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七夕の願い~五年後の未来から~
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7月7日
人々が願い事を流星に祈る日
織姫と彦星が天の川を唯一渡れる日
私にとっては、恋した人の命日だ。
梅雨が明けて夏が猛威を振るう前の休息。今年は梅雨前から暑かったので、梅雨明けの短い時間に夏に向けて体を切り替えないと本番に倒れてしまいそうだ。そう思ってしまうのは町中の広告のせいかもしれないけど。
暑苦しい人込みを抜けて、寒いぐらいに冷房の効いた講義室に入ると、温度差で汗をかきながら鳥肌が立っている。ちょっと気持ち悪いなと思いながら隅のほうの席に座っていると、バンドのメンバーの二人が私の咳のそばに類てきた。私のギターケースの隣にキーボードが立てかけられた。
「相変わらず、光ちゃんは来るの早いよね」
「朝起きられるのうらやましい」
二人とも食べかけのサンドイッチを持ったまま器用に私の隣の席に着く。そんなことないよ、と言って笑いあった。
講義室の前のほうでは右手にパソコン、左手にジャケットを持った教授が入ってくるなり、手にしたジャケットを羽織りだした。教室のマイクテストをしてるけど、手を挙げたのは一番前の生徒だけだった。
授業が始まると、クラスメイトは静かに授業の声に耳を傾ける。もしくは睡魔の声かもしれない。私は一人、窓の外の一匹のセミの声を追いかけた。ラテン語とドイツ語と日本語が混じる授業が分かる人はきっと転生者か何かなんだろう。
今日は一限しか授業がなかったので、その授業が終わるなり私たちは学食に向かう。廊下の壁には文化祭が近いわけでもないのに、色とりどりのポスターが張られてる。
「今日は次の曲の練習する?」
ボーカル担当の子が前髪を書き上げながら言った。ちらっと見える横顔だけでもかっこいいのがうらやましい。
「私はいつもの曲一回やりたいなぁ」
小柄なキーボード担当の子が下から私の顔を覗き込んできた。並の男ならこれをされたら何でも言うことを聞いてしまいそうだ。
「今日はちょっと用事があるから、次の曲の練習したら帰ろうかな」
残念そうにそっかあというキーボード担当。感情を表情に大きく出すところが少しだけ彼方を思い出して涙ぐみそうで目をそらす。
廊下の先、玄関のすぐそばに笹の枝と、それに提げられたたくさんの願い事を乗せた色とりどりの短冊が揺らめいている。
「今日がもう七夕かぁ。私の願いはかなうかな」
ボーっと夢見心地な目をするキーボード担当の視線の先にはやっぱり笹の枝があった。
「何か願ったの?」
私が聞くと、ちょっと恥ずかしそうにしながらぼそっとつぶやいた。
「これからも二人と一緒にバンドがやりたいなぁって...」
そっぽを向いた小さい頭に無性になでたくなった。私の小さな手でもおさまってしまいそうな卵型の頭は、やめてよという声はしたものの、なでられるままになっている。
ひとしきり撫で終えて私が手をのけると、ボーカル担当のほうに顔を向けてみると、なぜかちょっとだけ憂えしそうな表情をしている。どうしてかなと思っていると、それを読んだように話し始めた。
「私も似たようなことを願ったんだ。でもその前提として、全員が留年しないようにってのも願ったけど。」
私が二人の願いを聞いて喜んでる横で、精進しますと少し落ち込んだような声が聞こえた。
「そういう光は何を願ったんだ?」
いつか聞かれるだろうと思って準備していた言葉をいうために少しだけ間を開けた。
「ん~とね。今年はまだ何も書いてないかな。ちょっとこの時期は忙しくてね。」
へ~意外という言葉が完全に二人でそろっていた。どうやら私は二人の目には願い事をするロマンチストに見えていたのかな。
