300万で何が買えるだろうか

古明地 蓮

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第四章 人生とは欲求である

第三話 新しい日々を求めて

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 いつ以来だろうか。僕は悪夢を見ることなく睡眠から覚めることができた。この数日は亜空が薄まったという印象はあったものの、常にあの夢を見ていたんだ。しかし今日は一切その夢を見ることなく起きることができた。

「う~ん」

 悪夢を見なかった事はいいことのはずなのに、どうもすっきりしない。昨日の昼寝で見た夢のせいもある。あの時に見た世界は、"僕"は結局何ものだったのか理解できなかった。謎を残したままいなくなられるほうがよっぽど困る。

 とはいえ、今日から僕は変わると決めた。人から言われて変わるというのはよくないけど、自分のためではなく人のために生きると決めたんだ。

 言葉だけ言えばきれいごとだし、今のところ何をしようという考えがないので、ただのきれいごとに過ぎないのだけど。それでも、一つ一つ行動を変えていけばきっと人のために生きれるはずだ。

 時計を見ると、まだ朝五時すぎだった。耳を澄ますと、下の階で料理をしているらしい音がするので、椿姫か小百合さんのどちらかが起きているのだろう。

「手伝いに行こう」

 いつもなら起きていることを隠して勉強するけれど、今日は手伝おう。それも人のためになるんじゃないだろうか。

 もしまだ椿姫が寝ていたら起こしたくないので、なるべくゆっくり扉を開けて廊下に出た。案の定椿姫の部屋の扉はまだしまっていたので、足音を殺しながら下の階に降りる。

「おはようございます」

 リビングに入ると、お弁当をの準備をしている小百合さんにあいさつした。驚いた表情をしながらも、小百合さんは挨拶を返してくれた。

「あら、おはよう翔君。今日はずいぶん早いわね」

 僕のほうをちらっと見ただけで、すぐにウィンナーの入ったフライパンのほうに視線を落としてしまった。昨日夜勤をして、今朝からお弁当を作っている小百合さんは本当にすごいと感心した。

 まだ眠気が残っているので、顔を洗う。冬場の冷たい水が肌にしみると、筋肉が引き締まったように感じる。何回か顔を洗って、その冷たさになれると顔をふいた。身も心も十分に引き締められた実感が少しうれしい。

 リビングに戻ると、まだ小百合さんはお弁当作りをしていた。僕はキッチンのほうに入ると小百合さんに声をかけた。

「手伝いますよ」

 一瞬驚いてから、ふわっとうれしそうな表情をして、僕にお弁当箱と入れる予定の具材が載ったお皿を手渡した。そして、手元にあったお弁当用のカップを皿の上に置くと

「これで料理をお弁当に入れてくれるかしら。なるべく彩りよく、見栄えがするようにね」

「わかりました」

 受け取ったお皿を眺めながら答えた。色とりどりの野菜やウィンナーが区画ごとに並べられていた。その一つ一つが僕にとっては見覚えのあるものばかりだった。

 例えば個のじゃがいもチップは、僕の大好物で高校に入ってから毎日お弁当に入れてもらえるようにお願いしたら、ちゃんと毎日味を変えて入れてくれて、毎日嬉しかったのを覚えている。

 他にも鳥のもも肉の唐揚げ用のお肉にいろんな味付けをしてオーブンで焼いたものや、ちくわにチーズを入れて切ったものなど。どれも僕が作ってもらっていた具材ばかりだ。

 一つぐらい盗み食いをしたいという欲望をぐっとこらえながら、なるべくお母さんのお弁当になるように具材を入れていく。自分が作ってもらっている時には意識しなかったけれど、油分の多い肉はアルミホイルに包んであったり、箸で一つ一つの具材をカップに入れるむずかしさを知って、お母さんに申し訳なくなった。

 僕が具材を詰めながらも、小百合さんは新しい具材をいくつか作り、それをどんどん僕はお弁当箱に詰めていった。7種類の料理と白米をお弁当箱に詰め終えると、できたお弁当箱を小百合さんに見せた。

「どうですか?」

「上出来。さすがね」

 嬉しそうにお弁当箱を見ながら小百合さんは答えた。僕はお弁当箱をカウンターに置いて粗熱を取りながら、小百合さんが使っていた調理器具の洗い物を交代した。僕の様子を少し不思議に見ながらも

「ありがとうね」

 と言い残すと、リビングの椅子に座って休んだ。やっぱり疲れが出ているようで、少しうとうとしているところを見て、手伝ってよかったなぁと感じた。

 片付けを終えるころ、階段を下りる音がした。まだ姿は見えないけれど、僕は声をかけた。

「おはよう、椿姫」

「おはようございます、翔さん」

 廊下からすっと顔を出した椿姫は、まだ生あくびをしていて眠そうだった。僕らの会話で小百合さんも目が覚めたようだった。

「おはよう、椿姫」

 と挨拶をすると、椿姫も挨拶を返していた。椿が洗面に行ったので、僕は朝ごはんの準備をして、椿姫が帰ってくるのを待った。小百合さんは昨日からの無茶がたたったようで、ずっと眠っていた。

