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雑念ばかりで、ほとんど身が入らなかった朝練が終わると亮は、始業のベルと共に教室へと戻った。
ほとんどの生徒は退屈そうに席につき、担任が姿を現すのを待っていた。
亮も同じように自席につく。
亮の席は、廊下側の最後方。
いつもなら風も届かない暑苦しいこの場所に、心地よい風が流れ込んできた。
窓を見ればいっぱいに開け放たれていた。
そして、窓際の中間の席に視線を滑らすと、唯の長い髪がしなやかに揺れていた。
それを見て、ふと思う。
唯は昨晩の無機質なやり取りの中、どんな顔をしていたのだろう。
明かりの灯らない部屋の中、どんな思いでいたのだろう。
あの時。
誕生日にプレゼントをあげて、俺はバカみたいに一人浮かれていた。
数日前に生まれて初めて唯への女の子へとプレゼントを探しに行って。
悩みながら、慣れない店に行ってきた。店員には、好奇な目で見られて、居心地は正直よくなかった。
でも、唯に少しでも喜んでもらえるのなら、そのくらいの不快感はどうってことなかった。意気揚々と、プレゼントの袋を抱えて帰ってどうやって唯に渡そうか考えた。その時は、まどろっこしいことはせずに、そのまま渡そうと思った。
でも、誕生日前日になってみると、強い臆病風が吹いた。
唯の笑顔を間近で見たいが、直接手渡した後どんな顔をしていいのかわからない。
考えれば考えるほど、どうしたらいいのかわからなくなって、結局 、直接渡すには気恥ずかしさの方が上回って、それを隠すために、箱を作ってそこに忍ばせた。
どんな形でも、プレゼントさえ唯の手元に渡ってくれれば、それでいいと思っていた。
こんなことなら、ちゃんと自分の手から渡せばよかった。
学校にいるときは部活やら、周りの目があるから、そんな時間ないにしても、目と鼻の先にお互いの自宅があるのだからどうとでもできたはずだ。
夜にでも呼び出すことだってできたはずのに。
そうしたら、唯を励ますことも、一緒に寄り添ってやることもできたかもしれない。
悲しみに暮れた誕生日なんて過ごすこともなかったかもしれない。
頭に浮かんでくるのは、後悔ばかりだ。
いくら思いを馳せても、唯の華奢な背中から何も見い出すことはできず、頬杖をついて息を一つ吐く。
すると、担任がガラリと前方の引き戸を開け壇上へと立った。黒いジャケットを羽織り、スキンヘッドの頭にうっすら汗を浮かべながら、咳払いすると、野太い声が響いた。
「今日は進路面談日ということで、終日プリント学習を行います。
面談は出席番号順で隣の空き部屋でやります。面談が終わったら、次の出席番号の人に声をかけるように。名前を呼ばれたら、プリントを中断して別室に来てください。
すでに、その時点でプリントが終わっている人は、面談終了次第帰ってよし。」
早々に帰れるという歓喜の声と出席番号順は不公平だという声が混ざりあう。
ワイワイ騒ぐ声の中、担任は教壇の上に机を持ってくると二つのプリントの山をドンと置いた。
「プリントは、2種類。左の山が文系。右の山が理数系に分かれている。どちらか一つ取って、提出して帰るように。以上。では、早速出席番号一番から来てください。」
生徒一人と、担任が出ていくと、ぞろぞろとプリントを取りに席を立つ。
その波に乗るように亮もその群衆に紛れた。
プリントが置かれた机に群れの隙間から手を伸ばし、理数系のプリントの山から一部取る。
唯の席を見れば、まだ席に座ったままだった。
亮が自分の席に戻ると、それを見計らったように唯が席を立った。
その行動から、もしかしたら唯は今日一日俺を避ける気かもしれないと、ふと頭に過る。
亮は、乱暴に頭を掻いた。
ともかく、今は余計なことを考えずに目の前のプリントを片付けよう。
意外と量があるなと思いながら、亮カチカチとシャーペンを鳴らした。
プリントを片付けている間、順々に生徒は面談に駆り出されていく。