ちょうど笹の枝の隣を通った時、黄色の短冊が一枚裏返った。二人にばれないように短冊の向きを元に戻しておいた。
学食も七夕にちなんで具材を星形にしたシチューを出してみたり、天の川にちなんだ料理のフェアをやったりしていた。せっかくだからと思って私がそれを頼むと、二人もそれを頼んでいた。普段なら三人で頼むものを変えるんだけど、二人の言い分はせっかくだからだった。
昼食を食べ終えると三人で部室に向かった。部室に置いてある道具や楽譜を回収すると、部室の近くの空いたスペースで各々楽器を取り出した。
「いつも思うけど、二人はよく楽器を毎日運べるね」
マイク片手にボーカルの子が言う。私はハードケースから愛用のアコースティックギターを取り出しながら言った。
「家でも練習したいからね。それに私はこのギターが好きだし。」
私も~と言いながらキーボードを取り出して、簡易的な三脚みたいな台の上に置いていた。
キーボードでメトロノームのように拍を四回とると、ギターとキーボードが音を入れた。アコースティックギターの伸びやかな音とキーボードの機械音を合わせるのは少し独特だけど、メロディーラインを二人で交互に取るような演奏は私たちの十八番だ。
ボーカルの子はあの見た目で普段の声も少し低めなのに、歌うときには驚くぐらい可愛い声をしている。甘くて優しい声音だから、恋愛ソングが一番似合っているけど、本人は納得していないらしい。だから今回の曲もポップス系の場を盛り上げるためのだ。
なかなか私とキーボードが合わせられなくて三回やりなおしたけど、四回目でようやく全体を通して大きなミスがなくつなげられた。まだこの曲を発表するまで一か月はあるから、今はこの段階で十分ということで、私は二人に別れを言ってその場を後にした。
二人と別れた後、私は一人で大学前のバスに乗り込んだ。そういえば、蓮と彼方の病院に行くときも同じバスに乗っていた。あの頃、蓮はどんな気持ちでこのバスに乗っていたんだろう。今の私には少しだけわかるような気がした。
病院前の車内放送が入った時、癖で降車ボタンを押してしまった。次止まりますのアナウンスを聞いて、自分が無意識にしてしまったことを認識して周囲を見渡した。楽器が邪魔にならないように後ろの席に座っていたので私を見ている人はいなさそう。あとは、病院前で誰かが降りてくれればいいか、なんて思いながら窓の外の風景を眺めた。
閑静な住宅街。病院から離れたところは季節に合わせた装飾や庭に月桂樹が生えていたり、グリーンカーテンのある家がいくつもあった。しかし、病院が近づくにつれて段々と素朴で簡素な家が増えていく。当時と変わらない風景にぐしゃぐしゃになった感情がこみあげてきそうになって、少しの間目を閉じた。
「病院前、病院前、お降りのお客様はいらっしゃいますか」
運転手さんの声で目を開くと、何度も降りたバス停にバスが停車していた。ふと気になって前のほうを見ると、高齢の夫婦が一組、それに中学生にも満たないような女の子が一人降りていた。心の隅で三人の健康を祈った。三人の背中は、紫陽花に彩られた花壇の間を抜けて病院に入っていった。
紫陽花、ちょっとだけ私にとっては嫌いな花かもしれない。あの日、私だけ気づけなかったこと、蓮が傘に入ることを拒んだ理由、一人だけ能天気に過ごしてしまったこと、悔しさを思い出す花だから。
バスが病院を出ると、そこから先はまだ目新しい景色が広がっていた。この先は一年に数回しか来ない。いくつかの停留所を通り過ぎた後、目的の停留所に着いたらしかった。
「市営霊園、市営霊園、お降りのお客様はいらっしゃいますか」
バス車内の人は少なくなっていて、椅子の半分くらいしか埋まっていなかった。安心して私はギターケースを背負ったまま出口のほうに進んでいく。途中手すりにぶつかったりしながらも定期をかざしてバスから降車した。
