23 / 28
投げられた賽4
しおりを挟む
なるべく人目につかないようにと三階から二十階まで非常階段で行こうとしたが、六階で断念した。時間がかかりすぎるのと、体力が続かないと悟ったからだ。
この際ハリウッドセレブみたいに毅然とした態度で挑んでみようかと思い直したが、ハリウッドセレブのようなスタイリッシュグラマーとは違うと諦めた。とにかくボタンは全部閉めて、前屈みで歩き出す。その姿はまるで猿人から人類へ向かうイラストの逆バージョンだった。
「あ、桐原さん。大丈夫でした?」
エレベーターから出ると、ちょうど秘書課から出てきた立花が駆け寄ってきた。どうやら冴子を探しにきていたらしい。
こざっぱりした短めの髪、きっちり着こなした仕立ての良いスーツ。爽やかで人懐っこい笑顔の、社内イケメンランキングでもトップ10入りの顔面実力者だ。もちろん仕事も出来る。
「あっ! はい! お陰様で!!」
バツン!
驚いた拍子に姿勢を正すと、ジャケットとベストの中で、シャツのボタンが弾ける音がした。
――――帰りたい――――。
この声が届いたら、ハウスメーカーのCMに即採用されてもおかしくないほど切実に、冴子は思った。
立花には聞こえていたのかいないのか、彼は冴子を見てニコッと笑った。届いていない。この切実な願いも、ボタンの弾ける音も。冴子は確信した。
「社長室で皆お待ちですよ。どうぞ」
爽やかなよく通る声で言われ、冴子は泣きたい気持ちで笑って頷いた。
ドアをノックすると、大槻が出てきて「どうぞ」と冴子と立花を促す。「他の方々はもう挨拶を終えてます」という何気ない一言が、冴子には最後通告のように聞こえた。さようなら、私の第一印象。こんにちは、窓際の席。
秘書課の面々が並んでいた。御三家からは冴子への毒々しさと、元来の華やかさが滲み出ている。冴子への視線が痛い。
「遅れて申し訳ございません。桐原です」
部屋に入るなり、冴子は身体能力測定ばりに身体を折って頭を下げ、顔を上げた。
重厚感のある木製の応接セットと社長専用のデスクを挟んだ先に立っていた男を見た瞬間、小さな悲鳴が漏れた。何かの間違いだと思った。否、思いたかった。
きっちり撫でつけられた髪に、一目で高価だとわかるラインの美しいスーツを着て見違えるほど洗練されているが、見間違うはずがない。あの日、うっとりと見つめた罪な目元。横顔を際立たせる高い鼻梁、肉感的でありながらスマートな口元、低く温かみのある声。忘れられるはずがない。冴子を生まれて初めて芯から蕩けさせた彼の無駄の削ぎ落とされた筋肉質な肉体がフラッシュバックする。
「おはようございます。桐原さん。はじめまして。この度社長に就任した望月亮介です」
彼は、絶句して固まった冴子から素早く目を逸らし、彼女が見たことのない、そつのないよそ行きの顔で周りを見渡す。
「それでは、後ほど順に個人面談を行います。スケジュールは以前メールで通達した通りですが、各自仕事を優先してください。都合が悪ければいつでも変更します。では、よろしく」
冴子を除いた八人が声を合わせて頷いた。
え。メール? 嘘。来てないよ? 確認ミス?
狼狽える冴子を残し、他の社員が退出していく。
「あ、あの、大槻さん。通達メールの事なのですが……」
隣にいた大槻に小声で話しかける。
「桐原さんにはメール送ってないです。私の秘書ということで、個人面談は行いません。これから共に行動する中で、直接この目で見て知っていこうと思っています。もちろん、あなたもそのつもりで」
亮介はそう言うと、社長用のデスクの重厚な椅子に腰を下ろした。
「―――ああ。あと。桐原さん。今のメールの件もですが、大事なことは直接本人から聞いて確認した方がよろしいかと思います。では、大槻さん。引き続き彼女へのティーチングよろしくお願いします。私はこれから午後の会議の資料のチェックをします。何かあったら、お互いすぐに知らせましょう。私からは以上です」
「御意。それでは桐原さん、参りましょう」
冴子が口を挟む隙もなく、大槻に促され、歩き出す。退出する前にもう一度確認の為に振り返ったが、彼は既にノートパソコンに目をやっていた。冴子はどういう感情になればいいのかわからず、混乱した頭のまま、大槻の後について部屋を出た。
この際ハリウッドセレブみたいに毅然とした態度で挑んでみようかと思い直したが、ハリウッドセレブのようなスタイリッシュグラマーとは違うと諦めた。とにかくボタンは全部閉めて、前屈みで歩き出す。その姿はまるで猿人から人類へ向かうイラストの逆バージョンだった。
「あ、桐原さん。大丈夫でした?」
エレベーターから出ると、ちょうど秘書課から出てきた立花が駆け寄ってきた。どうやら冴子を探しにきていたらしい。
こざっぱりした短めの髪、きっちり着こなした仕立ての良いスーツ。爽やかで人懐っこい笑顔の、社内イケメンランキングでもトップ10入りの顔面実力者だ。もちろん仕事も出来る。
「あっ! はい! お陰様で!!」
バツン!