 椿姫が洗面を終えて帰ってきたので、小百合さんを起こして三人で朝ご飯をたべた。僕の家での団欒とはまた違った、家族の形が完成したように思えた。

 少し三人でのんびりしたかったけれど、椿姫は時間がなかったようで、朝ごはんを食べ終えるとお弁当をカバンに詰め込んだ。急いで制服に着替えると、かばんをひったくるようにとって

「行ってきます」

 と言って出かけてしまった。僕と小百合さんは玄関先まで追いかけて、椿姫を見送った。ちゃんと学校に間に合うのか少し不安だけど、きっと大丈夫だろう。

 小百合さんと二人でリビングに戻ると、コーヒーを飲みながら小百合さんは言った。

「今日の予定はあるの?」

 僕は白紙の勉強計画帳を頭に浮かべながら答えた。

「特にないですね」

 僕のその答えに満足したように、小百合さんはもう一口コーヒーを飲んでから僕に指示した。

「今日はお昼ご飯は私が自分で作るから、今すぐに自分の家に行ってきなさい。」

 急な命令に驚いて、僕は飲んでいたコーヒーを吹きかけた。

「ちょっと急すぎませんか」

 僕の答えに、さも当然といった様子で小百合さんは答えた。

「そんなに悠長にして至れるほど時間はないんでしょう。それに、別に予定がないなら行ってきちゃったほうがいいこともあるわよ」

 昨日行ってないと言ってしまった手前、もう行きましたなんて言えるはずもなく、特に予定がない僕はこう答えるしかなかった。

「わかりました」

 そう言い残して、一度僕は自分の部屋に帰った。別に小百合さんに言われた通りに家に行かなくてもいいのだろうけど、この家にはいられないだろうから、必要な荷物を持って行かないと。

 いつものようにリュックを開いてから、僕は思い至る

「勉強道具はいらないか」

 いつもなら限界まで勉強道具を詰め込んで、持ち歩くことで安心していた。けれども昨日で勉強は終わりにしてしまったんだった。勉強道具以外でいれるものを考える。

 数分考えたけど、特に必要なものが思いつかなかった。最低限必要な財布と携帯、それさえあれば充分になってしまうんだ。けど、それはリュックに入れるにしては少なすぎる。仕方なく、僕はリュックの中に入れておいたショルダーバッグを取り出して、そっちに荷物を移すと肩にかけた。

 いつになく軽い格好で、少しだけ気分が上がるような気がした。外は寒いだろうからコートを羽織ってみる。準備ができたので下の階に降りると小百合さんはコーヒーを飲みながら待っていたようだ。僕に気が付くと

「遅かったけど、今日は軽い荷物なのね。まあそれがいいと思うわ。じゃあ行ってらっしゃい」

 テレビのほうを見ながら僕にあいさつした。いや、出ていくように促したといったほうが適切かもしれない。

「行ってきます」

 そういって僕は矢田部家を後にした。

 家を出てから特にやることもないので、駅のほうに向かった。僕の家に行くにしろ、特に何もしないにしろ、駅に行くのが一番だと思ったんだ。

 荷物を軽くしたせいか、普段とは町の姿がだいぶ違って見える。通勤ラッシュが去った後の町は人が少ないように見えて、専業主婦の人たちやさぼりの高校生がちらほらいる。それに、ホームレスのおじいちゃんは将棋を打っているし、店をのぞけば開店準備をしている。

 駅に近づくと、だんだんと銀行やデパートのように大きい建物が目に映る。あの中でもいろんな人たちが働いているんだろうなぁと想像する。そこで、僕はとある案を思いつく。

 その思い付きのままに銀行に入ると、ATMコーナーに向かった。引き出しの欄を選択して持っていたキャッシュカードを読み込ませる。うちなれない暗証番号を入力して、金額を全額打ち込んでみた。しかし

「限度額を超えています。窓口で手続きしてください」

 と言われてしまった。仕方なく、僕は窓口の人に声をかけて、多額を下ろしたい旨を伝えた。当然のことのようにその理由を聞かれたので、

「一人暮らしの準備です」

 と、口から出まかせを言った。一瞬向こうの人も困惑した様子だったが、詐欺の可能性などがないことさえわかると、個室のほうに通された。やけに面倒くさいなぁと思ったけど、これだけの金額を現金で持ち歩かせることが危険なんだろうと思った。

 個室の中で現金を封筒にしまった状態で手渡された。たった2~3cmの厚みの紙の束。僕が使う問題集よりだいぶ薄い。けれども、僕はそれを丁寧にかばんにしまうと、銀行お後にした。

 これでふと思い立った時にこのお金が使える。あえて現金でショルダーバッグをパンパンにしながら街を歩いた。お金持ちとは言えないけれど、この町で誰よりも多くの現金を持っているという自信だけが独り歩きした。