バスが走り去るのを見届けると、交差点を一つわたってその敷地内に入った。桜市営霊園。
病院と同じくらい、いやそれ以上の陰鬱な雰囲気をまとっているような気がする。それはきっと私がまだ二人のことを乗り越えられていないから、後悔しているからなんだろう。
市街地の人が来るまで来れるように市営霊園の中には車道がたくさんあるけど、今日は予想通り一台の車も走っていなかった。それでも、水を入れたバケツと柄杓を持つと、道の隅のほうを歩いて番地を数えるように目的の場所を探した。
手前から大きいお墓が並んでいる中で、目的の場所は少し奥まったところにある。石畳の道を踏みしめながら進むと、左右に様々なお墓が映る。近代的なコンクリート敷きのものやアスファルトのもの、昔ながらの土や石を敷いたもの。それに隣に植えてある木の種類も場所によってまちまち。それぞれの家と同じくらいバリエーションに富んでいる。
ある程度お墓の種類も落ち着いてきたころ、私は目的の場所に着いた。
「暁家の墓」
墓石に深々と刻まれている文字はきっと私の番になっても変わらない。敷地に入ってすぐのところにギターとリュックを置くと、バケツの水を柄杓ですくって墓石にかける。丁寧に、優しく、あの子が眠る場所を少しでも綺麗に保つために。
隅から隅まで水をかけて綺麗にすると、リュックに押し込んであったお線香にマッチで火をつけてお供えした。これがきっと私の思いを彼方まで届けえてくれると信じて。
手を合わせて彼方のことを想起する。私が思い出せる彼方の姿はずっと病室に座っている姿だけだった。いつでも真っ白な病室で明るく笑いながら話してくれる。思い出すだけで涙が出そうになりながら、伝えようと思っていたことを小さく口に出した。
「彼方、久しぶり。本当の命日に来てあげれなくてごめんね。でも私にとってはこの日が本当に彼方がいなくなっちゃった日だからさ。
私はちゃんと大学に入ったよ。志望した学部に受かったんだ。お母さんとお父さんが家に帰ってきてからようやく家の中が賑やかになったよ。でも、両親とも彼方がいないことを寂しがってるんだ。だから、たまにはうちに遊びに来てもいいんだよ?
ねぇ彼方、もし私がそっちに行ったらいつかみたいに一緒に遊んでよね。それに、私と彼方と蓮の三人でやりたいことがあるんだ。だからそれまで待っててね。」
そう告げると私はその場所を後にした。片手にはまだ水が満タンに入っているバケツが一つある。
来た道を戻ってから、今度は別の道に入る。ここは小さなお墓ばかりが並んでいる通り。まるで鍵もない木造のアパートのような場所の一角にもう一つの目的地がある。
「八雲家の墓」
小さく、今にも消えてしまいそうな文字でそう刻まれ墓石は何年も手入れされていないような風貌だった。それでも、卒塔婆は三本比較的新しいのが立っている。一つ八雲蓮のだ。
風雨に見舞われたことが手に取るようにわかるのに、それでも元気そうに立つ墓石を見ると彼の姿が頭をよぎった。いつから苦しかったかなんて聞くまでもないことだけど、それでもぎりぎりまで私のために笑っていた蓮を労わる気持ちで丁寧に墓石を掃除した。当時の私にはできなかったこと。
彼方に上げた分の残りのお線香を灯すと少しの間煙が立ち上っていくのを見た。晴れた空に吸い込まれるように消えていく灰色の煙。あまりにも儚くて手でつかんで閉じ込めておきたかった。
合掌して蓮の姿を思い浮かべた。私の初恋の人。私を絶望と狂気から救ってくれた人。私たち姉妹の恩人。
「蓮、久しぶり。」
先の言葉を考えていたはずだったのに、私の言葉はそこで詰まってしまった。代わりにいくつもの雫が私の頬を伝って落ちていった。泣き声になりながらも、思いついたままに私は蓮に話しかけた。
