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2.夢のTOKIO
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そんなある日。
ダイニングテーブルの上に、赤い包み紙の小さな箱とメモが一枚置いてあった。
【花、ありがとう。これはお礼です。 龍崎】
箱を開けると美味しそうなチョコレートが入っていた。
「うわー。美味しそう」
白いスイートピーを少しだけ、テーブルの上に飾ったお礼らしい。
よかった。もしかすると、気に入ってくれたのかも?
顔も知らない龍崎さんは、食事をする時この花に目を向けるのかなと考えるのは楽しかった。
どんな表情でこの花を見るのだろう。
少しでもホッとしてくれるといいなと思うけれど。
私の知る龍崎さんは、スーツに残る微かな香水の香りと、洗濯物から想像できる体型くらい。
役員だからそんなに若くはないはずだけれど、上でも四十代。たぶんもう少し下だと思う。
カジュアルなスキニーパンツや、ブランド物のグレーのシャツ。ランニングのためと思われるフード付きのスポーツウェア。彼は黒い服を好み、おしゃれな人だ。
スラリと背が高い。クリーニングに出すスーツのスラックスを自分の脚にあててみたら、私よりずっとずっと脚が長いこともわかった。
食べ物の好き嫌いはないらしい。作り置きしたものはなんでも食べきってくれて、タッパーウェアや食器がそのままになっていることはなく、食洗器で洗ってある清潔好きの素敵な人。
チョコレートをくれたときのメモを見ながら思った。
龍崎さんはきっと、優しい人だわ。
***
あ。クロッカス。
買い物途中、路地の庭先で咲く、白と紫のクロッカスの花を見つけた。
クリスマスローズ、梅、水仙。少しずつ見かける花が増えていく。春はもうすぐだ。
山も畑もなくてビルが立ち並ぶ都会は、探さないと季節を見つけられないけれど、その代わりに違う方法で、いまがどういう時期なのか教えてくる。
二月はバレンタイン。
甘い香り、ポップな飾りつけ、流れるラブソング。思わず手に取りたくなるかわいいハートのグッズ。私の五感をチクチクと刺激する。
もちろん自分には買う。心配かけちゃったお詫びに、お父さんとお祖父ちゃん、それからお兄ちゃんにも送ってあげよう。アキラ叔父さんと実彩子ちゃん。
そして私の雇い主、龍崎さん。
小さいものならいいよね?
さんざん悩んで、トリュフが三つ入っただけの、超がつくほど高級なチョコレートを選んだ。高級でも箱は小さいから、押しつけがましくはならないはず。
そしてバレンタイン当日。
ダイニングテーブルの上にチョコレートが入った赤いリボンの箱を置いた。
『森村です。コーヒーのお供にどうぞ』
「ふふ」
今日はバレンタインだから、龍崎さんの帰りは遅いかも。
でも食事はいらないというメモはなかったので、帰ってきてからひとりで食べるはず。ゼネコンの役員で若くて、背が高くて。こんな高級なマンションに住むような人なんだもの、モテないはずはないのに。平日だからデートじゃないのかな?
龍崎さんの部屋には、びっくりするほど女性の陰がない。
カップがたくさん食洗器に入っているとか、宅配ピザの箱がいくつも入ったごみ袋があったりするから、お客さんは来たりするらしいのに。長い髪が落ちていたりはしない。
部屋に女性を呼ぶのは嫌いなのだろうか。
入ってはいけない秘密の部屋に、その痕跡があるのかもしれないけれど、ちょっと不思議だ。
もしかしたらここは、仮の住まいかもしれないとも思ったりした。本当の家が他にあるとしたら、色々と納得できる。週末は自宅のほうに帰っているのかもしれない。
ある日突然この部屋から龍崎さんがいなくなったらどうしよう。それじゃ困る。
どうか末永く私を雇ってくださいますように、そう念じながら床をキュッキュと磨き上げた。
掃除の次は料理。今日メニューはバレンタインを意識して、いつもの家庭料理とはちょっと違う。チキンのホワイトシチューにパイ生地を被せて焼いたパイシチューに、エビピラフ。サラダ。シチューの人参はハートの形にしてみた。ふふ、いい感じ。
「よっし。完成」
時計を見ると六時十分。
気合を入れたせいか、ついつい時間が過ぎてしまった。六時までに部屋を出る約束なので、十分オーバーになる。普段から帰宅の遅い龍崎さんと出くわす心配はないけれど、約束は約束だ。荷物をまとめて玄関で靴を履こうとすると、カチャっと鍵を開ける音がした。
「えっ?」
うそ! ど、どうしよう。
慌てて靴を持って駆け戻り、飛び込んだのは寝室。
玄関ドアが開く音と共に、話し声が聞こえてくる。
「ああ。大丈夫だ」
話し相手の声は聞こえないので、電話なのだろう。
「赤ん坊は順調なのか?」
内容からして電話の相手は奥さんだろうか。赤ちゃんが順調って、妊娠しているってこと?
