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1.嘘と秘密の誘惑
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一生に一度くらい冒険をしてみようと思った。
「猫耳彼女、かわいいねー、一緒に写真撮ろうよぉ」
「ごめんなさい、急いでるの」
ゾンビ、アニメノキャラクター、バニーガール。仮装した人々とそれを見る野次馬でひしめき合うメイン通りを抜け、私が向かうのは、とある高級ホテルのバー。
どうせなら紳士がいい。
遊び慣れていて、最高の一夜をくれる好きな大人の男性。
今夜のために何度も練習した。目尻で跳ね上がるアイラインにフサフサのつけまつげ。ボブカットのウイッグに、薄茶のカラーコンタクト。猫耳のカチューシャ。片足が根元まで露わになっているスカートから覗く紅いレースのガーターリング。どこにも漏れはない。
コスプレのテーマは小悪魔な黒猫。ちょっと発情期を迎えていて、ワンナイトラブの素敵な相手を捜しているところ。
エレベーターに乗ると、後ろから血だらけのナースや天狗が乗ってきた。
今日はハロウィン。
心に潜む背徳の熱が、鎌首をもたげて非日常の夜に酔う。
私も同じ。揺らめく劣情を仮装に変えてここに来た。
エレベーターを降りるとそこはすでに仮装した人々であふれている。時折向けられる好奇の視線に気付かぬふりをして、緊張を悟られないようにまっすぐ前を向いて歩く。
相手は慎重に選ばなきゃ。
とりあえず向かうのはバーカウンター。喉を潤すアルコールの力を借りて、来るべき時を待つのだ。
ゾンビになった科学者のようなバーテンさんが、メニューを差し出した。
「通常のメニューとは別に、こちらは本日の特別メニューでございます」
黒い紙には、どんなものなのか想像つかない怪しげなネーミングが並んでいる。
ヴァンパイアの涙、伯爵令嬢の秘密――。
そのなかで、ふと目を惹いた名前を指さした。
「これを」
"シンデレラの媚薬"
「かしこまりました」
本物だったらいいのにと思いながら、大きく深呼吸をする。
ここまでは予定通り。
耳につけたガラスのかぼちゃを指先で転がしながら、暴れる心臓に落ち着いてと言い聞かせる。三十分ここにいて、素敵な人が現れなければ帰ればいい。
これから先は、心が動いた時だけで。
私は今夜、想い出を作りに来た。
なんの時めきもなかった平凡な人生に、たったひとつでいい、鮮やかな一輪の薔薇のような想い出をくれるような男性が現れるのを願って、真っ赤に染めた爪を見つめる。
「お待たせしました」とバーテンが差し出したグラスは足の高い三角形のグラスだった。
媚薬と名がつくのだから、毒々しいほどに鮮やかな色をしたカクテルだろうと思ったら、そんなことはなくて。シンデレラでもうっかり飲んでしまうような、黄金に輝く液体であることが妙にリアルだ。
このカクテルが、力をくれますように。
そんな祈るような気持ちを胸に、グラスに唇をつける。
焼け付くような熱を残しながら、喉を流れ落ちていく甘い液体に思わず目を閉じた時だった。
「美味しいですか?」
すぐ隣から聞こえた声に、ハッとして振り返ると、背の高い男性が私を見下ろしていた。
ニヤリと口角をあげる彼はヴァンパイアらしい。
襟が高く、内側が真っ赤な黒いマントを羽織っている。
「そのカクテルは」
「あ。……はい。甘くて美味しいです」
「それはなんと言う名前の?」
「これはシンデレラの」とそこまで声に出して、途端に恥ずかしくなり口ごもる。
メニューを見て、彼はクスッと笑う。
「なるほど、これか。危険な名前ですね」
整髪剤で全体的に後ろに流している髪が一筋ひたいに落ちている。切れ長の瞳から目が離せないほど、魅惑的な横顔だった。