「蓮、ごめんね。君の願いはまだかないそうにないや。私の幸せには蓮と彼方がいないと成り立たないみたいでさ。でも悲しい顔はしないでね。
ちゃんと私なりに目標を立てたんだ。私は蓮と彼方に救ってもらった立場だから、今度は私が救う人になるってね。昔と変わらない安直な考えだけど、お医者さんになるために勉強してるんだ。いつか誰かを救いたい。できたら彼方や連みたいな子たちをね。
私はあの時、蓮と彼方に何もしてあげられなかったこととか、つらい時に気づいてあげられなかったことが悔しいの。きっと蓮がそばにいたら叱ってくれそうなことだけど、私は二人への罪滅ぼしの気持でもあるんだ。この道を頑張った先で蓮に会えたら、ちゃんと笑って会えるような気がしてね。」
涙がこぼれる分だけ伝えたい思いもあふれてくる。でも、少しずつ頬を伝う雫は小さくなっていった。
「最後にさ、私から提案なんだけどね。私がそっちに行ったら三人でバンドを組みたいんだ。本当は蓮をまねてピアノをもっと練習するつもりだったんだけど、うまくいかなかったから今はギター弾いてるんだ。彼方がボーカル、蓮がキーボード弾いたらいいバンドになりそうじゃん。」
そこまで伝え終わると私は顔を上げた。いまだにお墓参りで泣かずに帰れたことがない。いつかは泣かなくなるのかもしれないけど、今じゃなくていい。それが二人のぬくもりを忘れることになるなら。
墓地を抜けてバケツを返しに行く時にふと思った。蓮の墓地は今後どうなるんだろうか。もう維持費を払う人はいないし、霊園もずっと置いておいてくれるわけじゃないんだろう。もしその時が来たら、蓮の分だけは私が管理したいな。
霊園を後にするとき、もう一度だけ2人にまたねとあいさつした。次来るのがいつになるかはわからないけど、それでもまたね。二人がいなくなることはもうないから。
帰りのバスに乗るころにはいつの間にか夕暮れ時になっていた。大学から霊園までバスで来ても相当な距離があったからか、個人経営のお店は締まっているところも多かった。でも、私にとってはちょうどいい時間帯だった。
七夕の日の夜、私が毎年来る場所がある。蓮と彼方のお墓に行く事もできなかったときにもここにだけは来た。私にとって、そしてそれ以上に蓮にとって思い出深い場所。
病院のすぐ裏手にある草原。見渡す限り広い草原の一か所、この辺だったという場所に私は腰を下ろした。ちょうど空が闇に吸い込まれるように、蒼穹が世界を包み込み、徐々に星の姿が目に映った。
ギターを取り出して軽くチューニングしようとしたときだった。何かが私の手をつかんだんだ。
「やっと見つけたよ、光ちゃん」
「こんなところにいるとは」
振り返った先に立っていたのは、バンド仲間の二人だった。
「どうしてここに?」
私がそう尋ねると、二人は顔を見合わせて苦笑いしてから答えた。
「今日の光ちゃんの様子がいつもと違うから何かあるんだろうなぁとは思ってたんだよね。それに短冊のこともあるし。」
「それで二人で後をつけてみたらすぐにバスに乗ったから次のバスで追いかけようとしたけど、目的地がわからないから手当たり次第にいろんなところを探したよ。」
二人の姿を見て私はうれしくて泣きそうになった。さっき蓮に伝えた言葉を撤回したくなるほどに。
「本当にありがとう、二人とも。」
私が二人に言うと、二人は笑いながら首を振った。
「やるんでしょ、あの曲をここで」
「そのために一式持ってきた」
どうやらギターを見て察していたらしい。私も立ち上がってギターを担ぐと、三人で機械を設定した。そして私たちの十八番の曲を演奏する。この日のための曲
「星に願いを」
ギターを弾きながら私は一つだけ願い事をした。それは私が向こうに行くまで蓮と彼方が向こうで仲良く元気で幸せに暮らしていますように。天の川を流れる星が、壮大なこの蒼穹が、烈火のような流星が私の願いを届けてくれるように祈り続けた。
人々が願い事を流星に祈る日
織姫と彦星が天の川を唯一渡れる日
私にとっては、恋した人の命日だ。
梅雨が明けて夏が猛威を振るう前の休息。今年は梅雨前から暑かったので、梅雨明けの短い時間に夏に向けて体を切り替えないと本番に倒れてしまいそうだ。そう思ってしまうのは町中の広告のせいかもしれないけど。
暑苦しい人込みを抜けて、寒いぐらいに冷房の効いた講義室に入ると、温度差で汗をかきながら鳥肌が立っている。ちょっと気持ち悪いなと思いながら隅のほうの席に座っていると、バンドのメンバーの二人が私の咳のそばに類てきた。私のギターケースの隣にキーボードが立てかけられた。
「相変わらず、光ちゃんは来るの早いよね」
「朝起きられるのうらやましい」
二人とも食べかけのサンドイッチを持ったまま器用に私の隣の席に着く。そんなことないよ、と言って笑いあった。
講義室の前のほうでは右手にパソコン、左手にジャケットを持った教授が入ってくるなり、手にしたジャケットを羽織りだした。教室のマイクテストをしてるけど、手を挙げたのは一番前の生徒だけだった。
授業が始まると、クラスメイトは静かに授業の声に耳を傾ける。もしくは睡魔の声かもしれない。私は一人、窓の外の一匹のセミの声を追いかけた。ラテン語とドイツ語と日本語が混じる授業が分かる人はきっと転生者か何かなんだろう。
今日は一限しか授業がなかったので、その授業が終わるなり私たちは学食に向かう。廊下の壁には文化祭が近いわけでもないのに、色とりどりのポスターが張られてる。
「今日は次の曲の練習する?」
ボーカル担当の子が前髪を書き上げながら言った。ちらっと見える横顔だけでもかっこいいのがうらやましい。
「私はいつもの曲一回やりたいなぁ」
小柄なキーボード担当の子が下から私の顔を覗き込んできた。並の男ならこれをされたら何でも言うことを聞いてしまいそうだ。
「今日はちょっと用事があるから、次の曲の練習したら帰ろうかな」
残念そうにそっかあというキーボード担当。感情を表情に大きく出すところが少しだけ彼方を思い出して涙ぐみそうで目をそらす。
廊下の先、玄関のすぐそばに笹の枝と、それに提げられたたくさんの願い事を乗せた色とりどりの短冊が揺らめいている。
「今日がもう七夕かぁ。私の願いはかなうかな」
ボーっと夢見心地な目をするキーボード担当の視線の先にはやっぱり笹の枝があった。
「何か願ったの?」
私が聞くと、ちょっと恥ずかしそうにしながらぼそっとつぶやいた。
「これからも二人と一緒にバンドがやりたいなぁって...」
そっぽを向いた小さい頭に無性になでたくなった。私の小さな手でもおさまってしまいそうな卵型の頭は、やめてよという声はしたものの、なでられるままになっている。
ひとしきり撫で終えて私が手をのけると、ボーカル担当のほうに顔を向けてみると、なぜかちょっとだけ憂えしそうな表情をしている。どうしてかなと思っていると、それを読んだように話し始めた。
「私も似たようなことを願ったんだ。でもその前提として、全員が留年しないようにってのも願ったけど。」
私が二人の願いを聞いて喜んでる横で、精進しますと少し落ち込んだような声が聞こえた。
「そういう光は何を願ったんだ?」
いつか聞かれるだろうと思って準備していた言葉をいうために少しだけ間を開けた。
「ん~とね。今年はまだ何も書いてないかな。ちょっとこの時期は忙しくてね。」
へ~意外という言葉が完全に二人でそろっていた。どうやら私は二人の目には願い事をするロマンチストに見えていたのかな。
ちょうど笹の枝の隣を通った時、黄色の短冊が一枚裏返った。二人にばれないように短冊の向きを元に戻しておいた。