真面目に一人で問題を解いていく者もいれば、早く帰るために手分けして作業を行い始める者もいる。大まかに二種類の生徒に分かれた。
もちろん唯は、前者だ。
亮は、その状況によって、後者に属するときもある。
だが、今日のところは、雑念を消すために真面目に問題を解いていくことにする。
スラスラとプリントに回答を書き込んで、
立ち止まることなく次々と空白を埋めてけば、一時間ほどで終了した。
前方の窓際にある担任の机に解き終わったプリントをパサリと置きに行くと、周りからもう終わったのかよという騒めきが起こった。
まぁな。と言いながら、席に戻るときにチラリと唯の様子を伺う。
唯は、手元に視線を落としながら、何やら考え込んでいるようだった。
時々吹く風が唯の髪をなびかせ、長い睫毛もそれに合わせて揺れていた。
いつもならその毛先が触れるくらい近くにいるのが当たり前なのに、随分と遠くに感じる。
面談進み具合を確認する為に廊下を出てチラリ隣室を覗いてみる。
何やら神妙な面持ちで担任と話し込んでいる生徒が目にはいった。
この調子だと、自分の出番は随分と先のようだ。
亮は、ため息一つつく。
プリントを終わらせた順に面談を行った方がよっぽど効率的なはずなのに。
担任の効率の悪さに少し腹が立った。
そうすれば、より唯を捕まえやすくなるのに。
一瞬、担任に訴えに行こうかと思うが、あの頭でっかちの担任にそう提案したところで受け入れられる確率はゼロに近い。
あのスキンヘッドの頭は自分の考えを曲げるような柔軟さを持ち合わせていないことは周知の事実。
生徒がいくら言ったところで、絶対に聞き入れるはずがない。
亮は、再度大きくため息をついた。
教室に戻りふと周りを見渡しても、どうしても唯の方に視線が止まってしまう。
手持無沙汰になった頭も、グルグルとまた余計な思考が回っていく。
いつからこんなに女々しくなったんだか。
くそ。
やめだ、やめだ。
本来ウジウジ考える性格ではない自分にとって、この状態はストレスの何物でもない。
気分を切り替えるために、とりあえず教室を出ることにした。
本でも読むか。
そう思い立ち、図書室に足を運んだ。
だが、普段あまり本を読む習慣がないために、どれを読めばいいのかさっぱり見当がつかない。
無作為に本棚から、本を引き出し、裏表紙のあらすじに目を通してみる。だが、それを何度重ねても、読んでみようという意欲が起きてこなかった。
こんな時唯がいたら、悩むこともなかっただろうなんて、思い始める自分に嫌気が差して、図書室を後にした。
その後は、行く当てもなく、校内をブラブラ歩き回ってみたが、途中で見知らぬ下級生の女の子と出くわし声をかけられた為に、それも早々に中断し、逃げるように階段へと向かった。
そして、気付けば足は勝手に階段を上がり屋上へと向かっていた。
最上階へ辿り着き、ドアを開けると、風が亮の短髪を揺らした。
風は夏特有のまとわりつく不快感はなく、むしろ清々しかった。
亮は、屋上の真ん中まで進むとに大の字に寝転んだ。
大きなテニスの試合が控えている時や誰にも邪魔されたくないときに、度々ここに訪れる。
どう攻めるか。
どう守るか。
どう切り抜けるか。
絡まった思考の糸を解きほぐすには、絶好の場所だ。
自然の力をも頼りたいと無意識にそう思っているが故に辿り着いたのかもしれない。
眼前には、青い空にもくもくとわた雲が所々に散らばっていた。
その合間に、太陽も顔を出している。
その割に暑さはそれほど感じず、時折吹くカラリとした風が何とも心地よかった。
今年の梅雨は、雨は少ないが雲が多い日が続きそうだなんて、天気予報でやっていたのをぼんやり思い出す。
確かに、こうやって太陽が顔を出したのはいつぶりだったか。
気候なんて興味ないのに。と、自分で突っ込みを入れ、苦笑する。
亮は、無心になるために目を瞑り大きく息を吸い込んだ。
ともかく、風と太陽が心地よかった。
