みさご図書館物語

如月みさご

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夜を歩く

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 両の腕と体を伸ばして固まった体をほぐします。
「んーんー……はぁ」
 今度は力を抜いて、手を下ろして息を吐く。
 壁に架けられた木目の時計を見やると、私の知らないうちに知らない場所まで針が動いていました。
 机に広げられた革表紙の日記や管理記録を閉じて、本棚に戻していきます。みさご図書館が始まってどれほどの日々が過ぎたのかはわかりませんが、同じ表紙の書類がいくつも並ぶようになりました。他に辞典なども一緒に個人的な書籍もここにはいくつか並んでいます。
 座ってついてしまったスカートとリボンの癖を払い、もとに戻しました。
 自室に戻ろうかと思案していると、鳴き声がします。
「にゃぁ」
 サン=テグジュペリさんが扉の前で何かを催促しているようです。
 私は友人のつなぎさんがデザインしてくださったコートとマフラーを羽織り、手袋に指を通して、それからサン=テグジュペリさんの前でしゃがみこみました。
 茶虎猫のサン=テグジュペリさんに私の影が降りて、瞳が広がります。
「サン=テグジュペリさん、もう図書館の明かりはついていませんよ」 
「なぁあ」
「ふむ」
 私は棚の上に置かれた燭台に手を伸ばそうとしました。
「なあ」
「いらないのですか? それでは、とりあえずいきましょうか」
 真鍮の取っ手を掴み、くるりと回す。
 扉を開けると執務室の明るさになれた私の目はただの黒を見ました。
 一歩進み出てから、振り向いて扉を閉めます。
 もう一度、明かりの消えた館内を見渡すと、虹彩が瞳を広げうっすらと網膜に形が浮かんできました。目の前の受付カウンター、その向こうに並ぶ本棚。
 空から溢れた夜が図書館の中を塗りつぶしていても、無くなったわけではないようです。
 サン=テグジュペリさんが私の先を、音もなく歩いていきます。
 音も光もない図書館。もしかしたらおばけが出てくるかもしれませんが、おばけがいるならば英雄もいるのです。恐竜もいれば、宇宙人もいますし、未来人もいます。物語が収められた図書館という場所はそういった場所なのです。
 黒いばかりに見える絨毯の上を歩く私のくぐもった足音が、冷たい空気の上を跳ねては霞んで消えていきました。
 本棚の果てでサン=テグジュペリさんは座りこみ、私を見上げてひとつ鳴きました。
 足元まである大きな窓から差し込むのは月光。
 夜に奪われた色彩を、月明りが半分だけ取り返していました。
 サン=テグジュペリさんは、淡く浮かび上がるステンドグラスの輝きを身にまとっています。
「ふふふ、とってもおしゃれですよ」
「にゃあ」
 サン=テグジュペリさんは立ち上がり、そのまま本棚と窓の並ぶ通路を進みました。
 白銀の光に映し出される、ぴんとしっぽを立てた猫、そして司書。
 はっきりとした二つの影が床を歩いていきます。
 本棚の影に飲まれ消える影。
 また窓に映し出される影。
 繰り返される窓の光、本棚の影。
 幾度目かの光のなかでサン=テグジュペリさんは足を止めました。
 私がいつも本を読んでいる窓際のテーブル。
 私が椅子に座ると、サン=テグジュペリさんは膝に飛び乗ってきました。
 眩しさに私は目を細め、手を添えて外を見ました。
 薄蒼く浮かび上がる雪景色の中で、煌々と白銀の月。澄んだ冬の空気の中で、透明に過ぎる光で夜を描き出していました。
「これを見せたかったのですか?」
 私は催促されるままにサン=テグジュペリさんの顎を撫でます。ふにゅりと溶けた皮の感触は手袋越しにも届いてきました。
 サン=テグジュペリさんは満足したように、私の影の中で、満月のように丸くなった瞳で鳴きました。
 司書と猫。
 一人と一匹。
 月明りに照らされて、冬の夜を過ごすのでした。

夜を歩く 了
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