お決まりですかとバーテンに聞かれて、彼が答えたカクテルの名前は、後ろの客の大きな笑い声に紛れてしまった。
「なにを頼んだんですか?」
「"闇夜の涙"です。さあ、どんなカクテルがくるでしょう」
「楽しみですね」と答えた時には、もう心は決めていたと思う。
だから足を組み替えた時、スリットから赤いレースのガーダーバンドをつけた太腿が大きく露わになっても、スカートを直したりはしなかった。
それどころか、誘っていると気づいてほしいとさえ願った。
ひとり?と聞かれうなずいて、あなたも?と聞き、彼が首を縦に振るのを見て。
お互いの仮装を褒めあいながら、二杯目のカクテルが空になりかけたとき。ふいに声を落とした彼が「三杯目は部屋でどうですか?」とささやいた。
私はうなずきながら、震える指先を彼の膝に置き。
誰もいないエレベーターで燃えるようなファーストキスを経験し、向かった部屋がスイートルームだったときには、あぁ夢は叶ったと思った。
神さまがくれたハロウィンのプレゼント。これから一生、心の中で宝石のように輝き続ける記憶のカケラを授けてくださったんだと――。
それなのに。
部屋に入るなり、彼は本物のヴァンパイアのように豹変した。
ベッドの上に放り出すように私を倒したあと、氷のように冷たい瞳で薄く微笑んだ彼は、上着を脱ぎ棄てて馬乗りになった。
私はもう一瞬で顔面が蒼白になった。
しまったと思ったときはもう遅い。
「や、やめて!」
恐怖に震え叫びながら暴れようにも、私の手首を掴んだ男の手はビクともしない。
「お前、男を知らないだろう」
剥き出しになった彼の左肩には、あろうことか禍々しい入れ墨がある。
夢なんて現実には起きなかった。ちょっと変装して都会に来てみたからって、神様のプレゼントなんて転がり落ちてはいないのだ。
「これでわかったか? 自分がしていることが」
バカな私の思惑をせせら笑うように、ベッドサイドの向こうにはキラキラ輝く夜景が滲んで見えた。
「物欲しそうな顔をしてあんなところにいたら、こうなるんだよ」
「猫耳彼女、かわいいねー、一緒に写真撮ろうよぉ」
「ごめんなさい、急いでるの」
ゾンビ、アニメノキャラクター、バニーガール。仮装した人々とそれを見る野次馬でひしめき合うメイン通りを抜け、私が向かうのは、とある高級ホテルのバー。
どうせなら紳士がいい。
遊び慣れていて、最高の一夜をくれる好きな大人の男性。
今夜のために何度も練習した。目尻で跳ね上がるアイラインにフサフサのつけまつげ。ボブカットのウイッグに、薄茶のカラーコンタクト。猫耳のカチューシャ。片足が根元まで露わになっているスカートから覗く紅いレースのガーターリング。どこにも漏れはない。
コスプレのテーマは小悪魔な黒猫。ちょっと発情期を迎えていて、ワンナイトラブの素敵な相手を捜しているところ。
エレベーターに乗ると、後ろから血だらけのナースや天狗が乗ってきた。
今日はハロウィン。
心に潜む背徳の熱が、鎌首をもたげて非日常の夜に酔う。
私も同じ。揺らめく劣情を仮装に変えてここに来た。
エレベーターを降りるとそこはすでに仮装した人々であふれている。時折向けられる好奇の視線に気付かぬふりをして、緊張を悟られないようにまっすぐ前を向いて歩く。
相手は慎重に選ばなきゃ。
とりあえず向かうのはバーカウンター。喉を潤すアルコールの力を借りて、来るべき時を待つのだ。
ゾンビになった科学者のようなバーテンさんが、メニューを差し出した。
「通常のメニューとは別に、こちらは本日の特別メニューでございます」
黒い紙には、どんなものなのか想像つかない怪しげなネーミングが並んでいる。
ヴァンパイアの涙、伯爵令嬢の秘密――。
そのなかで、ふと目を惹いた名前を指さした。
「これを」
"シンデレラの媚薬"
「かしこまりました」
