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快楽者
しおりを挟む「ただ、殺人を楽しむために……?」
「そのために、我々の騎士や従者や侍女を殺めたというのですか?」
誰かが呆然とした声を上げた。その声は次第にホール中に広がり、ざわつきを生む。貴族たちの顔には驚愕と恐怖が浮かんでいた。
「ウルクは、元々自分を抑えつけていた王族派閥の貴族を嫌っていた。そこで、ローゼマリアが絡んだ者の中から王族派閥を選び、その婚約者を襲撃していた。」
「陛下は……その、ローゼマリア様を特別に可愛がっておられたのですか?」
恐る恐る口を開いたのは、年配の貴族だった。その声は震え、まるで真実を知ることを恐れるかのようだった。アマルナの娘を可愛がっていたとは、未だかつて聞いた事がないことだった。
彼の問いに、フレデリック殿下は一瞬、目を伏せた。視線が床に落ちる。
「いいや。」
殿下の短い返答が、ホール内に再び静寂をもたらす。その冷たく断定的な言葉に、空気が張り詰めた。
「では、何故……?」
別の貴族が、息を飲みながら質問を重ねる。その問いには、疑念と困惑が滲んでいた。
「……其れについては、今はまだ答えることが出来ない。」
しかし、そう答えたフレデリック殿下の低い声には、既に答えを知っている響きが含まれているようにサラは感じた。
「……なぜ、陛下は私を殺さなかったのでしょう?」
そんな中、被害者の伯爵令嬢がぽつりと呟いた。
震える手で自分の左腕を長袖のドレスの上から押さえる。その仕草には恐怖と戸惑いが滲み出ていた。
「あの方は、私の騎士を切り捨てた後、私の左腕を切りつけました。そして、一度振りかぶったのにその剣を振り下ろさなかった。
周りには誰もいない時間帯の出来事でした。……なぜ、陛下は私を殺さなかったのかが、幾ら考えても分からないのです。」
「……良心の呵責だそうだ。」
フレデリックの声は低く落ち着いていた。明確な意図を持ったその声が、ホール中のざわめきを押しつぶした。
「……は?」
「自分の娘と同じ年頃の娘を殺めるのは忍びなかったと。」
「嘘よ!!」
鋭い叫び声が空気を切り裂く。男爵令嬢が前に進み出て、怒りに震える手でフレデリックを指差した。彼女は最早傷痕を隠そうともせず、その目には涙と怒りが渦巻いている。
「私の侍女は、私と二つしか年が違わなかったわ! それに、私の方が先に切りつけられた……! 私の目の前で、私の侍女は……アンは……!」
彼女の声は嗚咽に途切れた。背後にいた母親が慌てて娘を抱きしめ、泣き崩れる娘を支えながらその場を後にする。
ホールは再び静寂に包まれた。
彼女の慟哭を聞き、サラはケリーの事を思い出して胸がぎゅっと痛くなった。
仕事とはいえ子どもの頃より一緒に育ち、自分の傍にずっと居る人達だ。サラはずっとケリーやハドウィンを姉や兄のように慕っている。
男爵令嬢も同じだったのだろう。大切な人を傷つけられた痛みが手に取るように伝わってきて涙が零れそうになった。
そんなサラの手をガーヴィンがそっと握りしめて労わるようにこちらを空色の瞳で見つめた。それに小さく頷き、再びフレデリック殿下へと視線を戻した。
「……その通りだ。
私もその点が気になって彼を詰問した。解ったのは、それは彼の虚言だったという事だ。
ウルクは態と人を選んで殺めていた。貴族の娘ではなく、その従者や侍女を狙ったのは、彼らが殺められるのを見た令嬢の怯える顔が見たかったそうだ。そして、長きに渡り憎んできた王族派閥に恐怖と波紋を広げる為にそうしたのだと。」
フレデリック殿下の声が静かに響いた。彼の声音は落ち着いており、冷静そのものだった。それでもサラは、殿下のわずかに青ざめた顔色を見逃さなかった。
彼はまっすぐ前を見据え、揺るぎない態度を貫いていたが、その冷静さが逆に何かを押し殺しているように見える。
「なんと……。」
「猟奇的な……。」
「あのウルクが、そんな馬鹿な……。」
声を失う者、信じられないというように首を振る者。中には体がふらつき、隣の者に支えられる夫人もいた。
「そんな……そんな理由で……私の騎士を……。」
伯爵令嬢は立つ力を失い、蹲った。震える手を胸元に当て、その目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
彼女の母親と兄が傍に寄り添い、彼女を支えるように腕を回しながらホールを後にした。
その時だった。
「サンドラルド公爵家がいらっしゃいました。」
静まり返った空気を切り裂くように、王国の騎士の声が響き渡った。全員がその言葉に反応し、視線が一斉にホールの入り口に向けられた。
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