どのくらいそうしていたのかわからない。
そして、しばらくすると。
「ここにいた。」
遠くから声がして、パット目を開くと。
唯が少し身を屈めて、亮の顔を覗き込むようにして立っていた。
亮は予想よりも断然至近距離に唯がいて驚く。
勢いよく体をを起こすと、唯のいる方向へと身体をひねり、少し見上げるように顔を見た。
避けられていると思っていた相手が目の前に現れて、驚嘆して声もでなかった。
そんな、おかしな様子を見せる亮に唯はクスクスと笑っていた。
「何よ。幽霊が出たみたいな顔しちゃって。」
いつもと変わらない唯の笑顔。
何年かぶりに再会したかのような錯覚に陥り、亮は食い入るように唯を見つめていた。
その視線に居心地が悪いのか、唯は眉間に皺を寄せ少し怒ったような顔。
「教室を出て行ったきり、全然帰ってこないから探しちゃったわよ。私終わったから、早くした方がいいよ。先生待ってるよ。」
そういわれて、少し意識を飛ばしていたのかもしれないと自覚する。
唯は、くるっと背を向けようとしたが、途中でストップして再度亮の方をみると、長い髪を耳にかけた。
「昨日は…ありがとう。まさか、亮から誕生日プレゼントが貰えるなんてこれっぽっちも思ってなかったから、吃驚しちゃった。大事にするね。」
唯ははにかみながらそういうと、今度は腕を上下に振って早く立ち上げれとジェスチャーをしながら
「ほら、早く行ってきなさいよ。じゃ、私は帰るから。お先に。」
というと、そのまま早々立ち去ろうと踵を返した。
「待て。」
亮の声に唯はビクッと肩を震わせ、背を向けたまま顔だけ亮の方へ向けた。
亮は、その場から立ち上がり、唯の隣へ。
「さっさと終わらせてくるから、待っててくれよ。」
「イヤよ。みんな面談に30分くらいかけてるし。そんなに待ちたくない。それに…私ね。亮のこともう待たないことにしたの。考えてみたら、私ばっかり待ってる気がするのよね。待つのってね、結構大変なのよ?…というわけで、私は待たない。」
そんなことを言い出す唯に、いつもの唯のように見えてやっぱりそうじゃないと悟る。
長野副部長のやり取りでは、唯に何があったのかわからなかったが、あの後聞き耳を立てていた秋田がやってきてトラブルの詳細を聞いた。
それを聞いて、当然ながら三咲への怒りが沸き起こった。
だが、それ以上に唯を気遣わせてしまっている自分が情けなかった。
どんな些細なことでもいい。くだらないことでもいい。
本当は、包み隠さず思ったまま何でも話してほしいと望んでいる。
でも、そう思っていながらも、唯がそうできないのは今のこの微妙な距離のせいなんだろう。
ずっと近くにいたつもりだったけど、本当はどんどん二人の距離は離れていっていたのかもしれない。
そして。その距離を作っている原因は、自分自身だ。
亮は、奥歯を噛む。
「5分だ。」
「え?」
「5分だったら、文句ないだろ。」
「…そんな早く終わるわけないでしょ。」
「お前が教室に戻って、片付け終わるくらいまでに5分くらいかかるだろ?その間に俺が戻ってくれば、唯は『待った』とはいえないはずだ。」
「できない約束なんてしないでよ。」
「確かに、遅刻やら何やらでお前のことを待たせてることが断然多いと思う。でも、俺は遅れても約束は今まで破ったことはない。」
「何正当化してんのよ…。」
「今回は、時間もちゃんと守る。」
「そんな勝手に決めないでよ…。いつも、亮は勝手なのよ。自分のことしか考えてない。」
唯は、苦しそうに顔を歪めた。
ほとんど見たことがない、その表情にどれだけ唯を悩ませていたのかと思い知る。
少し間をおいて、亮は唯の透き通った双眸を真っすぐ見る。
「俺もそう思う。でも、それは今日で終わりにする。」
唯は、そんなことを言った亮に目を大きく見開いた。
もしかしたら、唯はこのまま足早に本当に帰ってしまうかもしれないという不安がよぎるが、自分を騙して亮は少し口角を上げ懇願するよう
