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仕事人間の休日
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「では上田様、次回はドレス選びとなりますので、よろしくお願いいたします」
「はい! 次回は彼が仕事で来られないので、母と来ますね」
「かしこまりました。それではどうぞ、お気をつけて──」
本日最後のお客様を、スタッフ全員でお見送りする。角を曲がり、お客様の姿が見えなくなったところで、やっと一息ついた。時計を見ると、もう夜の22時を過ぎている。
最近は結婚後も共働きというカップルが多いので、平日のお客様との打ち合わせは、お客様の仕事が終わって落ち着く19時以降になることが多い。
最後のお客様を見送り、それからサロンの片付けや翌日の準備に入るため、自分たちウェディングプランナーの帰宅時間はどうしても終電間近になってしまう。華やかな仕事に見えて、過酷な労働環境である。
今日もサロンを出たのは、23時半頃だった。
「あー、やっと明日はお休みだー!」
帰宅が一緒になった円が、外に出るなり両手を上にあげて大きく伸びをする。
「私、今週は木曜日がお休みだから、明日から2連休なんです!」
円はそう言って、嬉しそうに笑った。
ウェディングプランナーは、主に土日に結婚式本番や打ち合わせが集中するので、週末はフル稼働だ。サロンがお休みの水曜日以外に、スタッフは平日もう一日休みを取ることができる。とは言っても、スタッフ同士で休暇が集中することがないよう、ある程度の希望は聞き入れられるものの、ほぼ機械的に休みを決められてしまう。
ただ、月に最低一度は必ず連休をもらえることが保証されているので、そこをうまく使ってスタッフは旅行を楽しんでいる。
「2連休なんて、羨ましい。私だったら、近場に温泉旅行に行っちゃうかなぁ」
真帆の言葉に、円がノンノンと首を振る。
「真帆さん、それは正しい連休の過ごし方じゃないですよ」
「正しい過ごし方?」
「イエス! 私は明日、朝からエステに行って、夜はエリート商社マンと合コンです!」
「合コン……」
「あ、真帆さん、ちょっとひいてません? ブライダル業界なんて現場は女ばかりだし、出会いなんてないんですから。待ってるだけじゃ、幸せは掴めないんですよ!」
鼻息荒く言い切る円は、ここのところ月に2、3度のペースで合コンに出かけている。理想が高すぎるのか、誰ともその後続いていないようではあるが。
「明日こそは、運命の出会いがあるような気がするんです。第六感てやつが、ビンビン来てます!」
「まぁ……頑張って……」
「収穫あったら、連絡しますね」
駅の改札をくぐった先で円と別れ、真帆は千代田線のホームで次の電車を待った。
明日は水曜日。待ちわびた休日は、学生時代の友人とランチをする予定が入っている。一ヶ月ぶりに会う友人とは、きっと積もる話で盛り上がるだろう。ランチに選んだフレンチレストランは、実はある目的で真帆が予約を入れていた。会話を楽しみながら、料理も存分に味わおう。考えただけで、今から明日が待ち遠しくなってくる。
タイミングよく到着した電車に乗り、空いている席へ座る。ゆっくり電車が走り出すと、その心地よい揺れに真帆は身体を預けた。
*
翌日、真帆はいつも通り朝8時に目が覚めた。休日くらいもう少しのんびり寝ていたいと思っても、日々の習慣か必ずこの時間になると目が覚めてしまう。
一般企業に勤めていれば、朝6時頃には活動を始めるのが普通なのかもしれない。けれどブライダル業界は、終業時間が遅い分、総じて始業時間にゆとりがある傾向にある。フェリークも、サロンがオープンするのは11時なので、スタッフはそれまでに出社していれば良いというわけだ。
会社の最寄りまで電車で5分とかからない場所に住んでいる真帆は、本来であればもっと遅い時間に起きても問題はないのだが、丁寧に朝食を作ったり、掃除をしたり、図書館で借りた本を読んだりと、一日のうちで唯一確保できる自由時間を満喫させるため、必ず8時には起きるようにしていた。
今日はランチに備え、軽めの朝食をとった後は、洗濯をして10時半頃に家を出た。
待ち合わせ場所は、予約したレストランがある表参道だ。表参道駅の改札を出ると、真っ赤なコートを来た親友の清水さゆりがこちらに手を振っているのが見えた。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「ぜーんぜん。私もさっき着いたところだから」