学食も七夕にちなんで具材を星形にしたシチューを出してみたり、天の川にちなんだ料理のフェアをやったりしていた。せっかくだからと思って私がそれを頼むと、二人もそれを頼んでいた。普段なら三人で頼むものを変えるんだけど、二人の言い分はせっかくだからだった。
昼食を食べ終えると三人で部室に向かった。部室に置いてある道具や楽譜を回収すると、部室の近くの空いたスペースで各々楽器を取り出した。
「いつも思うけど、二人はよく楽器を毎日運べるね」
マイク片手にボーカルの子が言う。私はハードケースから愛用のアコースティックギターを取り出しながら言った。
「家でも練習したいからね。それに私はこのギターが好きだし。」
私も~と言いながらキーボードを取り出して、簡易的な三脚みたいな台の上に置いていた。
キーボードでメトロノームのように拍を四回とると、ギターとキーボードが音を入れた。アコースティックギターの伸びやかな音とキーボードの機械音を合わせるのは少し独特だけど、メロディーラインを二人で交互に取るような演奏は私たちの十八番だ。
ボーカルの子はあの見た目で普段の声も少し低めなのに、歌うときには驚くぐらい可愛い声をしている。甘くて優しい声音だから、恋愛ソングが一番似合っているけど、本人は納得していないらしい。だから今回の曲もポップス系の場を盛り上げるためのだ。
なかなか私とキーボードが合わせられなくて三回やりなおしたけど、四回目でようやく全体を通して大きなミスがなくつなげられた。まだこの曲を発表するまで一か月はあるから、今はこの段階で十分ということで、私は二人に別れを言ってその場を後にした。
二人と別れた後、私は一人で大学前のバスに乗り込んだ。そういえば、蓮と彼方の病院に行くときも同じバスに乗っていた。あの頃、蓮はどんな気持ちでこのバスに乗っていたんだろう。今の私には少しだけわかるような気がした。
病院前の車内放送が入った時、癖で降車ボタンを押してしまった。次止まりますのアナウンスを聞いて、自分が無意識にしてしまったことを認識して周囲を見渡した。楽器が邪魔にならないように後ろの席に座っていたので私を見ている人はいなさそう。あとは、病院前で誰かが降りてくれればいいか、なんて思いながら窓の外の風景を眺めた。
閑静な住宅街。病院から離れたところは季節に合わせた装飾や庭に月桂樹が生えていたり、グリーンカーテンのある家がいくつもあった。しかし、病院が近づくにつれて段々と素朴で簡素な家が増えていく。当時と変わらない風景にぐしゃぐしゃになった感情がこみあげてきそうになって、少しの間目を閉じた。
「病院前、病院前、お降りのお客様はいらっしゃいますか」
運転手さんの声で目を開くと、何度も降りたバス停にバスが停車していた。ふと気になって前のほうを見ると、高齢の夫婦が一組、それに中学生にも満たないような女の子が一人降りていた。心の隅で三人の健康を祈った。三人の背中は、紫陽花に彩られた花壇の間を抜けて病院に入っていった。
紫陽花、ちょっとだけ私にとっては嫌いな花かもしれない。あの日、私だけ気づけなかったこと、蓮が傘に入ることを拒んだ理由、一人だけ能天気に過ごしてしまったこと、悔しさを思い出す花だから。
バスが病院を出ると、そこから先はまだ目新しい景色が広がっていた。この先は一年に数回しか来ない。いくつかの停留所を通り過ぎた後、目的の停留所に着いたらしかった。
「市営霊園、市営霊園、お降りのお客様はいらっしゃいますか」
バス車内の人は少なくなっていて、椅子の半分くらいしか埋まっていなかった。安心して私はギターケースを背負ったまま出口のほうに進んでいく。途中手すりにぶつかったりしながらも定期をかざしてバスから降車した。
バスが走り去るのを見届けると、交差点を一つわたってその敷地内に入った。桜市営霊園。
