7 / 72
1章 新しい縁
7 星河祭りの役割
しおりを挟む
久々の公妃からの招待にライラは城用のドレスを着て参上した。
本日の要件はライラにリクエストの曲を教える為であるという。その為フルートを持参するようにと言われた。
ライラはフルートの入ったケースを大事に抱え公妃のいる部屋へと向かう。
廊下の途中に大きな絵が飾られておりライラはふと視線をそちらへと向けた。
以前も見た気がするのに何故か今気になってしまう。
大きな絵画には光り輝く美しい竜が描かれていた。雪の世界の中で凛として佇む姿は目を惹く。
「護竜(まもりりゅう)の絵です」
女官が向かう先から若い少女の声がしてライラは視線をそちらへと向ける。
成人を迎える前の美しい少女であった。身に着けているドレスと、女官からの態度から高貴な方というのがすぐわかる。
公妃と同じ亜麻色の髪の美しい少女であった。
この国唯一の公女であると気づきライラは礼をとる。
「楽にしてください。アルベル辺境伯夫人」
公女は邪気のない笑顔でライラに声をかける。
「アビゲイル公女殿下、はじめてお目にかかります」
「はじめまして、ライラ……と呼んでいいかしら」
アビゲイルから見ればライラは臣下の妻である。好きなように呼んで構わないとライラは頷いた。
「私のことはアビーと呼んで」
目をきらきらとさせていう少女にライラは困った表情で女官の方を見つめた。
「殿下、夫人が困ってしまいますよ」
「えー、だってライラは私の叔母様でしょう。なら呼んでふしぎじゃないでしょう」
クロードが大公の弟とはいえ、臣下である。身分がしっかりと定まっており気安く呼ぶのは憚れた。
拗ねた表情でアビゲイルはしょうがないと呟いた。
「それじゃあ、名前で呼んでほしいわ。公女とか殿下とかはつけないで」
「アビゲイル様……と呼んで良いのでしょうか」
「もちろんよ。あなたに出会うのを楽しみにしていたわ。本当は結婚式に行きたかったのだけど、風邪をひいてしまって残念だったわ」
確か結婚式には二人の公子のみで公女の姿はなかった。
「お母さまとの用事が終わったら私の部屋に着て頂戴、私は姉が欲しかったの」
アビゲイルは長女であり、一番上の子であった。その為か姉・兄というものに強い憧れを抱いているようだ。クロードのこともクロ兄様と呼んでいるそうだ。
「わかりました。後でアビゲイル様の部屋を訪問させていただきます」
アビゲイルの招待を快く受けてライラは後にした。
公妃の待つ部屋へ訪れてライラは挨拶をした。ライラ以外の淑女も直接公妃から譜面を預けられるという。
「あなたに披露して欲しい曲は『月と星の歌』よ」
聞いたことがある曲である。公国に伝わる曲で、ピアノやハープの方が主な楽器だっと思う。
兄が聞かせてくれた曲を思い出した。
「ピアノの方で披露した方がよさそうですね」
「あなたにはフルートで演奏してほしいのよ」
楽譜を眺めてライラは眉をひそめた。
フルートで演奏できなくないが、難しい箇所もあり練習が必要だ。
残り12日で完成できるだろうかと不安になる。
「何故フルートにこだわるのでしょうか」
ピアノ演奏をする令嬢に委ねた方がよさそうだが。
「笛の響く声は護竜にとって子守唄になるからよ」
護竜という単語を聞き先ほどの絵画を思い出す。アビゲイル公女があの絵画の竜をそう呼んでいた。
護竜については一応公国の古典のひとつとして勉強している。
公国は帝国の一部になるずっと以前は竜の国と呼ばれていた。厳しい冬、閉ざされた雪の世界であるが護竜が人の住める土地に作り替えてくれた。
そのように頼んだのが笛吹きの少女であった。彼女は筒状の笛、フルートに似た楽器で音楽を奏で護竜たちの心を豊かにしていった。
彼らにとって少女の曲は子守唄のようなものであり、何よりも愛した。
彼女が生きられるように護竜は雪の動きを変え、季節を作りだし、作物が実ようにしてくれた。