そう言ってマフラーを巻き直すさゆりと一緒に、駅から徒歩5分の距離にあるレストランへ向かった。
さゆりは、真帆の大学時代からの友人だ。見た目も性格もサッパリしていて、男女関係なく好感を持たれるタイプの女性だった。
昔から変わらないショートヘアは、今日は毛先がふんわりと巻かれており、ボーイッシュなさゆりを少し女性らしく見せている。表参道というロケーションとレストランの格式に合わせて来たのかもしれない。
駅からまっすぐの一本道だったので、迷わず予約時間の5分前にはレストランへ到着した。
「すごい。なんだか、フランスにあるオシャレなカフェみたいだね」
「ほんとね……」
まるでヨーロッパにある宮殿のような優雅な外観と、中に入るとまず目に入るゴシック天井。ここは本当に日本なのかと問いたくなる、まるで海外にいるような気分だ。
今回通されたのは奥の中庭だった。天井が大きなガラス張りになっていることで、日中は自然光が降り注ぎ、人工的な明かりがなくてもとても明るい。ここまで広い中庭なら、結婚式を行うことだってできそうだ。このバルコニーのあそこに、高砂を置いて──……
「おーい。完全に仕事モードに入っている真帆さーん、私がいること忘れてないー?」
さゆりの声で、真帆はようやく現実世界に引き戻された。
「あれ……? 私……?」
いつの間にかしっかり席についており、メニューを広げていた自分に驚く。
「なるほどねぇ。今日真帆がこのレストランを選んだ理由、分かっちゃった」
「あ、あはは……」
「どうせこのレストランで結婚式をするなら──なんて、具体的なイメージしちゃってたんでしょう。つまり、今日の私はついでってわけね」
「ごめんごめん、さゆり。ついでなんて言わないでよ。どっちかって言うと、レストランがついでだから」
「どうだかね」
すっかりへそを曲げてしまったさゆりに「今日は一杯おごるから」と言えば、「じゃあ、一番高いお酒頼もう~」なんて言いながらも、けっきょく彼女は真帆と同じスパークリングワインを頼んだ。
「真帆は相変わらず、休日も仕事のことばっかりなんだね」
「そんなことないけど……」
「そんなこと大アリなくせに。休みの日くらい、仕事から離れたら? あんまり仕事のことばっかり考えてると、ストレス溜まらない?」
「うーん、それが、そうでもないんだよね……」
不思議なことに、休日のふとした時に仕事モードに入ってしまっても、それが全く苦じゃないのだ。
新しいカフェやレストランに入った時、季節毎に変わるデパートの装飾を見た時、結婚式で使えるかもと考えているうちに、アイディアが次々と湧いてくる。それを忘れないようにメモをして──なんてことをやっていると、「休みの時くらい、仕事忘れたら?」なんて、過去に付き合った恋人からも呆れられたことがある。
だけど、本人はそれを仕事だとは思っていないわけで。ただのインスピレーションだと思っているのだが、なかなか他人からは受け入れられない。
「いいなぁ……真帆が羨ましい」
「……さゆり?」
「私ね、最近色々考えるの。結婚を機に仕事を辞めてしまったけど、このままでいいのかなぁって」
「さゆりは、寿退社が昔からの夢だったんじゃなかった?」
それこそ学生の時から、さゆりの夢は専業主婦だと聞いていた。今の時代は共働きが普通だけれど、それでも彼女は専業主婦にこだわっていた。さゆりの母親は専業主婦で、いつでも家に帰れば笑顔で迎えてくれた──だから自分も、そうなりたいのだと。
そのために稼げる男を捕まえるんだと言って、将来有望な異性がわんさかいるであろう偏差値日本一の大学へ、さゆりは見事ストレート入学を果たした。
今の彼女の旦那は、同じ大学で知り合った2つ上の先輩だ。医学部を卒業し、現在は付属の大学病院で外科医をしている。将来は開業医を目指しているのだという話も耳にした事がある。
まさにさゆりの理想とする旦那だと、真帆を含め友人誰もが思っていた。
それなのに──……
「確かに昔からの夢だったし、夢が叶った時は本当に嬉しかった。……でも、最近思うの。何かが足りないって」
「何かって?」
「こんなこと言ったら贅沢だって思われるかもしれないけど、夢中になれるものがないの。毎日同じことの繰り返しで……掃除をして、洗濯をして、買い物をして、ご飯を作って、旦那の帰りを待って……それで一日が終わる」
「うん……」
「子供がいればって思うけど、旦那は子供、あんまり欲しくないみたいで……」
「話したの?」
「うん。だって、いつまでも避妊するから……。でも、今は欲しくないって、はっきり言われた」
「そっか……」
