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「今回で最後にしよう」
それは24歳になって半年ほどが経った頃の検査の日。
診察室へ入ると先生は重苦しい空気を纏っていて、椅子に座った私に前置きもなくそう言った。
なにをと言われなくてもそれが妊活を指していることはわかっている。
「悪くなってるの?」
私はぎゅっと手を握り込んで問うた。
そうしないと手が震えそうだった。
「いや、少しは悪くなっているけれどまだ全然問題はない」
けど予想に反して先生はそれを否定した。
「じゃあ」
「けど!」
だから「じゃあまだできる」と言おうとした私の言葉を、しかし先生の強い声が遮った。
加藤さんがすかさず「お静かに」と言ってくれたおかげで少しだけ空気が軽くなる。
「…悪くはなってないけど、それでも君に残された時間は変わらないんだ」
でも先生の言葉の重みが軽くなることはなくて。
私たちは診察室で静かに泣いた。
「……嘘でしょ」
それから一か月後、私は再び妊娠した。
奇跡がもう一度起きたのだ。
その知らせを受けた日から私の生活は変わった。
いや私は変わってないが周りが変わった。
「はいお昼。今日はうどんよー」
「うわ電話だ、タイミング悪いな…、いいや、折り返そう」
「出ていいですよ、僕たち先に食べてるんで」
「ええー?くそ、すぐに終わらせてやる!」
「うどんは伸びても美味しいわよー、冷めるけど」
「電子レンジがありますから大丈夫です」
我が家のリビングに明るい声が三人分の声が響く。
母と父と先生、私は無言だったから響かない。
「さ、早く食べましょ」
母が笑い先生が笑い、一度出て行った父がばたばたと戻ってくる。
なんてことない日常の一コマだ。
だが今日は平日で今は真昼間であり普段なら少なくとも先生はいない時間である。
では何故いるのかと言えば、なんと先生は今休職中だからだ。
理由は身重の妻の世話のため。
先生と私の話は病院では有名だったのでそれで認められたらしい。
しかもいつの間にか両親は病院に多額の寄付をしていて「うちの子のこと、よろしくお願いしますね」と圧力もといお願いをしていたので、それも影響していることは間違いなかった。
「……いただきます」
その辺を考えてもきりがないので、私は粛々とうどんを食べ始める。
周りが協力してくれるというならありがたく受け取ろう。
両親も今まではずっと「少しでも手を出したら過干渉しちゃうから」とあくまで嫁に行った娘との距離感だったのだが、今は里帰りした娘の距離感と言えばいいか、昔に輪をかけて過保護になっているのには苦笑するしかない。
まだ悪阻もないのに大袈裟だなー、なんて呑気に考えていた。
「ううううう…」
それから一か月と経たず私は悪阻に倒れた。
ご飯の炊ける匂いからカニカマの匂いまで、ありとあらゆる香りが私に吐き気を齎す。
大丈夫だったのは紅茶と梅とおかゆとわかめの他は野菜類だけ。
それだけが私の食料になった。
「あ、妊婦さんはわかめいっぱい食べたらだめなんですってー」
なのに無情にもわかめが奪われた。
日々梅がゆとトマトときゅうりで耐え、私は妊娠三か月になった。
そしてそこから一か月半が経って私はとうとう25歳になった。
「おめでとう!」
「おめでとう安寿」
そう言って祝福してくれた両親は泣いていた。
「おめでとう安寿」
大きな花束をくれた先生も泣いていた。
私は黙って「ありがとう」とだけ答える。
余計なことを言わなくても皆が感じていた。
恐らくこれが最後の誕生日なのだと。
25年か、結構あっという間だったな。
花束を握りしめながら私は自分のお腹を見る。
皆に祝ってもらって、大好きな両親がいて、大好きな人と結婚できて子どももできて。
やり残したことなんてもう本当になにもない。
でも、一つだけ心残りがあるとしたら。
「……あなたが大きくなったところを見たかった」
我が子のこれからを一切見れないことだろう。
それだけはどうしようもなかった。
私はこの子に何を残してあげられるんだろう。
「だいぶ落ち着いたかも」
「五か月だもんねー」
悪阻は二か月ちょっとくらいで治まってくれた。
といっても何故か夜になると具合が悪くなって起き上がれなくなることが増えた。
甘いものを食べると治ったりするので、毎日チョコとかドライフルーツとかを食べて実験したけど、結局どれが合うのかわからないまま六か月になる頃にはそれも治まった。
「あと四か月」
目立ってきたお腹を撫でながら外を見て、私はいつの間にか訪れていた春の気配に気がついた。
このまま無事に産めますように。
私は天に祈った。
しかし妊娠八か月になるかという頃、それは急に訪れた。
「病院についたぞ、安寿」
「安寿、しっかりしろ!!」
「安寿!!」
先生や母が叫ぶ声が聞こえる。
どうしてこうなったんだっけ?
あれ、このガタガタしてる乗り心地の悪いベッドはストレッチャー?
