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奇妙なひとりごと
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工業地帯の夜は、街の灯りとは別の仕組みで生きていた。
巨大なプラントの塔がいくつも並び、先端から吹き上がる炎が、夜空の一部を赤く塗りつぶしている。
パイプラインが地面と空中を縫うように走り、熱と金属と油の匂いが、重たい風に混ざって流れていった。
その光と影の境目に、ひとつの細い影が立っていた。
深い紺色の髪だった。
光を吸い込むようなくすんだ紺。
毛先にだけ、夜の底を思わせる群青が沈んでいる。
風が吹くたび、長さを揃えきれなかった髪が頬へかかり、輪郭の大半を影の中へ隠した。
その目だけが、はっきりと光を持っていた。
琥珀色。
だが工場の赤い炎を受けると、瞬き一つのあいだだけ、鈍い金に変わる。
生適研の白い実験室で、“L”と呼ばれていた個体。
あの施設では、名前は与えられなかった。
記号と番号だけ。
L と 12──
ペアにされた二つの個体は、互いの存在を“最初に覚えさせられた他者”として育てられた。
今、彼は別の名を持っている。
逃げ延びるために纏った偽名──X。
だが、自分の内側で鳴る呼び名は、いまだに“L”のままだ。
胸の奥が、静かに震えた。
「今までどこにいたの?」
工場の金属音や遠くのトラックのエンジン音とは無関係に、身体の中心だけが別のリズムで揺れる。
それは、かつて制御領域と呼ばれた神経束が、遠く離れた一点から送られる信号を拾った証だった。
エルは目を閉じた。
暗闇の中に、ひとつの“揺れ”だけを探り当てる。
──No.12。
胸の奥で、確かな“同期”が起きた。
痛みではない。
快楽でもない。
ただ、“あの個体が強く揺れている”という事実だけが、L としての中枢に刺さるように伝わってくる。
「……また、苦しくなったんだ」
赤い炎がプラントの先端で爆ぜ、工業地帯の夜が一瞬だけ昼のように明るくなる。
その光の中でも、エルの表情はほとんど揺れない。
フェンスに軽く触れた指先が、ほんのわずかに鉄を変色させた。通常の体温ではありえない高温。
L.E.I.D.プロジェクトで与えられた“機能”のひとつ。
エルは指を離し、遠くの街の光を見やった。
あのどこかに、No.12──、エルは知らないが、いまは秋本楓と呼ばれている個体がいる。
「ぼくを呼んでいるの?」
問いかけは囁きにもならない声だった。
けれど、その言葉は外へ向けたものではない。
胸の奥で震える回路へ向けて放たれた、小さな確認。
返事はない。
ただ、震えがもう一度だけ強くなった。
「……泣いてるね」
エルは、小さく笑った。
慰めるような笑みでも、嘲るような笑みでもない。
工場の通路を歩き出すと、足音はほとんど響かない。鉄板を踏む重さが、なぜか音として残らない。夜風が紺の髪を揺らし、群青の毛先が光を掠める。
「迎えに行くよ、No.12」
工業地帯の夜景は、相変わらず炎と光を散らしている。
そのただ中を、ひとりの人工の影が、遠くのひとつの揺らぎだけを目指して、迷いなく進んでいく。
L と No.12。
白い部屋で、同じベッドの並びを見て眠っていた二つの個体が、再び同じ世界の夜を共有し始めていた。
巨大なプラントの塔がいくつも並び、先端から吹き上がる炎が、夜空の一部を赤く塗りつぶしている。
パイプラインが地面と空中を縫うように走り、熱と金属と油の匂いが、重たい風に混ざって流れていった。
その光と影の境目に、ひとつの細い影が立っていた。
深い紺色の髪だった。
光を吸い込むようなくすんだ紺。
毛先にだけ、夜の底を思わせる群青が沈んでいる。
風が吹くたび、長さを揃えきれなかった髪が頬へかかり、輪郭の大半を影の中へ隠した。
その目だけが、はっきりと光を持っていた。
琥珀色。
だが工場の赤い炎を受けると、瞬き一つのあいだだけ、鈍い金に変わる。
生適研の白い実験室で、“L”と呼ばれていた個体。
あの施設では、名前は与えられなかった。
記号と番号だけ。
L と 12──
ペアにされた二つの個体は、互いの存在を“最初に覚えさせられた他者”として育てられた。
今、彼は別の名を持っている。
逃げ延びるために纏った偽名──X。
だが、自分の内側で鳴る呼び名は、いまだに“L”のままだ。
胸の奥が、静かに震えた。
「今までどこにいたの?」
工場の金属音や遠くのトラックのエンジン音とは無関係に、身体の中心だけが別のリズムで揺れる。
それは、かつて制御領域と呼ばれた神経束が、遠く離れた一点から送られる信号を拾った証だった。
エルは目を閉じた。
暗闇の中に、ひとつの“揺れ”だけを探り当てる。
──No.12。
胸の奥で、確かな“同期”が起きた。
痛みではない。
快楽でもない。
ただ、“あの個体が強く揺れている”という事実だけが、L としての中枢に刺さるように伝わってくる。
「……また、苦しくなったんだ」
赤い炎がプラントの先端で爆ぜ、工業地帯の夜が一瞬だけ昼のように明るくなる。
その光の中でも、エルの表情はほとんど揺れない。
フェンスに軽く触れた指先が、ほんのわずかに鉄を変色させた。通常の体温ではありえない高温。
L.E.I.D.プロジェクトで与えられた“機能”のひとつ。
エルは指を離し、遠くの街の光を見やった。
あのどこかに、No.12──、エルは知らないが、いまは秋本楓と呼ばれている個体がいる。
「ぼくを呼んでいるの?」
問いかけは囁きにもならない声だった。
けれど、その言葉は外へ向けたものではない。
胸の奥で震える回路へ向けて放たれた、小さな確認。
返事はない。
ただ、震えがもう一度だけ強くなった。
「……泣いてるね」
エルは、小さく笑った。
慰めるような笑みでも、嘲るような笑みでもない。
工場の通路を歩き出すと、足音はほとんど響かない。鉄板を踏む重さが、なぜか音として残らない。夜風が紺の髪を揺らし、群青の毛先が光を掠める。
「迎えに行くよ、No.12」
工業地帯の夜景は、相変わらず炎と光を散らしている。
そのただ中を、ひとりの人工の影が、遠くのひとつの揺らぎだけを目指して、迷いなく進んでいく。
L と No.12。
白い部屋で、同じベッドの並びを見て眠っていた二つの個体が、再び同じ世界の夜を共有し始めていた。
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