本物だったらいいのにと思いながら、大きく深呼吸をする。
ここまでは予定通り。
耳につけたガラスのかぼちゃを指先で転がしながら、暴れる心臓に落ち着いてと言い聞かせる。三十分ここにいて、素敵な人が現れなければ帰ればいい。
これから先は、心が動いた時だけで。
私は今夜、想い出を作りに来た。
なんの時めきもなかった平凡な人生に、たったひとつでいい、鮮やかな一輪の薔薇のような想い出をくれるような男性が現れるのを願って、真っ赤に染めた爪を見つめる。
「お待たせしました」とバーテンが差し出したグラスは足の高い三角形のグラスだった。
媚薬と名がつくのだから、毒々しいほどに鮮やかな色をしたカクテルだろうと思ったら、そんなことはなくて。シンデレラでもうっかり飲んでしまうような、黄金に輝く液体であることが妙にリアルだ。
このカクテルが、力をくれますように。
そんな祈るような気持ちを胸に、グラスに唇をつける。
焼け付くような熱を残しながら、喉を流れ落ちていく甘い液体に思わず目を閉じた時だった。
「美味しいですか?」
すぐ隣から聞こえた声に、ハッとして振り返ると、背の高い男性が私を見下ろしていた。
ニヤリと口角をあげる彼はヴァンパイアらしい。
襟が高く、内側が真っ赤な黒いマントを羽織っている。
「そのカクテルは」
「あ。……はい。甘くて美味しいです」
「それはなんと言う名前の?」
「これはシンデレラの」とそこまで声に出して、途端に恥ずかしくなり口ごもる。
メニューを見て、彼はクスッと笑う。
「なるほど、これか。危険な名前ですね」
整髪剤で全体的に後ろに流している髪が一筋ひたいに落ちている。切れ長の瞳から目が離せないほど、魅惑的な横顔だった。
お決まりですかとバーテンに聞かれて、彼が答えたカクテルの名前は、後ろの客の大きな笑い声に紛れてしまった。
「なにを頼んだんですか?」
「"闇夜の涙"です。さあ、どんなカクテルがくるでしょう」
「楽しみですね」と答えた時には、もう心は決めていたと思う。
だから足を組み替えた時、スリットから赤いレースのガーダーバンドをつけた太腿が大きく露わになっても、スカートを直したりはしなかった。
それどころか、誘っていると気づいてほしいとさえ願った。
ひとり?と聞かれうなずいて、あなたも?と聞き、彼が首を縦に振るのを見て。
お互いの仮装を褒めあいながら、二杯目のカクテルが空になりかけたとき。ふいに声を落とした彼が「三杯目は部屋でどうですか?」とささやいた。
私はうなずきながら、震える指先を彼の膝に置き。
誰もいないエレベーターで燃えるようなファーストキスを経験し、向かった部屋がスイートルームだったときには、あぁ夢は叶ったと思った。
神さまがくれたハロウィンのプレゼント。これから一生、心の中で宝石のように輝き続ける記憶のカケラを授けてくださったんだと――。
それなのに。
部屋に入るなり、彼は本物のヴァンパイアのように豹変した。
ベッドの上に放り出すように私を倒したあと、氷のように冷たい瞳で薄く微笑んだ彼は、上着を脱ぎ棄てて馬乗りになった。
私はもう一瞬で顔面が蒼白になった。
しまったと思ったときはもう遅い。
「や、やめて!」
恐怖に震え叫びながら暴れようにも、私の手首を掴んだ男の手はビクともしない。
「お前、男を知らないだろう」
剥き出しになった彼の左肩には、あろうことか禍々しい入れ墨がある。
夢なんて現実には起きなかった。ちょっと変装して都会に来てみたからって、神様のプレゼントなんて転がり落ちてはいないのだ。
「これでわかったか? 自分がしていることが」
バカな私の思惑をせせら笑うように、ベッドサイドの向こうにはキラキラ輝く夜景が滲んで見えた。
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