つまるところ、40分以上の遅刻だ。
「わりぃ!」
亮は顔の前で両手を合わせて頭を下げた。
「結局、今日一日部長来なかったんだけど、その代わりに急遽練習試合することになったんだよ。俺が出たんだけど、接戦になってさ。」
どうせそんなことだろうと思ったと唯はこれ見よがしに大きくため息をつきながら、長い睫毛をくいっと上げた。
「で?勝ったの?」
「あったり前だろ。」
亮は当然という顔をして、口角を上げた。
「さっすが!」
唯もニコッと嬉しそうに目が細められた。
その瞬間―亮の心臓がドキリと打った。
整った顔にふわりと揺れる茶色がかった長い髪。
長い睫毛に透き通った焦げ茶色の目。
くすぐるような明るい笑い声。
じわりと心奥深くに染み込んでくる。
唯はこんなにキレイだったか?
……そんなことは、愚問だ。
本当は、ずっと前から気付いていた。
ただ、気づかないようにしていただけだ。
日に日に美しくなっていくことに。
子供の顔から大人の顔になったことに。
唯への思いが友情から愛情にすでに変化してしまっていることに。
見慣れた唯のいつもの笑顔なはずなのに胸がいっぱいになる。
なんとか冷静さを取り戻さなければと思えば思うほど、顔に熱が集中していく。
部室での秋田とのやり取りは、確実に亮に変化をもたらしていた。
秋田のヤロー。
余計なことしてくれるから、変に意識しちまうじゃねぇか!
静かにあたふたしていると、唯がどうしたの?という顔で亮の顔を覗き込んできた。
「あれ?顔赤いよ?大丈夫?」
そういって、亮の額に手を伸ばしてくる。
白くて細い腕がすらりとした長くてキレイな手が迫ってくる。
まずい。
このまま、その腕を掴んでこの胸にし舞い込んでしまう。
こんな、一時の衝動に身を任せたくはない。
残された数少ない理性を総動員させて、身を引き何とか唯の手から逃れる。
予想外の反応に唯は怪訝そうに亮を見つめているのを横目にして表情を悟られないように、唯に背中を向けた。
ともかく、話を逸らそう。
気を紛らわせなければ。
「と、ともかく、早く食べに行こうぜ。」
上ずった声で唯にそういうと
「…変なの。じゃ、今日は奢りでよろしく。」
という返事を残して、唯は自分の下駄箱へと向かっていった。
その後ろ姿に亮は、ホッと胸を撫で下ろした。
二人は自宅近くのファミレスへ直行した。
席につくと唯はメニュー表を広げ、サッと目を通すとものの10秒で
「私オムライスとイチゴパフェね!」
そういって、メニュー表を亮に差し出した。
「俺、デザートまで奢るとはいってねーぞ。というか、それ以前に奢るなんて一言も言ってない。」
「何小さいこといってんのよ。今までの多岐に渡る私への借りを考えたら、安いもんじゃない。」
思い当たる節があるような、ないようなそんな複雑な表情を浮かべる亮は、やがて諦めたように大きくため息をついた。
唯は机の上に置いてあるタブレット端末を操作し終えると、続いて亮もカツ丼&うどんセットをタッチして注文を終えた。
唯は、机の上に置いてあるお冷やを一口飲んだ。
いつもなら二人で、ご飯を食べることなんか当たり前のことだ。
だけど、放課後のあさみとのやり取りがずっと頭の中に残っていて、何となく気が重かった。
何で素直にならないのか。
博愛主義者ぶるな。
…か。
いつもなら着席した時点で遅刻を咎めているところだが、そんな気も起こらず、ぼんやりと手の中のコップを見つめた。
「どうした?」
何も、話さない唯を不審に思ったのか不思議そうな顔を向けてきた。
端正な顔立ちに少し鋭い目でまっすぐ視線を向けてくる亮に唯は一瞬言葉につまる。
当然、あさみとの一件を正直に話そうとは思えなかった。
考えあぐねていると。
「何かあったって顔全体に書いてあるぜ。」
普段は周りへの変化には疎いのに、唯の違和感にはやけに鋭い言葉が返る。
唯は少し息を吐いた。
「ちょっと、あさみと喧嘩しちゃって。」
「へぇ。金魚のふんみたいにいつもくっついてる二人が、珍しいこともあるんだな。」
亮は、そういいながら少し身を乗り出し右手で頬杖ついた。
こういう時は、追及しようとするサインだ。
これ以上、聞かれても正直困る。
「そういう亮は、今日何かすごく変よね?何かあった?」
唯が逆に質問すれば、亮は明らかに挙動不審になった。
乗り出していた身体を一気に引っ込ませ、背もたれに背中をつけた。
元々嘘が下手な分かりやすい性格だが、ここまでおかしいのは、今まで見たことがない。
「いやぁ…何でもないというか…。」
亮は、頭をガシガシとかきむしる。
今度は唯は身を乗り出して、亮を真っ直ぐ見つめる。
「…本当にどうしたの?変なもん食べた?それとも、脅された?それとも…誰か人質にとられた?」
唯の意味のわからない質問を無視して、亮は座り直すと、意を決したように切り出した。
「いやぁ…お、お前さ、その~。気になってる奴とかいないのかよ?」
そんなことを言ってくる亮に唯の大きな目は今にも落ちそうなくらい瞼を広げた。
「一体どーしたの!?気色悪っ!!」
そういって、唯はソファの背もたれに身をくっつけた。
「そ、そーゆー言い方ないだろ!
割りと…真面目に…聞いてるんだよ…。」
亮のその声は自分でも驚くくらい小さかった。
いつもの俺はどこいった?
