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異世界と女神様
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静謐な光の中で過ごす穏やかな午後。ティーカップから立ち上る香気に心を溶かしながら、一秒の記憶にひとつまたひとつと彩りを添えていく。私の思い出が物語に変わっていきました。
ふいに聞こえる騒々しい気配と音。複数の金属音、衣擦れ、息切れ、おおよそ何人かの集団かと思えるほど。
「みさごさぁあん、休ませてぇ」
と情けない声の方に視線を向けました。本棚に手をついて、肩で息をしている女性の姿。幾重に折り重なった夜を思わせる、星纏う闇紫の法衣。大きな錫杖の先には黄金の球体とその周囲を囲む三重の輪。不思議と輪は落下することなく揺れていました。
「あー、もう無理よ、無理無理。私だって休まなきゃ倒れちゃうよ」
ローブより深い長い黒髪は切りそろえられておりました。頭部に浮かぶ煌めく宝飾の光輪。荘厳ないでたちに反して素朴で眼鏡の似合う愛らしい顔。そんな彼女は、「世界」でした。
「パルフェさん、お疲れ様です。お茶のご用意ございますよ」
「ありがとう! お菓子も食べる余裕なんてなくてさぁ、もう今空前絶後の異世界転生ブームでしょ。あっちこっち任せてはいるけど、女神を作るのだって楽ではないのよ」
緑色のアーモンドアイをくるくるさせながら早口でまくしたてるパルフェさん。彼女は世界。異世界転生で生まれる世界とそれを司る神を生み出す神です。私が出会った頃は、というより今も変わってはおりませんが、穏やかで落ち着いたまさに理想のお姉さんでした。
パルフェさんは指を鳴らし、重そうな錫杖と光輪を消し去りました。それからローブの胸元をはたくと軽そうな白いニットとタータンチェックの厚手のスカートに代わります。それから椅子に座るとおもむろにココットのスプーンを掴み中のいちごジャムを口に運びました。
「うーん! 酸味と甘みが脳に気持ちいい! 毎日毎日無限に湧いて出てくる異世界と神の創造に脳カロリーがやばいわ。異世界創造ダイエットだわ」
勿論、彼女は一種の創造神です。その名ですら「Parfait」と自身の意味を指したものに過ぎません。厳密には現象に等しいものですので、少し違いますが脳やらカロリーやらそんなことはたわごとです。
口の中いっぱいのいちごジャムを嚥下してから、紅茶プリンスオブウェールズの入ったカップを口にしました。
「はあ、幸せの極みだわ。もうね、みんな手探りで、どこかいびつで、でも一生懸命で。言ってみれば変わってもいないのだけど、なんだかね、忙しいって感じちゃうのよ。それが愛しいのだけどね」
「実際コンピュータネットワークが発達して昔より創造に憧れる方は増えたでしょう。特に思うだけではなく、描き出す方が増えました。図書館にいてもそれはよく感じております」
「そう、それ」
綺麗な指先でつまんだ銀色の匙を振るうパルフェさん。
「見える願いが増えたの。こんな風になりたいっていう願いがね」
「願い、ですか」
「そ。曖昧でも無意識でも、世界は願いの結実なの。一見してグロテスクな歪んだものに見えても、その実は幸せになりたい、そんな素直な気持ちの表れよ。みさごさんの描いた世界は可愛かったわね」
猫めいた瞳に宿った微笑みでパルフェさんは私を見つめました。
「ふふふ、もうからかわないでください。古い幼い記憶ですから」
「あの頃、私は勇者でもお姫様でもなく、冒険をしたかったように思います。でも現実にはそのようなものはなくて、それで悩み悩んで夢で別の世界へいくことを思いついたのではないかしら。けれど、夢ですから醒めてしまえば嘘になる。それが悲しくてお姫様からのペンダントを残したのかもしれません」
「はわいいはね(可愛いわね)」
マーブル模様にココアが練り込まれたクッキーを口にしたまま声にするパルフェさん。飲み下すと、俯き紅茶の中に視線を沈めていく。
「私ね、みさごさんのあの物語が好きなの。子供らしいってだけじゃなくて、最初から別れを知っていたことの愛おしさ。それって残酷よね。子供なのだからもっと自由に行ったり来たりしてもいいし、何も考えずにハッピーエンドでもよかったはず。それを幼いあなたは、主人公を苦難の冒険をさせ別れとそして形見を残したの。子供が考える精一杯の優しさであり、抵抗だと思うの。現実という不可能の象徴に対しての」