驚いた拍子に姿勢を正すと、ジャケットとベストの中で、シャツのボタンが弾ける音がした。
――――帰りたい――――。
この声が届いたら、ハウスメーカーのCMに即採用されてもおかしくないほど切実に、冴子は思った。
立花には聞こえていたのかいないのか、彼は冴子を見てニコッと笑った。届いていない。この切実な願いも、ボタンの弾ける音も。冴子は確信した。
「社長室で皆お待ちですよ。どうぞ」
爽やかなよく通る声で言われ、冴子は泣きたい気持ちで笑って頷いた。
ドアをノックすると、大槻が出てきて「どうぞ」と冴子と立花を促す。「他の方々はもう挨拶を終えてます」という何気ない一言が、冴子には最後通告のように聞こえた。さようなら、私の第一印象。こんにちは、窓際の席。
秘書課の面々が並んでいた。御三家からは冴子への毒々しさと、元来の華やかさが滲み出ている。冴子への視線が痛い。
「遅れて申し訳ございません。桐原です」
部屋に入るなり、冴子は身体能力測定ばりに身体を折って頭を下げ、顔を上げた。
重厚感のある木製の応接セットと社長専用のデスクを挟んだ先に立っていた男を見た瞬間、小さな悲鳴が漏れた。何かの間違いだと思った。否、思いたかった。
きっちり撫でつけられた髪に、一目で高価だとわかるラインの美しいスーツを着て見違えるほど洗練されているが、見間違うはずがない。あの日、うっとりと見つめた罪な目元。横顔を際立たせる高い鼻梁、肉感的でありながらスマートな口元、低く温かみのある声。忘れられるはずがない。冴子を生まれて初めて芯から蕩けさせた彼の無駄の削ぎ落とされた筋肉質な肉体がフラッシュバックする。
「おはようございます。桐原さん。はじめまして。この度社長に就任した望月亮介です」
彼は、絶句して固まった冴子から素早く目を逸らし、彼女が見たことのない、そつのないよそ行きの顔で周りを見渡す。
「それでは、後ほど順に個人面談を行います。スケジュールは以前メールで通達した通りですが、各自仕事を優先してください。都合が悪ければいつでも変更します。では、よろしく」
冴子を除いた八人が声を合わせて頷いた。
え。メール? 嘘。来てないよ? 確認ミス?
狼狽える冴子を残し、他の社員が退出していく。
「あ、あの、大槻さん。通達メールの事なのですが……」
隣にいた大槻に小声で話しかける。
「桐原さんにはメール送ってないです。私の秘書ということで、個人面談は行いません。これから共に行動する中で、直接この目で見て知っていこうと思っています。もちろん、あなたもそのつもりで」
亮介はそう言うと、社長用のデスクの重厚な椅子に腰を下ろした。
「―――ああ。あと。桐原さん。今のメールの件もですが、大事なことは直接本人から聞いて確認した方がよろしいかと思います。では、大槻さん。引き続き彼女へのティーチングよろしくお願いします。私はこれから午後の会議の資料のチェックをします。何かあったら、お互いすぐに知らせましょう。私からは以上です」
「御意。それでは桐原さん、参りましょう」
冴子が口を挟む隙もなく、大槻に促され、歩き出す。退出する前にもう一度確認の為に振り返ったが、彼は既にノートパソコンに目をやっていた。冴子はどういう感情になればいいのかわからず、混乱した頭のまま、大槻の後について部屋を出た。
0
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました
小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」
二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。
第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。
それから二十年。
第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。
なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。
不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。
これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。
※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる