運命に抗う傀儡王子は自身の命を顧みない

シロクチ

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1 夢と片づけてしまうには、あまりに悍ましく、リアルで

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 息苦しさを覚え弾かれるようにして意識を浮上させた。大量に汗をかいているようで、衣服が肌に張り付く不快な感覚が襲う。いつの間に気を失っていたのだろうか。アトラエルが目を開けた先には、見覚えのない天井が広がっていた。
 さっきまで僕は城に、戦場にいたのではなかったか。
 目の前に母がいて、僕の『替え玉』がいて。僕は、母国であるサンスベリ王国に戦争をしかけた敵兵の戦闘奴隷として。

 そこでようやく、左手に持っていたはずの剣が無いことに気づいた。数えきれないほどの同胞たちを斬り伏せ、血に染まった剣が。
 手を眼前に持ってきて、そして無くなった剣のことなど頭から消え去るほどの驚愕に包まれた。
 その手はとても小さくふっくらとしていて、まるで幼子のようだったのだ。

「これは一体、どうなっているんだ?」

 急いで全身を見回したが、どこを見ても幼子のそれであった。
 つい先ほどまで、髪は手入れされることなく伸びきったまま、汚れてくすんだ灰色であったのが、今は短く切り揃えられた白い髪に。
 幾度の戦闘訓練や罰で傷だらけだった身体も、傷ひとつなくやわらかな肌をしていた。
 まるで、時間が巻き戻ったかのように。

「今までのは、夢?」

 しかし夢と片づけてしまうには、あまりに悍ましく、リアルで。
 それでも、いっそ夢であってほしいと願うほどに残酷だった。

 過去に戻ってきた?
 身体を見るに、今は三、四歳といったところだろうか。とすると十年くらい時を遡ったことになる。

 人知の及ばない不可思議な現象は存在する。この世界に満ちる『魔力』。それを様々な事象に変化させ行使する、人々の生活にも根付くそれを『魔術』と呼んだのだが。
 時を遡るなんて魔術もあるんだろうか。

「そういえば、魔術学はほとんど学べなかったんだった」

 軍事大国として名を馳せる、サンスベリ王国の第三王子アトラエル・ヴァン・ナイセシュルクが誘拐されたのは、彼が十歳の頃だった。
 サンスベリでは、十歳になる子どもが教会で洗礼を受けるという行事がある。それは平民や貴族はもちろん、王族にとっても避けては通れない。
 アトラエルも洗礼式を受けるため、王都内にある教会へ向かう馬車に乗り、その移動中に賊に襲われ攫われたのである。
 攫われた先では、調教という名の凄惨な暴力を受け、心を壊され、魔術による支配により従順な奴隷に仕立て上げられた。アトラエルが奴隷として、サンスベリ王国に攻め入るまでに五年の月日が経っていたのだが、正確に時間を把握できるほどの思考力は、すでに残っていなかった。
 そしてたとえ敵兵の奴隷としてでも、鎖に繋がれていたとしても、ようやく故郷に戻ってこられたというのに。アトラエルの居場所は、『第三王子アトラエル』という居場所は、すでに替え玉に奪われていた。
 そこから先の記憶はない。というより、奴隷となって以降記憶は朧げで、あまり覚えていなかった。あの後、替え玉を庇う母を前にして僕はどう行動したのだろうか。いや、そもそもあの時の僕は命令に従うことしか頭になかった。

「あのまま二人を殺してしまったか、あるいはその場で殺されたか」

 王妃たちの側には、数人の護衛がついていた。僕はきっと、そこで殺されただろう。敵兵の一人として。

「……」

 目線が自然とまた、左手に向かう。殺した感触は残っていない。今の、この幼子の手では剣すら持てやしない。それでも、痛みにうめく声と悲鳴が、血や檻の中のすえたにおいが、人の肉に刃が入るあの感触が、次の瞬間には、現実のものとして戻ってくるのではないかという錯覚に囚われる。
 もしかしたら、本当は今もまだ僕は奴隷のままで、これは頭のおかしくなった自分が見ている夢なのかもしれない。誘拐される前に戻りたいという願望が生み出した、幸せな夢だ。
 たとえこれが夢なのだとしても、もしもやり直せるのならーーー
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