冬の雪は激しい時もあるが、春になれば雪は溶け豊かな水を届けてくれる。寒さに耐えた土地は新たな芽吹きをみせてくれる。
長く穀物は実らないと言われていた土地に麦を育ててみると実りを見せてくれる。
冬の獣や魔物たちは護竜の動きに警戒して人々をむやみに襲わなかった。護竜が唯一畏れたものは雪ムカデであるが、勇ましき戦士たちが強力して雪ムカデを退治して護竜を守った。
次第に住む人が増えていき、ひとつの国として形成されるようになった。
リド=ベルは古い言葉で「竜が歌う」という意味だと教えられた。
帝国の支配が深まり、古くから伝わる慣わしは禁じられた。定期的に行われる雪ムカデ狩りも行えず、護竜の姿は消えていった。帝国の手が届きにくいアルベル辺境伯領の一部の土地でみることができると聞くが、最後に見たという声は150年前のことである。
アルベル辺境伯領に雪ムカデの出没率が他より圧倒的に高く、護竜はあっけなく食い尽くされてしまったのだろうと言われていた。
「でも、もしかするとまだ護竜は公国のどこかに隠れているかもしれない。ひょっとしたら公都の地下にいたとすれば、あなたのフルートを聞いてひょっこり顔を出すかもしれない」
星の河は公国の古い言葉で竜のゆりかごと呼ばれている。伝承の少女がこの星の河が見える場所で、多くの護竜に子守唄を披露していたのが由来である。
「さすがにそれはちょっと期待しすぎではないでしょうか」
「でも、あなたのお兄様は有名な教会でピアノを披露して天使を呼んだと聞いたわ」
確かにそんな話があったような。
ライラが幼少時のことである。
兄のトラヴィスが聖ユルファ教会でピアノ演奏をしたときのことである。第四の帝都と呼ばれるユルファ周辺で酷い日照りが続いた。水が十分に得られず穀物が育たず、疫病も蔓延し人々は苦しんだ。
トラヴィスは支援物資を届けるために慰問した。子供から演奏をねだられ兄は傷病者の慰めになればとピアノを演奏した。
演奏を続けていると兄のいる教会のガラスが強く光った。まるで何かが訪れたかのような気配がしたと思えば、日照り続きだった空に雨雲が集い降り始めたのである。
雨は数日続き日照りの問題は解消された。
トラヴィスが訪れた後、帝都から治療の人員が確保されたところで十分な医療体制を築くことができ疫病も少しずつ治まっていった。
ユルファの人々は天使が兄の演奏を聞きつけて、願いを聞き届けてくれたのだろうと考えた。
帝都でも、兄のことを天使に愛されたピアニストと呼び、しばらく兄は色んな社交界で演奏に呼ばれていた。
兄からすれば雨が降ったのは偶然だろうと笑っていたが、ライラは目をきらきらとさせて天使の話をねだり困らせたものである。
その妹であるライラもきっと演奏すれば何か起きるかもしれない。
公妃はそれを期待しているようだ。
そんなことはない。
ライラは首を横に振った。
「公妃様。その期待は私には、荷が重たいです」
今なら兄の困り用が理解できる。
「もちろんそんな護竜が姿を現すとは思っていないわ」
くすくすと公妃は笑った。
「これは大公の望みなの」
今回の演奏リクエストは公妃の希望だと思っていた。
ここで公国の主が出てくるとは予想していなかった。
公妃が続けて説明してくれたが、公城には護竜の墓がある。
整備された庭に佇む祠であり、星の河がよく見える場所である。
墓の主は伝承の少女と一番仲が良かった護竜であった。そしてリド=ベル公国の前身の国の形成に深く関わった建国の神である。
彼の好んだ曲が『月と星の歌』であった。
ライラのフルートの噂を聞き、大公は次回の星の河のパーティーで是非披露してほしいと願った。
「わかりました。パーティーまで何とか披露できるようにしてみます」
不安はあるが、話を聞くと断りづらい。
公国にとって護竜は国のシンボルであり、大事な存在であった。