「さあ、どうでしょう。そこまで考えていたのかしら」
「だからこそ愛しいのよ。みさごさんは知っているはずよ。刹那の妄想にも世界は生まれていく、ということを。私もあなたもそれを受け止めることが存在意義なのだから」
そういうと彼女はまたジャムを口にして、幸せに心を満たしておりました。
私には神様のお考えはわかりません。ですが、毎日生まれていく物語を見極め、世界と女神あるいは神を生み出し物語を託していく彼女パルフェ。その存在はときに物語を破壊することも求められる。消滅であることも。
たとえそれが世界と世界の出会いと隔絶であったとしても、求められ続けること、祈り続けられること、そして結びに至る物語であったのならどれほど彼女の喜びとなったことでしょう。辿り着くことなく消えていくことの痛みを彼女は誰よりも知っています。そう、完結することが彼女の血肉と、喜びとなるのです。
「いいのよ、みさごさん。物語なんて人が終わらせても消滅しても同じことよ。そりゃあ完結してくれるのが嬉しいけど、本当に難しいのよ。終わりを描くことって」
心を読まれたようです。
「そうですね。私もここで祈ることしかできませんが、願い続けることにいたします。物語が、世界が人の求むるように終わることができるように」
パルフェさんは何かを満足したのか、私を見てにっこりと微笑みました。窓から音も無く降り注ぐ光の粒子は、祝福するように彼女の睫毛に宿りました。
「さて、サン=テグジュペリはいるのかな。もふらせてよ」
「お仕事は大丈夫なのですか?」
「ここに来る前にある分は終わらせてきたよ」
やはり優等生ですね。
「サン=テグジュペリさん、巡回中かしら。今日は随分見ておりませんね」
「よっし、みさごさん一緒に探そうよ。ここ広すぎて、迷子になりそう」
「承知いたしました。では道々最近面白かった世界を聞かせていただけますか」
「そうそう、それがさあ……」
みさご図書館には様々なお客様が訪れます。冒険者やお姫様、果てには神や悪魔まで。もしかしましたら、あなたもここに来ることがあるかもしれませんね。美味しい紅茶を楽しみにいらしてくださいね。
異世界と女神様 了
ふいに聞こえる騒々しい気配と音。複数の金属音、衣擦れ、息切れ、おおよそ何人かの集団かと思えるほど。
「みさごさぁあん、休ませてぇ」
と情けない声の方に視線を向けました。本棚に手をついて、肩で息をしている女性の姿。幾重に折り重なった夜を思わせる、星纏う闇紫の法衣。大きな錫杖の先には黄金の球体とその周囲を囲む三重の輪。不思議と輪は落下することなく揺れていました。
「あー、もう無理よ、無理無理。私だって休まなきゃ倒れちゃうよ」
ローブより深い長い黒髪は切りそろえられておりました。頭部に浮かぶ煌めく宝飾の光輪。荘厳ないでたちに反して素朴で眼鏡の似合う愛らしい顔。そんな彼女は、「世界」でした。
「パルフェさん、お疲れ様です。お茶のご用意ございますよ」
「ありがとう! お菓子も食べる余裕なんてなくてさぁ、もう今空前絶後の異世界転生ブームでしょ。あっちこっち任せてはいるけど、女神を作るのだって楽ではないのよ」
緑色のアーモンドアイをくるくるさせながら早口でまくしたてるパルフェさん。彼女は世界。異世界転生で生まれる世界とそれを司る神を生み出す神です。私が出会った頃は、というより今も変わってはおりませんが、穏やかで落ち着いたまさに理想のお姉さんでした。
パルフェさんは指を鳴らし、重そうな錫杖と光輪を消し去りました。それからローブの胸元をはたくと軽そうな白いニットとタータンチェックの厚手のスカートに代わります。それから椅子に座るとおもむろにココットのスプーンを掴み中のいちごジャムを口に運びました。
「うーん! 酸味と甘みが脳に気持ちいい! 毎日毎日無限に湧いて出てくる異世界と神の創造に脳カロリーがやばいわ。異世界創造ダイエットだわ」
勿論、彼女は一種の創造神です。その名ですら「Parfait」と自身の意味を指したものに過ぎません。厳密には現象に等しいものですので、少し違いますが脳やらカロリーやらそんなことはたわごとです。