それ以上かける言葉が見つからない。けれど、今のさゆりは慰めてほしいわけじゃなく、ただ胸の内を吐き出したいだけなのだと、長年の付き合いで分かっていた。
「きっと私は贅沢なんだと思う。世の中には、働きたくないのに働いている人だってごまんといるわけでしょう? そんな人たちからすれば、私なんてただのワガママ女だよね」
「そんなこと……」
「だけど今の私には、活き活きしている真帆が眩しく見える」
さゆりが目を少し細めた時、タイミングよくスパークリングワインが運ばれてきた。少し重くなりかけていた空気が、一気に和らぐ。「乾杯」とグラスを合わせた後は、いつもの明るいさゆりに戻っていた。
それにしても、さゆりが今の生活に対して不安を抱えていたとは正直思わなかった。昔からの夢を一番に叶え、幸せな毎日を送っているものだと疑わなかった。
けっきょくは、隣の芝生は青い──ということなのだろうか。例え自分が選んだ道であっても、100%満足の日々なんて送れない。
真帆自身も、理想を追い求めて毎日がむしゃらに働いていても、ふとした時にこの先の将来を不安に思うことがある。仕事が好きでも、結婚願望がないわけじゃない。
だけど、この不規則な仕事を続けながら、結婚なんて出来る気もしない。
皆、それぞれ違った形でもがいている。人生って、どうしてこう思い通りにいかないのだろう──……
*
「あ、そう言えば……」
食事を終えた帰り際、突然思い出したようにさゆりが言った。
「昨日の夜、真帆の元カレから連絡が来たよ」
「それって……誠?」
「そう、誠さん。何度電話しても真帆が出てくれないから、なんとか言ってくれって言われて……」
「かかるわけないよ、着拒してるから。ごめんね、さゆり。迷惑かけちゃって」
「それはいいけど、大丈夫? 真帆の職場に乗り込んでいきそうな勢いだったから、ちょっと気にはなっているんだよね……」
「そこまで馬鹿な男じゃないと思うけど……注意しとくよ。ありがとう」
さゆりはこの日、駅で別れる間際まで、真帆と元カレ──誠のことを気にしていた。
そんなさゆりの心配を、真帆は大したことないと笑い飛ばした。それは、誠とは円満に別れたと信じていたからだ。別れようと言い出したのも、彼だった。今更もめる要素は、どこにもない。
この時、元カレを過大評価していなければ──と後悔する未来が待っているとは、真帆は知る由もなかった。
嵐は、すぐそこまで迫っていた。
「はい! 次回は彼が仕事で来られないので、母と来ますね」
「かしこまりました。それではどうぞ、お気をつけて──」
本日最後のお客様を、スタッフ全員でお見送りする。角を曲がり、お客様の姿が見えなくなったところで、やっと一息ついた。時計を見ると、もう夜の22時を過ぎている。
最近は結婚後も共働きというカップルが多いので、平日のお客様との打ち合わせは、お客様の仕事が終わって落ち着く19時以降になることが多い。
最後のお客様を見送り、それからサロンの片付けや翌日の準備に入るため、自分たちウェディングプランナーの帰宅時間はどうしても終電間近になってしまう。華やかな仕事に見えて、過酷な労働環境である。
今日もサロンを出たのは、23時半頃だった。
「あー、やっと明日はお休みだー!」
帰宅が一緒になった円が、外に出るなり両手を上にあげて大きく伸びをする。
「私、今週は木曜日がお休みだから、明日から2連休なんです!」
円はそう言って、嬉しそうに笑った。
ウェディングプランナーは、主に土日に結婚式本番や打ち合わせが集中するので、週末はフル稼働だ。サロンがお休みの水曜日以外に、スタッフは平日もう一日休みを取ることができる。とは言っても、スタッフ同士で休暇が集中することがないよう、ある程度の希望は聞き入れられるものの、ほぼ機械的に休みを決められてしまう。
ただ、月に最低一度は必ず連休をもらえることが保証されているので、そこをうまく使ってスタッフは旅行を楽しんでいる。
「2連休なんて、羨ましい。私だったら、近場に温泉旅行に行っちゃうかなぁ」
真帆の言葉に、円がノンノンと首を振る。
「真帆さん、それは正しい連休の過ごし方じゃないですよ」
「正しい過ごし方?」
「イエス! 私は明日、朝からエステに行って、夜はエリート商社マンと合コンです!」
「合コン……」
「あ、真帆さん、ちょっとひいてません? ブライダル業界なんて現場は女ばかりだし、出会いなんてないんですから。待ってるだけじゃ、幸せは掴めないんですよ!」
鼻息荒く言い切る円は、ここのところ月に2、3度のペースで合コンに出かけている。理想が高すぎるのか、誰ともその後続いていないようではあるが。