ライラは公国の臣下であり、大公が望んでいるのであればやるしかない。
「よろしくね」
公妃は嬉しそうに笑った。
◆◆◆
楽譜を受け取った後すぐに練習で館に戻りたいところであったが、アビゲイル公女との約束の為に彼女の部屋を訪れた。
女官に案内してもらうとアビゲイル公女は嬉しそうに部屋から飛び出して来た。
「ようこそ、ライラ」
部屋へと引っ張り込まれた。
彼女の部屋は油の匂いがした。
「アビゲイル様は絵を嗜んでおられるのですか?」
「わかるの? ええ、そうよ」
部屋は広々とした空間であった。あけ放たれた奥の部屋が存在しており、寝室と思いきやそこは小さなアトリエであった。
ライラが訪れるまでアビゲイルはこの部屋で過ごしていたのがわかる。
アトリエいっぱいに置かれた画材と絵具、帝国で人気の道具もあり、なかなか手に入らない海外のものも揃えられている。
先ほどまで作業していたであろう画材には美しい雪山の景色が広がっていた。天には美しい星と月が歌っているようにみえる。
「『月と星の歌』のよう」
「そうよ。わかるのね」
先ほど公妃に楽譜をいただいたから想像できただけであるがとライラは苦笑いした。
「でもまだ途中なの。まだ竜をどう描けばいいのかわからなくて」
脇に広がるのは竜の描かれた本がひたすら積まれている。これだけ調べてもイメージが浮かばないのだとアビゲイルは残念そうに語った。
絵画の中にぽっかり空いている部分がある。そこに護竜を描こうとしているのだろう。
「ライラが『月と星の歌』を演奏してくれるのでしょう。私、とっても楽しみなの」
次は絶対に体調を崩さないようにしないと。
公女は笑う。
「もしかするると護竜が起きてくれるかもしれない」
それはないとライラは言いたいが、楽しみにしている少女に水を差すのもどうかと口を閉ざした。
「現れなくてもいいわ。音楽を聞けば良いイメージが湧くかもしれない」
途中の絵画をみせたくてアビゲイルはライラを呼んだのである。
「今度の星河のパーティーは私のデビュタントになるのよ」
アビゲイルだけではなく、同年代の貴族令嬢もデビュタントを迎えるという。
「おめでとうございます」
「ふふ。私ね、あなたに私のシャペロンをお願いしたいの」
シャペロン、社交界デビューの介添人の役目である。
公女のシャペロンとなると責任重大であり、ライラは硬直する。
演奏についても頭がいっぱいなのに。
「私に務まるでしょうか」
「そんなに重く考えないで……」
「ちなみに公妃様はなんとおっしゃいましたか?」
先ほどの会話では特にシャペロンの話も公女の話も出ていなかった。
「お母さまは、ライラが良ければよいと言ってくださったわ」
負担になれば断ってもいいと言ってくれる。公女自らのお願いを断るのはなかなか勇気がいる。
「何故私なのでしょうか」
まだ公国の社交界に慣れていない身である。アビゲイル公女であればもっと相応しい夫人がいるだろう。
「私、1年後には帝国へ嫁ぐの」
まだ内密の内容であるが、アビゲイル公女は帝国の第三皇子の妃になる話が進められている。
デビュタントを迎えた後は帝国の学問を徹底的に教え込まれる。
「私の叔母でもあり、帝国貴族であったあなたが一緒なら心強いと思うの。だから、お願い」
アビゲイルはぎゅっとライラの手を握った。断らないでほしいと願わんばかりの手の力にライラは思わずうなずいてしまった。
よく考えればシャペロンを全うすれば、エスコートがいないことに色々と言われなくなるのではなかろうか。
アビゲイル公女のシャペロンについては演奏が終わった後だし、ちょっと気を引き締める時間が長くなるだけだ。
忙しいクロードには後でシャペロンを引き受けたことを伝えよう。
シャペロンの役割に専念したいため、エスコートも必要なくなったということも。
そうすればクロードの気も少し楽になるはずだ。
本日の要件はライラにリクエストの曲を教える為であるという。その為フルートを持参するようにと言われた。