口の中いっぱいのいちごジャムを嚥下してから、紅茶プリンスオブウェールズの入ったカップを口にしました。
「はあ、幸せの極みだわ。もうね、みんな手探りで、どこかいびつで、でも一生懸命で。言ってみれば変わってもいないのだけど、なんだかね、忙しいって感じちゃうのよ。それが愛しいのだけどね」
「実際コンピュータネットワークが発達して昔より創造に憧れる方は増えたでしょう。特に思うだけではなく、描き出す方が増えました。図書館にいてもそれはよく感じております」
「そう、それ」
綺麗な指先でつまんだ銀色の匙を振るうパルフェさん。
「見える願いが増えたの。こんな風になりたいっていう願いがね」
「願い、ですか」
「そ。曖昧でも無意識でも、世界は願いの結実なの。一見してグロテスクな歪んだものに見えても、その実は幸せになりたい、そんな素直な気持ちの表れよ。みさごさんの描いた世界は可愛かったわね」
猫めいた瞳に宿った微笑みでパルフェさんは私を見つめました。
「ふふふ、もうからかわないでください。古い幼い記憶ですから」
「あの頃、私は勇者でもお姫様でもなく、冒険をしたかったように思います。でも現実にはそのようなものはなくて、それで悩み悩んで夢で別の世界へいくことを思いついたのではないかしら。けれど、夢ですから醒めてしまえば嘘になる。それが悲しくてお姫様からのペンダントを残したのかもしれません」
「はわいいはね(可愛いわね)」
マーブル模様にココアが練り込まれたクッキーを口にしたまま声にするパルフェさん。飲み下すと、俯き紅茶の中に視線を沈めていく。
「私ね、みさごさんのあの物語が好きなの。子供らしいってだけじゃなくて、最初から別れを知っていたことの愛おしさ。それって残酷よね。子供なのだからもっと自由に行ったり来たりしてもいいし、何も考えずにハッピーエンドでもよかったはず。それを幼いあなたは、主人公を苦難の冒険をさせ別れとそして形見を残したの。子供が考える精一杯の優しさであり、抵抗だと思うの。現実という不可能の象徴に対しての」
「さあ、どうでしょう。そこまで考えていたのかしら」
「だからこそ愛しいのよ。みさごさんは知っているはずよ。刹那の妄想にも世界は生まれていく、ということを。私もあなたもそれを受け止めることが存在意義なのだから」
そういうと彼女はまたジャムを口にして、幸せに心を満たしておりました。
私には神様のお考えはわかりません。ですが、毎日生まれていく物語を見極め、世界と女神あるいは神を生み出し物語を託していく彼女パルフェ。その存在はときに物語を破壊することも求められる。消滅であることも。
たとえそれが世界と世界の出会いと隔絶であったとしても、求められ続けること、祈り続けられること、そして結びに至る物語であったのならどれほど彼女の喜びとなったことでしょう。辿り着くことなく消えていくことの痛みを彼女は誰よりも知っています。そう、完結することが彼女の血肉と、喜びとなるのです。
「いいのよ、みさごさん。物語なんて人が終わらせても消滅しても同じことよ。そりゃあ完結してくれるのが嬉しいけど、本当に難しいのよ。終わりを描くことって」
心を読まれたようです。
「そうですね。私もここで祈ることしかできませんが、願い続けることにいたします。物語が、世界が人の求むるように終わることができるように」
パルフェさんは何かを満足したのか、私を見てにっこりと微笑みました。窓から音も無く降り注ぐ光の粒子は、祝福するように彼女の睫毛に宿りました。
「さて、サン=テグジュペリはいるのかな。もふらせてよ」
「お仕事は大丈夫なのですか?」
「ここに来る前にある分は終わらせてきたよ」
やはり優等生ですね。
「サン=テグジュペリさん、巡回中かしら。今日は随分見ておりませんね」
「よっし、みさごさん一緒に探そうよ。ここ広すぎて、迷子になりそう」
「承知いたしました。では道々最近面白かった世界を聞かせていただけますか」
「そうそう、それがさあ……」
みさご図書館には様々なお客様が訪れます。冒険者やお姫様、果てには神や悪魔まで。もしかしましたら、あなたもここに来ることがあるかもしれませんね。美味しい紅茶を楽しみにいらしてくださいね。
異世界と女神様 了
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