「明日こそは、運命の出会いがあるような気がするんです。第六感てやつが、ビンビン来てます!」
「まぁ……頑張って……」
「収穫あったら、連絡しますね」
駅の改札をくぐった先で円と別れ、真帆は千代田線のホームで次の電車を待った。
明日は水曜日。待ちわびた休日は、学生時代の友人とランチをする予定が入っている。一ヶ月ぶりに会う友人とは、きっと積もる話で盛り上がるだろう。ランチに選んだフレンチレストランは、実はある目的で真帆が予約を入れていた。会話を楽しみながら、料理も存分に味わおう。考えただけで、今から明日が待ち遠しくなってくる。
タイミングよく到着した電車に乗り、空いている席へ座る。ゆっくり電車が走り出すと、その心地よい揺れに真帆は身体を預けた。
*
翌日、真帆はいつも通り朝8時に目が覚めた。休日くらいもう少しのんびり寝ていたいと思っても、日々の習慣か必ずこの時間になると目が覚めてしまう。
一般企業に勤めていれば、朝6時頃には活動を始めるのが普通なのかもしれない。けれどブライダル業界は、終業時間が遅い分、総じて始業時間にゆとりがある傾向にある。フェリークも、サロンがオープンするのは11時なので、スタッフはそれまでに出社していれば良いというわけだ。
会社の最寄りまで電車で5分とかからない場所に住んでいる真帆は、本来であればもっと遅い時間に起きても問題はないのだが、丁寧に朝食を作ったり、掃除をしたり、図書館で借りた本を読んだりと、一日のうちで唯一確保できる自由時間を満喫させるため、必ず8時には起きるようにしていた。
今日はランチに備え、軽めの朝食をとった後は、洗濯をして10時半頃に家を出た。
待ち合わせ場所は、予約したレストランがある表参道だ。表参道駅の改札を出ると、真っ赤なコートを来た親友の清水さゆりがこちらに手を振っているのが見えた。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「ぜーんぜん。私もさっき着いたところだから」
そう言ってマフラーを巻き直すさゆりと一緒に、駅から徒歩5分の距離にあるレストランへ向かった。
さゆりは、真帆の大学時代からの友人だ。見た目も性格もサッパリしていて、男女関係なく好感を持たれるタイプの女性だった。
昔から変わらないショートヘアは、今日は毛先がふんわりと巻かれており、ボーイッシュなさゆりを少し女性らしく見せている。表参道というロケーションとレストランの格式に合わせて来たのかもしれない。
駅からまっすぐの一本道だったので、迷わず予約時間の5分前にはレストランへ到着した。
「すごい。なんだか、フランスにあるオシャレなカフェみたいだね」
「ほんとね……」
まるでヨーロッパにある宮殿のような優雅な外観と、中に入るとまず目に入るゴシック天井。ここは本当に日本なのかと問いたくなる、まるで海外にいるような気分だ。
今回通されたのは奥の中庭だった。天井が大きなガラス張りになっていることで、日中は自然光が降り注ぎ、人工的な明かりがなくてもとても明るい。ここまで広い中庭なら、結婚式を行うことだってできそうだ。このバルコニーのあそこに、高砂を置いて──……
「おーい。完全に仕事モードに入っている真帆さーん、私がいること忘れてないー?」
さゆりの声で、真帆はようやく現実世界に引き戻された。
「あれ……? 私……?」
いつの間にかしっかり席についており、メニューを広げていた自分に驚く。
「なるほどねぇ。今日真帆がこのレストランを選んだ理由、分かっちゃった」
「あ、あはは……」
「どうせこのレストランで結婚式をするなら──なんて、具体的なイメージしちゃってたんでしょう。つまり、今日の私はついでってわけね」
「ごめんごめん、さゆり。ついでなんて言わないでよ。どっちかって言うと、レストランがついでだから」
「どうだかね」
すっかりへそを曲げてしまったさゆりに「今日は一杯おごるから」と言えば、「じゃあ、一番高いお酒頼もう~」なんて言いながらも、けっきょく彼女は真帆と同じスパークリングワインを頼んだ。
「真帆は相変わらず、休日も仕事のことばっかりなんだね」
「そんなことないけど……」
「そんなこと大アリなくせに。休みの日くらい、仕事から離れたら? あんまり仕事のことばっかり考えてると、ストレス溜まらない?」
「うーん、それが、そうでもないんだよね……」
不思議なことに、休日のふとした時に仕事モードに入ってしまっても、それが全く苦じゃないのだ。
