3 / 81
1.嘘と秘密の誘惑
3
昨夜、悟さんから直接電話があった。
会って話がしたいと言われたけれど、それは丁重にお断りした。
『本当にすみません。彼女とは、別れたつもりだったんですが』
『大丈夫ですよ、婚約したわけでもないですし、気にしないでくださいね』
母から聞いた話によると、悟さんの両親が相手の女性を気に入らなくて、前々から反対していたらしいとか。
人の好みは色々だなあとしみじみと思う。私は彼と指先が触れるだけでも嫌悪感しかなかったのに、彼にはちゃんとそういう恋人がいたのだから。
まあよかったんじゃないのかな。
生まれてくる赤ちゃんのためにも、どうぞお幸せにと思う気持ちに嘘はない。悟さんのご両親だってかわいい孫を見ればきっと気持ちが変わるだろう。悟さんは非難されるかもしれないけれど、それは一時的なもの。彼らには祝福が待っている。
そっちの話はもういいとして、問題は私のほう。
悟さんを好きではなかったし、どうせ断るつもりでいたというのは、私だけが知る気持ち。他人からすれば、森村小恋は結婚相手に逃げられたかわいそうな女だ。
父をはじめとして家族全員ものすごい勢いで怒ってしまうし、紹介してくれた仲人さんは駆けつけて来るしで、とにかく昨夜は大変だった。
本人の私が破談になって良かったって言っているのに、そんな簡単な話じゃないと騒ぐ。
まぁそれでも家族はそれでいいとして、問題は……。
車を降りた途端、いやな予感はさっそく形になって表れた。
「小恋ちゃん、小恋ちゃん」
竹箒を手にした掃除のおばちゃんが、待ち構えたように手招きしながら小走りにやってくる。
「ひどい目にあったねぇ」
「え?」
「まだ若いんだから、気にしないで! いい人紹介するから」
「あ、あはは」
おばちゃんは元気だしなよと言いながらバシバシと私の背中を叩いて、持ち場に戻っていった。
恐るべし田舎の情報網。断りの電話があったのは昨日の話である。それなのにもう伝わっているとは。
早い、早すぎるでしょ?
お見合いをした時もそうだった。週明けには何故か皆知っていて、上司は結婚後も仕事は続けるかと聞いてきたし、先輩たちは結婚式の話で盛り上がっていた。掃除のおばちゃんが知っているということは、今回の破談も皆知っているに違いない。
まいったなぁ。
「おはよ、小恋」
「おはよ、ユメちゃん」
「大変だったみたいね。すっかり噂になってるよ」
予想通りの展開にガッカリするやら呆れるやら。
「これだから田舎は。ほんとやだ。で、どうだったの?」
そう言って、私以上にうんざりしたように顔をしかめるのは、パートで来ている幼馴染のユメちゃんだ。
「もう、やんなっちゃったよ。お祖母ちゃんは『傷モノにされちまって、もう嫁の貰い手がない』とか言い出すし。傷モノって酷くない? 手も握ってないのにぃ」
「小恋さぁ、もういっそこの町離れたら?」
「ええ?」
「つまんない町でも、私は旦那がいるから平気だけど。でも小恋はさ、なんだかんだいっても冒険したくなっちゃうくらい、ここでの生活がつまんないわけでしょ? 出るなら今じゃない?」
中学生の頃からやんちゃだったユメちゃんは、高校卒業して間もなく、同じくやんちゃだった旦那さんと結婚した。いまでもラブラブで、既に二児の母である。
「出るって、この町を?」
「いっそ東京でも行ってさ、本気の恋、探しておいでよ」
ユメちゃんは、小声で「仮初めの恋じゃなくて」と付け加える。というのも、彼女だけが私のハロウィンの冒険を知っているのだ。
「わかったでしょ? 小恋はね、実は燃える情熱を秘めた女なのよ。このままおとなしくお見合いで結婚できるわけがないって」
「そんなことないよぉ」
「まだ言ってる。そういう子はね、そもそも危険な冒険なんか、し・な・い」
うっ……。さすがに親友、痛いところを突いてくる。
「いいじゃん。ワクワクして傷ついて、明日が楽しみになるような恋。してきなよ。まだ二十四歳なんだからさ。燃やせ恋の炎」
まだ二十四歳。そう言われると少しホッとする。
転勤で九州にいる兄も『焦って見合いする歳でもないだろう?』と電話で慰めてくれた。
『まあ母さんもお前を心配してるんだろうけどさ』
そうなんだよね。
母だって何も私をただ嫁に行けと責めているわけじゃない。のんびり構えている私の将来を心配して言ってくれている。
自分でも納得したからお見合いをしたんだもの、母を責めるつもりはない。
ただ、思った通りにはいかなかっただけだ。
自分でもわかっている。私、本当は結婚じゃなくて恋がしたい。
恋愛映画みたいに、胸を焦がす恋をしたいんだ。
「はぁ……。でもユメちゃん、燃え尽きたらどうしよう」
ユメちゃんはけらけらと笑う。
「あはは、灰になった時は、私が拾ってあげるから心配ご無用」
そうは言ってもねぇ。
一夜の冒険ならいざ知らず、実際暮らすとなると住む家とか仕事とか経済的な問題が出てくる。引っ越しやその準備をするくらいの貯金はあるけれど。果たして簡単に仕事は見つかるのか。
現実はいつだって、甘くはない。
さあてどうしたものかと、悶々と悩むうちに一週間が過ぎた頃。
一本の救いのメッセージが入った。
『大変だったみたいね。小恋。いっそ、こっちに来ない? 仕事もあるわよ?』
都内に住む叔母からの誘いである。
興奮で、喉の奥がゴクリと音を立てた。
行こうかな、東京へ。
恋を探しに。