あっ――。
そういえば私、どうして隠れちゃったんだろう。
考えてみれば、ちょっと約束の時間を過ぎてしまっただけだ。泥棒じゃあるまいし、こそこそ隠れるなんてどうかしてる。
このままじゃ怪しい人だし、こっそり帰るわけにもいかないし。自分から声をかけなきゃ。
龍崎さんが電話を切ったタイミングで声をかけよう。自己紹介すればいいんだ。
大きく深呼吸をして、気持ちを整える。
間もなく「ああ、わかった。じゃあな」と声がして足音が止まった。
カチャ
ひえっ! 寄りによって寝室に?
キツく目をつぶって、下げられるだけ頭を下げた。
「す、すみませんっ! か、家政婦の森村小恋ですっ!」
「ああ……。家政婦さん、ね」
恐る恐る目を開けると、龍崎さんの足元が見えた。
革のスリッパ。黒っぽいスーツのスラックス。
「どうぞ顔を上げてください。突然帰ってきて驚きましたよね」
低く穏やかな声が、頭の上から降ってくる。
「今日は珍しく仕事が早く終わったもので」
声の調子からすると怒ってはいないようだ。
少し安心して、ゴクリと喉を鳴らしながらゆっくりと顔を上げていった。
想像とおりの長い脚を視線で這う。
腰の位置が私のお腹くらい。上着の前ボタンは開いていてネクタイは濃いグレーで少し光沢があって。
腰に当てた手。長い指に手の甲に浮き出た血管が妙に気持ちをざわつかせ、スーツを着ていてもわかる逞しい胸板が見えてとれた。
次は顔、もうドキドキが止まらない。
ふいにその右手が動いて、握手を求めるように私に差し出された。
「龍崎です。はじめまして」
「あ、森村です。はじめま……」
慌てて右手を差し出しながら、さらに顔を上げると。息が止まった。
――え?
こ、この人は。
奥二重の切れ長な瞳、通った鼻筋にシャープな顎のライン。
あの時のヴァンパイア?!
ダイニングテーブルの上に、赤い包み紙の小さな箱とメモが一枚置いてあった。
【花、ありがとう。これはお礼です。 龍崎】
箱を開けると美味しそうなチョコレートが入っていた。
「うわー。美味しそう」
白いスイートピーを少しだけ、テーブルの上に飾ったお礼らしい。
よかった。もしかすると、気に入ってくれたのかも?
顔も知らない龍崎さんは、食事をする時この花に目を向けるのかなと考えるのは楽しかった。
どんな表情でこの花を見るのだろう。
少しでもホッとしてくれるといいなと思うけれど。
私の知る龍崎さんは、スーツに残る微かな香水の香りと、洗濯物から想像できる体型くらい。
役員だからそんなに若くはないはずだけれど、上でも四十代。たぶんもう少し下だと思う。
カジュアルなスキニーパンツや、ブランド物のグレーのシャツ。ランニングのためと思われるフード付きのスポーツウェア。彼は黒い服を好み、おしゃれな人だ。
スラリと背が高い。クリーニングに出すスーツのスラックスを自分の脚にあててみたら、私よりずっとずっと脚が長いこともわかった。
食べ物の好き嫌いはないらしい。作り置きしたものはなんでも食べきってくれて、タッパーウェアや食器がそのままになっていることはなく、食洗器で洗ってある清潔好きの素敵な人。
チョコレートをくれたときのメモを見ながら思った。
龍崎さんはきっと、優しい人だわ。
***
あ。クロッカス。
買い物途中、路地の庭先で咲く、白と紫のクロッカスの花を見つけた。
クリスマスローズ、梅、水仙。少しずつ見かける花が増えていく。春はもうすぐだ。
山も畑もなくてビルが立ち並ぶ都会は、探さないと季節を見つけられないけれど、その代わりに違う方法で、いまがどういう時期なのか教えてくる。
二月はバレンタイン。
甘い香り、ポップな飾りつけ、流れるラブソング。思わず手に取りたくなるかわいいハートのグッズ。私の五感をチクチクと刺激する。
もちろん自分には買う。心配かけちゃったお詫びに、お父さんとお祖父ちゃん、それからお兄ちゃんにも送ってあげよう。アキラ叔父さんと実彩子ちゃん。
そして私の雇い主、龍崎さん。
小さいものならいいよね?
