【完結】ただ好きと言ってくれたなら

須木 水夏

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迫り来る影【ガーヴィン視点】

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 ガーヴィンはゆっくりと目を開けた。


(ここは…?サラは……。)



 目の前に薄汚れた白い壁、ひび割れた天井。蔦が壁の隙間から這い出し、天井へと絡みついている。黒い縁どりの窓は木戸で塞がれ、外の景色は見えない。ただ、そこにあるのは息苦しい静寂と、自分の荒い呼吸音だけだった。



(ああ。夢だ……。)



そう思ったはずなのに、夢だと気づいた瞬間に現実味を増す――それがこの悪夢の厄介なところだった。


 動こうとしても、手足が重く動かない。ガーヴィンは首を捻って自分の頭上を見る。に食い込む麻縄が、ベッドの柱に結ばれているのが見えた。
何度も引き千切ろうとした縄。けれど、それはひ弱な子どものガーヴィンには無理だった。暴れ続けた結果、手首に滲む血痕だけが新しい傷となり、足首を巻かれた縄もまた彼を同じように縛りつけていた。


(早く、覚めればいいのに……。)


 歯痒さに震えながら、結び目をじっと睨みつけていると、不意に遠くから音が聞こえた。

――ギイ、ギイ……


 どこか遠くの木の扉が軋む音。その瞬間、ガーヴィンの身体がびくりと震えた。

――バタン。

 ギッ、ギッ、ギッ。


 低く鈍い扉の閉まる音。続いて、階段を軋ませる足音が響く。


(来る……。)


 ガーヴィンの歯は、食いしばってもガチガチと音を立てた。全身が震えだし、止められない。夢の中であっても、恐怖は現実以上に鮮明だ。

 扉は背後にある。

 知っている。あの扉の向こうにはがいる。

 足音が一段ずつ近づいてくる。やがて、ガーヴィンの寝かされた部屋の前でピタリと止まった。


――ギィ……


 古びた扉が軋む音。そして足音が再び前に進む。まっすぐ、ガーヴィンのベッドの方へ――。



「……そろそろ私のこと、好きになってくれた?」


 柔らかく甘い、けれどどこか冷たい声が背後から聞こえた。
 母親に似ているが、わずかに高い声。その声だけで全身が凍りつく。


「ねえ、ガーヴィン。まだ好きになってくれないの?」


 ベッドにドン、と音を立てて女の細い手が目の前に現れた。長い爪、真紅に塗られた爪。手がゆっくりと動き、ガーヴィンの手首を何度も撫でる。引っ掻くように、ぞっとするほど優しく。

 嫌だ、と首を振っても耳元で囁きが追いかけてくる。


「好きって言って。ねえ、ガーヴィン。」

「お姉様より、私の方が好きよね?」

「好きって言いなさい。」

「ねえ、。」

「私の事、好きって言ってくれましたよね?」




 真紅の爪が手首から肘へと撫でるたびに、何時しか蚯蚓腫れができ、その隙間から血が一筋ずつ垂れていく。痛みがじわじわと神経を蝕む。

 女が顔を覗き込んだ。けれど、その顔は影のようにぼやけて見えない。輪郭が揺れ、瞳だけが異様に光を放つ。
 喉が張りつき、声が出ない。けれど、ガーヴィンは掠れる声で、必死に呟いた。

「……す、き……。」

「そう。」


 女は赤い口元をにいっと歪め、笑った。ガラスのコップを傾け、少年の顔に水を垂らす。それを喉が渇ききったガーヴィンは必死に飲んだ。
 「好き」と言えば水を与えられる。だが、食べ物は与えられず、日を追うごとに記憶が薄れていく。

――これは、ただの悪夢だ。

 現実じゃ、無い。

 違う。

 違わない。

 覚えている。

忘れてなんか、いない――。



 





「……ガヴィ?ガヴィ?」



 びく、と身体が跳ねるのを感じ、恐る恐る目を開けると、こちらを心配げに覗き込む婚約者の新緑の瞳と目が合った。

 どうやら、相当に疲れていたのか、いつの間にかサラの横で眠ってしまっていたらしい。ソファーに横たえられ、上には柔らかな毛布が掛けられていた。


「すごい汗よ、ガヴィ。……嫌な夢でも見たの?」
「……いや。…仕事の、夢。」
「……そうなの?よっぽど嫌なのね。」



 サラはふふっと小さく笑ったが、その声には、彼の嘘を見抜いている確信が滲んでいた。


「……ねえ、サラ。」
「なあに?」
「僕、いつも君に言えない言葉があるんだ。」


 言いたいのに、言おうとすると身体が途端に冷たくなり、喉に何かが詰まったようになってしまう言葉。
 愛を現すのに、一番簡単に真っ直ぐ伝えられるその言葉は、ガーヴィンにとってはまるで呪いの言葉のようだった。


「……。」
「そのせいで、君を不安にさせてるのかもしれない。」
「……そうね。」


 サラは静かに頷き、けれど直ぐにいつもの優しい笑顔を浮かべた。


「言葉で言って貰わないと、気持ちは伝わらないと思ってたわ。でも、さっきの貴方を見てそれ、吹き飛んじゃった。」
「え?」
「仕事をほっぽり出すなんて、貴方らしくないわ。でも嬉しかった。」
「サラ……。」
「自分の事は二の次で、私の事をいつも一番に思ってくれてるって思ったの。」
「……うん。いつも一番に思っているよ。」



 頬を赤くしたサラに釣られて、ガーヴィンの頬にも血色が戻る。そのままおずおずと、彼が少女の顔に、自らの顔を近づけようとした時。




「おい小僧、何をしようとしとるんだ。」





 


 
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