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◆重なる点と線
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ここで雇っているアルバイトは大学生ばかりだ。
アキラは偶然だが、これまでアルバイトの学生が辞めるときは、右崎が頼まずとも代わりの学生を紹介してくれた。心得たように、バーテンダーのユニフォームが似合う、感じのいい若者を連れてくるので同じように可愛がっている。
右崎は今年で四十五歳になる。彼らくらいの息子がいてもおかしくはない。
とはいえ、彼らを弟のように思っても、我が子のようだと思ったことは一度もなかった。
独身であるし、恋人はいない。
ぶっちゃけ一夜限りの付き合いの女なら別だが、恋人と呼べる相手となると、かれこれもう二十年はいない。
随分前に結婚した経験はある。
ただ一度のその経験は、右崎の心に深い傷を残した。
右崎は女にモテる。大学の同級生や近所の女性や客などなど、四十を過ぎた今でも誘われるし、枚挙にいとまがない。優しげでスマートな風貌であるし、人柄も温厚。モテない理由はどこにもないのだ。
それでも恋人がいないわけは、彼がそのときの痛みをずっと引きずっているからかもしれない。
生涯にただ一度。
心から愛した元妻、
小夜――。
彼女はとても美しい女性だった。
綺麗で気ままで、哀しいほど右崎に執着しない冷たい女。どこまでも魅力的で右崎が恋焦がれた妻。
小夜と出会った場所はここだが、当時は右崎の祖父が営む平凡な『シャルール』という喫茶店だった。
今のように長いカウンターはなくて、軽食が作れるだけの小さなオープンキッチンで、四人がけの席もあり、通りに面するガラスは透明、中からも外からもよく見えた。
右崎はまだ大学生で、大学が休みになると店番をしていた。
それほど流行っていたわけじゃないから、客で混み合って忙しいわけでもない。パソコンを持ち込み暇つぶしに映画を見ながらという楽なバイトである。
その日、右崎はひとりで店番をしていた。
焼けつくように日差しが強い真夏で、あまりの暑さに通りを歩く人の姿もまばら。この調子じゃ永遠に客は来ないかもしれないな、などと思いつつ、アイスコーヒーを飲んだ。
そのアイスコーヒーも飲み終わるとだらしなく頬杖をつき、いっそ昼寝でもしてしまおうかと思ったときだった。
カランカランとドアベルが鳴り、白いパラソルをたたみながら入ってきたのは若い女性。
『いらっしゃいませ』
ハッとするような美人だった。
眠気が一気に吹き飛んだあの瞬間を今でも右崎はよく覚えている。
水色のノースリーブのワンピースが、抜けるような白い肌によく似合っていて、彼女以上にそのワンピースが似合う人はいないだろうと興奮したことも。
『おすすめは?』
注文を聞きに行くと彼女は、小さな紅い唇でそう言った。
彼女が開いていたメニューのページはドリンクではなく食事。右崎は唯一自分でも自信があった『ナポリタン』と答えた。
一目惚れだった。
まるで心を雷に打たれたようだった。胸を躍らせながらナポリタンを作った。
具はシンプルに薄く切った玉ねぎとソーセージにピーマン。そしてマッシュルーム。にんにくと赤唐辛子でオリーブオイルに風味をつけ、塩胡椒。ケチャップだけじゃなくトマトの水煮も少し入れる。仕上に生クリームを加えてできあがり。サービスにソーセージを多めに入れた。
『お待たせしました』
皿の上に視線を落とし、花が咲いたようにニッコリと笑みを浮かべた彼女。
フォークをくるくると回してナポリタンを絡め取り、ひと口、またひと口と味わうように口を動かして、彼女は、ゆっくりと右崎が作ったナポリタンを食べていた。
ナポリタンを食べる彼女を、右崎はずっと見ていた。
夏の午後。
長い髪を耳にかけた時に見えた細いうなじ。
カランと音を立てた、グラスの氷。
ジャズピアノの調べ。
最後は小さな赤い唇をチロリと舌で舐め、紙ナプキンで口もとを拭く彼女。
そのひとつひとつを、今でも鮮明に思い出すことができる。
まるで昨日のことのように……。
ふいに喉の奥が苦しくなり、右崎は口もとに手をあてた。
喉が辛そうにゴクリと音を立てる。
(ダメだ……)
想い出に浸ったところで、どうしようもない。
左右に首を振り、ふぅと息を吐いた右崎は、記憶の滓を流すようにコーヒーを一気に飲み干した。
