天敵Darling!?

芽生 青

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第11話 身代わり

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 麻里子と会った翌日も美月は休みだった。
 昨日は麻里子からの呼び出して掃除があまり出来なかったので今日は徹底してやろうと思った。
 今朝は夕べのこともあり、多少のわだかまりが残ってしまうかと危惧していたが、美月がいつも通りに振舞ったし、一馬も普段通りだった。
『身代わり』の件については多少わだかまりのようなものはあるのだが……。
 
『身代わり』とはどういう意味なのだろうか。普通に考えれば麻里子は誰かの身代わりということになる。
(なら私は?)
 そもそも政略結婚なのだ。身代わりも何もない。親の借金の形のような形で結婚し、一馬もきっとそれを嫌々従ったのだろう。
 だから身代わりになりようもない、とは思うが……。
 よくよく考えれば中学時代にいじめていた相手と結婚など、普通では考えられないのだ。
 だけど結婚してしまった今となってはお互いに妥協して、如何に快適に暮らすかを考えねばならない。
 過去に一馬に何かあったとしても、美月は知らぬ存ぜぬのていで暮らさないといけないし、何かを言う権利など主張してはいけない。
 それが借金の形の努めだ。
 だから美月は何も知らずにただ一馬と一生を共にすることしか出来ないのだ。

「……よしっ!!」
 美月は自分の頬を叩き、自らを鼓舞する。
 普段から掃除はしているが、たまには徹底してやりたい。
 お風呂も徹底的に磨いて、お湯をいっぱいに張ってゆっくりお湯に浸かりたい。まあいくら磨いたところで一馬は気が付かないだろうけど、別に褒めて貰おうとは思わない。これは自己満足だ。
 それと今日は天気がいいからシーツも洗いたいし、布団も干したい。
「今日は書斎の掃除した方がいいよね」
 一馬は意外と家のことをやる。元々お坊ちゃまだから全くやらなさそうなイメージがあったのだが、美月が仕事のときは洗い物をしたり掃除をしたり洗濯物を取り込んだり。一人暮らしをしていたためかそのあたりは結構きちんとしている。
 洗濯物に関しては下着は触るなと口を酸っぱくなるくらい言っているのだが、それだけ置いておくのはおかしいとばかりに取り込む。確かにそうなのだが、美月には夫と言えどまだ身体を許していないこともあり、やはり触られるのは抵抗があった。
 実は料理もする。美月が出勤で一馬が休日だとすると、何を思ったのか自分で買い物に行き、料理をして待っているときがある。結構本格的なものを作るので庶民的な家庭料理ばかり作る美月は何となく悔しくなる。
 一馬はそんな美月の様子を見てどこか意地悪そうで、それでいて楽しそうな、まるで子供のように笑うのだ。その顔を見て、美月は更に悔しくなったりするのだが。
 しかし、これだけきちんと家事をこなそうとする一馬であったのだが、書斎の掃除だけは違った。
 書斎は一馬のプライベートルームだ。
 これも結婚してから知ったのだが、『見えるところ』はきれいにするのだが、見えないところ、即ちプライベートルームは結構だらしがない。
 弟の賢二郎曰く、独身の頃に住んでいた部屋もリビングは完璧なくらいきれいだったけど、寝室は散らかっていた、らしい。
 そのことは結婚して実感した。
 パジャマや服は脱ぎっぱなし。一応スーツだけはクローゼットの中に掛けるようにしているらしいが、部屋着など本当に扱いが悪い。本も出しだら出しっぱなしだ。
 本人曰く、『掃除と片付けは違う』らしい。
 実はそれについて二人で言い合いになったことがあるのだが、頑固な一馬は決して折れなかった。
『掃除機はかけてる。だけど本を本棚に仕舞ったりとかってさ、どうせまた出すから一緒だろ?だから敢えて片付けてないだけだ』
 なのだそうだ。
 なので美月も若干呆れ、
『じゃあ書斎の『掃除』はしていいの?』
 一応確認した。すると、
『頼む』
 と、二つ返事で返された。
(面倒くさいだけか)
 それ以来書斎の掃除も美月がやっている。一馬の言うところの『片付け』はしないが。

「今日も片付けてないね~」
 書斎の扉を開けるとベッドの上にパジャマは放り投げているし、読んでいただろう本も床の上に落ちていた。机の上は何かわからない書類やら本やら雑誌やら、パソコンの傍に散乱している。
「……まったく……ちょっとは片付けろっての……」
 呆れ気味に呟く。
 しかし一馬にとってここは完全に気を抜く場所。なのだろう。
 それはそうか、と納得する。
 好きで結婚したわけではない相手と一緒に暮らしているのだ。気を抜く場所は必要だろう。
 それなのにその相手にプライベートルームの掃除をさせるというのは少し解せないのだが。
 一馬の考えていることはわからない。出来る限り理解しようとはしているのだが、どうにも難しい人間だ。

 まあ考えても仕方がないと嘆息し、とりあえずシーツを換えてパジャマも洗おうとシーツをベッドから剥がしたとき、本が一冊落ちた。
「ん?」
 落ちた本は文庫本。図書館の本くらい読み込まれている雰囲気だ。よく見るとメジャーではないけれど司書である美月は知っている作家の本だった。
「ん?これって恋愛小説じゃん」
 この作家は恋愛ものを得意としていた。この小説もこの作家の代表作とは言えないが、司書であり実は恋愛小説が好きである美月も読んだことのある小説だった。
 ある男が中学の同級生に再会し、恋愛感情が再燃する話。確かそんな話だった。
「一馬が恋愛ものって……似合わない」
 噴出しながら本を拾うと、その拍子に一枚の紙切れが本から舞うように床に落ちた。
「何?……写真?」
 本に挟んでいたらしいその写真らしきものを拾い上げる。美月は悪いと思いながらもその写真を見た。そこにはテーマパークらしき場所で男と女が肩を組んで写っている。
「一馬?」
 その写真の男の方は一馬だ楽しそうに笑っている。女の方も楽しげに笑っている。
 女の方には覚えがない。知らない女だった。
「一馬の……元カノ……かなあ……?」
 今も……かも……とは思わないのは夕べのことがあったからだ。
『今は何もないから』
 真摯な目でそう言われて、きっともう何もないのだろう、そう思えたからだ。
 そのことに少し安心している自分がいて、美月は戸惑った。
 自分をちゃんと妻であると思ってくれていることに少し嬉しく思っている自分がいる。
 あの一馬に対して。
 美月は顔が熱くなくのを感じて、思わず頭を振る。
 そして再度手元の写真に目を向けた。
「……あれ……?この人……私に似てる?」
 どこかしら美月は自分に似ているような気がした。
 確かに写真の中の女の方が若くて綺麗だった。しかし面差しというか、どこか自分に似通っているように思う。

『あの人言ったんです。俺には愛する人がいる。決して手に入らない人だ。君はただの身代わりだったって』

 不意に麻里子に言われたことを思い出した。

 身代わり……?

『でもあなたじゃないですよね。だって決して手に入らない人じゃないでしょ?結婚したんだから』

(そうか……そういうことか……)
 合点がいった。
(『身代わり』は麻里子さんじゃない)
 美月はその写真の女性を茫然と見つめる。

(アイツがこの結婚にこだわったのも、妙に優しいときがあるのも……)

 美月は目の前が暗くなるのを感じた。

 ―――私が……この人の『身代わり』だったんだ……)

 美月は写真を持ったまま、暫く茫然と立ち竦んでいた。  
 

「美月?」
 一馬が帰宅したとき、家の中は灯りも付けられておらず薄暗かった。
 リビングにも美月の姿はない。
「美月?いるのか?」
 寝室のドアを開けると、美月は寝室のベッドに呆然と腰掛けていた。
「美月?何してんだ?灯りも付けないで」
「あっ、もうそんな時間っ、ゴメン、ご飯まだだ」
 美月は一馬の声にハッとなり、俯いていた顔を上げた。
「いいよ。てかお前、具合悪いんじゃねえか?顔色悪い……」
 一馬が美月の額に触れようとしたとき、美月はその手を振り払った。
「っ!?」
「っ、あ……ごめん……ちょっと身体だるいかも……」
 美月の顔は青ざめている。
「そうか……俺のことは気にするな。休んでおけ」
「うん……ありがと……」
 一馬は寝室を出て行った。
 その瞬間、美月は両手で顔を覆った。

 どうしてこんなにショックなんだろう。どうしてこんなに切ないんだろう。
 ……どうしてこんなに……涙が出るんだろう……。

 いじめるとか言ったくせに、結婚してから優しくなった。
 だから以前より嫌いじゃなくなった。
 こんなことになるのなら、嫌いなままでいさせて欲しかった。
 
 美月は膝を抱えて、声を殺して泣いた。


 一馬は書斎へ入るなり、溜息を吐いた。
 美月の様子がおかしい。また麻里子に何か言われたのだろうか。
 しかし麻里子は昨日は欠勤していたが今日は出勤していた。捕まえて屋上で話をした。
『すまなかった』
 そう頭を下げると彼女は目を瞠った。
『妻は君を責めるなと言った。よくよく考えれば俺が一番悪い。君にも妻にも悪いことをしたと思ってる』
 麻里子をあのような凶行に走らせたのも、美月を危険に晒してしまったのも、全て。
 麻里子は黙って一馬の話を聞いていた。
『あなた、変わったわね』
 そう言って悲しげに微笑んだ。
『あの人、大事にしてあげてね。私のように『身代わり』にしないであげて』
 涙を浮かべそう言う麻里子は穏やかに笑っていた。
『……ああ、わかってる』
 わかっている。そうすることが今まで傷付けてきた人たちへの懺悔でもある。
『今までありがとう……これからは良き同僚としてお願いね』
 振り返らず、彼女はそう言って去って行った。
 その瞬間、本当に切れたのだと思えた。

 だからもう麻里子から何か言ってくることはないだろう。だとしたら本当に体調が悪いだけかも知れないが。
 美月は無理をしているのかも知れないと常日頃思っている。
 政略結婚のような形で無理矢理結婚したのだから、ストレスの相当かも知れない。
 だから体調を崩すのも無理もない。
 一馬は溜息を吐きふとベッドに目をやる。シーツが取り替えられている。パジャマも新しいものがきちんと畳まれて置かれている。
 普段がさつな美月であるが、意外と家庭的なところがあるということはこの短い間ではあるが気が付いていた。
 机の上に本が5冊ほど積み重なっている。自分ではないからシーツを取り替えるときに美月がやってくれたのだろう。司書だけあって本を乱暴に扱うのは許せないらしい。
 ほとんどが仕事で使用するデザイン関係の本だ。積まれた本の中に夕べ何気なく手に取った本が一緒に置いてあった。
 一馬には似つかわしくない恋愛小説だ。
 別に読もうと思ったわけではない。気になって何となく手に取っただけだった。
 この本は一馬の昔の恋人に薦められた本だ。
 ペラペラとその本のページを捲る。その中には彼女との写真が入っている。
 彼女に強請られて行ったテーマパーク。そのときに撮った写真。
 彼女が一番好きだと言うページにそれは挟んであった。
「……え?」
 写真が挟んであったページが違う。
「まさか……」
 一馬は本を放り投げ、部屋を飛び出した。
 隣の美月の寝室のドアをノックしようとしたが躊躇した。
(俺は、美月に何を言うつもりだ……?)
 一馬は部屋の前で俯き、唇を噛んだ。

 翌朝、美月は普通だった。
「ちょっと頭が痛くてさ、一晩寝たらすっきりしたよ」
 そう言って笑っていた。
 しかしどこか違和感がある。本当に笑っているのだろうか。そんな風にも思えた。

「今日麻耶に会いたいんだけどいいかな?」
 一馬が家を出るとき、美月は言った。
「ああ」
「夕飯は作っておくね。遅番だから帰るのも遅くなるかも」
「迎えに行こうか?」
「いらないいらない。どこまで過保護なのさ?」
 美月は苦笑した。
「夕べ具合悪かったんだろ?」
「だから寝たらすっきりしたってば」
 だから平気、と美月は念を押した。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 美月は笑っている。
 玄関を出た一馬は何度も家の方を振り返った。
 何故か胸騒ぎがする。
 妙な不安に苛まれながら、一馬は出勤せざるを得なかった。
 
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