 特にやることがなくなった僕は、一度駅の本屋さんに立ち寄った。参考書コーナーの横を通るときに、袖を引っ張られるような思いをしたけれど、見えていないふりして文庫本コーナーに向かう。適当に背表紙と場所を頼りに何冊かの本を引っ張り出してみる。

 よく見ると、この本のコーナーはわかり女性向けのコーナーだった。ただ、朝だからか人が少なく、僕のことを監視しているような人はいなかった。少し緊張しながらも、何冊かの本を見てい見ると、そのうちの一つにあっていそうな本を見つけた。

「愛のすがた」

 という周りの本に比べれば端的な題名の本だった。表紙には夕景に埋もれてしまいそうなほど美しい少女と、その視線の先にいる少女よりは大人びた男性が写っていた。男性はどこか遠くを見上げながら、少女のほうに左手を差し出していて、一瞬年の差の恋愛なのかなと思った。

 前に椿姫が読んでいた本出会っているかわからないけれど、周りにそれらしい本がないので、これだろうと信じて買ってきた。隣のカフェで本を読もうかと思ったけど、堂々とパオ婚を開いて仕事をしている人がたくさんいて、ここで本を読むのは浮きそうなのであきらめた。

 僕は駅ビルを後にすると、向かう場所もなかったので自分の家に行くことにした。小百合さんにそう勧められたのには何か理由があるのだろうと思い、仕方なく向かうことにした。駅を抜けた瞬間に人の流れがなくなり、閑散とした住宅街が広がる。

 最近で何回も歩いた道を進むと、見慣れた家が目に映る。緊張感はあるけれど、前に比べて親しみをもって見ることができる。吸い寄せられるかのように、家に近づいていく。

 門の前に立つと、よく手入れされた庭が見える。あいつがまだ丁寧に手入れをしていることが意外だけれど、あいつもお母さんが作った庭は好きだったんだろうなぁ。

 特に何も気にすることなく、僕は慣れた手つきで門を開けて玄関の前に立つ。脳裏に在りし日の生活がよみがえる。高校からゆっくりと帰ってきたときに、家の中にだれがいるのか想像しながら玄関を開けていた日々。

 懐かしさを思い浮かべながら扉を開けた。不法侵入という意識が抜け落ち、普通の住人として家に入ってしまった。流れるように手を洗ってリビングの椅子に座った。あれだけ帰りたいと思った家でも、案外帰ってしまうと特にこれと言ってやろうと思ったことがなくなってしまう。

 取り敢えず買った本を読もうと思ってから、ふと気になったことが思いついたのでテレビの方に向かう。テレビの下をのぞくと、やはり僕が使っていたゲーム機がなくなっていた。

 ここにあったのは、椿姫と遊んだコンシューマで僕が中学生のころまで結構遊んでいた。ただ、高校受験や、僕の病気の発見があってから、あまり遊ばなくなってしまった。それに、僕のわがままで今のパソコンを買ってからは、パソコンでゲームをすることが多かった。ふと、高校二年生の時に遊ぼうと思ったときに、テレビの下をのぞいたらなくなっていたんだ。どこを探しても見つかなかった。

 あの時はかなり驚いたし、せっかく頑張っていたデータがなくなったのは悲しかったけど、だんだん忘れてしまった。もしよみがえっていたら一緒に遊びたかったけれど、やっぱりないままだった。

 あきらめて、僕は買ってきた小説を読むことにした。僕自身が読むような内容ではないだろうけど、椿姫が何を読んでいたのか気になったんだ。

 一ページ目を開いてから、僕は本を閉じそうになった。僕が時々読む硬い文章とは違って、文章から甘酸っぱさが香ってきそうなほどの女性心理が描かれていた。急な甘い物語に頭が追い付かないまま、小説を読み進めた。

 数ページ読むと、大まかなストーリーが分かるように、再保のほうにある意味で小説の結末が描かれている作品だった。明らかに乗り越えるべき障害があって、好きになる予定の男性がいる。そんな小説だった。ただ特徴的なのは、この女子が好いているのが、従兄なことぐらいだろう。

 椿姫がこういう小説を好いているのは知らなかったけれど、不覚にもかわいいと感じてしまった。ただ、小説上の従兄がかなり鈍感なキャラで、ちょっとイラっとした。

 充分小説の内容が分かったので、僕はその小説を閉じた。特に傷をつけていないことを確認すると、膝の上にのせた。どうせ買ってしまったのだから、後で椿姫にプレゼントしようかな。

 特にすることもなく時間が過ぎるのも仕方ないと思い、自分の部屋に一度寄って帰ろうと決めた。リビングを出て、階段を三段上った瞬間だった。

 急にろっ骨を無視して心臓を直接押された感覚。恐怖と焦燥で目を開いた先に見えたのは僕を突き飛ばし、あざ笑う僕だった。

 死に突き進みながら感じたのは、息の詰まるほどの焦燥感と絶望だった。
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