病院と同じくらい、いやそれ以上の陰鬱な雰囲気をまとっているような気がする。それはきっと私がまだ二人のことを乗り越えられていないから、後悔しているからなんだろう。
市街地の人が来るまで来れるように市営霊園の中には車道がたくさんあるけど、今日は予想通り一台の車も走っていなかった。それでも、水を入れたバケツと柄杓を持つと、道の隅のほうを歩いて番地を数えるように目的の場所を探した。
手前から大きいお墓が並んでいる中で、目的の場所は少し奥まったところにある。石畳の道を踏みしめながら進むと、左右に様々なお墓が映る。近代的なコンクリート敷きのものやアスファルトのもの、昔ながらの土や石を敷いたもの。それに隣に植えてある木の種類も場所によってまちまち。それぞれの家と同じくらいバリエーションに富んでいる。
ある程度お墓の種類も落ち着いてきたころ、私は目的の場所に着いた。
「暁家の墓」
墓石に深々と刻まれている文字はきっと私の番になっても変わらない。敷地に入ってすぐのところにギターとリュックを置くと、バケツの水を柄杓ですくって墓石にかける。丁寧に、優しく、あの子が眠る場所を少しでも綺麗に保つために。
隅から隅まで水をかけて綺麗にすると、リュックに押し込んであったお線香にマッチで火をつけてお供えした。これがきっと私の思いを彼方まで届けえてくれると信じて。
手を合わせて彼方のことを想起する。私が思い出せる彼方の姿はずっと病室に座っている姿だけだった。いつでも真っ白な病室で明るく笑いながら話してくれる。思い出すだけで涙が出そうになりながら、伝えようと思っていたことを小さく口に出した。
「彼方、久しぶり。本当の命日に来てあげれなくてごめんね。でも私にとってはこの日が本当に彼方がいなくなっちゃった日だからさ。
私はちゃんと大学に入ったよ。志望した学部に受かったんだ。お母さんとお父さんが家に帰ってきてからようやく家の中が賑やかになったよ。でも、両親とも彼方がいないことを寂しがってるんだ。だから、たまにはうちに遊びに来てもいいんだよ?
ねぇ彼方、もし私がそっちに行ったらいつかみたいに一緒に遊んでよね。それに、私と彼方と蓮の三人でやりたいことがあるんだ。だからそれまで待っててね。」
そう告げると私はその場所を後にした。片手にはまだ水が満タンに入っているバケツが一つある。
来た道を戻ってから、今度は別の道に入る。ここは小さなお墓ばかりが並んでいる通り。まるで鍵もない木造のアパートのような場所の一角にもう一つの目的地がある。
「八雲家の墓」
小さく、今にも消えてしまいそうな文字でそう刻まれ墓石は何年も手入れされていないような風貌だった。それでも、卒塔婆は三本比較的新しいのが立っている。一つ八雲蓮のだ。
風雨に見舞われたことが手に取るようにわかるのに、それでも元気そうに立つ墓石を見ると彼の姿が頭をよぎった。いつから苦しかったかなんて聞くまでもないことだけど、それでもぎりぎりまで私のために笑っていた蓮を労わる気持ちで丁寧に墓石を掃除した。当時の私にはできなかったこと。
彼方に上げた分の残りのお線香を灯すと少しの間煙が立ち上っていくのを見た。晴れた空に吸い込まれるように消えていく灰色の煙。あまりにも儚くて手でつかんで閉じ込めておきたかった。
合掌して蓮の姿を思い浮かべた。私の初恋の人。私を絶望と狂気から救ってくれた人。私たち姉妹の恩人。
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先の言葉を考えていたはずだったのに、私の言葉はそこで詰まってしまった。代わりにいくつもの雫が私の頬を伝って落ちていった。泣き声になりながらも、思いついたままに私は蓮に話しかけた。
「蓮、ごめんね。君の願いはまだかないそうにないや。私の幸せには蓮と彼方がいないと成り立たないみたいでさ。でも悲しい顔はしないでね。