ライラはフルートの入ったケースを大事に抱え公妃のいる部屋へと向かう。
廊下の途中に大きな絵が飾られておりライラはふと視線をそちらへと向けた。
以前も見た気がするのに何故か今気になってしまう。
大きな絵画には光り輝く美しい竜が描かれていた。雪の世界の中で凛として佇む姿は目を惹く。
「護竜(まもりりゅう)の絵です」
女官が向かう先から若い少女の声がしてライラは視線をそちらへと向ける。
成人を迎える前の美しい少女であった。身に着けているドレスと、女官からの態度から高貴な方というのがすぐわかる。
公妃と同じ亜麻色の髪の美しい少女であった。
この国唯一の公女であると気づきライラは礼をとる。
「楽にしてください。アルベル辺境伯夫人」
公女は邪気のない笑顔でライラに声をかける。
「アビゲイル公女殿下、はじめてお目にかかります」
「はじめまして、ライラ……と呼んでいいかしら」
アビゲイルから見ればライラは臣下の妻である。好きなように呼んで構わないとライラは頷いた。
「私のことはアビーと呼んで」
目をきらきらとさせていう少女にライラは困った表情で女官の方を見つめた。
「殿下、夫人が困ってしまいますよ」
「えー、だってライラは私の叔母様でしょう。なら呼んでふしぎじゃないでしょう」
クロードが大公の弟とはいえ、臣下である。身分がしっかりと定まっており気安く呼ぶのは憚れた。
拗ねた表情でアビゲイルはしょうがないと呟いた。
「それじゃあ、名前で呼んでほしいわ。公女とか殿下とかはつけないで」
「アビゲイル様……と呼んで良いのでしょうか」
「もちろんよ。あなたに出会うのを楽しみにしていたわ。本当は結婚式に行きたかったのだけど、風邪をひいてしまって残念だったわ」
確か結婚式には二人の公子のみで公女の姿はなかった。
「お母さまとの用事が終わったら私の部屋に着て頂戴、私は姉が欲しかったの」
アビゲイルは長女であり、一番上の子であった。その為か姉・兄というものに強い憧れを抱いているようだ。クロードのこともクロ兄様と呼んでいるそうだ。
「わかりました。後でアビゲイル様の部屋を訪問させていただきます」
アビゲイルの招待を快く受けてライラは後にした。
公妃の待つ部屋へ訪れてライラは挨拶をした。ライラ以外の淑女も直接公妃から譜面を預けられるという。
「あなたに披露して欲しい曲は『月と星の歌』よ」
聞いたことがある曲である。公国に伝わる曲で、ピアノやハープの方が主な楽器だっと思う。
兄が聞かせてくれた曲を思い出した。
「ピアノの方で披露した方がよさそうですね」
「あなたにはフルートで演奏してほしいのよ」
楽譜を眺めてライラは眉をひそめた。
フルートで演奏できなくないが、難しい箇所もあり練習が必要だ。
残り12日で完成できるだろうかと不安になる。
「何故フルートにこだわるのでしょうか」
ピアノ演奏をする令嬢に委ねた方がよさそうだが。
「笛の響く声は護竜にとって子守唄になるからよ」
護竜という単語を聞き先ほどの絵画を思い出す。アビゲイル公女があの絵画の竜をそう呼んでいた。
護竜については一応公国の古典のひとつとして勉強している。
公国は帝国の一部になるずっと以前は竜の国と呼ばれていた。厳しい冬、閉ざされた雪の世界であるが護竜が人の住める土地に作り替えてくれた。
そのように頼んだのが笛吹きの少女であった。彼女は筒状の笛、フルートに似た楽器で音楽を奏で護竜たちの心を豊かにしていった。
彼らにとって少女の曲は子守唄のようなものであり、何よりも愛した。
彼女が生きられるように護竜は雪の動きを変え、季節を作りだし、作物が実ようにしてくれた。
冬の雪は激しい時もあるが、春になれば雪は溶け豊かな水を届けてくれる。寒さに耐えた土地は新たな芽吹きをみせてくれる。
長く穀物は実らないと言われていた土地に麦を育ててみると実りを見せてくれる。
