炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ

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六章 翰鷹皇子

5.説得、諦め、招待

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 歯軋りして恨み言めいた言葉を絞り出す翰鷹皇子を前に、朱華は炎俊の横顔をそっと窺った。佳燕の実家が、折角皇子の寵愛を独り占めしている娘を攫う、なんてことがあるのかどうか。しかも、それによって別の娘を娶るように脅すなんて。本当ならば、確かに強欲かつ不遜な所業ではあるかもしれない。翰鷹皇子が憤るのも無理はないくらいの。

(佳燕様は、他の人が来ても良いって仰ってたけど……?)

 それは、実家や他の宮の妃たちを憚って言っていたのか。あの方の表情を曇らせていたのは、夫を奪われる、夫から引き離される不安だったのかもしれない。

「……兄上が白妃を娶った経緯は聞き及んでおります。皓華宮を得たのも、宮を持たない皇子に娘をやれぬと言われたからだとか」

 炎俊は、ちらりと朱華を見て軽く溜息を吐いた。何が彼女の機嫌を損ねるか、よく分かってきたようだ。皓華宮の事情の説明のつもりだとしたら、もっと早くして欲しかった。

「そうだ。彼らの求めに応じて私は皓華宮の主となった。そして佳燕を得た。お互いに納得した上でのことだ」
「妃のため、の一念で宮を得ることができるとは、大変羨ましく存じます」

 炎俊のじっとりとした目つきと口調からして、翰鷹皇子の動機は不真面目に思えるのだろう。皇子ふたりの会話に耳を傾けながら、朱華は双方の表情や声音にも忙しく心を配る。翰鷹皇子は、「弟」の責める目を気にも留めず、どこまでも真摯に真剣に、消えた佳燕のことを案じているようだけど。

「だから、私は帝位を狙うつもりなどなかったし、白家も承知していたとのだ。佳燕では皇后は務まらぬし、重責を負わせたくもない。――だが、白家は欲を出したのだろう」

 翰鷹皇子にとっては愛する佳燕が何よりも先に来ていて、帝位も宮も、妃の実家もどうでも良いとでも思っているようだ。そこまで想われるのが幸せなのかどうか、恋とか愛とはいまだに無縁な朱華にはいまひとつよく分からない。そして冷淡な態度を崩さない炎俊も、やはり色恋沙汰とは無縁の精神らしい。

「致し方ないことと存じます。宮がなければ、などとは無理難題のつもりだったことでございましょう。状況が変われば欲が出るのは当然です」
「だが、その上でも、だ。仮にも皇族を脅して交渉しようなどとは許しがたい」
「白家が何か言ってきているのですか。侍女や使用人たちは?」
「下々に聞いたところで分かるものか。私に対して隠しおおせるはずもないのだからな、何も知らされていないだろう。ならば問い質したところで無駄なことだ」

 翰鷹皇子は、多分水竜の力を踏まえて言っているのだろう。拷問の手段は色々ありそうだし。それなら、秘密を守る最良の手段は、秘密を知らせないこと、にもなるだろう。皓華宮の使用人たちが酷い目に遭っていないなら、朱華の気分としては良いことだった。

「そして白家は、佳燕が消えたその日のうちに、良い娘がいるから会わないかと言ってきた。その娘を受け入れれば佳燕を返すと言いたいのではないのか」

 目と顔を忙しく動かして炎俊と翰鷹皇子のそれぞれの言い分を聞きながら、朱華はなるほど、と思っていた。帝位に関わらない皇族と関わっても旨味はない。だから白家は、断るつもりで条件を出した。なのに、翰鷹皇子は無理なはずのその条件を達成して見せた。たった四人の帝位争いに食い込むできることができる婿なら、確かに話は変わるだろう。

「白妃は無事だと仰られていた意味が分かりました。実家にいるなら害される理由はございませんね。後は兄上のご手腕次第かと存じます」
「佳燕だけだと誓ったのだ。不実は犯したくない。そなたたちが佳燕を見つけ出してくれれば、白家の言いなりにならずに彼女を取り戻せる……!」

 翰鷹皇子の必死の目は、朱華にも突き刺さる。白家と話し合ってどうにかしろ、と。炎俊が突き放した分、彼女に縋ろうとしているかのような。でも、他所の夫婦の事情に首を突っ込んで、陶家に劣らぬ名家であろう白家に睨まれるのは、朱華だって怖い。

(佳燕様はお気の毒だけど……)

 佳燕の憂い顔を思い出すと、突っぱねるのも後味が悪いのだけれど。妃たちの集まりで心細げに見えたのは、実家からの圧力はあの方にも加えられていたからだろうか。夫君と引き離されて、あの方はいったい今どうしているのだろう。

 炎俊がもう口を開く気配がないのを察して、朱華は翰鷹皇子の方へ軽く体を傾けた。

「あの、三の君様。帝位を望まれないというのは本当なのでしょうか……?」
「そうだな。兄上方のいずれかに帝位が定まった後は、佳燕と共にのんびり暮らしたい」

 翰鷹皇子が迷わず頷いたので、朱華は内心安堵した。大切な人とのんびりと、という願いは彼女にも痛いほどよく分かる。勝手極まりない皇族様に、やっと少しは共感できた。

「ですが、仮に白家から他のお妃を娶られたとして、譲歩が一度で済むとは思えません。皇后を立てられるかもと思えばこその圧力なのでしょうから――」

 続けて語るのは、翰鷹皇子というより炎俊に対してだった。時見の授業では、あらゆる可能性を吟味するものなのだと教えられた。その《力》がなくても、夫が見えていないかもしれない可能性に言及するのは、妃の役目のはずだ。

 これは、翰鷹皇子や佳燕を哀れんでいるからだけではない。白家の不興を買うのも拙いけど、それが最悪の事態ではないかもしれない。翰鷹皇子と白家が話し合った結果、佳燕を取り戻すために本気で帝位を目指すことになれば困るのだ。

「皓華宮のお妃は佳燕様だけの方が、我が君様にとって……あの……得、では……?」
「ふむ……」

 炎俊の耳元に囁くと、翰鷹皇子の目が期待に輝いているのが分かって居心地が悪い。炎俊は、彼が佳燕を寵愛するほど朱華に盲目な訳では全くない。彼女にできるのは、あくまでもひとつの意見を述べることだけだ。でも──幸か不幸か、朱華の進言は炎俊の心を動かしてしまったらしい。一度、きつく眉を寄せると、炎俊は歪んだ微笑らしい表情を兄皇子に向けた。嫌なことは嫌なのだ、ということを強調しておきたいのかもしれない。

「――我が宮にご足労いただいたからには、返礼がなければ無礼というものでしょう。兄上、雪莉を伴って皓華宮に挨拶に伺う機会をいただきたいのですが」

 それはつまり、翰鷹皇子の要請に従って、攫われた佳燕の足跡を調べてみる、ということだ。炎俊の時見と、朱華の遠見とで――何が分かるかもまだ知れないし、結局役に立たないのかもしれないけれど。それでも、翰鷹皇子は輝くばかりの笑顔を見せた。

「無論だ。心から礼を言うぞ、炎俊に――雪莉姫も。我が皓華宮に歓迎しよう」

 その笑顔に篭った熱意の裏側に、逃がさないぞ、という声がはっきりと聞こえた。
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