「じゃ、行ってくる。」
と言うと、亮は足早に屋上を出て、階段を駆け下りた。
ほとんどの生徒は退屈そうに席につき、担任が姿を現すのを待っていた。
亮も同じように自席につく。
亮の席は、廊下側の最後方。
いつもなら風も届かない暑苦しいこの場所に、心地よい風が流れ込んできた。
窓を見ればいっぱいに開け放たれていた。
そして、窓際の中間の席に視線を滑らすと、唯の長い髪がしなやかに揺れていた。
それを見て、ふと思う。
唯は昨晩の無機質なやり取りの中、どんな顔をしていたのだろう。
明かりの灯らない部屋の中、どんな思いでいたのだろう。
あの時。
誕生日にプレゼントをあげて、俺はバカみたいに一人浮かれていた。
数日前に生まれて初めて唯への女の子へとプレゼントを探しに行って。
悩みながら、慣れない店に行ってきた。店員には、好奇な目で見られて、居心地は正直よくなかった。
でも、唯に少しでも喜んでもらえるのなら、そのくらいの不快感はどうってことなかった。意気揚々と、プレゼントの袋を抱えて帰ってどうやって唯に渡そうか考えた。その時は、まどろっこしいことはせずに、そのまま渡そうと思った。
でも、誕生日前日になってみると、強い臆病風が吹いた。
唯の笑顔を間近で見たいが、直接手渡した後どんな顔をしていいのかわからない。
考えれば考えるほど、どうしたらいいのかわからなくなって、結局 、直接渡すには気恥ずかしさの方が上回って、それを隠すために、箱を作ってそこに忍ばせた。
どんな形でも、プレゼントさえ唯の手元に渡ってくれれば、それでいいと思っていた。
こんなことなら、ちゃんと自分の手から渡せばよかった。
学校にいるときは部活やら、周りの目があるから、そんな時間ないにしても、目と鼻の先にお互いの自宅があるのだからどうとでもできたはずだ。
夜にでも呼び出すことだってできたはずのに。
そうしたら、唯を励ますことも、一緒に寄り添ってやることもできたかもしれない。
悲しみに暮れた誕生日なんて過ごすこともなかったかもしれない。
頭に浮かんでくるのは、後悔ばかりだ。
いくら思いを馳せても、唯の華奢な背中から何も見い出すことはできず、頬杖をついて息を一つ吐く。
すると、担任がガラリと前方の引き戸を開け壇上へと立った。黒いジャケットを羽織り、スキンヘッドの頭にうっすら汗を浮かべながら、咳払いすると、野太い声が響いた。
「今日は進路面談日ということで、終日プリント学習を行います。
面談は出席番号順で隣の空き部屋でやります。面談が終わったら、次の出席番号の人に声をかけるように。名前を呼ばれたら、プリントを中断して別室に来てください。
すでに、その時点でプリントが終わっている人は、面談終了次第帰ってよし。」
早々に帰れるという歓喜の声と出席番号順は不公平だという声が混ざりあう。
ワイワイ騒ぐ声の中、担任は教壇の上に机を持ってくると二つのプリントの山をドンと置いた。
「プリントは、2種類。左の山が文系。右の山が理数系に分かれている。どちらか一つ取って、提出して帰るように。以上。では、早速出席番号一番から来てください。」
生徒一人と、担任が出ていくと、ぞろぞろとプリントを取りに席を立つ。
その波に乗るように亮もその群衆に紛れた。
プリントが置かれた机に群れの隙間から手を伸ばし、理数系のプリントの山から一部取る。
唯の席を見れば、まだ席に座ったままだった。
亮が自分の席に戻ると、それを見計らったように唯が席を立った。
その行動から、もしかしたら唯は今日一日俺を避ける気かもしれないと、ふと頭に過る。
亮は、乱暴に頭を掻いた。
ともかく、今は余計なことを考えずに目の前のプリントを片付けよう。
意外と量があるなと思いながら、亮カチカチとシャーペンを鳴らした。
プリントを片付けている間、順々に生徒は面談に駆り出されていく。
真面目に一人で問題を解いていく者もいれば、早く帰るために手分けして作業を行い始める者もいる。大まかに二種類の生徒に分かれた。
