炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ

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七章 燕はどこに消えた

1.《力》ある《力》なき者

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 翰鷹かんよう皇子を見送った炎俊えんしゅんは、深々と溜息を吐いた。

「面倒なことになったものだ」

 この女のことだから、妃探しも皓華こうか宮への訪問も、本当に嫌なら断っていただろう。そうは分かっていても、半ば強引に話をまとめた自覚があるだけに、一応は夫である相手の渋面は朱華しゅかを動揺させた。

「で、でも、佳燕かえん様を見つけられたらこっちにとっても得……なのは間違いないわよね? 三の君様には恩を売っておいた方が良いわよね?」
「仮に首尾良く行った場合でも、はく妃をあっさり兄上に渡したくはないな。せめて、帝位争いからは手を引くことを改めて約束していただかなくては」

 うっすらと、炎俊の口の端に浮かんだ微笑は、どこか寒々しくて怖かった。まあ、言っていること自体は妥当だとは思うけれど。もしもその約束が成れば、炎俊の競争相手は上の皇子二人だけ、しかも彼らの知らないところで第三皇子の力添えも受けられるかもしれない。あくまでも上手くいけば、の皮算用でしかないけれど――その未来を引き寄せるために鋭意努力するしかない、のだろう。

 紫薇しびが三たび淹れてくれた茶を啜ると、朱華の喉は乾き切っていた。初対面の貴人に、予想を裏切られる用件に、押し付けられた難題に。翰鷹皇子の、佳燕の溺愛振りにもあてられただろうか。炎俊も同様なのだろう、ふたりが茶菓を貪る間、しばしの沈黙が降りた。

「またお衣装を考えなければなりませんね。おふたりとも、お疲れでしょうに」

 皿が空きかけたところで、紫薇は餌付けのように新しい菓子を出してくれた。焼き菓子を糖蜜にたっぷりと浸した甘ったるいもの。でも、その強い甘みが、今はありがたい。

「こうなった以上は早く済ませたから仕方あるまい。視えるかどうかは分からないが――皓華宮を見てみれば、白妃をどのように隠したかの手掛かりは分かるかもしれない」

 翰鷹皇子の依頼に役に立つとしたら、炎俊の時見の力の方だろう。佳燕がどこに、どうやって攫われたのか、今の居場所の見当なりとつかないことには、朱華の遠見は役に立たない――と、思ったところで、朱華は首を傾げる。

(あれ、でも私の出番ってあるのかしら……?)

 攫われた佳燕は、監視されているのか監禁されているのか。いずれにしても、白家にまともに考える頭があるなら、《力》を避ける呪を施した場所を選ぶだろう。

「ね、佳燕様が白家のお屋敷とか別荘とかに閉じ込められてたらどうするの? それじゃ視えないんじゃない?」
「……皇宮そのものから人ひとりを連れ出すのはさすがに難しい。白家ならば不可能ではないかもしれないが、兄上が折れた後は白妃を返すつもりではあるのだろう。ならば、不自然な出入りを繰り返すのは危険が大きいと考えるかもしれぬ」
「じゃあ、天遊林てんゆうりんのどこか……?」

 それなら翰鷹皇子が自ら骨身を惜しまず捜し歩いて欲しいものだ。首を傾げる朱華に炎俊が答えてくれたのは、胸やけしそうな甘い焼き菓子を、またひとつ平らげてからだった。

「兄上の麾下には遠見や時見はいないのだろう。少なくとも、このような話を打ち明けて協力を仰げる者は。もしいるなら、他所の宮に身内の話を持ち込むはずがない。だから、白妃を置いておく場所は呪で隠されてはいないかもしれない、とは期待できる」
「ああ……白家もその辺は分かってるでしょうしね。それに、普通の建物の方が場所を選ばなくて済むのかしら」
「結局のところ、見当が全くつかなければ遠見もさほど役に立たないからな。皇宮の建物や庭の陰のひとつひとつを視ていくなど無駄も良いところだ」
「探すのが人間ひとりだからね……」