新しいカフェやレストランに入った時、季節毎に変わるデパートの装飾を見た時、結婚式で使えるかもと考えているうちに、アイディアが次々と湧いてくる。それを忘れないようにメモをして──なんてことをやっていると、「休みの時くらい、仕事忘れたら?」なんて、過去に付き合った恋人からも呆れられたことがある。
だけど、本人はそれを仕事だとは思っていないわけで。ただのインスピレーションだと思っているのだが、なかなか他人からは受け入れられない。
「いいなぁ……真帆が羨ましい」
「……さゆり?」
「私ね、最近色々考えるの。結婚を機に仕事を辞めてしまったけど、このままでいいのかなぁって」
「さゆりは、寿退社が昔からの夢だったんじゃなかった?」
それこそ学生の時から、さゆりの夢は専業主婦だと聞いていた。今の時代は共働きが普通だけれど、それでも彼女は専業主婦にこだわっていた。さゆりの母親は専業主婦で、いつでも家に帰れば笑顔で迎えてくれた──だから自分も、そうなりたいのだと。
そのために稼げる男を捕まえるんだと言って、将来有望な異性がわんさかいるであろう偏差値日本一の大学へ、さゆりは見事ストレート入学を果たした。
今の彼女の旦那は、同じ大学で知り合った2つ上の先輩だ。医学部を卒業し、現在は付属の大学病院で外科医をしている。将来は開業医を目指しているのだという話も耳にした事がある。
まさにさゆりの理想とする旦那だと、真帆を含め友人誰もが思っていた。
それなのに──……
「確かに昔からの夢だったし、夢が叶った時は本当に嬉しかった。……でも、最近思うの。何かが足りないって」
「何かって?」
「こんなこと言ったら贅沢だって思われるかもしれないけど、夢中になれるものがないの。毎日同じことの繰り返しで……掃除をして、洗濯をして、買い物をして、ご飯を作って、旦那の帰りを待って……それで一日が終わる」
「うん……」
「子供がいればって思うけど、旦那は子供、あんまり欲しくないみたいで……」
「話したの?」
「うん。だって、いつまでも避妊するから……。でも、今は欲しくないって、はっきり言われた」
「そっか……」
それ以上かける言葉が見つからない。けれど、今のさゆりは慰めてほしいわけじゃなく、ただ胸の内を吐き出したいだけなのだと、長年の付き合いで分かっていた。
「きっと私は贅沢なんだと思う。世の中には、働きたくないのに働いている人だってごまんといるわけでしょう? そんな人たちからすれば、私なんてただのワガママ女だよね」
「そんなこと……」
「だけど今の私には、活き活きしている真帆が眩しく見える」
さゆりが目を少し細めた時、タイミングよくスパークリングワインが運ばれてきた。少し重くなりかけていた空気が、一気に和らぐ。「乾杯」とグラスを合わせた後は、いつもの明るいさゆりに戻っていた。
それにしても、さゆりが今の生活に対して不安を抱えていたとは正直思わなかった。昔からの夢を一番に叶え、幸せな毎日を送っているものだと疑わなかった。
けっきょくは、隣の芝生は青い──ということなのだろうか。例え自分が選んだ道であっても、100%満足の日々なんて送れない。
真帆自身も、理想を追い求めて毎日がむしゃらに働いていても、ふとした時にこの先の将来を不安に思うことがある。仕事が好きでも、結婚願望がないわけじゃない。
だけど、この不規則な仕事を続けながら、結婚なんて出来る気もしない。
皆、それぞれ違った形でもがいている。人生って、どうしてこう思い通りにいかないのだろう──……
*
「あ、そう言えば……」
食事を終えた帰り際、突然思い出したようにさゆりが言った。
「昨日の夜、真帆の元カレから連絡が来たよ」
「それって……誠?」
「そう、誠さん。何度電話しても真帆が出てくれないから、なんとか言ってくれって言われて……」
「かかるわけないよ、着拒してるから。ごめんね、さゆり。迷惑かけちゃって」
「それはいいけど、大丈夫? 真帆の職場に乗り込んでいきそうな勢いだったから、ちょっと気にはなっているんだよね……」
「そこまで馬鹿な男じゃないと思うけど……注意しとくよ。ありがとう」
さゆりはこの日、駅で別れる間際まで、真帆と元カレ──誠のことを気にしていた。
そんなさゆりの心配を、真帆は大したことないと笑い飛ばした。それは、誠とは円満に別れたと信じていたからだ。別れようと言い出したのも、彼だった。今更もめる要素は、どこにもない。
この時、元カレを過大評価していなければ──と後悔する未来が待っているとは、真帆は知る由もなかった。
嵐は、すぐそこまで迫っていた。
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