俺は何をやるにしても失敗しない方だと思う。
たとえ、うまくいかなかったとしても、挽回できる自負心がある。
そんな亮だからこそ周りからは自信家だと言われる所以であると思う。
なのに。
この件に関しては、ビックリするほど自信がなかった。
亮からのそんな話してくるなんて一生ないと思っていたから、余計に衝撃的だった。
今日のあさみとのやり取りがなかったら「そんな人いるはずない」と即答していたと思う。
あさみの声が、再び頭によぎる。
逃げないで、素直になれ…か。
「そ、そりゃあ。この歳だもの…いる…っちゃあ、いる…わよ…。」
しどろもどろになりながら何とか返答する。
これが今言える精一杯の答えだった。
それが、あんたよって。
正面切っていえる勇気は、今の私には持ち合わせていなかった。
これ以上聞かれたとしても、答えられる自信はない。
だから、予防線を張るために質問を返した。
「そういうあんたは…どうなのよ…。」
少しの沈黙の後。
「俺だって…いる…さ。」
唯の返答にショックを受けながら、そいつは誰なんだ?と聞く勇気が持てず、亮はそう答えた。
それがお前だって。
本当は、言いたかった。
でも、やっぱり臆病な俺は。
怖くて、言えなかった。
「「…。」」
どうして言えないんだろう。
二人は思う。
きっと。
それは、幼馴染みだから。
心地よいこの関係が壊れてしまうことが、何より怖い。
ずっと近い距離にいたからこそ、近付き過ぎたら、あっという間にすれ違ってしまう気がして。
そんな、余計なことをして、この居心地の良い関係が壊れてしまうよりは、このままの方がずっといいんじゃないか?
でも。
…本当にそれでいいのか?
ゆらゆらと揺れ動く気持ちは、答えを見つけられないまま重苦しい沈黙が二人を支配した。
そんな中。
フランス人形が着用していそうなヒラヒラした店の制服を来たかわいいらしい女の子が料理を運んできた。
「お待たせしました。オムライスとカツ丼&うどんセットでございます。」
高い通る声で、そういうと、まず甘い香りを漂わせたオムライスが唯の前に置かれた。次に、カツ丼&うどんセットが亮の前へ置くと、急に彼女の動作が停止した。
唯がそんな彼女をチラッと見ると、髪の毛を後ろにまとめ、くりくりした大きな目が亮の姿を捕らえていた。
「あの。宮川亮さん…ですよね?」
「はぁ…。そうですけど…。」
彼女は、目をキラキラ輝かせ熱っぽく亮を見つめながら
「私、すぐそこの山川高校二年の福島三咲といいます!
宮川さんがテニスの県大会優勝したとき、私目の前で見てたんです!
あ。私、その時女子の部で、出場していたんですよ~。
二回戦敗退でしたけど。ともかく、宮川さんのアグレッシブなプレーがとても印象的で!
それ以来、私宮川さんのファンなんです!あの。握手してもらってもいいですか?」
捲し立てるようにそういうと、三咲はその手を差し出した。
「別にいいよ。」
亮は答えると、彼女のその手を握った。
その瞬間、三咲の顔はポッと赤くなった。
そのあとも、彼女はひたすら話を続け、亮は、頷きながら、時に笑いながら彼女の話を聞いていた。
亮のその横顔は唯の目にやけに大人びて映った。
唯は、目の前で繰り広げられている出来事が、よく理解できなかった。
ずっと近くにいたはずなのに、全然知らない亮がそこにいる気がした。
私といるときには、見せないもう一つの顔。
子供っぽさはいつの間にか消えていた。
心臓に鈍く痛みが走るのを誤魔化すために、唯はコップを手に取り水を無理やり飲み込んだ。
「あ。ごめんなさい。つい興奮して話し込んでしまって。彼女さんですよね?」
そう唯に鋭い視線を送ってくる彼女に
「ただの幼馴染みだから。気にしないで。」
そういって、三咲に笑顔を向けた。
「そうなんですか!」
三咲は心底ホッとした顔をした。と同時に、嬉しさがにじみ出ていた。
「料理冷めちゃいますね。失礼しました!では。」
一礼して、離れてゆく三咲の足取りは今にもスキップしそうなほど軽やかだった。
いつもなら、亮を茶化す唯なのだが、今はそんな気にもなれず
「食べよっか。」
そういって、オムライスを一口頬張った。
すっかり冷めたオムライスは、味がしないくて、とても苦かった。
亮もカツ丼を頬張る。
「何か、強烈な子だったな。ビックリした。」
「テニスコートにもファンが押し寄せてくるくらいだもんね。よ!有名人!付き合うなら、よく考えて真剣に考えられる人選びなさいよ。」
これ以上、傷口を広げたくなかった。
いつもの自分に戻りたかった。
この関係が壊れてしまわないように。
大事にしまっておきたかった。
このまま、いつも通りの関係でいれば。
これ以上傷付かずにすむ。
離れなくてすむから。
「んなの、お前に言われなくたってわかってる。俺は誠実を絵にかいたような男だ。」
いつもの唯の軽口だけど、何だか突き放された気がした。
今までに感じたことのないような距離を感じたのは気のせいだろうか?
俺たちは俺たちのはずなのに。
でも…。
やっぱり近付きたいって思ってしまうのは、間違っているのだろうか?
一層のこと、幼馴染みなんかじゃなければよかった。
そうすれば、築いてきた関係を壊すことを恐れる必要なんてなかったはずなのに。
ただ、余計なことを考えずに前を向いてさえいれば近付けたかもしれないのに。
「どーだか。幼馴染みとしては、大分心配してますけど。」
二人のいつものやり取りは、続く。
いつものように。
いつものテンポで。
そうやって、今日も二人はまた普段の幼馴染みの二人に戻って行った。
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