 広大な皇宮を、虱潰しに遠見で視て回ることを想像して朱華は呻いた。すると、炎俊はやっと気付いたか、とでも言いたげな冷たい目を向ける。

「面倒だと言った理由が分かったか」
「うん……ごめん……」
「引き受けた以上は致し方ない。兄上に恩を売るためにも最善を尽くす」

 据わった目で不遜なことを口にした炎俊を宥めるべきなのかもしれないけれど、生憎、気持ちも分かってしまうだけに言いづらかった。決めたのは最終的には炎俊とはいえ、朱華も確かに後押しをしてしまっているし。間を持たせるために菓子をもうひとつ食べておくか、と思っていると、紫薇がごく控えめに口を挟んだ。

長春君ちょうしゅんくん様、白家は時見の家だったかと思いますが、間違いございませんでしょうか」
「そうだが……?」

 問われた訳でもないのに紫薇が声を上げるのは珍しい。朱華がそう思うくらいだから炎俊はなおさら、だったのだろう。首を傾けた炎俊の表情は、どこか子供っぽくも見えた。

「皓華宮の御方は、白妃様は妃になるために育てられた姫君ではないとか。もしも私と似た事情なら、守られていない場所にずっといらしゃるのはお気の毒かもしれません」

 紫薇の事情を朱華は知らない。でも、炎俊が息を呑む気配で何かよほどのことがあるのだとは察せられた。

「……まさか。白家の者も『そういう』者の扱いは心得ているだろう」
「はい。そう願いたいとは存じます。ですが、どうやら乱暴な手段に訴えるお家のようですから――出過ぎたこととは存じますが、つい……心配で」

 深く溜息を吐く紫薇の顔は憂いに満ちて悩ましげだった。そこまで言う、紫薇と佳燕に共通する事情とは何なのか――疑問の表情を汲んでくれたのか、紫薇の目が朱華に向けられ、そして悲しげに微笑んだ。

「陶妃様にはお分かりにならないことと存じますが、《力》がない者にも色々ございます。時見や遠見なら、単に何も視えないだけならば良かったのですが」
「視えるのに、《力》がないってこともあるの?」
「はい。視ることはできても、いつの時代のどの場所なのか、分からないのですわ」
「分からないって……そんなこと、あるの?」

 どういうことか、と。説明を求めて紫薇と炎俊とに交互に目をやると、主従は順々に口を開いて答えてくれた。

「紫薇は視るだけならば百年の時を越えることもできる。ただ、自身の意思で決めた時と場所を視ることはできない――むしろ、不意に過去や未来の情景に襲われる、のだとか」
「視たくないものばかりが見えるのですわ。親しい人の老いた顔に、恐ろしい病や怪我に見舞われる姿。いつかの時代の戦いや、毒を呑んで倒れた者や、無念を抱いて死んだ者。嵐でも火事でも、大勢の人が玩具のように流されたり燃えてしまったり……!」

 何かに取り憑かれたように自らの身体を掻き抱く紫薇に、いつもの控えめな優しさは欠片もなかった。呪で《力》を封じられた宮の中だというのに、見開かれた目は彼方の時にあった、あるいはあるかもしれない惨劇を視ているかのよう。

(ああ、そうか……宮の中なら……)

 ずっと気になっていた、炎俊がこの侍女を信用する理由が不意に朱華の腑に落ちた。

「そういう……嫌なことや怖いものを視ないためには、貴女は星黎宮ここから出られないのね……?」

 朱華に問われて、紫薇はこくりと小さく頷いた。

「はい。劉貴妃様が私に居場所を与えてくださいました。長春君様に忠実である限り、皇宮にいることを許す、と――即ち、自身の住処を守るためにも励むように、と」

 つまり、紫薇が炎俊に仕えるのは、彼女自身のためでもある。忠誠にはっきりとした理由があるから、炎俊も紫薇を信用しているのだろう。
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