冬の獣や魔物たちは護竜の動きに警戒して人々をむやみに襲わなかった。護竜が唯一畏れたものは雪ムカデであるが、勇ましき戦士たちが強力して雪ムカデを退治して護竜を守った。
次第に住む人が増えていき、ひとつの国として形成されるようになった。
リド=ベルは古い言葉で「竜が歌う」という意味だと教えられた。
帝国の支配が深まり、古くから伝わる慣わしは禁じられた。定期的に行われる雪ムカデ狩りも行えず、護竜の姿は消えていった。帝国の手が届きにくいアルベル辺境伯領の一部の土地でみることができると聞くが、最後に見たという声は150年前のことである。
アルベル辺境伯領に雪ムカデの出没率が他より圧倒的に高く、護竜はあっけなく食い尽くされてしまったのだろうと言われていた。
「でも、もしかするとまだ護竜は公国のどこかに隠れているかもしれない。ひょっとしたら公都の地下にいたとすれば、あなたのフルートを聞いてひょっこり顔を出すかもしれない」
星の河は公国の古い言葉で竜のゆりかごと呼ばれている。伝承の少女がこの星の河が見える場所で、多くの護竜に子守唄を披露していたのが由来である。
「さすがにそれはちょっと期待しすぎではないでしょうか」
「でも、あなたのお兄様は有名な教会でピアノを披露して天使を呼んだと聞いたわ」
確かにそんな話があったような。
ライラが幼少時のことである。
兄のトラヴィスが聖ユルファ教会でピアノ演奏をしたときのことである。第四の帝都と呼ばれるユルファ周辺で酷い日照りが続いた。水が十分に得られず穀物が育たず、疫病も蔓延し人々は苦しんだ。
トラヴィスは支援物資を届けるために慰問した。子供から演奏をねだられ兄は傷病者の慰めになればとピアノを演奏した。
演奏を続けていると兄のいる教会のガラスが強く光った。まるで何かが訪れたかのような気配がしたと思えば、日照り続きだった空に雨雲が集い降り始めたのである。
雨は数日続き日照りの問題は解消された。
トラヴィスが訪れた後、帝都から治療の人員が確保されたところで十分な医療体制を築くことができ疫病も少しずつ治まっていった。
ユルファの人々は天使が兄の演奏を聞きつけて、願いを聞き届けてくれたのだろうと考えた。
帝都でも、兄のことを天使に愛されたピアニストと呼び、しばらく兄は色んな社交界で演奏に呼ばれていた。
兄からすれば雨が降ったのは偶然だろうと笑っていたが、ライラは目をきらきらとさせて天使の話をねだり困らせたものである。
その妹であるライラもきっと演奏すれば何か起きるかもしれない。
公妃はそれを期待しているようだ。
そんなことはない。
ライラは首を横に振った。
「公妃様。その期待は私には、荷が重たいです」
今なら兄の困り用が理解できる。
「もちろんそんな護竜が姿を現すとは思っていないわ」
くすくすと公妃は笑った。
「これは大公の望みなの」
今回の演奏リクエストは公妃の希望だと思っていた。
ここで公国の主が出てくるとは予想していなかった。
公妃が続けて説明してくれたが、公城には護竜の墓がある。
整備された庭に佇む祠であり、星の河がよく見える場所である。
墓の主は伝承の少女と一番仲が良かった護竜であった。そしてリド=ベル公国の前身の国の形成に深く関わった建国の神である。
彼の好んだ曲が『月と星の歌』であった。
ライラのフルートの噂を聞き、大公は次回の星の河のパーティーで是非披露してほしいと願った。
「わかりました。パーティーまで何とか披露できるようにしてみます」
不安はあるが、話を聞くと断りづらい。
公国にとって護竜は国のシンボルであり、大事な存在であった。
ライラは公国の臣下であり、大公が望んでいるのであればやるしかない。
「よろしくね」
公妃は嬉しそうに笑った。
◆◆◆
楽譜を受け取った後すぐに練習で館に戻りたいところであったが、アビゲイル公女との約束の為に彼女の部屋を訪れた。