ちゃんと私なりに目標を立てたんだ。私は蓮と彼方に救ってもらった立場だから、今度は私が救う人になるってね。昔と変わらない安直な考えだけど、お医者さんになるために勉強してるんだ。いつか誰かを救いたい。できたら彼方や連みたいな子たちをね。
私はあの時、蓮と彼方に何もしてあげられなかったこととか、つらい時に気づいてあげられなかったことが悔しいの。きっと蓮がそばにいたら叱ってくれそうなことだけど、私は二人への罪滅ぼしの気持でもあるんだ。この道を頑張った先で蓮に会えたら、ちゃんと笑って会えるような気がしてね。」
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そこまで伝え終わると私は顔を上げた。いまだにお墓参りで泣かずに帰れたことがない。いつかは泣かなくなるのかもしれないけど、今じゃなくていい。それが二人のぬくもりを忘れることになるなら。
墓地を抜けてバケツを返しに行く時にふと思った。蓮の墓地は今後どうなるんだろうか。もう維持費を払う人はいないし、霊園もずっと置いておいてくれるわけじゃないんだろう。もしその時が来たら、蓮の分だけは私が管理したいな。
霊園を後にするとき、もう一度だけ2人にまたねとあいさつした。次来るのがいつになるかはわからないけど、それでもまたね。二人がいなくなることはもうないから。
帰りのバスに乗るころにはいつの間にか夕暮れ時になっていた。大学から霊園までバスで来ても相当な距離があったからか、個人経営のお店は締まっているところも多かった。でも、私にとってはちょうどいい時間帯だった。
七夕の日の夜、私が毎年来る場所がある。蓮と彼方のお墓に行く事もできなかったときにもここにだけは来た。私にとって、そしてそれ以上に蓮にとって思い出深い場所。
病院のすぐ裏手にある草原。見渡す限り広い草原の一か所、この辺だったという場所に私は腰を下ろした。ちょうど空が闇に吸い込まれるように、蒼穹が世界を包み込み、徐々に星の姿が目に映った。
ギターを取り出して軽くチューニングしようとしたときだった。何かが私の手をつかんだんだ。
「やっと見つけたよ、光ちゃん」
「こんなところにいるとは」
振り返った先に立っていたのは、バンド仲間の二人だった。
「どうしてここに?」
私がそう尋ねると、二人は顔を見合わせて苦笑いしてから答えた。
「今日の光ちゃんの様子がいつもと違うから何かあるんだろうなぁとは思ってたんだよね。それに短冊のこともあるし。」
「それで二人で後をつけてみたらすぐにバスに乗ったから次のバスで追いかけようとしたけど、目的地がわからないから手当たり次第にいろんなところを探したよ。」
二人の姿を見て私はうれしくて泣きそうになった。さっき蓮に伝えた言葉を撤回したくなるほどに。
「本当にありがとう、二人とも。」
私が二人に言うと、二人は笑いながら首を振った。
「やるんでしょ、あの曲をここで」
「そのために一式持ってきた」
どうやらギターを見て察していたらしい。私も立ち上がってギターを担ぐと、三人で機械を設定した。そして私たちの十八番の曲を演奏する。この日のための曲
「星に願いを」
ギターを弾きながら私は一つだけ願い事をした。それは私が向こうに行くまで蓮と彼方が向こうで仲良く元気で幸せに暮らしていますように。天の川を流れる星が、壮大なこの蒼穹が、烈火のような流星が私の願いを届けてくれるように祈り続けた。
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ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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