そういえば救急車がどうとか…。
「ゆっくり呼吸をして。意識を失わないで!」
「せん、せ?」
「うん、必ず助けるから!!」
ガラガラガラガラ…
慌ただしいストレッチャーの車輪の音の中で先生の声だけが私の意識を保たせた。
処置室につくと色々な機械に繋がれ酸素吸入器と点滴をつけられる。
そして「よく頑張ったね、薬を入れたからもう寝ていいよ」という先生の声が聞こえたかと思うと一瞬で意識が飛んだ。
それは24歳になって半年ほどが経った頃の検査の日。
診察室へ入ると先生は重苦しい空気を纏っていて、椅子に座った私に前置きもなくそう言った。
なにをと言われなくてもそれが妊活を指していることはわかっている。
「悪くなってるの?」
私はぎゅっと手を握り込んで問うた。
そうしないと手が震えそうだった。
「いや、少しは悪くなっているけれどまだ全然問題はない」
けど予想に反して先生はそれを否定した。
「じゃあ」
「けど!」
だから「じゃあまだできる」と言おうとした私の言葉を、しかし先生の強い声が遮った。
加藤さんがすかさず「お静かに」と言ってくれたおかげで少しだけ空気が軽くなる。
「…悪くはなってないけど、それでも君に残された時間は変わらないんだ」
でも先生の言葉の重みが軽くなることはなくて。
私たちは診察室で静かに泣いた。
「……嘘でしょ」
それから一か月後、私は再び妊娠した。
奇跡がもう一度起きたのだ。
その知らせを受けた日から私の生活は変わった。
いや私は変わってないが周りが変わった。
「はいお昼。今日はうどんよー」
「うわ電話だ、タイミング悪いな…、いいや、折り返そう」
「出ていいですよ、僕たち先に食べてるんで」
「ええー?くそ、すぐに終わらせてやる!」
「うどんは伸びても美味しいわよー、冷めるけど」
「電子レンジがありますから大丈夫です」
我が家のリビングに明るい声が三人分の声が響く。
母と父と先生、私は無言だったから響かない。
「さ、早く食べましょ」
母が笑い先生が笑い、一度出て行った父がばたばたと戻ってくる。
なんてことない日常の一コマだ。
だが今日は平日で今は真昼間であり普段なら少なくとも先生はいない時間である。
では何故いるのかと言えば、なんと先生は今休職中だからだ。
理由は身重の妻の世話のため。
先生と私の話は病院では有名だったのでそれで認められたらしい。
しかもいつの間にか両親は病院に多額の寄付をしていて「うちの子のこと、よろしくお願いしますね」と圧力もといお願いをしていたので、それも影響していることは間違いなかった。
「……いただきます」
その辺を考えてもきりがないので、私は粛々とうどんを食べ始める。
周りが協力してくれるというならありがたく受け取ろう。
両親も今まではずっと「少しでも手を出したら過干渉しちゃうから」とあくまで嫁に行った娘との距離感だったのだが、今は里帰りした娘の距離感と言えばいいか、昔に輪をかけて過保護になっているのには苦笑するしかない。
まだ悪阻もないのに大袈裟だなー、なんて呑気に考えていた。
「ううううう…」
それから一か月と経たず私は悪阻に倒れた。
ご飯の炊ける匂いからカニカマの匂いまで、ありとあらゆる香りが私に吐き気を齎す。
大丈夫だったのは紅茶と梅とおかゆとわかめの他は野菜類だけ。
それだけが私の食料になった。
「あ、妊婦さんはわかめいっぱい食べたらだめなんですってー」
なのに無情にもわかめが奪われた。
日々梅がゆとトマトときゅうりで耐え、私は妊娠三か月になった。
そしてそこから一か月半が経って私はとうとう25歳になった。
「おめでとう!」
「おめでとう安寿」
そう言って祝福してくれた両親は泣いていた。
「おめでとう安寿」
大きな花束をくれた先生も泣いていた。
私は黙って「ありがとう」とだけ答える。
余計なことを言わなくても皆が感じていた。
恐らくこれが最後の誕生日なのだと。
25年か、結構あっという間だったな。
花束を握りしめながら私は自分のお腹を見る。
皆に祝ってもらって、大好きな両親がいて、大好きな人と結婚できて子どももできて。
やり残したことなんてもう本当になにもない。
でも、一つだけ心残りがあるとしたら。
「……あなたが大きくなったところを見たかった」
我が子のこれからを一切見れないことだろう。
それだけはどうしようもなかった。
私はこの子に何を残してあげられるんだろう。
「だいぶ落ち着いたかも」
「五か月だもんねー」
悪阻は二か月ちょっとくらいで治まってくれた。
といっても何故か夜になると具合が悪くなって起き上がれなくなることが増えた。
甘いものを食べると治ったりするので、毎日チョコとかドライフルーツとかを食べて実験したけど、結局どれが合うのかわからないまま六か月になる頃にはそれも治まった。
「あと四か月」
目立ってきたお腹を撫でながら外を見て、私はいつの間にか訪れていた春の気配に気がついた。
このまま無事に産めますように。
私は天に祈った。
しかし妊娠八か月になるかという頃、それは急に訪れた。
「病院についたぞ、安寿」
「安寿、しっかりしろ!!」
「安寿!!」
先生や母が叫ぶ声が聞こえる。
どうしてこうなったんだっけ?
あれ、このガタガタしてる乗り心地の悪いベッドはストレッチャー?
そういえば救急車がどうとか…。
「ゆっくり呼吸をして。意識を失わないで!」
「せん、せ?」
「うん、必ず助けるから!!」
ガラガラガラガラ…
慌ただしいストレッチャーの車輪の音の中で先生の声だけが私の意識を保たせた。
処置室につくと色々な機械に繋がれ酸素吸入器と点滴をつけられる。
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