もちろん唯は、前者だ。
亮は、その状況によって、後者に属するときもある。
だが、今日のところは、雑念を消すために真面目に問題を解いていくことにする。
スラスラとプリントに回答を書き込んで、
立ち止まることなく次々と空白を埋めてけば、一時間ほどで終了した。
前方の窓際にある担任の机に解き終わったプリントをパサリと置きに行くと、周りからもう終わったのかよという騒めきが起こった。
まぁな。と言いながら、席に戻るときにチラリと唯の様子を伺う。
唯は、手元に視線を落としながら、何やら考え込んでいるようだった。
時々吹く風が唯の髪をなびかせ、長い睫毛もそれに合わせて揺れていた。
いつもならその毛先が触れるくらい近くにいるのが当たり前なのに、随分と遠くに感じる。
面談進み具合を確認する為に廊下を出てチラリ隣室を覗いてみる。
何やら神妙な面持ちで担任と話し込んでいる生徒が目にはいった。
この調子だと、自分の出番は随分と先のようだ。
亮は、ため息一つつく。
プリントを終わらせた順に面談を行った方がよっぽど効率的なはずなのに。
担任の効率の悪さに少し腹が立った。
そうすれば、より唯を捕まえやすくなるのに。
一瞬、担任に訴えに行こうかと思うが、あの頭でっかちの担任にそう提案したところで受け入れられる確率はゼロに近い。
あのスキンヘッドの頭は自分の考えを曲げるような柔軟さを持ち合わせていないことは周知の事実。
生徒がいくら言ったところで、絶対に聞き入れるはずがない。
亮は、再度大きくため息をついた。
教室に戻りふと周りを見渡しても、どうしても唯の方に視線が止まってしまう。
手持無沙汰になった頭も、グルグルとまた余計な思考が回っていく。
いつからこんなに女々しくなったんだか。
くそ。
やめだ、やめだ。
本来ウジウジ考える性格ではない自分にとって、この状態はストレスの何物でもない。
気分を切り替えるために、とりあえず教室を出ることにした。
本でも読むか。
そう思い立ち、図書室に足を運んだ。
だが、普段あまり本を読む習慣がないために、どれを読めばいいのかさっぱり見当がつかない。
無作為に本棚から、本を引き出し、裏表紙のあらすじに目を通してみる。だが、それを何度重ねても、読んでみようという意欲が起きてこなかった。
こんな時唯がいたら、悩むこともなかっただろうなんて、思い始める自分に嫌気が差して、図書室を後にした。
その後は、行く当てもなく、校内をブラブラ歩き回ってみたが、途中で見知らぬ下級生の女の子と出くわし声をかけられた為に、それも早々に中断し、逃げるように階段へと向かった。
そして、気付けば足は勝手に階段を上がり屋上へと向かっていた。
最上階へ辿り着き、ドアを開けると、風が亮の短髪を揺らした。
風は夏特有のまとわりつく不快感はなく、むしろ清々しかった。
亮は、屋上の真ん中まで進むとに大の字に寝転んだ。
大きなテニスの試合が控えている時や誰にも邪魔されたくないときに、度々ここに訪れる。
どう攻めるか。
どう守るか。
どう切り抜けるか。
絡まった思考の糸を解きほぐすには、絶好の場所だ。
自然の力をも頼りたいと無意識にそう思っているが故に辿り着いたのかもしれない。
眼前には、青い空にもくもくとわた雲が所々に散らばっていた。
その合間に、太陽も顔を出している。
その割に暑さはそれほど感じず、時折吹くカラリとした風が何とも心地よかった。
今年の梅雨は、雨は少ないが雲が多い日が続きそうだなんて、天気予報でやっていたのをぼんやり思い出す。
確かに、こうやって太陽が顔を出したのはいつぶりだったか。
気候なんて興味ないのに。と、自分で突っ込みを入れ、苦笑する。
亮は、無心になるために目を瞑り大きく息を吸い込んだ。
ともかく、風と太陽が心地よかった。
どのくらいそうしていたのかわからない。
そして、しばらくすると。
「ここにいた。」