女官に案内してもらうとアビゲイル公女は嬉しそうに部屋から飛び出して来た。
「ようこそ、ライラ」
部屋へと引っ張り込まれた。
彼女の部屋は油の匂いがした。
「アビゲイル様は絵を嗜んでおられるのですか?」
「わかるの? ええ、そうよ」
部屋は広々とした空間であった。あけ放たれた奥の部屋が存在しており、寝室と思いきやそこは小さなアトリエであった。
ライラが訪れるまでアビゲイルはこの部屋で過ごしていたのがわかる。
アトリエいっぱいに置かれた画材と絵具、帝国で人気の道具もあり、なかなか手に入らない海外のものも揃えられている。
先ほどまで作業していたであろう画材には美しい雪山の景色が広がっていた。天には美しい星と月が歌っているようにみえる。
「『月と星の歌』のよう」
「そうよ。わかるのね」
先ほど公妃に楽譜をいただいたから想像できただけであるがとライラは苦笑いした。
「でもまだ途中なの。まだ竜をどう描けばいいのかわからなくて」
脇に広がるのは竜の描かれた本がひたすら積まれている。これだけ調べてもイメージが浮かばないのだとアビゲイルは残念そうに語った。
絵画の中にぽっかり空いている部分がある。そこに護竜を描こうとしているのだろう。
「ライラが『月と星の歌』を演奏してくれるのでしょう。私、とっても楽しみなの」
次は絶対に体調を崩さないようにしないと。
公女は笑う。
「もしかするると護竜が起きてくれるかもしれない」
それはないとライラは言いたいが、楽しみにしている少女に水を差すのもどうかと口を閉ざした。
「現れなくてもいいわ。音楽を聞けば良いイメージが湧くかもしれない」
途中の絵画をみせたくてアビゲイルはライラを呼んだのである。
「今度の星河のパーティーは私のデビュタントになるのよ」
アビゲイルだけではなく、同年代の貴族令嬢もデビュタントを迎えるという。
「おめでとうございます」
「ふふ。私ね、あなたに私のシャペロンをお願いしたいの」
シャペロン、社交界デビューの介添人の役目である。
公女のシャペロンとなると責任重大であり、ライラは硬直する。
演奏についても頭がいっぱいなのに。
「私に務まるでしょうか」
「そんなに重く考えないで……」
「ちなみに公妃様はなんとおっしゃいましたか?」
先ほどの会話では特にシャペロンの話も公女の話も出ていなかった。
「お母さまは、ライラが良ければよいと言ってくださったわ」
負担になれば断ってもいいと言ってくれる。公女自らのお願いを断るのはなかなか勇気がいる。
「何故私なのでしょうか」
まだ公国の社交界に慣れていない身である。アビゲイル公女であればもっと相応しい夫人がいるだろう。
「私、1年後には帝国へ嫁ぐの」
まだ内密の内容であるが、アビゲイル公女は帝国の第三皇子の妃になる話が進められている。
デビュタントを迎えた後は帝国の学問を徹底的に教え込まれる。
「私の叔母でもあり、帝国貴族であったあなたが一緒なら心強いと思うの。だから、お願い」
アビゲイルはぎゅっとライラの手を握った。断らないでほしいと願わんばかりの手の力にライラは思わずうなずいてしまった。
よく考えればシャペロンを全うすれば、エスコートがいないことに色々と言われなくなるのではなかろうか。
アビゲイル公女のシャペロンについては演奏が終わった後だし、ちょっと気を引き締める時間が長くなるだけだ。
忙しいクロードには後でシャペロンを引き受けたことを伝えよう。
シャペロンの役割に専念したいため、エスコートも必要なくなったということも。
そうすればクロードの気も少し楽になるはずだ。
0
あなたにおすすめの小説
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さくら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる