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本編 第一部
5 存在しない記憶
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ぼんやりとした視界の中、ヴィヴィアは部屋である男を待っていた。
モーガンの公爵家へ報告書を届けたロズモンド男爵が領地へ帰る直前のこと。
ヴィヴィアはケイトを使い、彼を応接室へと呼び出した。
名目は出発前にお茶を振る舞いたいというもの。
「夫人自らお茶をご馳走していただけるとは感激です」
20代後半の若い領主、ロズモンド男爵。
10代の頃はクリスの遊び相手、勉学の友として公爵家の屋敷で過ごしていた。部下というより幼馴染といった方がよいだろう。
ヴィヴィアはお菓子の箱をテーブルに差し出した。王都で人気の店舗の名前が刻まれた箱である。
それをヴィヴィアが開ける。
その瞬間、ロズモンド男爵は目を見開いた。
「あなたに警告します」
箱の中にはロズモンド男爵が提出した報告書、それに合わせてヴィヴィアのメモが添付されている。
ロズモンド男爵の手が震え、持っていたティーカップがカチカチと音がする。
それを落とさないようにロズモンド男爵はソーサーに戻した。しばらくしてようやく口にした。
「私を告発しますか?」
震えている声。
ヴィヴィアが添付したメモ内容がいかに正確かを物語っていた。
「今後のあなたに、公爵のよき友人として恥じぬ振る舞いを望みます」
目を瞑る。
甘い判断である。
このヴィヴィアの指摘で改心する男であればよいが、そうではない場合どうなるか。
ヴィヴィアは気づいていない。
ロズモンド男爵の中に膨らみ続ける悪意に。
◆◆◆
「はっ!」
ヴィヴィアは慌てて起き上がった。
ケイトが心配そうに覗きこむ。
「奥様、大丈夫ですか? 随分うなされていましたが」
彼女の声でようやく自分が今いる場所を思い出した。
今はロズモンド孤児院へ行く為の馬車の中である。朝から出発しても辿り着けず、馬車の中で車中泊をしていた。
「やはり野宿は奥様には酷だったのです。今からでも街へ戻り宿をとりましょう」
こんなこともあるかと執事長が引き返す場合のプランも立てていたという。
「私は大丈夫よ。自分から言い出したことよ。それに」
窓のカーテンを開け、外をみる。
外には騎士たちがかわるがわる番をしていた。背筋をピンと伸ばした騎士の姿は立派だ。
執事長が急遽50人の護衛を見繕ってくれていた。サンヒル騎士団の騎士10名にその配下の兵士40名。
100人を招集をかけていたようだが、十分、十分以上の人材だろう。
「私の為に騎士の方々は外で番をしてくれている。ありがたいわ」
ヴィヴィアの身分からすれば当然のことだ。それでも前世の感覚も混ざっている今にして思うと申し訳なく思う。
帰ったらお礼をしないといけないわね。
騎士には何がいいのかしら。お酒?
それにしても。
先程の夢を思い出す。
ロズモンド男爵をあのようにお茶に誘った覚えはない。
何か糾弾しているような現場だった。
糾弾している側が非情になりきれず、中途半端でなものだった。それで糾弾されている側の恨みを買う場面にも見える。
小説であんな場面はなかったと思う。
まさか、ヴィヴィアに転生したからヴィヴィア主役の勧善懲悪ストーリーを無意識に妄想して夢に出てしまった?
「それは恥ずかしいわ」
ヴィヴィアは両手で両頬を押さえた。
そばで控えているケイトは首を傾げた。
日が上り、騎士の声かけで馬車の進行が再開された。
昼になる前にノートンへたどり着く予定であったが、予定が崩れてしまった。
油断していた。
執事長が護衛を50人も厳選するのは大げさだと思っていたが、彼の見立ては間違っていなかった。
道中に魔物が現れた。それも大量に。
この世界は魔法と剣のファンタジー世界でもある。
魔物という存在が人々を苦しめていた。
サンベル地方はゴーヴァン公爵家のサンヒル騎士団のおかげで他の地方より魔物の被害が抑えられている。
魔物も不用意に人里に姿を現さなくなっていた。ルフェル子爵領にいた時はひと月に数回は魔物の被害をメイドの噂から聞いていたのに、ゴーヴァン公爵家に入ってからそのような話は聞いていなかった。
魔物の襲撃でヴィヴィアが乗っていた馬車が壊されてしまった。
壊れた馬車で移動するのは厳しく、魔物に今後どう対応して移動すべきか騎士たちが協議をしていた。
とりあえずヴィヴィアは休憩をすることとなったのだ。
「奥様、大丈夫ですか?」
川辺でうずくまっているヴィヴィアの介抱をしながらケイトは声をかけた。
「大丈夫。公爵家が安全だからすっかり忘れていたわ。魔物が現れることを。だから執事長がこんなに護衛を用意してくれたのよね」
ヴィヴィアの言葉にケイトは困った表情を浮かべた。変なことを言ったのだろうか。
「いえ、ノートンへの道は大事なライフラインで、護符と祈りで魔物が出ないはずです」
どうやらゴーヴァン公爵領では人の集まる場所、通る公道に安全装置を施しているようだ。
公爵家お抱えの魔術師が完成させた護符に神に仕えるものの祈りで結界がはられている。
これで魔物たちは滅多に現れることはない。
途中に祠らしきものが見えたのを思い出した。
どうやら護符が安置されているらしい。
「幸い現れた魔物はどれも下級、数は多いですが護衛の騎士たちで対処できました。けど、あの程度の魔物は本来この公道には現れないはずです」
ケイトの説明の通り騎士たちも不可解な表情で話し合いをしていた。
これはますますロズモンド男爵が怪しくなったわ。
「あれは」
先の道の安全を確認に出ていた騎士が戻ってきていた。
黒髪に金のメッシュが入ったふわふわとした癖毛に、灰色の瞳を持つ青年騎士。
彼の腕に抱えられている存在が気になりヴィヴィアは近づいてみた。
幼い少年であった。
古着にしてもぼろぼろの貧相な格好をした少年は足に怪我を負っていた。
「どうしたの?」
ヴィヴィアが声をかけてみると少年はびくりと震えていた。
騎士が頭を下げる。
名前はルネ・ヴィクター卿。
ヴィヴィアの護衛騎士で1番ヴィヴィアと年の近い若者だったからか、すぐに彼の名前を覚えた。
なんだか懐かしい感じがするのよね。
自分の記憶にある似た人物はいない。パッとみた感じ子犬のような雰囲気だからかもしれない。
「礼をとれず申し訳ありません。公爵夫人」
「ヴィクター卿、その子はどうしたの? 怪我をしているじゃない」
「それが、先の道で魔物に襲われていたところを救出したところです」
よほど怖い目に遭ったのだろう。
かなり震えている。
それにしても何て痩せた子なのだろう。
10歳にも満たないガリガリに細い腕で騎士にすがりつく姿はあまりに痛々しい。
「ケイト、傷の手当をお願い」
すでに救急箱を持ってきていたケイトは頷いた。
川縁のちょうど良い岩に少年を座らせて、ケイトは少年の右足をみた。
そうだ。
ヴィヴィアは閃いて壊れた馬車から箱を取り出した。
子供たちへのお土産のお菓子である。
箱がぐちゃぐちゃになっているが、中の焼き菓子は食べられなくはない。それにお水も。
「はい」
ヴィヴィアは怯える少年にクッキーを差し出した。
少年は困ったようにヴィヴィアを見つめた。
「食べて」
そういうと少年は恐る恐る砕けたクッキーにふれた。何度もヴィヴィアを見て、ヴィヴィアはにこりと微笑んだ。
少年はぱくと食べて、その瞬間ふぁっと表情が崩れた。
「頑張ったね」
ヴィヴィアが少年の頭に触れた。
触れた瞬間べとっとした感触がしたが、顔に出さずに撫でた。
髪や体からの匂いからなんとなく予想できる。
一瞬、ケイトとそばにいたヴィクター卿がギョッとした。
貴族の婦人が触れるには少年はあまりに清潔さとは程遠い存在であった。
身分低い平民は貴族のようにお風呂に入る機会はない。痩せた体は清潔面を気にする保護者がいないのだろう。もしくは家族全体にその余裕がないか。
呆然とした少年はしばらくしてぽろりと涙をこぼした。
少年は頭を撫でられ慣れていない。
ヴィヴィアはそう感じた。
モーガンの公爵家へ報告書を届けたロズモンド男爵が領地へ帰る直前のこと。
ヴィヴィアはケイトを使い、彼を応接室へと呼び出した。
名目は出発前にお茶を振る舞いたいというもの。
「夫人自らお茶をご馳走していただけるとは感激です」
20代後半の若い領主、ロズモンド男爵。
10代の頃はクリスの遊び相手、勉学の友として公爵家の屋敷で過ごしていた。部下というより幼馴染といった方がよいだろう。
ヴィヴィアはお菓子の箱をテーブルに差し出した。王都で人気の店舗の名前が刻まれた箱である。
それをヴィヴィアが開ける。
その瞬間、ロズモンド男爵は目を見開いた。
「あなたに警告します」
箱の中にはロズモンド男爵が提出した報告書、それに合わせてヴィヴィアのメモが添付されている。
ロズモンド男爵の手が震え、持っていたティーカップがカチカチと音がする。
それを落とさないようにロズモンド男爵はソーサーに戻した。しばらくしてようやく口にした。
「私を告発しますか?」
震えている声。
ヴィヴィアが添付したメモ内容がいかに正確かを物語っていた。
「今後のあなたに、公爵のよき友人として恥じぬ振る舞いを望みます」
目を瞑る。
甘い判断である。
このヴィヴィアの指摘で改心する男であればよいが、そうではない場合どうなるか。
ヴィヴィアは気づいていない。
ロズモンド男爵の中に膨らみ続ける悪意に。
◆◆◆
「はっ!」
ヴィヴィアは慌てて起き上がった。
ケイトが心配そうに覗きこむ。
「奥様、大丈夫ですか? 随分うなされていましたが」
彼女の声でようやく自分が今いる場所を思い出した。
今はロズモンド孤児院へ行く為の馬車の中である。朝から出発しても辿り着けず、馬車の中で車中泊をしていた。
「やはり野宿は奥様には酷だったのです。今からでも街へ戻り宿をとりましょう」
こんなこともあるかと執事長が引き返す場合のプランも立てていたという。
「私は大丈夫よ。自分から言い出したことよ。それに」
窓のカーテンを開け、外をみる。
外には騎士たちがかわるがわる番をしていた。背筋をピンと伸ばした騎士の姿は立派だ。
執事長が急遽50人の護衛を見繕ってくれていた。サンヒル騎士団の騎士10名にその配下の兵士40名。
100人を招集をかけていたようだが、十分、十分以上の人材だろう。
「私の為に騎士の方々は外で番をしてくれている。ありがたいわ」
ヴィヴィアの身分からすれば当然のことだ。それでも前世の感覚も混ざっている今にして思うと申し訳なく思う。
帰ったらお礼をしないといけないわね。
騎士には何がいいのかしら。お酒?
それにしても。
先程の夢を思い出す。
ロズモンド男爵をあのようにお茶に誘った覚えはない。
何か糾弾しているような現場だった。
糾弾している側が非情になりきれず、中途半端でなものだった。それで糾弾されている側の恨みを買う場面にも見える。
小説であんな場面はなかったと思う。
まさか、ヴィヴィアに転生したからヴィヴィア主役の勧善懲悪ストーリーを無意識に妄想して夢に出てしまった?
「それは恥ずかしいわ」
ヴィヴィアは両手で両頬を押さえた。
そばで控えているケイトは首を傾げた。
日が上り、騎士の声かけで馬車の進行が再開された。
昼になる前にノートンへたどり着く予定であったが、予定が崩れてしまった。
油断していた。
執事長が護衛を50人も厳選するのは大げさだと思っていたが、彼の見立ては間違っていなかった。
道中に魔物が現れた。それも大量に。
この世界は魔法と剣のファンタジー世界でもある。
魔物という存在が人々を苦しめていた。
サンベル地方はゴーヴァン公爵家のサンヒル騎士団のおかげで他の地方より魔物の被害が抑えられている。
魔物も不用意に人里に姿を現さなくなっていた。ルフェル子爵領にいた時はひと月に数回は魔物の被害をメイドの噂から聞いていたのに、ゴーヴァン公爵家に入ってからそのような話は聞いていなかった。
魔物の襲撃でヴィヴィアが乗っていた馬車が壊されてしまった。
壊れた馬車で移動するのは厳しく、魔物に今後どう対応して移動すべきか騎士たちが協議をしていた。
とりあえずヴィヴィアは休憩をすることとなったのだ。
「奥様、大丈夫ですか?」
川辺でうずくまっているヴィヴィアの介抱をしながらケイトは声をかけた。
「大丈夫。公爵家が安全だからすっかり忘れていたわ。魔物が現れることを。だから執事長がこんなに護衛を用意してくれたのよね」
ヴィヴィアの言葉にケイトは困った表情を浮かべた。変なことを言ったのだろうか。
「いえ、ノートンへの道は大事なライフラインで、護符と祈りで魔物が出ないはずです」
どうやらゴーヴァン公爵領では人の集まる場所、通る公道に安全装置を施しているようだ。
公爵家お抱えの魔術師が完成させた護符に神に仕えるものの祈りで結界がはられている。
これで魔物たちは滅多に現れることはない。
途中に祠らしきものが見えたのを思い出した。
どうやら護符が安置されているらしい。
「幸い現れた魔物はどれも下級、数は多いですが護衛の騎士たちで対処できました。けど、あの程度の魔物は本来この公道には現れないはずです」
ケイトの説明の通り騎士たちも不可解な表情で話し合いをしていた。
これはますますロズモンド男爵が怪しくなったわ。
「あれは」
先の道の安全を確認に出ていた騎士が戻ってきていた。
黒髪に金のメッシュが入ったふわふわとした癖毛に、灰色の瞳を持つ青年騎士。
彼の腕に抱えられている存在が気になりヴィヴィアは近づいてみた。
幼い少年であった。
古着にしてもぼろぼろの貧相な格好をした少年は足に怪我を負っていた。
「どうしたの?」
ヴィヴィアが声をかけてみると少年はびくりと震えていた。
騎士が頭を下げる。
名前はルネ・ヴィクター卿。
ヴィヴィアの護衛騎士で1番ヴィヴィアと年の近い若者だったからか、すぐに彼の名前を覚えた。
なんだか懐かしい感じがするのよね。
自分の記憶にある似た人物はいない。パッとみた感じ子犬のような雰囲気だからかもしれない。
「礼をとれず申し訳ありません。公爵夫人」
「ヴィクター卿、その子はどうしたの? 怪我をしているじゃない」
「それが、先の道で魔物に襲われていたところを救出したところです」
よほど怖い目に遭ったのだろう。
かなり震えている。
それにしても何て痩せた子なのだろう。
10歳にも満たないガリガリに細い腕で騎士にすがりつく姿はあまりに痛々しい。
「ケイト、傷の手当をお願い」
すでに救急箱を持ってきていたケイトは頷いた。
川縁のちょうど良い岩に少年を座らせて、ケイトは少年の右足をみた。
そうだ。
ヴィヴィアは閃いて壊れた馬車から箱を取り出した。
子供たちへのお土産のお菓子である。
箱がぐちゃぐちゃになっているが、中の焼き菓子は食べられなくはない。それにお水も。
「はい」
ヴィヴィアは怯える少年にクッキーを差し出した。
少年は困ったようにヴィヴィアを見つめた。
「食べて」
そういうと少年は恐る恐る砕けたクッキーにふれた。何度もヴィヴィアを見て、ヴィヴィアはにこりと微笑んだ。
少年はぱくと食べて、その瞬間ふぁっと表情が崩れた。
「頑張ったね」
ヴィヴィアが少年の頭に触れた。
触れた瞬間べとっとした感触がしたが、顔に出さずに撫でた。
髪や体からの匂いからなんとなく予想できる。
一瞬、ケイトとそばにいたヴィクター卿がギョッとした。
貴族の婦人が触れるには少年はあまりに清潔さとは程遠い存在であった。
身分低い平民は貴族のようにお風呂に入る機会はない。痩せた体は清潔面を気にする保護者がいないのだろう。もしくは家族全体にその余裕がないか。
呆然とした少年はしばらくしてぽろりと涙をこぼした。
少年は頭を撫でられ慣れていない。
ヴィヴィアはそう感じた。
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