遠くから声がして、パット目を開くと。
唯が少し身を屈めて、亮の顔を覗き込むようにして立っていた。
亮は予想よりも断然至近距離に唯がいて驚く。
勢いよく体をを起こすと、唯のいる方向へと身体をひねり、少し見上げるように顔を見た。
避けられていると思っていた相手が目の前に現れて、驚嘆して声もでなかった。
そんな、おかしな様子を見せる亮に唯はクスクスと笑っていた。
「何よ。幽霊が出たみたいな顔しちゃって。」
いつもと変わらない唯の笑顔。
何年かぶりに再会したかのような錯覚に陥り、亮は食い入るように唯を見つめていた。
その視線に居心地が悪いのか、唯は眉間に皺を寄せ少し怒ったような顔。
「教室を出て行ったきり、全然帰ってこないから探しちゃったわよ。私終わったから、早くした方がいいよ。先生待ってるよ。」
そういわれて、少し意識を飛ばしていたのかもしれないと自覚する。
唯は、くるっと背を向けようとしたが、途中でストップして再度亮の方をみると、長い髪を耳にかけた。
「昨日は…ありがとう。まさか、亮から誕生日プレゼントが貰えるなんてこれっぽっちも思ってなかったから、吃驚しちゃった。大事にするね。」
唯ははにかみながらそういうと、今度は腕を上下に振って早く立ち上げれとジェスチャーをしながら
「ほら、早く行ってきなさいよ。じゃ、私は帰るから。お先に。」
というと、そのまま早々立ち去ろうと踵を返した。
「待て。」
亮の声に唯はビクッと肩を震わせ、背を向けたまま顔だけ亮の方へ向けた。
亮は、その場から立ち上がり、唯の隣へ。
「さっさと終わらせてくるから、待っててくれよ。」
「イヤよ。みんな面談に30分くらいかけてるし。そんなに待ちたくない。それに…私ね。亮のこともう待たないことにしたの。考えてみたら、私ばっかり待ってる気がするのよね。待つのってね、結構大変なのよ?…というわけで、私は待たない。」
そんなことを言い出す唯に、いつもの唯のように見えてやっぱりそうじゃないと悟る。
長野副部長のやり取りでは、唯に何があったのかわからなかったが、あの後聞き耳を立てていた秋田がやってきてトラブルの詳細を聞いた。
それを聞いて、当然ながら三咲への怒りが沸き起こった。
だが、それ以上に唯を気遣わせてしまっている自分が情けなかった。
どんな些細なことでもいい。くだらないことでもいい。
本当は、包み隠さず思ったまま何でも話してほしいと望んでいる。
でも、そう思っていながらも、唯がそうできないのは今のこの微妙な距離のせいなんだろう。
ずっと近くにいたつもりだったけど、本当はどんどん二人の距離は離れていっていたのかもしれない。
そして。その距離を作っている原因は、自分自身だ。
亮は、奥歯を噛む。
「5分だ。」
「え?」
「5分だったら、文句ないだろ。」
「…そんな早く終わるわけないでしょ。」
「お前が教室に戻って、片付け終わるくらいまでに5分くらいかかるだろ?その間に俺が戻ってくれば、唯は『待った』とはいえないはずだ。」
「できない約束なんてしないでよ。」
「確かに、遅刻やら何やらでお前のことを待たせてることが断然多いと思う。でも、俺は遅れても約束は今まで破ったことはない。」
「何正当化してんのよ…。」
「今回は、時間もちゃんと守る。」
「そんな勝手に決めないでよ…。いつも、亮は勝手なのよ。自分のことしか考えてない。」
唯は、苦しそうに顔を歪めた。
ほとんど見たことがない、その表情にどれだけ唯を悩ませていたのかと思い知る。
少し間をおいて、亮は唯の透き通った双眸を真っすぐ見る。
「俺もそう思う。でも、それは今日で終わりにする。」
唯は、そんなことを言った亮に目を大きく見開いた。
もしかしたら、唯はこのまま足早に本当に帰ってしまうかもしれないという不安がよぎるが、自分を騙して亮は少し口角を上げ懇願するよう
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