会って話がしたいと言われたけれど、それは丁重にお断りした。
『本当にすみません。彼女とは、別れたつもりだったんですが』
『大丈夫ですよ、婚約したわけでもないですし、気にしないでくださいね』
母から聞いた話によると、悟さんの両親が相手の女性を気に入らなくて、前々から反対していたらしいとか。
人の好みは色々だなあとしみじみと思う。私は彼と指先が触れるだけでも嫌悪感しかなかったのに、彼にはちゃんとそういう恋人がいたのだから。
まあよかったんじゃないのかな。
生まれてくる赤ちゃんのためにも、どうぞお幸せにと思う気持ちに嘘はない。悟さんのご両親だってかわいい孫を見ればきっと気持ちが変わるだろう。悟さんは非難されるかもしれないけれど、それは一時的なもの。彼らには祝福が待っている。
そっちの話はもういいとして、問題は私のほう。
悟さんを好きではなかったし、どうせ断るつもりでいたというのは、私だけが知る気持ち。他人からすれば、森村小恋は結婚相手に逃げられたかわいそうな女だ。
父をはじめとして家族全員ものすごい勢いで怒ってしまうし、紹介してくれた仲人さんは駆けつけて来るしで、とにかく昨夜は大変だった。
本人の私が破談になって良かったって言っているのに、そんな簡単な話じゃないと騒ぐ。
まぁそれでも家族はそれでいいとして、問題は……。
車を降りた途端、いやな予感はさっそく形になって表れた。
「小恋ちゃん、小恋ちゃん」
竹箒を手にした掃除のおばちゃんが、待ち構えたように手招きしながら小走りにやってくる。
「ひどい目にあったねぇ」
「え?」
「まだ若いんだから、気にしないで! いい人紹介するから」
「あ、あはは」
おばちゃんは元気だしなよと言いながらバシバシと私の背中を叩いて、持ち場に戻っていった。
恐るべし田舎の情報網。断りの電話があったのは昨日の話である。それなのにもう伝わっているとは。
早い、早すぎるでしょ?
お見合いをした時もそうだった。週明けには何故か皆知っていて、上司は結婚後も仕事は続けるかと聞いてきたし、先輩たちは結婚式の話で盛り上がっていた。掃除のおばちゃんが知っているということは、今回の破談も皆知っているに違いない。
まいったなぁ。
「おはよ、小恋」
「おはよ、ユメちゃん」
「大変だったみたいね。すっかり噂になってるよ」
予想通りの展開にガッカリするやら呆れるやら。
「これだから田舎は。ほんとやだ。で、どうだったの?」
そう言って、私以上にうんざりしたように顔をしかめるのは、パートで来ている幼馴染のユメちゃんだ。
「もう、やんなっちゃったよ。お祖母ちゃんは『傷モノにされちまって、もう嫁の貰い手がない』とか言い出すし。傷モノって酷くない? 手も握ってないのにぃ」
「小恋さぁ、もういっそこの町離れたら?」
「ええ?」
「つまんない町でも、私は旦那がいるから平気だけど。でも小恋はさ、なんだかんだいっても冒険したくなっちゃうくらい、ここでの生活がつまんないわけでしょ? 出るなら今じゃない?」
中学生の頃からやんちゃだったユメちゃんは、高校卒業して間もなく、同じくやんちゃだった旦那さんと結婚した。いまでもラブラブで、既に二児の母である。
「出るって、この町を?」
「いっそ東京でも行ってさ、本気の恋、探しておいでよ」
ユメちゃんは、小声で「仮初めの恋じゃなくて」と付け加える。というのも、彼女だけが私のハロウィンの冒険を知っているのだ。
「わかったでしょ? 小恋はね、実は燃える情熱を秘めた女なのよ。このままおとなしくお見合いで結婚できるわけがないって」
「そんなことないよぉ」
「まだ言ってる。そういう子はね、そもそも危険な冒険なんか、し・な・い」
うっ……。さすがに親友、痛いところを突いてくる。
「いいじゃん。ワクワクして傷ついて、明日が楽しみになるような恋。してきなよ。まだ二十四歳なんだからさ。燃やせ恋の炎」
まだ二十四歳。そう言われると少しホッとする。
転勤で九州にいる兄も『焦って見合いする歳でもないだろう?』と電話で慰めてくれた。
『まあ母さんもお前を心配してるんだろうけどさ』
そうなんだよね。
母だって何も私をただ嫁に行けと責めているわけじゃない。のんびり構えている私の将来を心配して言ってくれている。
自分でも納得したからお見合いをしたんだもの、母を責めるつもりはない。
ただ、思った通りにはいかなかっただけだ。
自分でもわかっている。私、本当は結婚じゃなくて恋がしたい。
恋愛映画みたいに、胸を焦がす恋をしたいんだ。
「はぁ……。でもユメちゃん、燃え尽きたらどうしよう」
ユメちゃんはけらけらと笑う。
「あはは、灰になった時は、私が拾ってあげるから心配ご無用」
そうは言ってもねぇ。
一夜の冒険ならいざ知らず、実際暮らすとなると住む家とか仕事とか経済的な問題が出てくる。引っ越しやその準備をするくらいの貯金はあるけれど。果たして簡単に仕事は見つかるのか。
現実はいつだって、甘くはない。
さあてどうしたものかと、悶々と悩むうちに一週間が過ぎた頃。
一本の救いのメッセージが入った。
『大変だったみたいね。小恋。いっそ、こっちに来ない? 仕事もあるわよ?』
都内に住む叔母からの誘いである。
興奮で、喉の奥がゴクリと音を立てた。
行こうかな、東京へ。
恋を探しに。
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。