さんざん悩んで、トリュフが三つ入っただけの、超がつくほど高級なチョコレートを選んだ。高級でも箱は小さいから、押しつけがましくはならないはず。
そしてバレンタイン当日。
ダイニングテーブルの上にチョコレートが入った赤いリボンの箱を置いた。
『森村です。コーヒーのお供にどうぞ』
「ふふ」
今日はバレンタインだから、龍崎さんの帰りは遅いかも。
でも食事はいらないというメモはなかったので、帰ってきてからひとりで食べるはず。ゼネコンの役員で若くて、背が高くて。こんな高級なマンションに住むような人なんだもの、モテないはずはないのに。平日だからデートじゃないのかな?
龍崎さんの部屋には、びっくりするほど女性の陰がない。
カップがたくさん食洗器に入っているとか、宅配ピザの箱がいくつも入ったごみ袋があったりするから、お客さんは来たりするらしいのに。長い髪が落ちていたりはしない。
部屋に女性を呼ぶのは嫌いなのだろうか。
入ってはいけない秘密の部屋に、その痕跡があるのかもしれないけれど、ちょっと不思議だ。
もしかしたらここは、仮の住まいかもしれないとも思ったりした。本当の家が他にあるとしたら、色々と納得できる。週末は自宅のほうに帰っているのかもしれない。
ある日突然この部屋から龍崎さんがいなくなったらどうしよう。それじゃ困る。
どうか末永く私を雇ってくださいますように、そう念じながら床をキュッキュと磨き上げた。
掃除の次は料理。今日メニューはバレンタインを意識して、いつもの家庭料理とはちょっと違う。チキンのホワイトシチューにパイ生地を被せて焼いたパイシチューに、エビピラフ。サラダ。シチューの人参はハートの形にしてみた。ふふ、いい感じ。
「よっし。完成」
時計を見ると六時十分。
気合を入れたせいか、ついつい時間が過ぎてしまった。六時までに部屋を出る約束なので、十分オーバーになる。普段から帰宅の遅い龍崎さんと出くわす心配はないけれど、約束は約束だ。荷物をまとめて玄関で靴を履こうとすると、カチャっと鍵を開ける音がした。
「えっ?」
うそ! ど、どうしよう。
慌てて靴を持って駆け戻り、飛び込んだのは寝室。
玄関ドアが開く音と共に、話し声が聞こえてくる。
「ああ。大丈夫だ」
話し相手の声は聞こえないので、電話なのだろう。
「赤ん坊は順調なのか?」
内容からして電話の相手は奥さんだろうか。赤ちゃんが順調って、妊娠しているってこと?
あっ――。
そういえば私、どうして隠れちゃったんだろう。
考えてみれば、ちょっと約束の時間を過ぎてしまっただけだ。泥棒じゃあるまいし、こそこそ隠れるなんてどうかしてる。
このままじゃ怪しい人だし、こっそり帰るわけにもいかないし。自分から声をかけなきゃ。
龍崎さんが電話を切ったタイミングで声をかけよう。自己紹介すればいいんだ。
大きく深呼吸をして、気持ちを整える。
間もなく「ああ、わかった。じゃあな」と声がして足音が止まった。
カチャ
ひえっ! 寄りによって寝室に?
キツく目をつぶって、下げられるだけ頭を下げた。
「す、すみませんっ! か、家政婦の森村小恋ですっ!」
「ああ……。家政婦さん、ね」
恐る恐る目を開けると、龍崎さんの足元が見えた。
革のスリッパ。黒っぽいスーツのスラックス。
「どうぞ顔を上げてください。突然帰ってきて驚きましたよね」
低く穏やかな声が、頭の上から降ってくる。
「今日は珍しく仕事が早く終わったもので」
声の調子からすると怒ってはいないようだ。
少し安心して、ゴクリと喉を鳴らしながらゆっくりと顔を上げていった。
想像とおりの長い脚を視線で這う。
腰の位置が私のお腹くらい。上着の前ボタンは開いていてネクタイは濃いグレーで少し光沢があって。
腰に当てた手。長い指に手の甲に浮き出た血管が妙に気持ちをざわつかせ、スーツを着ていてもわかる逞しい胸板が見えてとれた。
次は顔、もうドキドキが止まらない。
ふいにその右手が動いて、握手を求めるように私に差し出された。
「龍崎です。はじめまして」
「あ、森村です。はじめま……」
慌てて右手を差し出しながら、さらに顔を上げると。息が止まった。
――え?
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