だが彼はわかっている。
コーヒーごときで流れるくらいなら、いつまでもひとり身であるはずもない。
アキラは偶然だが、これまでアルバイトの学生が辞めるときは、右崎が頼まずとも代わりの学生を紹介してくれた。心得たように、バーテンダーのユニフォームが似合う、感じのいい若者を連れてくるので同じように可愛がっている。
右崎は今年で四十五歳になる。彼らくらいの息子がいてもおかしくはない。
とはいえ、彼らを弟のように思っても、我が子のようだと思ったことは一度もなかった。
独身であるし、恋人はいない。
ぶっちゃけ一夜限りの付き合いの女なら別だが、恋人と呼べる相手となると、かれこれもう二十年はいない。
随分前に結婚した経験はある。
ただ一度のその経験は、右崎の心に深い傷を残した。
右崎は女にモテる。大学の同級生や近所の女性や客などなど、四十を過ぎた今でも誘われるし、枚挙にいとまがない。優しげでスマートな風貌であるし、人柄も温厚。モテない理由はどこにもないのだ。
それでも恋人がいないわけは、彼がそのときの痛みをずっと引きずっているからかもしれない。
生涯にただ一度。
心から愛した元妻、
小夜――。
彼女はとても美しい女性だった。
綺麗で気ままで、哀しいほど右崎に執着しない冷たい女。どこまでも魅力的で右崎が恋焦がれた妻。
小夜と出会った場所はここだが、当時は右崎の祖父が営む平凡な『シャルール』という喫茶店だった。
今のように長いカウンターはなくて、軽食が作れるだけの小さなオープンキッチンで、四人がけの席もあり、通りに面するガラスは透明、中からも外からもよく見えた。
右崎はまだ大学生で、大学が休みになると店番をしていた。
それほど流行っていたわけじゃないから、客で混み合って忙しいわけでもない。パソコンを持ち込み暇つぶしに映画を見ながらという楽なバイトである。
その日、右崎はひとりで店番をしていた。
焼けつくように日差しが強い真夏で、あまりの暑さに通りを歩く人の姿もまばら。この調子じゃ永遠に客は来ないかもしれないな、などと思いつつ、アイスコーヒーを飲んだ。
そのアイスコーヒーも飲み終わるとだらしなく頬杖をつき、いっそ昼寝でもしてしまおうかと思ったときだった。
カランカランとドアベルが鳴り、白いパラソルをたたみながら入ってきたのは若い女性。
『いらっしゃいませ』
ハッとするような美人だった。
眠気が一気に吹き飛んだあの瞬間を今でも右崎はよく覚えている。
水色のノースリーブのワンピースが、抜けるような白い肌によく似合っていて、彼女以上にそのワンピースが似合う人はいないだろうと興奮したことも。
『おすすめは?』
注文を聞きに行くと彼女は、小さな紅い唇でそう言った。
彼女が開いていたメニューのページはドリンクではなく食事。右崎は唯一自分でも自信があった『ナポリタン』と答えた。
一目惚れだった。
まるで心を雷に打たれたようだった。胸を躍らせながらナポリタンを作った。
具はシンプルに薄く切った玉ねぎとソーセージにピーマン。そしてマッシュルーム。にんにくと赤唐辛子でオリーブオイルに風味をつけ、塩胡椒。ケチャップだけじゃなくトマトの水煮も少し入れる。仕上に生クリームを加えてできあがり。サービスにソーセージを多めに入れた。
『お待たせしました』
皿の上に視線を落とし、花が咲いたようにニッコリと笑みを浮かべた彼女。
フォークをくるくると回してナポリタンを絡め取り、ひと口、またひと口と味わうように口を動かして、彼女は、ゆっくりと右崎が作ったナポリタンを食べていた。
ナポリタンを食べる彼女を、右崎はずっと見ていた。
夏の午後。
長い髪を耳にかけた時に見えた細いうなじ。
カランと音を立てた、グラスの氷。
ジャズピアノの調べ。
最後は小さな赤い唇をチロリと舌で舐め、紙ナプキンで口もとを拭く彼女。
そのひとつひとつを、今でも鮮明に思い出すことができる。
まるで昨日のことのように……。
ふいに喉の奥が苦しくなり、右崎は口もとに手をあてた。
喉が辛そうにゴクリと音を立てる。
(ダメだ……)
想い出に浸ったところで、どうしようもない。
左右に首を振り、ふぅと息を吐いた右崎は、記憶の滓を流すようにコーヒーを一気に飲み干した。
だが彼はわかっている。
コーヒーごときで流れるくらいなら、いつまでもひとり身であるはずもない。
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